旧王都 再会 1
次の日、ハーニーは旧王都に来てから初めてパウエルに師事を受けた。アクロイドで一週間ほど指南されたが、今後も続けてくれるという。パウエルの師匠であるリオネルの一言から始まった師弟関係は、これからも変わらないらしい。
パウエルの指導はいつもと変わらず実戦式だ。パウエルが魔法を展開し、それをハーニーは凌ぐ。反撃は許可されているが、今は避けるのが精いっぱいだ。少しは成長したと思うが、パウエルもそれに合わせて魔法の度合いを強くしてくる。余裕はない。
「刀があればまだ変わったかもしれんな」
夕暮れ。鍛錬を終えてパウエルはそう笑った。遠回しな慰めだと分かっても、反感を覚えるほど実力は拮抗していない。実力差はまだ大きい。
「そもそもハーニー君、刀はどうした」
「刀は……すみません。失くしてしまいました」
崖から落ちた時川に流されてしまったのだろう。崖下で目が覚めた時にはもう手元にはなかった。今頃川底か、それとも流されて遠くにあるか。
「ふむ。この際新調するか」
「え? でも僕お金なんて……」
「それも師の務めだ。君はよくやってくれている」
一度そう決めるとパウエルは譲らなかった。
諦めてパウエルについていく。聞くところによると知人の刀匠が旧王都郊外にいるらしい。
疲労で足は重いが、平然と歩くパウエルに負けたくない一心で平気を装った。
「そういえば森で君が使ったという刀はどこで手に入れたのかね。私は渡していないはずだが」
「あれはアルコーさんがくれたんです。安いけど切れないわけじゃないって言ってました」
「馬車に積んでいた安物だな。もっとまともなものを買わなければならん」
ハーニーは視線を落とした。思い出したのはサキとの会話。
「……どうしていいものを買わなければいけないんですか? 切れ味が大事なのは分かりますけど、切れるのなら安くたって変わらないんじゃ?」
「ただ殺すのならそれでいいのかもしれん。だが、戦いの中で使うものだ。粗雑なもので殺されるのは酷だろう」
「結局殺すのにですか」
「結局殺すから、だ。せめて価値あるように……君には分からないか」
「……たぶん、はい。僕はまだ殺すだとかそういうことに決心がついていない」
パウエルは冷徹ともとれる目でこちらを見た。
「曖昧なまま戦場に出れば、それは君を殺すぞ」
「……パウエルさんはどう考えているんです?」
パウエルは毅然と語る。
「戦場では貴賤はなく、強い者が生き残る。ただそれだけだ。どんな状況、相手でも手加減はしない。誇りと命の衝突に加減など失礼だろう。人死には戦いの結果でしかない。その程度の感覚だな」
「それじゃあ死にたくない人や無理やり戦場に出された人は?」
「戦場に出るべきではなかった。その一言に尽きるが、刃向ってこないのなら見逃すかもしれん。だがかかってくるのであれば容赦はしない」
「実力差があってもですか」
「覚悟の問題だ。死ぬ覚悟もせず戦場に出て、そのままに人を殺そうとするなど傲慢でしかない。命に軽薄なのだ。殺されても文句は言えまい」
「……」
ハーニーは何も言葉を返せなかった。それができるほど考えがなかった。
パウエルの言うことは分かる。彼にとって戦いは誇りのぶつかりあいであり、礼を兼ねているのだろう。命は本気の勝負でやりとりすべきということだ。道理は分かる。誠実に思える。
しかし、それをそのまま答えにできるほど自分を強く思えなかった。
「すみません。変なことを聞いて」
「いや、戦に出るのなら誰もが通る道だ。気にしなくていい。君ならどうにかするだろうしな」
「どうにか?」
「心配していないということだ。間違った選択はしないと考えている。……今はむしろアルの方が気がかりだ」
パウエルはため息を落とす。
「あいつはもっとやれるはずなんだがな」
何度も聞いた愚痴。やりきれない思いが伝わってきて心苦しい。
「何か悩んでいることがあるのは分かるのだが」
それで思い出した。
「そういえばこの前寝言を聞いたんです」
「寝言?」
「酔いつぶれて、その時。許してくれ、って。どういうことなんでしょう」
「許してくれ、か」
「分かるんですか?」
パウエルな眉を寄せて考え込む。
「……いいや。しかし原因が全く分からないということではない。恐らくこの街が良くないのだろう」
「旧王都が?」
「ああ。ここはあいつの故郷だからな」
「故郷」
自分には縁遠い言葉だ。僕の故郷はどこなのだろう。しかしそれについて今考えるべきではない。
「アルは旧王都から追い出されてガダリアに来たのだ。詳しくは知らんが酔って暴れたのが原因らしい」
「そうなんですか……何があったんでしょうね」
「知らんよ。私は」
「聞かなかったんですか?」
「ああ。誇りを考えるなら聞くべきではないと……その顔は何かね」
ハーニーのしかめっ面に気付いてパウエルは言葉を止めた。ハーニーはその顔を解かずに唇を尖らせて言った。
「誰でも公平に扱ってるみたいですね」
「上に立つ者としては……む? 前にもこのような話をしたか」
パウエルは少し考え込んだ後、控えめにつぶやいた。
「……私は友人として何かすべきか?」
頬が緩んだ。不器用な人だ。応援したくなるような、呆れるような。
パウエルはハーニーの視線に気づくと不快そうに目を細めた。
「私だっていつまでも立ち止っていない。指摘されたことは私自身気にしていた」
「そうですか。すみません」
笑いを隠せないまま謝るハーニーをパウエルは僅かに悔しそうに見るだけで咎めなかった。それどころか自分から話を戻す。
「それで、君はどう思うかね」
ここでそう聞けるのがパウエルの凄さなのかもしれない。
「僕は……何か行動してもいいと思います。記憶がないから偉そうに言えませんけど」
「逃げ道のある言葉に力はないな」
「う」
「それで、どう思うかね」
「……何か行動すべきです」
「そうか。分かった。今度あいつと話してみよう」
「はい」
「あまり酔いすぎても困る。君も少し気にかけてくれるかね」
「そうですね。リアに悪い大人見せたくありませんし」
「君はそればかりだな。さて、着いたぞ」
パウエルは一軒の平屋の前で立ち止った。忘れかけていたが、目的は刀の新調だ。
旧王都の郊外は雑多としている。街中は華々しいがこのあたりは地味だ。木製の平屋がいくつも並んでいる庶民的な通り。
そして今目の前にある平屋は周りの家々と少し意匠が違っていた。鍛冶屋を営んでいるらしい。入り口は解放されていて暖簾がかかっているのみ。外から見える店内は石張りで硬質な雰囲気がある。埃っぽく見えるのは築年数が長いからか。
パウエルが暖簾をくぐり、ハーニーもそれにならう。
中は想像より広い。右側に鍛冶場があり、左にはその道具や刀剣類が飾ってある。
そして中央。厳格そうな老人が一人。白髪だが背筋だけは曲がっていない男がいた。リオネルよりももっと年老いて見える。
「おお。また、珍しいのが来たのう」
「お久しぶりです」
パウエルが礼をしたのでそれにならう。パウエルが紹介してくれた。
「この方は刀匠シンセン。私の友人の父親だ。元気そうで何よりです」
刀工は鼻を鳴らした。
「何が元気なものか。もう老いぼれじゃ。……その若造は」
「ハーニーと言います。今は私の弟子を」
「弟子! パウエルの坊やが!」
坊や。年の差を考えればおかしくないが、それでも変な気がした。
どうやらパウエルを古くから知る人物のようだ。
パウエルは目上の者への礼儀を心がけて話す。
「つきましては彼の刀が欲しいのです。近く戦になりそうなので」
「ほう? この子は刀を使うのか」
視線にたじろぐ。使う、というのはサキさんのような人に当てはまる言葉に感じたからだ。
刀工シンセンは鋭い目でこちらを見、問うた。
「正直に答えよ。若いの、お前は何のために戦う」
「僕は……守りたい人が、人たちがいるんです」
「なぜ刀が要る」
迷う。嘘はつけなかった。
「……僕は戦いが上手くないんです。だから武器で補うしかなくて、刀は勧められただけなんです。刀なら迷いがちな僕の代わりになってくれると……」
「ふむ……」
刀工は髭を擦りながら困った顔をした。
「妙な奴を弟子にしたのう。戦いを望んでいるとは思えんぞ」
「戦いの先を見てくれると思うのです」
「先。なるほど。確かに西剣より東刀の方が合うかもしれぬ。しかし……残念じゃの。時期が悪かった」
「時期というと?」
「刀工はもう廃業した。今は刃物研ぎくらいしかやっとらん」
「まだお元気そうですが、なぜ?」
シンセンはため息を漏らした。
「わしも老いた。身体の節々が悲鳴を上げておる。息子が死んでちょうど十年になるし、ここらが潮時と思っての」
息子さんが? 疑問の表情に答えたのはパウエルだった。
「私の友である彼の息子は十年前の戦争で亡くなったのだ」
「そうじゃ。東西戦争の折は感謝しておる。カーライル家のおかげで東国出のわしらは鍛冶屋をやれるようになったのじゃから。しかし、困ったの。パウエル坊やの頼みなら聞きたいところじゃが……うむむ」
「何か困りごとが?」
シンセンは苛立たし気に答えた。
「跡継ぎがおるのじゃが、中々ひねくれ者での。鍛冶の腕はいいのだが私は剣士だ、と言って聞かぬ。ここでわしがまた鍛冶を引き受けると話が進まなくなりそうでな。なにせあの子はずる賢い」
「ふむ……それは困りましたな。その跡継ぎの方には頼めませんか」
「どうじゃろ。魔法の才もないのに戦場に出ると聞かないからの。期待はできん。まったくわしに似て頑固者じゃ」
ふと気になって尋ねる。
「シンセンさんの親族なんですか?」
「うむ。わしの孫娘じゃよ。お前さんより少し年下になるかの。……東西戦争で死んだ息子の娘でな。幸い魔法の才能はなかったが、父親似なのか強気でいかん」
てっきり男の話だと思っていたので面食らう。今までのは全て女の子の話だったのか。
シンセンはひとしきり悩むと緩慢な動作で立ち上がった。そして部屋の左に飾られている刀を一振り持ってくる。
「ひとまずこれを持っていけ。今ある中では一番いい刀じゃ」
鋭さや輝きが他とは違うように感じるそれは恐れ多い。
「そんな! 僕なんかがこんな素晴らしい物を渡されても……」
「いい、いい。今時刀など流行らん。戦争の花形は魔法じゃからの。買う者も装飾品目当てばかりじゃ。使ってくれるならお前さんの方がよかろう」
「でも……」
「ならば貸すだけじゃ。いつかはお前のために作られた刀が必要になる。それまでの繋ぎとしてそれを使うといい。どう使ったかは返してくれた時に分かる」
「……いいんですか? この刀はシンセンさんの逸品じゃあ?」
シンセンは無理やり刀をこちらに預けてきた。
「うわ……」
間近に見て感嘆する。その刀に特別な意匠はない。ただ単純に無駄を削いだような一刀。片刃の刀身には鎬地が美しい波を作っている。剣にしては軽いのだが、実際触るとやはり重く感じる。
「刀にも個性がある。それがお前さんにとって最上ではないじゃろう。……また来なさい。その時返してくれた刀を見て、新しく作る。最善を尽くさず深圳の刀を持って死なれては困るから、今ある一番の刀をお前に渡すのじゃ」
パウエルも頷いた。
「弟子に贋物を持たれても困る。気が引けるなら返しにくればいい。……まだ遠慮するようならそれは失礼に当たるぞ」
「……分かりました。それじゃあお借りします」
年長者二人は満足そうに頷いた。
「おお、そうじゃ。鞘と刀帯を持ってこなければの」
シンセンはそう言って奥に引っ込んでいった。
パウエルが声を落として言う。
「若者が刀を使うのが嬉しいのだ。魔法使いには需要がない。それに西国には西剣もあるからなおさらな」
その事実を教えてくれたことは、気負うなと伝えたかったからなのだろう。
しかし、素直に喜ぶこともできなかった。
この刀で何をするのか。そう考えると寒気がして、敬遠したいような思いに駆られた。
そのためか。
その後のパウエルの「このあたりは治安が悪い。夜道には気を付けて帰りたまえ」という忠告は強く頭に残らなかった。
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