旧王都 パウエルのコート 1


 街は慌ただしさを増していた。東国が攻めてくるという情報が漏れたのだろう。市民の顔には焦りと恐怖が混じっている。

 酒場に来る者もそうだ。我を忘れるほど動揺する人間はいないが、現実から目をそらそうとする者は多い。若い貴族などは負ける気などなさそうだが。


「彼らは実戦を知らん。戦功をあげて成り上がることばかり考えているのだ」


 パウエルは嘆いた。


「傲慢が力になりがちな魔法の弊害だな。足元を見ない」


 ハーニーはパウエル、アルコーと共に一階の酒場にいた。昼なのに今日は客が多く繁盛している。


「あー、ま、襲撃は明日か、明後日だろうな。奇襲をかけてくるだろうから夜だ」


 「ふむ。そうだな」とパウエルはアルコーに同意する。


「どうして奇襲と分かるんです?」


 尋ねるとパウエルが答えた。


「攻めるにしては遅い。ガダリアを襲った数を考えても大軍はないだろう。東国は人口が多いが、今まで来なかったということは……魔法石の数が足りないのだ。で、あれば少しでも有利な時を狙うはずだ」


 魔法石、というのは誰でも魔法が使えるようになる石だ。確かにあれさえあれば物量で押し切れる。


「どうしたハーニー君。元気がないな」

「……この戦争って東国が西国の圧政に反旗を翻したものなんですよね。西国ってそんなに業が深いんですか?」


 サキのことを思い浮かべた質問。

 返事は一瞬だった。


「深いな」

「何をしたんです?」

「詳しく話せば長い。簡単に言えば、10年前の戦争に勝った西国が増長し東国を蔑ろにしたということだ。その上国王が崩御してからというものの、西国は腐敗してしまった。上が腐れば下も腐る。そしてやり場のない不満は……万事割を食っていたのが東国だ」


 「戦争になるのは時間の問題だったな」。パウエルはそう締めくくった。

 不思議なことが一つ。


「よく西国の人は東国を味方しませんね。貴族じゃない人なら普段から抑圧されてて反乱を起こしてもおかしくなのに」


 一部で起きているが少数だと聞いた。


「そりゃあ苦しいからな」

「?」

「苦しいから癪なのさ。今まで嫌な思いをした過去を無駄にしたくない。そもそも自分たちを苦しめた張本人である貴族を信じちまうのさ。自分たちに我慢を強いた奴らが弱かったら、悔しくてたまらねえから。だから信じる。自分たちを苦しめただけの力があったはずだ、勝ってくれる、ってな。負けるとは思わねえ」

「負けるんですか?」

「……さあね。苦戦はするだろ。なんせ相手の実態を理解してねえ」

「だが戦わないわけにはいかん。私たちはこの国の貴族だ」

「ま、そういうこった」


 二人は納得した面持ちで頷いた。

 僕はどうだ? 全て納得していると言えるだろうか。


「……」


 戦う理由はある。皆のこと。サキさんのこと。でもそれは戦争全てを通した理由とは言えない。終着点の見えない今だけの理由だ。

 そんな思いだけなのだ。


「ハーニー君」


 その声は普段より穏やかな声色だった。


「昨日気づいのだが、貴族ではない君には戦いに向く服がないだろう」

「え、服?」

「まさか普段着で戦場に立つ気かね? 身なりを正すことは相手への礼だぞ」

「そ、そうですね……でも僕そういう服持ってませんよ」

「分かっている。だから言った」

「?」

「大した教えはできていないが、これでも君の師だ。それくらいの面倒は見る」


 パウエルは年長者の余裕を持ったまま言い足した。


「後で私の別邸に来たまえ。あの子も連れてくるといい。服を渡した後はガダリアの魔法使いで晩餐をと思っている」


 一気に色々言われて戸惑う。


「皆で晩御飯? というかもう服を用意してくれたんですかっ? そんなことまで……いいんですか?」

「いい。弟子の分際で物言うのかね」

「それは……そういう言い方をするんですか」

「君は引くと分かっているからな。それと、事実だ」


 余裕たっぷりのパウエルに少し悔しい。


「チッ、俺がその役やってもよかったんだがなあ……まあそれはパウエルの仕事か。精々軟弱だとばれない服をくれてやれよ」

「軟弱とまで言わなくてもいいじゃないですか」

「間違ってないだろぉ? んん?」

「……人のこと言えないくせに」

「へっ! 言ってな! 頼りない格好してたら笑ってやるよぉ」


 アルコーの悪態にパウエルは口の端をつり上げた。


「ふっ。それに関しては問題ない」

「……ほー、思い切ったな」


 何か二人だけで通じるものがあるらしい。


「何の話です?」

「明日になりゃ分かる。ははっ、こりゃいいや」


 なぜかアルコーが自分のことのように喜んでいた。






 パウエルの別邸は閑静な場所にあった。ほどほどに大きい館で庭は広い。晩餐は外でやるのだろうか。椅子やテーブルが庭に並べられていた。

 ハーニーが着いた時まだネリーもユーゴも来ておらず、すぐに館の一室に迎えられた。パウエルには着替え終わったら顔を出せ、と言われ、リアとは一端別れる。

 リビングにはパウエルとリアの二人だけ。あまり見ない組み合わせで少し心配だ。


「旦那様は不器用なだけで厳しくはありませんよ」


 ハーニーを案内した老執事は言った。


「それは分かってますけど……大丈夫か。リアだって真っ直ぐ物を見られる子だし……」

「旦那様のようなことを仰る」


 老執事が低い声で笑った。皺の多い顔が笑むと優しそうな印象が際立つ。


「僕が?」

「そうですとも。旦那様もあなたのことをそう評価しておりました。似てらっしゃるようですな」

「僕がパウエルさんに似てる……」


 どうにもしっくりこない。落ち着きぶりからして全く違う。

 老執事に目を戻した。


「えっと、あなたは……」

「申し遅れました。私はカーライル家に仕える執事、パーセスと申します。何度かお会いしたことがありますな」

「そうですね。何度か」


 パウエルの傍らにいるのを見たことがあった。優しそうなお爺さんで、パウエルが呼べばすぐに現れ、普段はひっそり佇んでいる。出しゃばらない執事の鏡、といった印象だ。


「さ、こちらを」


 老執事が畳まれた衣類を差し出してくる。


「これは?」

「あなたのお召し物です。そちらに着替える場所がありますのでどうぞそちらで」


 受け取る。紺色のコート、だろうか。

 それよりも、さっきから気になっていた。


「あの、もしかしたら迷惑かもしれないんですけど、僕に恭しくしないでもらえたりとかお願いできませんか。僕よりずっと経験豊かな人にそこまで敬われるのはむず痒くて仕方ないんです」


 パーセスは細い目を一度大きくした後、微笑んだ。


「それをお望みならそうしましょう」

「そうしてくれると──」

「しかし私も仕えて長いのです。直せと言われてすぐ直るものではなくなっていますよ。どうかお気になさらず」


 結局変わらない口調のまま笑う。僅かにからかう調子があるのが、彼なりの限界なのかもしれない。

 部屋の隅にある布で覆われた空間に入る。着替え場所に入ると外から声がかけられた。


「旦那様は少し悩みましたが、結局それにしたのです。旦那様には珍しく楽しそうでございました」

「パウエルさんが楽しそうだったんですか?」

「ええ、それはそれは。近年見ないほどに」

「服を選ぶのが好きなんでしょうか」

「ご冗談を。ハーニー様だって分かってらっしゃるでしょう」

「……己惚れるのが怖くて」

「聞いた通りのお方だ」


 からからと笑う気配を感じて、もっと恥ずかしくなった。

 畳まれたその衣を広げてみると、それはやはりコートだった。膝まで長い紺色のコートは重く、頑丈そうだ。新品らしく綺麗で、各所には銀色の彩色が施されている。

 系譜を感じさせるような意匠。


「パウエルさんの……大切な物だったりするんですか?」


 聞いてみると一時の間を置いて返事がある。


「それは私から言うべきことではないでしょうな。ただ一つ言わせてもらうならば、それは一から拵えたものですよ」

「……」


 含みのある言い方だ。新品ではあるが、何かある。なんとなく予想はつくが口にはしなかった。

 コートを羽織る。不思議な心地だった。

 足元がふわふわした感じなのにコートはその材質以上に重く感じる。


「やあ、よくお似合いだ」


 一角から出ると老執事は嬉しそうに両手を広げた。

 そのままパウエルとリアのいる広間へ案内される。


「もしよろしければ喜んでくだされ」


 返事をする間もなく広間につく。パーセスは広間へ入ることを促すと、一緒には来なかった。

 真っ先に気づいたのはリアだ。


「わあ! ハーニーかっこいい!」


 ぱたぱたと駆け寄ってきて周りをぐるぐる回って興味深そうにした。


「ふむ。悪くないじゃないか」


 少し離れたところでパウエルは満足そうに何度も頷く。


「あの、このコートって」

「ああ、私が昔使っていたものと材質、柄、全て同じものだ。もちろん新らしく作らせたものだが」

「……いいんですか?」


 リアがハーニーの躊躇いを察して離れた。心配そうに見守る。


「何がかね」

「だって僕は……何でもないただの子供ですよ。記憶がないから素性も分からない……」


 パウエルは呆れたように息を吐いた。


「そう言うと思ったから空白にしたのだ」


 パウエルがハーニーの後ろに回った。


「そのコート、本来は背にカーライル家の紋章があるものだ。鳳の印がな。だが、そのコートには付けなかった。背が寂しいと思わなかったかね」

「全然気づかなかった……」


 パウエルは正面に移動して、ハーニーの目を見た。


「付けなかったのだから、君が背負わなければならないものはない。ただ君が私の弟子であることの証明として、それを授けよう」


 パウエルはそう言ってくれるが、重みが増した気がして息が詰まった。同時に不安も押し寄せてくる。


「どうした。不服かね」

「そ、そういうわけじゃないんです。少し心配になっただけで……僕はパウエルさんの弟子にふさわしいのかな」


 顔を俯かせる。

 魔法の実力。経験。意識。欠けている気がしてならなかった。

 始まりもそうだ。


「僕は流れで弟子になったじゃないですか。それなのに……」

「私は認めている。気遣いなどなく」

「そうなんですか……?」

「私は君より君を評価していると思うがね。アクロイドで私に説教を垂れたろう? 私の師、リオネルへの態度も、君の足掻きも私はしっかり見ていた。……そうか。私は言葉が少ないから伝わってないんだな」


 パウエルは自嘲的なため息をすると改めてハーニーを見る。


「ハーニー君、私は君の在り方を心から認めている。まだまだ未熟だが、弟子であることを誇りたまえ。それほどの存在だ。君は」

「は、はい……」

「なんだその顔は」

「い、いえ、急にその……言われたから」


 父親みたいだ、とは言えなかった。それは想像の、人から聞いた理想のものだから。

 パウエルは今度こそ心から呆れた。微かに笑いながらハーニーの肩に手を乗せる。


「なぜ涙を浮かべるんだ。しっかりしたまえ」

「浮かべてますか、僕」


 目をこすると確かに水滴があった。


「ハーニー、大丈夫……?」

「あ、ああ。大丈夫。大丈夫だから」


 笑いかけるとリアも安心する。


「弟子が泣き虫だと私はどうなるんだ?」

「もっと泣き虫だって思われますね。すみません」

「構わんがね。なぜ泣く?」

「たぶん……嬉しかったんです。僕は色々曖昧で、足元がおぼつかなかったりして……僕を支えてくれるものはちゃんとあったけど、それは皆の気持ちで」


 右腕を摩る。様々な思いに救われた。


「でも、こうやって形として認められるのって……安心するじゃないですか」

「大げさだな」

「大きいことなんですよ」


 やっと涙も落ち着いて、素直に微笑むことができる。

 パウエルは表情を固くした。


「これから本格的な戦いが始まる。今度の戦争は恐らく前大戦より醜くなるだろう」

「どうしてです?」

「貴族同士の戦いなら、誇りが遮って非道な真似はできない。だが、今回は敵が貴族と限らん」


 パウエルは魔法石のことを危惧していた。


「民兵などがいい結果を生むとは思えん。復讐に躊躇いをなくせば人の争いではなくなる。皮肉なことに、欲深な貴族よりも性根が真っ直ぐだからな」


 パウエルは失笑した後、ハーニーに横眼をやった。


「君にとってそれは良くも悪くも作用する。憎悪をぶつけられれば君はそれを受け取るだろう。違うか?」

「……事情が分かれば誰だって同情します」

「しない人間もいる。憎んでくる人間を理解しようなどというのは奇特なものだ。ゆえに君は脆い。しかし、悪いことばかりでもない」

「良いことがありますか」

「分からないか? 魔法石によって戦う力を得るのなら、それを破壊すれば……」

「無力化できる……そうか。それなら殺さずに済むんですね」

「ああ。だが、向こうにも貴族はいる。前大戦で活躍した者は東国に加担しているだろう」

「ど、どうして。西国に忠誠を誓ったんじゃ?」

「今の王にとって邪魔だったのだよ。だから皆遠ざけられた。僻地にな」


 過去、力を見せたものほど危険視され邪険に扱われたという。だから裏切ったと。

 となれば、真に強い貴族と戦うことになるということだ。

 また、パウエルは言う。


「魔法石を破壊すれば、といっても人の執念を甘く見てはいかん。追い詰められた人間は時として凄まじい力を持つものだ。死を覚悟した人間は、死という対価を払って本来の力を超えた魔法を使うだろう。そもそも手加減するには相手の何倍もの力が要る」

「……はい」

「手加減するな、とは言わない。足元は掬われるな。そして窮地では……躊躇わないことだ」

「僕も死ぬ気はないですよ」

「それでいい。アルにも何か言われたろう。何て言われた」

「感情で殺すなって言われました」


 パウエルは感心した。


「ほう。なかなかいいことを言う。私もそう言えばよかったな」

「……あるんですか? 感情で殺めたこと」

「私は全力で戦い、相手も全力で戦った。そして私が勝った。それだけだな。何と言おうが殺したことに変わりなく、そしてどうでもいいことだ」

「すごいですね、そう思えるの」

「戦った相手を、そして打ち破ったことを誇っているからな。それを後悔するのは失礼だろう」

「そうかもしれませんけど……僕には思えませんよ。そこまで強く在れません」

「……ふむ。そうだったな。君はそういう人間だ。戦う意義を探している……」


 パウエルは目をつむって少し考え込んだ。

 重々しい口を開いた。


「……この戦争、西国は現状不利だ。だが、敗戦するとどうなる? 恨み、怒り、憎しみを抱えた東国が一方的に勝ったのなら……行く先は地獄だ。民は死に、土地は荒らされるだろう。西国が勝っても同じだ。反逆に対する怒りが暴走する」

「それじゃあ僕たちはどうすればいいんですか」

「和平しかない。それ以外民が救われる道はないな。そのためには戦況が拮抗しなければならん。対等和平のためには……ハーニー君」

「は、はい」

「君も平和のために戦え。誰かを救うための戦いの方が君には向いている」

「……そうですね」

「もっとも、理由が欲しければくれてやってもいい。その子を支援する経費を出す私の命令、とかな」


 パウエルはからかうように口の端を歪める。

 ハーニーも苦笑した。

 でも、平和のためというのは受け入れられる理由だ。理解もできる。このまま負けたら多くの人が苦しむのは間違いない。リアだって危険だ。

 自分一人で全てが変わるとか、そんなおこがましいことは思ってないけど、今はそれを考えて戦おう。

 やっと戦う続ける理由を見つけた。実感を伴って心のしこりがとれる。

 パウエルは穏やかに告げた。


「……そのコートは私を幾度と救ってくれたものと同じだ。縁起物だよ。君も守ってくれる」

「大切に、大切にします」

「使ってくれなければ困る」

「使って大切にします!」

「うむ」


 パウエルは満足そうにする。


「よかったね、ハーニー!」


 リアも嬉しそうだ。


「これから皆で晩御飯食べれるんだって! ハーニー知ってた?」

「うん。楽しみだね」


 重く感じていたコートはいつの間にかその重さを失って、何もない空っぽの背には紋章以上の後押しを感じる。


『また、理由ができましたね』

「……ああ」


 自分を支える色々なものを感じながら、ハーニーはコートを羽織りなおした。

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