旧王都 アルコーという人
ハーニーが逃亡戦の後アルコーに会ったのは今日が初めてだった。午後にパウエルから呼び出されていて、そこへ向かう途中。ハーニーが泊まっている宿の一階の酒場でのことだ。
「よお、ハーニーじゃねえか。ちょっと待てよ」
声の方を向くと酒場の端の方に酒を飲んでいるアルコーがいた。真っ赤な顔のアルコーはどう見ても酔っぱらっている。テーブルの上も酒瓶ばかりが並んでいた。
「また飲んでるんですか?」
「だーれが緊急時に飲むかよお。ええ? 馬鹿にしてるのかぁ?」
「してませんよ。……随分酔ってるんですね?」
アルコーは酒をよく飲むが、酔っぱらったところを見るのは初めてだ。
「いつもは飲んでてもどこか理性的だったのに……」
「ああ?」
「何でもないですよ。それで、何ですか?」
「ん、んー、ああ、それなぁ」
急に言いよどむ。焦点の合わない目がこちらを向いた。
「お前、俺のこと恨んでるだろ……」
「うら……ええ? 僕がアルコーさんを?」
「お前分かって言ってるな……?」
「いや、全然分かんないんですけど」
アルコーが忌々しそうに舌打ちする。俯いたまま放たれる言葉は小さかった。
「お前は俺のせいで死にかけたんだぞ……。助けに入って無様にやられかけた俺のせいでよ……恨んで当然だろうが。……恨めよ」
「恨んでませんよ! 無我夢中でしたけど、僕が勝手にやったことですし、怪我だってなかったじゃないですか!」
それに、あれがなければサキさんとも会えなかった。あの出会いは無意味ではない、と思う。
ハーニーは本心で言ったがアルコーは引き下がらなかった。
「けどよう、そこは怒れよ。お前のせいで苦労した! ってよ、一発殴っちまえよ」
「アルコーさんは悪くないのに何で殴るんですか」
「俺が悪くないだと?」
微かに風が奔った。こちらを睨みつけるアルコーの目は鋭い。年上で粗暴な雰囲気を持つ大人の眼光に体が震えた。
「だ、だって僕は無傷でしたし、それにあの戦いは──」
「何だ。勝負は時の運とでも言うんじゃねえだろうな? 命は一つしかねえんだぞ。適当抜かせる話じゃねえ」
「う……」
言葉に詰まる。アルコーはそれを見て苦言を呈し始めた。
「大体な、お前は人の顔色を気にし過ぎだ。ちらちら窺いやがって、情けねえと思わねえのか」
「……前はそれでもいい、って言ってませんでした?」
「あん?」
「……何でもないですよ」
「まただ。また引いたな? どうしてそう逃げ腰なんだ。誰にでも下手に出やがって。あの子が見たら泣くぞ。ほら、あの小っさい」
「リアはここにいませんよ」
「分かってるよ。いたらの話だ。いたら、どうだ。ええ? 情けなくて悲しいだろ。信頼する人がへこへこしてたら」
「リアの前ではちゃんとしますよ。僕だってそこまで弱気じゃない。そんなこと言ったらアルコーさんこそひどいじゃないですか」
「なに?」
「いい大人がお酒ばかり。それも酔いつぶれてるなんて。子供が見たら嫌がりますよ」
アルコーは逃げるように目を逸らした。そのまま酒を呷る。
「悪いかよ」
「……良くないですよ」
「なら悪いって言えよ。何でもかんでもぼかしやがって。それが一番馬鹿にしてるってんだよ」
「なら正直に全部口にしろって言うんですか? 勝手すぎますよそんなの」
「勝手にしろって言ってんだろうが。何で分からねえんだ!」
意味が分からない。僕は勝手にしているつもりだ。あえて言わないことだって勝手の範疇だ。
そう考えているとアルコーが口の端を歪めた。笑っている形をする。
「はん。女々しい奴だな。がたがた震えてるの隠すために気取ってやがるんだ。そうしないと怖くて何もできねえから」
「さすがに言い過ぎじゃないですか」
「だってそうだろ? 自分の命の危機に必死になれねえ証拠じゃねえか。自分の命が大事なら、俺のことを多少なりとも糾弾する。しねえってことは臆病者ってことだろ? 男じゃねえな」
「そこまで馬鹿にすること……!」
言い返そうとして、留まる。
アルコーは散々悪口を言ったが、その視線が向かっていたのはテーブルだった。酒瓶しかないテーブル上。そこを見つめて言葉を吐いていたのだ。表情は暗く、こちらへの敵意などは感じない。窺い取れるのは苦しさと悔しさだ。
「……何だ。言いたいことがあるならはっきり言え」
視線に気づいたアルコーが見上げてくる。よく見ると目元が落ち窪んでいて、以前より痩せて見えた。貴族には到底見えない姿だ。
それを見て、なおも言い返そうとは思えなかった。
「……言いたいことなんて何もないです。もう行っていいですか」
「……意気地なしが」
ハーニーは背を向ける。それで終わり、ではなかった。
背後からいかにも憎たらしくしたような声。
「情けねえ。記憶がなければそこまで卑屈になんのかぁ? 主体性なんて何もねえ。何のために生きてるか分からねえな」
反論は右腕から飛んだ。
『あなたには関係ないでしょう。余計なお世話です。大体あなたは──』
「セツ、いいから」
『しかし……』
「僕は気にしてない。だから」
「ハッ、親が泣くな」
その言葉は理性を揺らした。
「っ」
「そのまんまの意味だ。お前みたいな軟弱者の親は泣くだろうなぁ? いや、泣かないか。子供がこうなら親も大層情けない奴だろうからなぁ!」
「な、にっ!」
拳が握られる。
「やる気か? いいぜ。殴れよ」
「この……くっ」
固く握りしめられていた拳は、やがて解けた。
「いくらなんでも……親のことを引き合いに出すのはひどいですよ……」
ため息混じりの声に返ってきたのは、疲れ切った小さなつぶやきだった。
「何でやらねぇ」
「……そんな目で見られて、それで殴れるわけないですよ」
アルコーが向けてくる目は初めから変わらない。ハーニーのことなど見ていない暗い色の目。
きっとその目が見ているのは……。
「殴ってほしいからって当り散らすことないでしょう」
「……やっぱり嫌な奴だな。とことん人の顔色を窺いとって、一番嫌なところを突いてくる」
アルコーは苦しそうに酒を飲む。それまでより冷静な顔をしてハーニーを視界に入れた。
「悪かったな。言い過ぎた」
「……いいですよ。でも僕は本当に恨んでませんからね。恨むとしたら本気で今みたいなこと言われたらです」
皮肉って苦笑すると、アルコーも同じ笑みを浮かべた。
「気にしなくていいとは言わないんだな」
「そりゃあ気にしますよ。知らない人に言われてたら躊躇わず怒ってますから」
「そりゃ、安心だな」
「……そんなに気にしてたんですか。あの戦いのこと」
尋ねるとアルコーはそっぽを向いて重いため息を吐いた。
「この街は苦手なんだ。どこもかしこも敵に見えちまって……」
「……」
「そんな目で見るなよ」
「え?」
返事はなかった。そんな目、と言われたが、何も考えずに見ていただけだ。それなのにアルコーさんは僕の目に何を見たのか。
「……どこか行くところだったんだろ? 引き留めて悪かったな」
それ以上アルコーに話す気はないらしく、彼は腕に顔を埋めてしまった。話しかけるな、と語っているようで、ハーニーはその場を後にするしかなかった。
◇
旧王都は元々国の中心地だっただけあり、商業は盛んで活気は健在だ。それは辺りを歩く人の顔を見れば分かる。皆顔を上向きにして忙しそうにしている。
「言ってしまえば今の王都より活気があるかもしれんな」
パウエルはそう言った。
ハーニーは王宮前で待っていたパウエルと合流し、今は肩を並べて歩いている。王宮近辺は商業地になっていて、人の行き来は激しい。
「どうして今の王都には活気がないんです?」
「今の王は器が小さくていかん。遷都の理由もひどいものだ。表向きの理由は治世の象徴の変更だが、結局流浪民が気に入らなかっただけなのだよ」
「流浪民が気に入らなくて遷都……?」
『今の王都は北方の、雪が降る地域に位置しています。ですから』
「そうだ。寒いところで貧しい者は生きられない。褒められた理由ではないだろう?」
「言われてみればこの街にはそういう人が多いですね」
「うむ。彼らからすれば、王族の去った今の方が生きやすいかもしれん」
話を聞けば聞くほど西国がいい国とは思えなくなる。戦争や反乱が起きるのにも理由があるというわけだ。
「ところで僕を呼び出したのはどうしてです?」
「ふむ。アクロイドを脱出して以来、まともに話せなかったからな。いい機会だろう」
「はあ」
パウエルが話したのはこれからについてだった。
「1、2週間は休養を取れると思っていい。その後は……まだ分からん。東国の動き次第と言っておこう」
「そうですか……それじゃあリアも落ち着けそうですね」
「うむ。ひとまず安心だ」
共に安堵する。理由は違えどリアを守るという使命は共通している。パウエルはウィルに頼まれて。ハーニーは自らの存在理由として、だ。
「どうしたんですかパウエルさん」
急に立ち止ったパウエルに尋ねるとパウエルはすぐに歩みを取り戻した。
「いや、すまない。これからどうなるかと思ってな」
「何か心配なんです?」
パウエルは僅かに悩んだ後答えた。
「……どうもこの街の貴族も一癖ありそうで困りものだ」
ハーニーが心配そうな顔をするとパウエルはあくまで真顔で否定した。
「君が危惧するような反乱は起きんよ。多少野心が過ぎるが正義感のある者ばかりだ」
「アクロイドみたいなことは起きませんか」
「うむ。安心したまえ。問題があるとすれば私が……」
「?」
「いや、気にしないでくれたまえ。君に頼るほど私は落ちぶれていない」
何を言っているの分からないがパウエルは清々しく言うので大丈夫なのだろう。
「それより本題に移るとしよう」
「本題?」
てっきり今後の話が本題だと思っていた。
わざわざ呼びつけた本題とやらを生唾を飲んで待つ。
パウエルは至って真面目に言った。
「なんでも東国の女性と夜を共にしたそうだな」
「よっ!? 夜を共にしたなんてっ!」
「違うのかね?」
「ち、違いませんけど……でも! 言い方があるじゃないですか。それじゃあ誤解を生みますよ。ねえ、セツ」
『誤解とは何のことか分かりかねます』
「嘘つけ!」
どうやら味方はいないらしい。
仕方なくサキについて正直に話した。どんな人で、どんな話をしたのか。
話を終えるとパウエルは表情を変えずに一言。
「それで?」
「それで? それでって何です?」
「その娘に惚れたのかね」
「ほっ……て、どうして皆恋愛に結び付けようとするんですか」
思い出すのは先日サキについて話したこと。ネリーは不機嫌になり、ユーゴは終始こじつけてきてハーニーは途方に暮れたのだった。
パウエルは薄く笑った。
「なに、聞いてみただけだ。仮にも敵国の人間。もし恋に落ちたなら大変だろうからな」
「もしそうだったらどうする気だったんですか?」
「どうするだろうな。その場は黙認して、もし敵対することがあれば……」
想像して寒気。
「ど、どっちにしろ違いますから。いい人だとは思いましたけど、そういう気持ちはありません」
「そうかね……」
「何で残念そうなんですか……」
ハーニーは呆れて言ったが、パウエルはそれに目を見開いた。
「ふむ? 私は残念そうにしたか……そうか」
パウエルが露骨に動揺するのは珍しい。パウエルは溜息を吐いた。
「君が意図してというわけではなかろうし、ただ私がそういった部分に目がつくだけなのだろう」
「そういったこと?」
「君は私に似ている気がしてならん。性格などはまるで違うが、境遇がな。私にできなかったことを君がやるんじゃないか、などと期待してしまったのだ。まあ、私の妄言だ。忘れたまえ」
「は、はあ……」
納得した風にそう言ったが、要領を得ない。パウエルはそれを察したらしく明らかな苦笑いを浮かべた。
「私の妻は東国の女性だったということだ。馬鹿馬鹿しいだろう?」
「そういうことですか……」
パウエルは妻と娘を失っている。妻の遺言のために今を生きていると言っていた。
「情けないな。自分を誰かに重ねようなど、誇りの欠片もない」
「……別に可笑しいことじゃないと思いますけど。自分を誰かに重ねるのは普通ですよ」
「その擁護は私向きではないな? 君自身ウィルの娘にそうしているから出た言葉だろう」
ギクリ、と表情が固まる。
「投影する方はいいだろうが、される側はどうだろうな。私が君に己を期待しても、君は困るだけだろう」
「それは……」
確かに困る。恋だの愛だの考えようと思っていない。
「だから、妄言でいい。特に私のは懐古でしかないからな。君のは私と違う。……話を変えよう」
パウエルは道を折れて広場に出た。広場は緑が多く、のどかな場所だ。
「東国の女剣士とはそこまで技量の差があったのかね」
「……情けないですけど、勝ち目なんて全然……。刀についてあらゆる面で負けてました。説教までされましたよ」
剣先が届きそう。そう思うことすらできなかった。地力がまるで違う。それが経験というのだろうが、思い出す度無力感にため息が出る。
「アルも歯が立たなかったようだしな」
「アルコーさんですか……」
さっきのことを思い出して心が沈む。
「アルに何かあったのかね」
「そういうわけじゃないんですけど……」
「なんだ」
「あ、と。それは……」
視線を逸らす、アルコーの辛そうな顔が脳裏をよぎった。あのやりとりは話していいことなのか。悩んでいるとパウエルがハッキリと促してきた。
「私はアルと古くからの友人だ。その私が許すんだ。構わず話してみたまえ」
「ん……」
少し迷ったが結局話した。悪いことにはならないだろう。それはパウエルの真摯な目を見れば分かった。
話を聞き終えるとパウエルは苦虫を噛み潰したような顔で言い捨てた。
「殴ればよかったのだ」
「でも殴ったって」
「分かっている。それで何が解決するわけではない、しかし、腹が立つだろう。そんな軟弱者の弱音は」
パウエルは苛立ちを隠さずに愚痴る。
「殴ってほしいだと? 情けない。真っ直ぐに言えないところもまた、情けない。それでは年端のいかない少女に負けて当たり前だ」
「そこまで怒らなくても……。アルコーさんだってすごかったんですよ。その前の追手から逃げる時なんて結局全部やってくれました」
「今のあいつは弱い」
パウエルは言い切った。
「私と肩を並べていた男だぞ。その程度当たり前だ。少女に負けるかね、私が」
「僕も負けましたから……」
眼力に嫌な汗が出る。パウエルは疲れたように長い息を吐いた。
「言っても仕方ないな。あいつの力が落ちていることは今に始まったことでもない」
「そうなんですか?」
「残念だがな。私も何もしてやれずにいる。原因が掴めない上に、それはひどく精神的な問題だろう。迂闊に関われば誇りを傷つける」
「何もしないんですか」
「ああ。それ以外あるまい」
「……」
胸がざわついた。違和感めいた、反感。どこかで覚えたことがある気がする気に入らなさ。
微かな嫌悪感はパウエルが口を開いたことで霧散した。
「まったく、君もそれだけ言われてよく殴らなかったな」
「それは」
右腕を擦る。
「セツが代わりに怒ってくれましたし、それに癪じゃないですか。殴られたい人を殴ってあげるなんて。結局望まれた通りなわけだし」
「なかなか嫌な奴だな」
「も、もちろん殴って良くなるとも思いませんでしたよ?」
「分かっている。……私もきっとそうしただろうな。なんせ、癪だ」
茶化したように言うから面白くなってつい笑う。
やがてパウエルは不安な影を落としながらつぶやいた。
「まったく。誰も彼もうまくいかないな」
その時のパウエルは年齢よりも年老いて見えた。
無性に目を背けたくなった。
◇
これからまた会議があるというパウエルと別れたハーニーは、特にやることもなく宿に戻ることにした。外に出ていたのは2時間に満たないとはいえ、リアをできるだけ一人にしたくない。
宿に着いたのは正午を過ぎた頃だった。一階の酒場を抜けようとする時、呼び止める声があった。
「おー! ハーニー、いいところに来た! 手貸してくれ!」
ユーゴがほっとした顔で手を振っていた。酒場の隅にいるユーゴに近づくと、傍のテーブルには突っ伏しているアルコーがいる。ハーニーが近づいても全く反応がない。
「どうしたの?」
「どうしたもこうもねーよ。この酔っ払いが酔いつぶれて、たまたま通りかかった俺が巻き込まれたんだ」
どうやらアルコーはあれから飲み続けていたらしい。テーブルには酒瓶が散乱している。
「君もその人の連れ?」
声に振り返ると酒場の店主が困った顔をしていた。
「随分お金落としてくれるけど、うちで倒れられたら悪い噂になりますし、なんとかしてもらえませんか。それに、あの、掃除できないんで」
「はあ」
「それじゃ、お願いしますよ」
店主はそそくさと店の奥へ引っ込んでいった。
ユーゴが盛大にため息。
「は~。ついてねーよ。俺は暇だからリアちゃんの様子見に来ただけだってのによ」
「そうだったんだ。ありがとう」
「そう素直に言われると照れるな。暇だっただけだって」
ユーゴがよし、と意気込む。
「とにかく運ぶか。お前左から担いでくれ。俺は右やる」
「分かった」
二人でアルコーを担いで階段を上がる。アルコーもガダリア貴族の一人としてこの宿の一室を貸し与えられていた。
ふと気になった。
「確かアルコーさんってこの街の人だよね? どうしてここに泊まっているんだろう」
ネリーやパウエルなど、家がある人はそこで寝泊まりしている。
「こんな酔っ払いだ。根無し草なんじゃないか?」
ユーゴは興味なさげだ。
アルコーの部屋まで運んでベッドに寝かせる。雑に運んだのだが起きる気配は一切ない。よっぽど飲んだのか。
「やーれやれ。まったくついてねーな。こんな面倒な目に遭うなら来なきゃよかった」
「そこまで重労働じゃなかったよ」
ユーゴは僅かな沈黙の後つぶやいた。
「俺、この人嫌いだし、あまり見たくないのさ」
「嫌いって、どうして? あんなに助けてもらったじゃないか」
「それは感謝してるけどよ、でもどうしても嫌な相手っているだろ? この人を見てると責められてる気がして嫌なんだ」
深い意図は読めない。ユーゴはアルコーを眺めながら鼻で笑った。
「同族嫌悪自己嫌悪ってこと。とにかくやることはやったんだ。俺は行くぜ。あとは任せた」
「任せたってこれ以上何を──行っちゃったよ……」
ユーゴは逃げるように出て行ってしまった。
「何なんだか」
『よほど嫌だったんでしょうか』
「どうだろう。そんなに嫌なところがあるかな」
『……ないわけではないでしょう』
セツはまださっきのことを気にしているらしい。
「さっきのことはアルコーさんも後悔してたよ。そんなに怒らなくていいのに」
『あなたが怒らないからこうして私が怒っているんです』
抑揚がなくても怒気を孕んでいると分かる言葉の内容。
「……そうだね。ごめん。おかげで随分助かってるよ」
『それならいいのですが……』
「うん」
なんとなしにアルコーを見る。ベッドに横たわる姿はやつれて見えた。
「でも悪い人じゃないと思うんだ」
乱暴な言葉遣いはたまに傷つく。それでも悪人とは思えない。
ガダリアを脱出してからほとんど寝ないで周辺警戒をしていたのは彼だ。それに追手の襲撃の時の焦った声が耳に残っている。僕が追手を斬らなければいけなくなった時、まるで悲鳴のような声で僕を止めたのだ。理由は分からないけれど、僕を庇ったように感じる。
頭の中で思いが巡るのを止めたのは、当人の声だった。
「許せよ……許してくれよう……」
驚いてアルコーに目を向けなおす。目は開いていない。寝言のようだ。
「……出ようか」
精一杯の小声をセツに向けて部屋を出た。
ドアを背に深呼吸。
「なんか、聞いちゃいけないことを聞いた気がするね」
『そうですね。何か苦しむ事情がありそうです』
「許せ、許してくれ、か……何をだろう」
『気になるのでしたらパウエル卿に尋ねてみればいいでしょう』
首を傾げる。
「君だったら個人的なことに首を突っ込むなって言うかと思った」
『私自身彼をどう評価していいのか分かりません。信頼できる人物かどうか。そもそも味方なのかどうか』
「味方かどうかって、アルコーさんは敵だって言うのか」
『……そうは言いません。ですが、頼れる人物とは言いづらくなっています』
「それはそうかもしれない……」
『何にせよ今は情報が足りません。私たちはもっと知るべきだと思います』
「……そうだね」
アルコーについて知らないことは多い。気になるところもある。何か悩んでいるような。
いや、それはきっと普通のことだ。パウエルだって妻子を亡くした辛い記憶がある。僕にだって消えない寂しさがある。アルコーにだって何かあるのだろう。
でも、それを知って僕はどうするのか。
「……僕には君がいてよかったよ、セツ」
『急に何です?』
素直に答えるのが照れくさく「何でもない」と誤魔化した。
セツが聞きなおしてこなかったことが、こちらの真意を分かっているように思えて顔が赤くなった。
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