存在の天秤 6

 シンセンの庭に着いたハーニーを出迎えたのは不穏な状況だった。

 庭の出口にはコトの刀が落ちている。また魔力の残響も感じた。どこかで感じたことがある気がする魔法の息遣い。

 なによりも濃い敵意に鳥肌が立った。


『何かあったと考えるべきでしょう』

「な、何か? 何かって?」


 躊躇いがちに無感情な声。


『……この様子から察するに、誰かが二人を連れ去ったのではないかと』

「そんなのはここを見れば分かる! コトが刀を置いていくもんか。誰かが魔法を使った気配もある。僕が聞きたいのはどうしてリアとコトなんだってことだよ! おかしいじゃないか。何もしていない二人が狙われる理由はないっ」

『落ち着いてください』

「これがどうして落ち着けるんだよ! リアだよ?! よりによってリアが連れ去られるなんて……! コトもこの様子だと戦ったみたいだし!」

『焦る気持ちはわかりますが、動転しても解決しません』

「分かってるよ!」


 言葉だけの肯定。いや、頭の中では分かっている。分かっているが、落ち着くことができなかった。もしもリアが。想像するだけで眩暈がする。恐怖が寒気を呼び、同時に憎悪が首をもたげる。


「お、あんたがハーニーって子かい」


 声の方を見ると、シンセン宅前の道路に、この辺に住んでいそうな老人が立っていた。老人は一枚の紙をこちらに差しだしてきた。


「これ、さっき黒い服の人から渡せって頼まれたんだ」

「黒い服の……?」

「陰気そうな男だよ。とにかく渡したからね」


 老人は立ち去る。ハーニーは構わず紙を見た。

 そこには、誰にも言わず旧王都の南側にある一区に来い、とだけ書いてあった。


『開拓期に使われた一角。人気のない場所です』


 セツの説明が頭に入る。

 そんな場所を知っているということは旧王都に詳しい人物。

 いや、それよりも僕の名前も知っていた。人質を取る意味はすなわち……。


「狙いは僕か……?」

『そうでしょう。となれば二人は無事です』

「ああ……ああ!」


 ハーニーの顔に生気が戻る。

 まだ大丈夫。それだけ分かれば十分だ。


「行こう」

『ですがこれは明らかな待ち伏せです。敵の詳細も分かっていません』

「だとしても助けに行かないと。人質を取られた時点で不利なのは変わらないんだ。あとは現地でうまくやるしかない」


 一瞬の間。


『それはあなたの意見ですか』

「……サキさんの見解もあるけど、僕もそう思う。僕を狙う理由が分かれば、打開策を見つけられるかもしれない。少なくとも行けば誰が敵か分かる。……どうせいてもたってもいられないんだ」


 今も不安でたまらない。今すぐ示された場所に走り出したいくらいだ。

 セツはあくまで冷静な調子を取って言った。


『分かりました。他に選択肢もありません』

「ああ。じゃあ早く──」

『今のままではダメです』

「何がっ! 早く行かないと二人が……!」

『しっかりしてくださいっ』

「っ」


 一瞬、セツの声色に抑揚を感じた。人らしい言葉の揺れ。

 動揺しているうちに、いつも通りの無感情な声が心に入ってくる。


『あなたがここまで生き抜いてきたのは、どんな時も心の奥底で落ち着いていたからです。理性的だったからです。根底に理屈があったから、リオネルの転移魔法を止めることができた。時を止める魔法も同様に。今のあなたはどうですか』

「今の僕は……」


 自分を顧みるという発想がなかったことに驚く。それほど余裕がなかったという証拠だ。


『このまま浮足立って行って、勝てますか?』


 『助けられる』でも『守れる』でもなく、『勝てる』か。

 戦いを踏まえた言葉に心が冷えるのが分かった。それはセツのおかげか、サキのおかげか分からない。しかし、意識が明瞭になっていくことに変わりない。

 実感する。僕にはセツが必要だ。


「……セツ、力を貸して」

『私を頼ることができるなら、もう冷静です』

「は」


 小さく笑う。焦りの中に余裕がある。

 ハーニーは今度こそ目的の場所へ足を踏み出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る