コトのお見合い 1

 旧王都に来てから一か月と少し。季節は春から夏へと変わった。まとわりつくような暑さに湿気は嫌でも夏風情を感じさせる。今のような真昼はひどいものだ。立っているだけで汗が出てくる。

 ハーニーも旧王都に慣れたもので、いる場所、訪れる場所はほとんど決まっていた。一に寝泊まりしている宿兼酒場。二に街外れにあるパウエルの別邸、サキの墓。

 そしてもう一つ。それがここ刀匠シンセンの家だ。

 どんな業物でも人を斬れば油がつき、切れ味が落ちる。ハーニーの場合、刀身に氷が張るので劣化を抑えられるが完全ではない。手入れは必要だ。その上、毎度戦う度にある問題が起きる。


「またか……いい加減何とかならないものかの……」


 シンセンは大げさなほど長いため息を吐いた。だがそれも仕方ない。事ある度に言われていることだ。言われてなお直らないから呆れられる。


「戦場に出るごとに鞘を無くす剣士なぞ、聞いたことがないんじゃが」

「すみません……」


 ハーニーは気まずそうに頭を下げた。

 シンセンのところに来る最大の理由はこれだ。

 戦場でなくした鞘の補充。激戦があるといつも鞘はなくなっている。最初のうちはシンセンも笑って許してくれていたが、何度も続くと態度も硬化した。

 怒り、苛立ちほどではないが目をきつくしてシンセンは声を大きくした。


「そもそもお前さんは鞘の括り付けが甘いんじゃ! ちょっと力を入れれば外せるようでは、帯刀もままならんじゃろ! これも前に言ったのう!」

「そ、そうですね。前回の戦いの後に……」

「大体何で鞘が身体から離れるんじゃ!」

「それは、えーと……」


 毎回どこかに放り投げているとは言いづらい。

 シンセンはほとほと呆れたという風に首を振って嘆いた。


「まったく……鞘は刀の帰る場所じゃというのに。お前さんの生還も暗示しているとは思わんか?」

「……思います。あまり胸を張れることじゃないんですけど、理由がまったくないわけじゃないんです」

「ほう。何じゃ」


 ハーニーは今までの戦いを振り返った。

 どれだって命のやり取りが行われている。


「戦うとき、戦っている瞬間はその時の『今』以外考えちゃいけない気がするんです。帰る場所を考えるって、戦いの後のことでしょう? それを考えてしまうと……なんだか弱くなる気がして。僕が見なくちゃいけないのは未来じゃなくて、目の前の相手だから、それでつい」


 話しているうちに、自分が何を偉そうに、と感じ始めて声が小さくなる。

 言い訳にとられたかな。その心配は杞憂だった。


「ふうむ。分からん話でもない。要は背水の覚悟というわけじゃな」

「格好良く言ったらそれかもしれませんね。……実際は煩わしくて放り投げ──」

「なんじゃと!」

「あっ、いえ! 何でもないです! とにかくいざというとき鞘があると刀を納めるとこまで考えてしまうんです。一回一回全力で臨まないと、僕みたいな若輩者は勝てなくなるんです」

「ぬう……戦場に出ている本人が言うならわしら刀匠は何も言えんの。だが鞘もタダではないんじゃぞ? それを拵えるのにも作り手の熱意や想いがこもっているんじゃ」

「……申し訳ないとは思ってます。平時はすごく役立ちますし」

「まあ、生きて帰ってくる限り怒りはせん」


 そう言ってシンセンは彼の足元にたてかけられていた鞘を手渡してきた。


「次からは有料じゃぞ」


 今まで無償で譲ってくれていたこと自体ありがたい話だ。


「できるだけなくさないようにします」


 そう言って受け取った。

 申し訳ないが無くさないと確約はできない。

 魔法の関わる戦いにおいて、感覚の影響は大きい。戦いの最中、鞘から無事生き残った時のことを連想してしまったら、きっと負ける。心の逃げ道ができてしまうのだ。気が強いとは言えない僕のことだ。現実逃避をしかねない。

 それに鞘を持たないことに覚悟の意味合いを持たせていることは、ある意味武器にもなる。明確な気持ちの切り替え。集中への一歩。それが一動作で己へ明確に示せる。

 ……命を奪うとき、相手を見なくなってしまうのは怖い。だから、シンセンさんには悪いけど間違っているとは思わない。

 本当に強い人なら両方やるんだろうか。相手を見て、その上未来も見る。

 パウエルさんならやってそうだな。


「刀の方は問題ないの。我が孫らしい素晴らしい一品じゃ。長く使えそうじゃの」

「そういえばコトは留守ですか?」


 いつもなら僕が来たと知ると家の奥から駆けてくる。今日は気配がない。


「夕飯の買い出しに行っとるよ。暑いから行きたくないとごねておったが、無理やり行かせたんじゃ。わしの家にいる限りただ飯喰らいは許さん」


 違和感。


「まるで居ついているみたいな言い方ですね?」

「実際そうじゃ。あの子にもちゃんとした家がある。聞いておらんかの? あの子の母親。わしの娘のことじゃが」

「コトのお母さん?」


 父親の話は聞いているが、母親のことはまるで聞いていない。

 シンセンはやれやれ、と老人くさく唸った。


「トウコという名でな。今は旧王都から北西の村に住んでおる。夫を亡くしてから刀を毛嫌いしてな、家を出てってしもうた」


 しゅん、と寂しそうにするシンセン。愛娘が離れていったなら当然か。


「しかしコウトウ……あの子は剣士になりたいとか抜かす子じゃろ? それだからトウコと喧嘩して、挙句うちに来たというわけじゃ。全く会わないというわけではないが、不仲なのは確かじゃの。だからハーニーにも言わんかったんじゃな」


 コトのことだ。記憶のない僕を気遣っている面もあるだろう。

 それにしても母との不仲か。


『またあなたはもったいないとか思っているんでしょうね』


 ひそひそと微かな小声。ギクリとする。


「……分かる?」

『あなたのことなら。……どうかしましたか? 私は普通のことを言ったまでですが』

「う、嘘だ。わざとだね。わざとそういうドキッとすること言ってるんだ」

『よく分かりません。道具なので』

「もう……」


 ハーニーは照れ隠しに頬を掻く。

 最近セツはこういう冗談が多い。僕が照れるのを確かめるようにからかってくる。道具の私なんかが、と言っていたセツだ。僕が女の子相手の時と同じ反応をすることを喜んでいるのかもしれない。僕にとっては意識するまでもなくセツにはセツで照れるし、ドギマギするんだけども。

 ん。

 近づいてくる気配に後ろを振り返る。鍛冶屋の入り口に手提げの布袋を持ったコトが現れた。


「やっと着いた~……おじいちゃんのせいで汗だらだ──はっ!? せんぱい!?」

「おはようコト。お使いなんて偉いね」

「あわわ」


 コトは怠そうだった姿勢を慌てて直した。空いている手で髪を少しいじってうつむく。


「もー……来るなら言ってくれればいいのに。そしたら準備できたのに」

「準備?」

「……何でもないっ。あたし、買ってきたもの置いてくる! せんぱい待っててね!」


 コトは逃げるように家の奥へ引っ込んでいった。


「どうしたんだろ」

『知ったことありません。道具なので』


 妙に毒のある言い方だ。ということは女の子ならではの準備ということか。

 元々可愛いんだから飾らなくてもよさそうだけど。


「ハーニーはこれからあの子と鍛錬かの?」

「特に約束はしてませんけど、待っててほしいそうなんで待ちます」

「なら飲み物を持ってこようかの。しばし店番を頼む」

「はい」


 シンセンも奥へ引っ込んでいった。庭に井戸があるからそこから汲み上げるのだろう。少し時間がかかりそうだ。

 ハーニーはもらった鞘を固定して店内を見回した。

 鍛冶屋だけあって棚には様々な刀剣が並んでいる。それらを眺めていれば退屈ではない。

 普段客が少ないから大丈夫だろうとお思っていたが、こういうときに限って鍛冶屋の暖簾が揺れた。


「……あら?」


 鍛冶屋に来て怪訝な顔をしたのは、この場に似つかわしくない女性だった。

 大人の女の人。三十代後半といったところか。髪は黒髪。後ろで束ねていて、既視感を覚えさせる見た目だ。服装も東国様式。帯刀はしていない。身のこなしも普通の人のそれだ。


「あなたは……どなたかしら?」


 丁寧な口調。声色はどこか硬い。自然、こちらも硬い反応になる。


「僕はハーニーって言います。今は一時的に店番を頼まれてるんです」

「通りで」


 通りで……何だ? 見知らぬわけだ、とかそういう意味かな。だとすればこの人はここを良く知る人ってことだ。シンセンさんの親戚かな。

 女性の目はハーニーの腰元をじっと見ていた。


「……あなた、刀を使うのですか」

「え? ええ、まあ」


 大人の女性は眉を寄せた。嫌悪を感じさせるしかめ面だ。

 それでも何も言って来なかった。直情的ではない。何か言いたげだが、口にするほど子供ではないのだ。


「……」

「……」


 ……だからって、無言の時間は苦しいな。明らかに僕を忌避してるのに、何も言わないとそれはそれで困る。落ち着かない。


「あの、あなたはシンセンさんのご親戚の方ですか?」

「え? ええ。よくお分かりになりましたね。父とは似ていないと言われるのですが」


 父ってことは、やっぱりそうだ。

 この女の人はコトのお母さんだ。


「コトとそっくりですから。母親似なんですね」

「コト?」


 訝しがられる。

 まずかったかな。名付け親の前で愛称は。


「すみません。娘さんのこと、僕が勝手にそう呼んでるんです」

「……気遣いは結構です。あの子がコウトウという名前を嫌っていることは知ってます」

「そ、そうですか。そうですよね。すみません……」


 親なんだから当たり前だ。余計な気を回してしまった。


「あなたは……あの子と仲がよろしいのですか?」

「たぶん良い方だと思います」

「お付き合いは?」


 普段なら焦るなり照れるなりしそうな質問だが、コトの母の顔は至極真面目だった。言い繕えない圧力にハーニーは飲まれた。


「そ、そういうのはありません、けど……?」

「そう……それは良かった」


 その時、コトの母は心から安堵していた。行方不明の子供が見つかった、そんな時に見せそうな、本当の安心をしていた、


「良かった、っていうのは──」

「お待たせ! 着替えたあたしは準備もバッチリ! ……って、お母さん!? 何でここに!?」


 どうやら来る予定はなかったらしい。コトは驚き後ろずさった。

 こうして二人比べて見ると、本当によく似ている。目元などそっくりだ。違うといえば年齢による見た目の違いと、漂うしっとりさ、それに髪型くらいだ。二人とも髪を後ろ束ねにしているが、コトの尻尾は短く、母親は長い。


「お母さんここ嫌いじゃなかったっけ? もしかして! あたしが刀の道に進むの許してくれるようになったの!?」

「そんなわけありません。そんな野蛮なもの、女の子が関わるべきではないのですよ」

「なーんだ。それじゃ何しに来たの?」


 トウコはキッ、と目を細めた。


「あなたを連れ出しにきたのです。コウトウ。あなたもそろそろ大人になるべき歳でしょう」

「今更何? あたし、この道を行くって決めたんだ。お父さんみたいに刀で生きていくの!」


 部外者が入る余地のない親子喧嘩。ちょうど二人の真ん中にいるハーニーはただ目をキョロキョロさせるだけで戸惑うばかりだ。

 コトの母、トウコは深いため息を落とした。


「まったく……分かっていましたが頑固者ですね。誰に似たのやら」

「お父さんじゃない?」

「もう皮肉は結構。あなたには言葉だけじゃ意味ないと分かりました」

「だったらどうするの」

「あなたには家庭を持ってもらいます」

「……は?」

「嫁入りして、落ち着きなさい。相手はもう見つけてあります。私の今住んでいるスウト村の牧場の息子です。あなたの同じ年で了解は取ってあります。喜んで迎えたいと」


 コトは思い切り狼狽した。


「な、なにそれ! あたし何も聞いてないよ!?」

「あなたは言っても聞かないから仕方ないでしょう。こうでもしないと……」

「そんな! ひどい! 勝手だよ! あたしに断りなく結婚の約束するなんて!」


 コトが拳をぎゅっと握りこんで怒る。トウコは真っ向から見返して言った。


「私を恨もうが結構。ですが、この縁談はもう進んでいるのです。向こうのご家族は皆承知していますよ。わざわざ他の方との縁談も断っていただいたのです。あなたの、刀に生きたい、なんて子供じみた理由で断れるものではありません。あなたも貴族の血を引いているのだから分かるでしょう」

「だからって、意味わかんないよ……!」


 望まぬ結婚は貴族ではよくあると聞く。今は職業貴族のコトには関係なさそうなものだが、文化的に簡単に断れるものではないのだろう。家ぐるみの決定となれば、断ると大きな問題へと波及しそうだ。それも相手は他の良い話を断っているという。


「さ、コウトウ、スウトの村へ行きましょう。あなたは馬鹿な子じゃないんだから聞き分けなさい」


 トウコがコトの手を掴む。コトは勢いよく振り払った。


「やだよ! そんな知らない人と結婚なんて!」

「あなたに刀への執着以外の理由なんてないでしょう! いいから来なさい!」

「り、理由があればいいってわけ!? そ、それなら……」


 コトは一瞬済まなそうに眉をハの字にした。すぐに強気なものへと移り変わる。

 そして。


「これがあたしの行かない理由!」


 コトはそう言ってハーニーの腕に抱き着いた。抱え込むように引っ張り込んで放さないようにする。


「……ん?」

『は?』

「あ、あたしの恋人! 好きな人いるから無理! だから……っ」

「す、好きって。恋人って」


 動揺を隠せないハーニーに、トウコのきつい視線が飛ぶ。


「どういうことか聞かずとも分かります。この子のその場しのぎの嘘に付き合わなくて結構。どうか邪魔をしないでいただけますか」


 嘘だと見抜かれている。そりゃそうだ。僕はさっきトウコさんと話した。付き合っていないことを確認されている。そもそもこんな状況で恋人がいるなんて嘘にしか聞こえない。無茶な嘘だ。


「……うぅっ」


 泣きそうな唸り声が聞こえた。身体も震えている。

 僕を離すまいとするコト。それがただの恋人のアピールではなく、助けを求めて縋りついているように見えた。他に頼れるものがない、小さな女の子に。その姿はいつかのリアと被る。

 無理やり結婚しろというのもひどい話だと思うから……。


「……そうですね。コトをお嫁に行かせるわけにはいかない」

「せ、せんぱい?」

「どういうことです?」

「コトの言う通りですよ。僕らは……将来を約束した仲なので」

「ええっ!」


 そこでコトが驚いたら変じゃないか!


「……本気で言っているのですか?」

「……はい」


 きっとトウコさんには嘘だとバレている。しかし、彼女がこちらの口実を真っ向から否定できないのも確かだ。彼女が勝手に決めた結婚と、似たようなものなのだから。


「すみませんが、そういうことなんで」

「……はい、そうですか、とはいきませんね。こちらにも都合があります」

「じゃあどうすれば?」

「あなたにもスウトの村に来てもらいます。そこで話し合いましょぅ。恋人なら恋人だと証明してもらいますよ。その覚悟があるなら、ですが」

「僕は迷ってません」

「そうですか。馬車は手配しています。1時間後に北門へ来てください。スウトの村までは2時間ほどですから、軽装で結構」


 トウコは苛立ちを隠さない足取りで鍛冶屋を出た。

 ハーニーはほっと一息つく。


「……なんだか、面倒なことになったな」

『頭がおかしいんですね。だからこんな分かり切った嘘に乗るんです』

「ちょっと言い過ぎじゃないかな!? いや、その通りだけど」

『……言いすぎですね。でも、腹が立つんです』


 この程度の怒りで済むってことは、セツも他に方法がないと思っているんだ。嘘も方便で通すしかないって。実際一番丸く収まるのはこの道だ。


「……ごめんなさい。あたし、こんなつもりじゃなかったんだけど……」

「分かってるよ。コトは嫌なんでしょ?」

「嫌だよ! 結婚も嫌だし、刀から離れるのも嫌!」

「なら、ちゃんと断ってこよう。僕も手伝うから」

「せんぱい……!」


 潤んだ瞳で見上げられると照れる。目をそらし、腕に抱き着いていたコトから離れる。

 コトに目を戻したときには、いつもの元気を取り戻していた。


「じゃあ、しばらくハーニーせんぱいはあたしの恋人役ね! うまくお母さんを騙して、縁談をぶっこわそ!」


 まだ騙せる気でいるらしい。間違いなくバレている。一度引いてくれたのは、道理を重んじる性分からだろう。


「……間違ってないはず」


 他人の家庭事情に深入りしすぎかもしれない。それでも放っておきたくなかった。

 コトの意志を無理やり曲げるやり方が気に入らなかったのもある。ただ、何より彼女の味方をしたかったのだ。

 コトはなりふり構わず拒否することもできたのだ。そうしなかったのは彼女の優しさだ。勝手なことを言えば多方面に迷惑がかかるのを分かっているから、コトは易々と断れなかった。

 嫌なことを強要されながらも周りを思いやれる一面を、なかったことにしたくない。報いたい。


『ネリーとリアには私から話しておきます』

「勘弁してよ……」

「へへ、ちょっと役得? かも」


 平穏な日々。その始まりは何とも奇妙なものだった。

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