旧王都 心のしこり 3

 お昼時の旧王都。戦時中といっても大都市だ。刀匠のところへ行く途中の道はそこそこ人気がある。喧騒ほどの物はなく、

 ちょうど人が近くにいない時、ハーニーの右腕から声がした。


『静かですね』

「ん、そう? 結構にぎやかな方だと思うけど。お店もちらほらあるし」

『周囲のことではなく』


 セツはじれったそうに続けた。


『ハーニー。あなたのことです』

「僕? そうかな」

『ええ、近頃いつもそうです。ふとした時急に黙り込む。さっきも皆笑っているのに、あなたは』

「笑ってたよ。……いや、でも確かにうまく笑えてなかったかもしれない」


 ため息でもありそうな間隔の後、セツは言った。


『だから、その笑おうとする姿勢です。私が気にしているのは』

「……さっきだって面白くないのに笑ったわけじゃない。面白かったよ。面白かったけどさ」

『……』


 一呼吸置いてからセツの言葉。


『まだ彼女のことを気にしているのですか』


 首の傷が痛んだ気がして、手で押さえる。でも痛みはない。気のせいだった。


「……不意に思い浮かぶんだ。もしサキさんだったらって。さっきもほら、二つ名の話をしてたでしょ? サキさんだったら何て呼ばれたのかな、なんて頭に浮かぶんだ。それで僕は……申し訳なくなる」

『ですがあれは』

「分かってる。そうじゃないんだ。サキさんと戦った結果はちゃんと受け入れてる。戦いにおける命のやり取りは納得できてる。僕が気にしてるのは……うん」


 どう表現すればいいか分からず言葉は途切れた。それでも何でもいいから伝えたい気がして、罪悪感の原因を探す。

 ハーニーは腰に差している刀を見た。刀匠シンセンから借りている逸品。


「僕はこの刀を今は使えてる。前よりもずっとうまく使えるようになった。けど、僕にはそれが……」


 言いかけて脳裏にサキの姿が浮かんだ。そして、続く言葉を発することがひどく無責任に思えてハーニーは口を噤んだ。

 『何です?』耐えかねてセツが聞いてくるが、「いや、よく分からない」と誤魔化した。


『大丈夫なのですか?』


 本気の心配。それを理解して返事をしようとするが。


「大丈夫だよ。大丈夫。……はあ」


 つもりはなくても、自分に言い聞かせているように聞こえてため息が零れた。


『ため息ですね』

「ああ、ため息だよ……」


 セツには悪いと思う。でも、僕自身どうすればいいか分からないのだ。時が経てば。よく言われるそれに従うくらいしか抜け出し方を思いつかない。


「……大丈夫」


 結局そこに落ち着く。そう言うのが、そうあるべきことは確かなのだ。


『……私は……』


 セツが何か言おうとする。が、言葉は続かなかった。歩みを進めるうちに、話し声が耳に入ってきたのだ。それでセツは喋るのを自粛する。


「──がよ! 舐めやがって!」


 いや、話し声にしては語気が荒い。見ると脇道で男が二人、誰かを囲んで壁に追いやっていた。男たちは貴族服を着ている。年はハーニーと同じくらいか。若者だ。

 ただの喧嘩だろうか。

 だが、その印象はすぐに塗り替えられた。


「あたしだって悪気があってこういう格好をしてるんじゃない!」


 囲まれた誰かの声は、女の子然とした高い声だった。毅然とした声は凛として響くが、男たちはさらに勢いを増す。


「悪気がないだと? 戦時中に敵国の格好をして剣まで提げやがって、何が悪気がないだ! 煽ってんだろ!」

「剣じゃなくて刀っ! 戦う貴族ならそれくらい知っといてよ!」


 女の子には重要らしいその指摘は男たちを完全に怒らせた。


「こいつ! 痛い目見ないと分からないみたいだな!」


 男の一人が腕を振り上げようとする。


「っ」


 女の子の竦んだような声。


『ハーニー』

「まったくっ」


 話し声が聞こえるほどの距離にいたのだ。近寄るのに時間は要らない。

 振り上げた拳が下ろされる前にその腕を掴んだ。そしてぐっ、と引っ張り女の子から遠ざける。ハーニーはそのまま貴族の男たちと女の子との間に割って入った。

 後ろの女の子を庇うように腕を広げて言った。


「何してるんですか! あなたがた貴族でしょ? 街の人を守るのが役目じゃないですか。殴ってどうするんです!」


 貴族の一人が苛立ち任せに大声を上げた。


「俺たちが守るのは旧王都の民だ! 誰が東国の人間を守るかよ! 見ろよお前も! そういつの格好が西国の服に見えるか?!」


 首で振り返ってちらりと服装を確認する。確かに東国の服装だ。それに腰には刀が一差し。

 どこかで見た光景。一瞬首に痛みを感じたが気にしている場合ではない。とにかく貴族の二人を落ち着かせないと。


「そりゃ西国の格好じゃないけれど、だからって敵ってわけじゃないでしょう。旧王都に住む東国育ちの人だっているんだから、あなたがたも一辺倒に考えないで──」

「……待て」


 不意に貴族の一人が気づいた。その目はハーニーの腰に差している刀に向かっていた。


「女と同じ武器……通りで味方をするわけだな! 東国民が!」

「僕は……く」


 違うと言いかけて、言いきれなかった。自分の出生について何も知らないのだ。東国で生まれた可能性もないわけではない。

 思い詰めた一瞬。気づいた時には貴族二人が距離を取っていた。

 貴族の一人が臨戦態勢で宣言する。


「武器を持っていながら戦意なしとは言わせないぞ! 貴族らしい方法で分からせてやる! この手に宿れ烈火の長剣──灯切!」


 詠唱、直後貴族の男の腕に炎で出来た剣状のものが生まれた。アルコーが使った魔法「風切」に似ている。あの魔法の炎版といったところか。もう一人の貴族も同じ魔法を展開した。

 ハーニーは再度説得を試みた。


「たかが喧嘩に魔法を持ち出すんですかっ」

「黙れ! これはただの喧嘩じゃない! 戦いの中で東国に殺された者もいる。俺の友達だって死んだんだ! それなのに旧王都で偉そうに東国面しやがって、許せるかよ!」

「気持ちは分かるけど乱暴ですよ……!」


 だがもう止まりそうにない。私怨が彼らを突き動かしている。一つの違和感を全ての間違いだと思い込むように解釈してしまっている。


「思いしれえッ!」


 二人同時に斬りかかってきた。

 後ろで女の子が動こうとする気配。ハーニーは手でそれを制し前に出た。

 一つ息を吐く。気持ちの切り替え。

 刀を抜いた。慣れた手つきで刀身がさらけ出される。そしてみねを前に。

 貴族の男たちの動きは直線的だった。感情に任せた攻撃。狙いも過程も予想しやすい。だがハーニーは先んじて動かなかった。あえて貴族にしたいように攻撃させる。

 別方向から同時の炎剣が振られた。ハーニーはそれを容易く避ける。意識せずとも身体が勝手に動いた。二人それぞれに刀を振る。みね打ちが両人の腕と腹に叩きこまれた。

 「ぐうっ」「ぐあっ」二人は苦悶の声と共に蹲った。痛みのせいだろう。魔法は霧散した。ハーニーは女の子の傍に戻ってから止めていた呼吸を再開した。


「ふうっ。やりすぎたかな」

『降りかかった火の粉です。見事でした』

「……いや、それほどじゃない」


 刀が重たく感じて納刀する。

 まだ襲ってくるとは思わなかった。彼らは貴族だ。貴族は結果を受け止めるもの。結果を思い描いて魔法を作る彼らが、この敗北を認めないとは思えない。

 しかし、この想像は少し甘かった。

 貴族の二人は起き上がると、戦おうとはしなかったが代わりに憎しみのこもった目を向けてきた。

「覚えてろよ……敵国民が」


 ぞっとする捨て台詞を残して立ち去る。


「敵、か」


 彼らもアルコーが言っていた過激派の一人なのだろうか。確かに過激だ。東国を敵視しすぎている。女の子を殴ろうともした。


「そうだ。君は大丈夫? 怪我とかは……」


 女の子を振り返って言葉は消えた。いや、意識すら真っ白になった。

 目の前の少女、その外見に目を奪われる。口を開けたまま呆然としてしまう。

 東国の服装。携えた刀。さらさらの黒い髪は後ろで束ねられている。

 その姿を、顔を、まじまじと見る。強烈な既視感を覚えながら。


「サ、サキ……さん?」


 空っぽの頭で名前を呼んだ。それだけで様々な記憶が思い起こされて、目にジワリとしたものを感じる。


「え、えっ? だ、誰のことっ?」

「っ、あ」


 女の子の動揺する声は高かった。思い描いていた声よりも幼く聞こえ、それで意識が現実に引き戻される。

 良く見れば似ているのは髪形や服装だけだ。表情は豊かでとても活発そうに見えるし、身長もサキに比べると低い。自分よりも一つ二つ年下に見える。佇まいも落ち着かず、今なんてあたふたと慌てふためいていた。

 サキが美人ならこの子は可愛い方向の女の子だ。

 なんにせよ、彼女はサキではない。

 ……当然だ。サキさんはもういない。いるはずないじゃないか。

 期待してしまったことが馬鹿々々しく思え、たまらずサキ似の少女から目を背けた。


「あ、あの……?」


 戸惑う声。普通の反応なのだろうが、それがひどく居心地が悪く。


「……それじゃあ僕はっ」


 いつの間にか少女に背を向けていた。足が逃げるように動く。


「えっ、まだお礼もしてないのに!」


 後ろで何事か言っているが足は止まらない。ただ逃げ出したい一心でその場を離れた。何から逃げようとしたのかは分からないまま駆ける。

 やがて完全に見えなくなったところで足を止めた。

 気づかないうちに荒くなっていた息を戻そうと呼吸を繰り返す。


『これでも大丈夫と言いますか?』

「……何も言い返せないよ」


 セツの呆れはごもっともだ。こんな有様で大丈夫とは言えない。

 それでもこんなことは今回きりだ。たまたま似た風貌の子と会っただけ。もう会うこともないだろう。


「大丈夫。シンセンさんのところに行こう」

『……』


 さっさと刀を見てもらってすぐに部屋に戻りたい。無性にリアの顔が見たくなって、早足で歩き始めた。

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