デートの一日 リア

 日が暮れて鍛錬を終えたハーニーは重たい足で酒場の階段を上る。さすがに疲労が溜まっていた。


「……ふう。さて、次はリアか」


 夕方から夜にかけてはリアの時間。リアはいつもと変わらず部屋で一緒に過ごしたいと言っていた。部屋の中だけなんて物足りないのではないかと最初は心配していたが、今はただ助かったという思いだった。


「──あっ。帰ってきた!」


 夕暮れの薄暗い二階の廊下を歩くと、自室からぱたぱたと物音がした。ドア越しに耳を澄ませていたらしい。

 となると帰ってきた僕を出迎えてくれるんだろうか。


「ただいまー」


 ぼんやり期待しながら部屋のドアを開ける。

 部屋はろうそくの明かりだけで仄かに明るい。外の夕焼けも相まって感傷的な雰囲気だ。

 そして部屋の奥にあるベッドの前に知らない少女が立っていた。


「おかえりなさい!」

「あ、あれ? リア?」

「そうだよ! リアだよ! ……じゃなくて! リア、です」


 かしこまった言い方はデートを意識しているのか。いや、それよりも。


「そのドレスどうしたの?」


 リアは純白のドレスを身にまとっていた。ただでさえ顔かたちの整ったリアがフリル多めのドレスを着ると、童話に出てくるお姫様のようだ。


「えへへ。ネリーさんが昔着てたドレスを借りたの。どう? 綺麗?」


 そう言うリアの唇には薄い口紅。大人びたお化粧をしている。


「……なんだかリアじゃないみたいだ」

「そ、それっていい意味だよね? ね?」


 不安そうな顔を見せると胸が痛むほどに美人だった。


「いい意味。綺麗で大人っぽいよ」

「大人っぽい!? ……やっ……じゃなくて! 嬉しいです。あと今日のリアは大人なのです」

「おお、すごい。所作もお姫様みたいだ」


 もともとお金持ちだったウィルの娘だ。そういう作法はしっかりしているし、様になる。


「ささ、ハーニー。座って……くださいな?」

「ははは。喋り方はいつも通りでいいのに」


 笑うとリアはムッとした。


「ダメだよ! リアはお子様じゃないもん! ネリーさんやコトみたいに、大人としてみて欲しいの。一人のレディなんだよ。ふふん」

「言ってやった、って顔してるけど口調元に戻ってるよ」

「はわわっ、今のなし! ……ですわ!」


 無理に大人ぶるから変な調子になっている。ハーニーが笑うとリアは悔しそうに目を細めた。が、すぐに声色を明るくした。


「あら、もうこんな時間。お夕飯の支度をしないと~」

「急に家庭的になったね。って、ご飯の支度? リアは料理なんてできないはずじゃ」

「ちょっと待っててくださいまし。……ませ!」


 安定しない言葉を残してリアは部屋を出て行ってしまった。

 追いかけるべきだろうか。悩んでいるうちにリアは戻ってきた。


「開けてー!」


 促されてドアを開けると、料理の乗ったお盆を持ったリア。


「さぁ、今日の夕飯は鶏肉と……何か野菜のパスタですよ~」


 料理は明らかに階下の酒場の主人が作ったものだった。

 つっこむのも無粋だし、ここは流れに乗っておこう。


「美味しそうだね」

「そうでしょう。リアもそう思い……ますっ」


 料理に目をくぎ付けにして、食べたそうにするリアを見て頬が緩む。ドレスに手料理は変だし、そもそもおままごとみたいで子供っぽいしとつい笑いそうになる。

 部屋の一角にあるテーブルで二人夕食を食べることになった。


「さあ召し上がれ」

「いただきま」

「待って!」


 ニコニコ笑顔に促されて食べようとすると、即座に待ったが入った。


「ふふふ! リアが食べさせてあげます!」

「え、いいよ。今日のは麺で運びづらいし」

「わがまま言っちゃ、めっ!」


 しゅっ、と手が伸びてフォークを奪われた。勝ち誇った顔が目に映る。


「これじゃ素手で食べるしかないか……」

「大丈夫。なんとリアのところにフォークが!」

「そりゃあね」


 苦笑する。からかってみたが、リアの意志は思ったより強かった。


「よいしょ……」


 リアはもたもたしながらもパスタをまとめて持ち上げた。


「はい、あーん。……あーん!」

「分かった。分かったよ」


 口元を汚しながら何とか食べる。咀嚼するとリアは満足そうに鼻息をした。

 「じゃああとは自分で食べていいよ」とフォークを返すあたり、無理やり食べさせたという自覚はあるらしい。それでも満足そうなのは、この行為に何か大きな意味があるということか。


「……着替えるからハーニーは部屋を出てて」


 食後、リアは勇気を込めた瞳でそう言った。


「わざわざ? いつも通り後ろ向いてるよ」


 何も考えずにそういうとリアは眉を寄せてハーニーの身体を押した。


「だーめーでーすー! リアは立派な女の子なの! ネリーさんが着替えるって言ったらハーニー同じこと言う?!」

「……言わない」

「そういうことなの! 早く出てって!」

「わっとと」


 部屋を追い出された。

 もう夜の暗さの廊下。ハーニーは衣すれの音を聞きながら頭を掻いた。


「確かに今まで配慮が足りなかったかもしれないな。リアだって女の子なんだし」

『……』

「セツに言ったんだけど」

『分かっています。ですが今はリアの時間です』

「そりゃそうかもしれないけど。うーん?」


 セツが話に乗ってくれないのは珍しい。義理立てにしては固すぎるような?


「入っていいよー」

「あ、うん」


 部屋に戻るとリアは普段着でベッドに腰かけていた。窓から夜空を眺めている姿は幻想的だった。

 ハーニーがぼおっとその姿に見とれていると、リアはぽんぽん、とベッドを叩いた。


「今日はお部屋デートなんだよ。ハーニーはここ」

「ああ、うん」


 別に断る理由もないので横に腰かける。

 すすす、とリアがずれる。


「……?」


 いつもならぴっとりくっついてくるのに、今日のリアは僅かに空間を作った。ほんの少し離れて姿勢よく座る。

 そしてこの沈黙。今日はどうだった、とか、明日はどうするかの話もない。ちら、ちら、と窺うような流し目が飛んでくるだけ。

 そのうち目が合った。


「……えへへぇ」


 とろけるような笑みに声が裏返る。


「な、なにっ?」

「リアを見てくれたから嬉しかったんだよ」


 当たり前のことをとても幸せそうに言う。まっすぐすぎる好意に顔が熱くなった。

 また静けさが部屋を満たす。

 居心地は悪くないが、妙に心が騒がしい。二人きりはいつも通りのはずなのに、性質が全く違っている。リアの吐息の音が大きく聞こえる。

 な、なんだこの雰囲気。相手はリアだぞ? こんな風に照れくさくなるなんておかしい。


「おかしくないよ?」

「っ」


 心を読まれたとしか思えなかった。驚いてリアを見るが平然としていた。


「なんかリアね、ハーニーの気持ちが分かる気がするよ。いつもハーニーのこと考えてたから、リアにも魔法が使えるようになったのかな?」

「心を読む魔法?」

「違うよ。ハーニーと繋がる魔法だよ。こう、ね。欲しい欲しい~って思ってたら、分かるんだ。例えば今はね、ハーニーは……不思議がってる!」

「それは顔を見れば分かるだろうけど」

「むむ、信じてくれないね。じゃあ……よーし、ハーニーのしてほしいことをしてあげます」


 そう言うとリアはハーニーの頭に手を伸ばした。軽く引き寄せて、頭を下げる形になる。

 リアはその垂れた頭を抱き寄せた。


「ちょ、ちょっとリア!」

「ふっふっふ。これで、こう」


 そのまま頭を撫でられた。慣れてないのだろう、髪がくしゃくしゃになる。


「待って待って待って」


 ひどく恥ずかしかった。たまらず抱擁から抜け出す。

 むすっとしたリアの顔があった。


「恥ずかしがらなくていいのに。ネリーさんのはよくて、リアのはダメ?」

「あれを見てたの? うわぁ……」


 顔から火が出そうなほど恥ずかしくて両手で顔を覆った。

 リアの慈しむような声が耳に入ってくる。


「もう、恥ずかしがり屋さんだね。リアだってハーニーにたくさんしてもらったよ? 気にしなくていいのに」

「それとこれとは別だよ」

「ハーニーもしてほしいのに?」


 心の隙間にサクッ、と刺さる言葉だった。


「……そんなわけ」

「前までなら分かんなかったけど、今なら分かるんだよ。ハーニーがリアにしてくれること。なでなでしてくれたり、甘やかしてくれるのは、本当はハーニーがしてほしいことなんだよね。守ってくれるのだってリアのためもあるけど、守ってほしいっていう気持ちがあるんだよ」

「……リアを守りたいのは本当だよ」

「うん。知ってるよ」


 どこまでも分かっているような余裕のある視線に、ハーニーは不思議になる。

 リアの自信は直感や印象などの不確定な理由に根差していない。もっと確実な確証があってのものだ。それこそ、本当に考えていることが分かっているような。

 思い出してみると、今までもそんな節は今あった。自分の帰りを予感していることが何度もあったし、以前夢で見た花の話をした時もそうだ。簡単にしか話していないのにリアはその花を絵に描いたのだ。とても正確に、夢で見たとおりの花を。


「本当に心が読めるの?」

「んー……分かんない。何となく分かるんだよ。ぼんやりふんわり、そうなんだーって感じ」

「……よく分かんないな」

「リアも。でもリア、ハーニーのこともっと知りたいから嬉しいよ」


 ネリーは、魔法は誰にでも使えるはずだと言っていた。ただ背景として貴族しか使えないことが常識になっているからできないのだと。

 それならリアがささやかな魔法を使えてもおかしくはない。願いほど魔法になりやすいものはないはずだ。

 ……いや、魔法だとしたらおかしい点がある。今まで魔力の動きなんてまるで感じなかった。魔素があったとして、魔法が発現したなら少しは変動するはずなのに、何も変わっていない。魔法は使われていないはずだ。

 なら、心が伝わるのは魔法ではない?


「ん?」


 気づけばリアが楽しそうにこちらを見ているのに気づいた。


「どうしたの?」

「んふふ。難しい顔してるといつもよりもかっこいいね」

「……なんだか調子が狂うな」


 こっちは真面目に考えているのに。


「いいんだよ、リアが魔法使えるかどうかなんて。大事なのはリアがもっともーっとハーニーのためになるってことだよ! してほしいことが分かっちゃうんだから!」


 腕を大きく広げて笑うリアを見ていると、確かにどうでもいいことのような気がしてきた。悩むにしても、今でなくていいのだろう。


「僕のしてほしいことねえ」

「甘やかされたい?」


 リアの含みのある笑みに苦笑した。ネリーの件も見られた。もう言い訳しても遅いだろう。


「僕の負け。確かにそういうのに弱いよ」

「でも我慢しちゃうよね。何で?」

「何でって、そりゃ僕が男だから」

「変なの。甘えたいなら甘えればいいのに、できないなんて大変だね」


 大変。そうなんだろうか。皆しないし、それが普通な気がする。


「普通は、これくらいの年になったら甘えないんだよ」

「甘えたいのに?」

「……恥ずかしいからね」

「変だねぇ」


 そうかもしれない。言われてみれば望んでいるのに我慢するのはよくないことだ。常識で考えればそうなる。

 でも常識で考えるなら社会からの要請があると感じるのだ。

 こうあるべき。大人でいるべき。自立すべき。

 そういう色々なことを求められている気がする。だから我慢しなくちゃいけない。子どもでいちゃいけない。……子供時代を知らないとしても。


「分かった!」


 突然リアが声を上げた。何かひらめいたように顔を輝かせていた。


「ハーニーは自分から甘えられないダメダメさんだから、リアがやってあげればいいんだね。リアが勝手にすることなら何も悪いことないし!」

「いやいや、リアも大人ならダメでしょ」

「リアは子どもだよ?」

「さっきまであんなに大人扱いしろって言ってたのに?」

「ハーニーのためなら何にでもなるからね」

「う」


 からかったつもりが真っ直ぐな気持ちにやり返された。

 あんなにこだわっていたのに「ハーニーのためなら」と切り替えられたら照れを通り越して感動してしまう。想いの強さが伝わって胸が熱くなった。


「……まずいよなあ」


 困ったことにリアの好意が全然嫌じゃなかった。むしろ嬉しくて、まずい。いわゆる社会的な規範としてまずい。気がする。

 リアはそんなこと気づかずに無邪気に笑う。心が読めるというより、ぼんやり伝わるという感じなのは本当らしい。。


「リアは子どもに戻るけど、女の子として見てくれなくちゃダメだよ? じゃないと何もしてあーげない」

「無理してしなくても大丈夫だよ」

「あっ、やっぱりする! まったくハーニーはすぐ逃げるんだから……」

「僕が呆れられるのか」

「そうだよ。こうなったらちゅーだね。罰としてキス!」

「それはダメ」

「えー……でもリアはそういうカゲキなことしないとドキドキさせられないよ……」


 目の前で落ち込まれるとすぐに何とかしたくなるのは、僕のいい癖なんだろうか。悪い癖なんだろうか。


「は、恥ずかしい話、たまにドキッとすることあるよ」

「リアに?!」

「まあ……うん」

「いつ!? どこで!? 嘘だ!」

「嘘じゃないってば。例えば……たまに見せる大人びた表情とか……いや、この話はやめとこ」

「えーっ、なんで!」

「僕がダメな気がしてくるから! このままでいいのか考えないと」

「ドキドキし続けないとやだよ! ダメでいようよっ!」


 とんでもない勧誘で笑ってしまう。必死な様子だからなお面白かった。

 でも正直なところ、ここまで想われてしまったら意識してしまうことがあるに違いない。


「リアはハーニーがドキドキするように頑張るよ! え、えっちなことも頑張る! よくわかんないけど!」


 意気込む様子からして手が付けられなさそうだ。


「手加減してほしいな」


 諦め混じりに笑うしかなかった。

 リアはわがままを滅多に言わない。言うのはいつでも僕に関することだけ。きっと我慢している部分があるはずなのに、わがままを一つに抑えている。それを考えたら愛おしく思えて、邪険にしようとは到底思えない。


「リアはハーニーの嫌なことしないよ?」

「……ほめてあげようと思ったけど、撫でたら僕がしてほしいことだって思われそうだからやめておこうかな?」

「ええっ! ……い、今なら思わないよ?」


 よそを向いて空吹く姿は滑稽で可愛い。

 頭を撫でていると部屋のドアがノックされた。出てみるとそこにいたのはネリーだった。


「あれ? ネリーどうしたの?」

「リアちゃんを迎えに来たんだけど、聞いてない?」

「あっ、言い忘れてたけど今日はクレールおばさんのところでお泊りするんだよ! すっかり忘れてた!」


 クレールというのはネリーの保護者のことだ。確かリアより年下の娘が二人いたはずだ。


「んふふ。今晩はレイチェルちゃんとフィーちゃんに、ハーニーとのことをたくさん自慢しちゃお」

「ハーニーとのこと……?」

「ネリーさんには教えないよ」

「む。……別にいいけど。それじゃあリアちゃん連れていくわね。今日の残りはセツに任せる約束なの」

「リアはいなくなるけど、寂しくなったらいつでも来ていいからね? 大丈夫? 一人で寝れる?」

「はは、大丈夫だよ」


 軽く言ったのがまずかったらしい。


「……いいもん! それじゃあおやすみ!」


 ぷい、と背を向けられた。


「夜遅く来てごめんなさい。明日の朝リアちゃんと一緒にまた来るから。おやすみ。……今日は楽しかった」

「あ、ああ。おやすみ」


 軽く首を傾けられて見とれた。綺麗な金髪が流れて滑るのが色っぽかった。


「……ふん! 行くよ!」


 バタン、とリアに勢いよくドアを閉められる。

 一瞬で静けさが部屋を満たした。

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