東国前線基地攻略作戦 4
湿度の高い森林に汗が一粒また落ちる。
大勢が動き回る音の中に、潜めた呼吸の音が二つあった。
「……行ったか? 気づかれずに済んだよな?」
「とりあえずは、うん。でも僕らがこの辺りに隠れてることはもうバレてる。探す人の数も増えたみたいだ」
「本隊を見失ったから、せめて俺たち二人だけは逃がさねーってことかよ……」
ハーニーとユーゴは川から逸れた木々の影に隠れていた。周囲の草木や夜の暗さで近づかないと分からないだろうが、大勢が探している。見つかるのは時間の問題だ。
「これならもっと早く逃げりゃよかった……」
「でもそのおかげで皆が逃げる時間を稼げたよ」
「……そうだけどさ」
時間稼ぎも最初は良かった。しかし周辺に散らばっていた東国民が集結し始めると余裕がなくなり、ハーニーとユーゴはその場を離脱したのだ。
ただ、その離脱も時間稼ぎのため仕方ないとはいえ、遅かった。既にこの周辺一帯に厳重な包囲網が布かれている。そのせいでハーニーとユーゴは見つからずに逃げることができず、こうして包囲の中で潜んでいるというわけだ。
本当なら、見つかったとしても加速魔法で強引に振り切ればいいのだが、それには一つ大きな問題がある。敵地のど真ん中で動けずにいるのは包囲されていることだけが理由ではない。
「ユーゴ。足のケガはどう?」
「……ッ。ダメだ。動かそうとすると死ぬほど痛い。立ち上がって歩くのが精いっぱいだ。走る魔法の集中なんかできねーよ……」
集結した敵から逃げようというとき、ユーゴは足に一層火魔法を一発もらったのだ。右ふくらはぎにある火傷の傷は痛々しい。更に着弾時の衝撃で腫れ上がっている。
「加速魔法で強引に突破するのは無理っぽいね……となると……」
ハーニーは黙り込んだ。
このまま隠れていても、奇跡でも起きない限り一時間しない内に見つかる。
二人で助かる選択肢は一つしかない。
MJにも言ったっけ。既視感を感じながら口にした。
「僕が注意を引いている間に逃げるんだ」
「な、なに言ってんだ。お前ひとり置いて俺だけ逃げろって言うのかよ」
反対する言葉も先ほどのやり取りを思い出させる。他に方法がないのもさっきと同じだ。
「他にどうしようもないよ。後手なんだ。安全な選択肢はないし、これが一番生き残る可能性が高い」
「ふ、ふざけんな。どうして俺が一人で……なら二人で戦えばいいじゃねーか。それなら──」
「無理だよ……数が違い過ぎる。それに」
ハーニーは仕方なくユーゴの負傷した足に目を向けた。視線に気づいてユーゴは目を背けた。
「……俺が使い物にならねー。そうだよな。戦えるくらいなら逃げてる……足を引っ張ってるのは俺だ」
「自分を責めないでよ。ユーゴは精いっぱい戦った。時間稼ぎを頑張ってくれたじゃないか。ユーゴがいなかったらMJたちは逃げられなかったよ」
「……お前は本当に人のことばかり気遣うよな。こんな状況なのに」
「その方が楽なんだよ」
「……ああ、分かるよ。自分を見なくていいんだろ」
そういう感じ方が分かるということは、寂しいことでもある気がしてハーニーは苦笑した。ユーゴからは呆れたため息が返ってくる。お互いを同情するやり取りは、危機的状況であることを忘れさせてくれる。
しかし重なり合って遠くからでも響く足音が、嫌でも危機的状況を思い出させる。
「こっちに向かってきてる……あたりを付けたかな」
「バレたのか?」
「いや。でもすぐに見つかる。よし、僕がひと騒ぎ起こすから、その間にユーゴは……ユーゴ?」
「……」
何か、いつもと違う表情に戸惑う。
痛みに苦しんでいるわけでもない。焦りに駆られているわけでもない。恐怖しているわけでもない。うつむきがちの落ち着いた顔。
乾いた唇が動くのが妙にゆっくりして見えた。
「……俺さ、ずっと逃げてきたんだ」
「逃げて?」
声は状況にそぐわない穏やかさだった。それでこの話がさっきの戦闘のことではないと分かった。
ユーゴは今まで話すことを避けていた身の上を言葉に紡ぐ。
「家を出てきたのには理由がある。自分以外のためもあった。それでも、逃げてきたことには変わらない。嫌なことから逃げ出してきたのさ。見たくないものを見ないように。聞きたくないことから耳をふさいで。……ハハ。そりゃ言われるよな。『薄っぺらい』って。『生きてる価値がない』って」
「……誰だって嫌なことからは目を背けるよ」
「かもな。でも俺は言い返せなかった。むしろ納得しちまったよ。へへっ」
むしろ晴れやかに見える表情に嫌な予感を覚えた。
「……馬鹿なことを考えてないよね?」
「馬鹿なことなんてちっとも考えてねーよ。俺は大まじめだ。珍しく真剣に考えてる」
会話の間も足音は近づいてきている。数十人はいるだろう重音。
「ダメだ。これ以上近づかせるわけには──」
「待てって」
木陰を出ようとしたハーニーの腕をユーゴが引き留めた。
「俺に考えがある。助かる方法だ」
「どうするつもり?」
「いいから落ち着けって。これなら確実に助かる。そのためにはあの集団には近づいてもらわねーといけねー。だから待つんだ。ここでじっとして」
はっきりした物言いは確信を感じさせる。裏付けのある力のある言葉だ。
「……俺を信じてくれ」
ユーゴがここまで言うのは初めてだ。しっかりとこちらの目まで見て言うのもユーゴらしくなく、だからこそ説得力があった。
「……分かった。信じる」
「へへへ。お前はホント良い奴だよ。俺に理由を聞かないのはお前だけだ」
「僕はきっとユーゴが思うよりもユーゴを信頼してるよ」
「……そうだな、お前は。お前には軽い男のふりは通じないもんな」
「やっぱりふりだったんだ」
「まあな。……あいつらが近づいてくるまで話すか。今だから言うけど、俺は自分のことを知られるのが怖いのさ」
「自分に嫌いなところがあるから?」
「惜しい。正確には……何もないんだ。さっきも言ったろ。俺は空っぽだ。薄っぺらい男だ。それを見たくないから、俺は自分を知られたくない。何が欲しいのかも気づかれたくない。望みって嫌なほど人を表現するだろ? だから一番知られたくないことだ。自分が何を望んでいるかって」
それは理解できる感情だ。
人と関わる中、どうしたって相手に何かを求める。しかし自分が本当に望むものは、常に綺麗なわけじゃない。傲慢で独善的な欲求があるものだ。承認欲求でも寂しさでも、他人に求めるものはいつだって相手のことを考えない独りよがりな要求になる。それを知られることは怖い。その気持ちを知られ、許されなかったら自分全体を否定された気持ちになるから。
静寂がおりる。足音は近づいてくる。もうすぐだ。暗闇でも見える距離まで来る。
「俺はお前を置いて逃げられねーよ」
「え?」
「お前はさっき言ったよな。自分だけ助かればいいって思えないのは、自分にそれほどの価値があると考えられないからだって」
「そりゃあ、自信家になれないから……それよりもユーゴ。方法ってどうするんだよ。もうすぐ近くまで来てるっ」
「いいから聞け。……俺も同じなんだ。お前を置いてまでして助かる価値が俺にあると思えねー。俺はただ逃げてきた男だ。それだけの人生で、何か成したわけじゃない。積み上げたものも、守るべきものも俺にはねーんだから」
ユーゴはなぜか嬉しそうに笑った。
「……でも今は違うぜ。今の俺にはすげー意味がある。価値があるからな」
「ユーゴ?」
「よい、しょっと」
ユーゴが立ち上がる。一瞬ぐらつくが持ちこたえた。
数歩、気配の方へ進んでハーニーに背中を向けたまま語る。
「お前には理由がある。リアちゃんとかセツちゃんとか、おっさんたちとか、俺と違ってさ。それに三年しか記憶がないのに、ここで終わっちゃだめだ。もっと楽しんだ方がいい。それでさ。そんな、俺なんかよりしっかりした奴を守れるなら、それは俺に俺以上の価値を生むと思える」
「な、何変なこと言ってるんだよ。二人で助かる方法があるんでしょ? そんな言い方、まるで自分を捨てるみたいに聞こえるよ……?」
「自分を賭けるのさ」
「ユーゴ!?」
ユーゴは首を少しだけ振り返らせた。僅かに見える横顔は絶望していない。それどころか希望を見ている顔をしていて。
「重荷になんか思うなよ。俺はこんなに清々しい気持ちになったのは初めてなんだ。やっと、やっと俺は自分に意義が持てるって……理由なんだよ。俺にはなかった、尊い」
「ユ──うぐっ」
「任せとけって」
立ち上がって追いかけようとして、押しのけられた。しりもちをつく。
「あー、そうだ。俺がどうなるか、いや、どうなったかは母様に言わないでおいてくれ。楽しく旅をしてるって言ってくれりゃいい。……じゃあ、うまくやれよ。ハーニー」
「ユーゴ!」
止めないといけない。でも大声を出して位置がバレたら、取り返しがつかない。
抑えた呼び声は虚しく響いた。ユーゴはハーニーを置いて木陰を出る。足音の方へ飛びだした。
すぐに、ざざ、と大勢が身構える音。
ユーゴが見つかったのだ。
「待て! 攻撃するな! 降伏する! 私は王家に連なる貴族だ!」
それは明らかな嘘だった。ハルフォード家は名家と聞いたが、王統ではない。
「名前は!」
東国貴族のものだろう声。ユーゴが答える。
「……カルロス・カインゴールド」
「現王の従兄弟だと? 旧王都にいるはずがない! ましてや降伏など!」
「信じないのは勝手だが、ここで私を殺していいのかな?」
「……チ。どうせ嘘だろうが、確認しなければならんか。よし、捕らえろ! 妙な真似をすれば」
「しないさ。へへ」
ユーゴが捕まるのを草陰から見ながら、ハーニーは動けずにいた。
ここで飛び出せば、ユーゴはすぐに狙われて殺される。不意を打つにも人数が多すぎる。軽く三十人はいるのだ。一人を守りながら戦うのはあまりに無謀。
あまりにも……。
「くうっ」
無駄に握られる拳。内心でユーゴを責める。馬鹿だ、馬鹿だ、と。
いや、本当に馬鹿なのは僕自身だ。どうして止められなかった。なぜ気づけなかった。嫌な予感はあったのに。
「仲間はいないだろうな?」
ユーゴは東国貴族の質問に皮肉っぽく答えた。
「……俺は一人さ。最初から、最後まで」
その言葉が腹立たしくて仕方なくて。
「くそっ……!」
それでも何もできなかった。
やるせなさと自責の念に満たされながら、ただ連行されるのを見ていることしかできなかった。
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