旧王都 リアと恋心 3




 ハーニーはネリーの育て親、クレールの家で夕飯をご馳走になった。クレールとその実子姉妹、ネリーとハーニー、そしてリアの六人の食卓はとても賑やかだった。久しくなかった団欒の中、リアは楽しそうに見えた。姉妹とも仲良くなれたようだったし人の輪の中にいるリアを見ていると、ほっとした。どう向き合えばいいのかなんて気にする必要なく時間は過ぎる。ネリーには感謝しないといけない。


「すみません。少し外の空気を吸ってきます」


 食後、リアが姉妹と遊んでいるのを見ていたハーニーはそう切り出した。


「あら、これからネリーちゃんの面白い話をしてあげようと思ってたのに~……」

「何です?」

「ネリーちゃんったら今朝私に内緒でお化粧道具を使ったのよ~。こそこそお化粧なんてかわいいでしょ~」

「ななっ! クレールおばさん!」


 赤面したネリーが慌てて止めに入った。


「し、知ってたの?」

「そりゃあ気づくわよ~。もう照れちゃって~」

「ち、違う! あれは戦略的武装よ! というか余計なこと言わないで!」

「別に余計ってことないでしょ~? それもきっと彼のために──」

「いいからっ! ハーニーもほら! 外行くんでしょ!? さっさと行けば!?」

「あはは、分かったよ」


 慌てるネリーを笑いながら家を出た。

 クレールの家は街中の住宅地にある。外に出ると周囲の家々から漏れる光で明るい。


「ふう」


 夜空を見上げながら一息つく。

 楽しいけれど疲れないわけではない。初対面の人の輪に入るのだから当たり前だ。


「家族かあ」


 口にしてみると家族という単語が遠い響きに聞こえた。

 ネリーはこの家にいるといつもより素直に見える。きっと居心地がいいからだろう。この温もり溢れる家庭の中で時を過ごしてきたことの証明だ。

 それはいいことだけど距離ができた気がして心細い。

 ガチャ、と後ろのドアの開く音。振り返るとネリーだった。


「突然外に出てどうしたの?」

「別に何でもないよ。楽しいし、温かい家だ」


 クレールの家を背にしてぼんやり空を見る。

 ネリーは笑みにも似た息を一つ吐くと、隣に並んで言った。


「……羨ましいんでしょ」

「はは、色々話したネリーになら分かって当然か」


 控えめに笑う。


「いいよね、こういうの。普通の幸せってこういう感じなのかな」

「そうかもね」

「曖昧だね?」

「まあ、ね。私だって本当の家族じゃないし」


 優しい声色に反する現実的な言葉に心臓が跳ねる。

 ネリーは隠し切れない寂しさを隠すように苦笑していた。


「当たり前よ。私はクレールおばさんの子供じゃないもの。私には私の家族が……いたし、おばさんにだって家族がいる。それは事実として違うこと」

「それは」

「いいの。慰めてもらうことじゃないから。こんなことは私が引き取られてすぐに分かったことなんだから」


 ネリーは表情に影をおとした。


「ここはいい家だし、幸せだし、感謝だってしてるけど……やっぱり居心地は良くない」

「居心地良くないの? 自然体でいたように見えたけど」

「それは慣れよ。慣れ。自然に見えたのは……ほら、表に出したらおばさんが心配するでしょ? おばさんには心配してほしくないの。ただでさえ負い目を感じているようだから……」

「負い目?」

「そ。負い目っていうのはね……ほら、この家。結構いい家でしょ? 街中にあって立地もいいし、しっかりした一軒家で」


 確かにクレールの家は周囲の家と見比べても立派だ。比較的新し目に見えるこの家は結構な価値があるだろう。

 ネリーはこの幸せ溢れる家を見上げた。


「この家、私が引き取られてから作られたのよ。元は私の……ルイス家の資産でね。あ、勘違いしないでよ。私も望んでのことだから。居場所をもらえて、育ててくれて、その感謝を考えたら安い物だって思う。私が稼いだお金じゃないから言えるのかもしれないけど。でも間違った使い方じゃないでしょ?」

「それは、うん。いい使い方だと思うけど……」


 ネリーはハーニーを振り返って笑った。


「負い目なんて感じなくていいと思うんだけどね。クレールおばさんはしっかりしてるからかな。私の資産で良い生活ができてることが申し訳ないみたいなのよ」


 それは分かる話だった。引き取った子供の持つ資産で生活を助けられたとしたら、それは気が引ける。お金が目的で引き取ったんじゃないか、と他人からよりも自分で自分を疑ってしまいそうだ。


「おばさんは私に負い目を感じてて、だから私は……私こそ申し訳なく感じてしまう。誰が悪いってことじゃないの。きっとここが妥協点なんだと思う。これでいいと私は思ってるし」

「これでいいって、このままで?」


 ネリーは強い意志を感じさせる目をしながら頷いた。


「いいのよ。私たちは違う家族の中にいる。その事実を事実として見ることは、相手をちゃんと見てるってことだと思うから。それに、それで十分よ、私」

「……ネリーは強いね」


 それは心から出た言葉だった。他人に家族を重ねて夢見てしまう自分なんかよりずっと強い。心の底からそう感じた。


「なにそれ。褒めてるの?」

「褒めてるんだよ。本当に」


 ふふ、とネリーが笑う。お互いの傷を見えないように隠しあっているようで可笑しくなって、ハーニーも笑った。


「リアちゃんに聞いておいてね。もしリアちゃんさえよければ、ここで過ごしていいから。クレールおばさんもそう言ってくれた。私だって傍にいるし」

「うん、ありがとう。なんだかネリーには助けられてばっかりだなあ」

「そ、そう? それならいいけど……」


 俯いてぼそぼそ喋るネリーはどうやら照れているらしい。


「照れてる?」

「……そういうことは思っても言わなくていいの」


 ネリーはむっとするが、頬が僅かに紅いあたり照れているのは間違いない。


「あ」


 ふと思い出した。


「なに?」

「あ、いや……えっと、お化粧」

「えっ? なに? おかしくなってる?」


 口にするのが恥ずかしかったが、ネリーがひどく不安そうにするので躊躇いは消えた。


「おかしくなんかないよ。似合ってる……は少し違うか。可愛いと思うよ。可愛い」

「かわっ……。な、なに突然っ?」


 それまでの顔の紅さなんて話にならないほどネリーは顔を紅潮させて焦る。それだけ反応が大きいとこっちまで恥ずかしくなるし、そもそも慌てるネリーは小動物のようで可愛く動揺してしまう。


「べ、別に思ったから言っただけだよ」

「そんな急にっ? ……分かった! さてはユーゴの入れ知恵ね!」

「う」

「やっぱり! 思ってもないこと言ったんでしょ!」

「そ、そんなことないよ。思ったなら言えばいい、って言われただけで」

「可愛いって思ってくれるの?」


 きょとんとした質問。


「う、うん。そう思った」

「ふうん……ふ、う、ん……ちょっと私イエニモドルカラ」

「え?」


 急に片言になったと思えば、ネリーはさっさと家に戻っていった。ドアを開ける時もたついていたりして心配になる。

 しかしその心配も中から聞こえる「何で逃げてきたの~!」「逃げてない! 寒かっただけ! それだけなんだから!」という声で解消された。

 どうやらネリーは思ったより照れ屋らしい。


「……余計なこと言ったかな」

『それは私に言ってるんですか?』


 右腕から声がした。


「うん。一人の時話し始めたら君に向けてるつもりだよ」

『そうですか』


 その声は無感情で抑揚がない。が、それにしてもいつもより冷淡に聞こえる。


「……なんか怒ってる?」

『怒ってません。なぜそう思うのか分かりません』

「だってこの頃全然話さないじゃないか。会話に入ってきてもいいのに」

『私がところ構わず口を出せば周りは動揺します。一々説明は面倒でしょう』

「それはそうかもしれないけど……それにしたってなんだか冷たい気がするよ。あの洞窟での出来事からだ」

『私はずっと静かにしていましたね』

「うん。あの時はそれが良かったと思う。助かったよ」

『……それでいいんです』

「え?」

『何か?』

「何か? じゃなくて。んー……もしかしてお礼が欲しかったの?」

『どこに根拠があってそんなことを言うのか分かりません』


 セツがこういう言い方をする時はしらばっくれていることが多い。というか。


「僕あの後一度、助かったよ、ありがとうって言ったと思うな」

『言いましたか?』


 その反応の素早さに苦笑する。


「うん。言った」

『……聞いていませんでした』

「セツでもそういうことあるんだね。知らなかった」

『はい。すみません』

「謝ることじゃないよ。全然悪くない。僕が済ませた気になってたのが良くなかったんだよ」

『そうでしょうか……』

「そうだよ」


 そう言って右腕を撫でる。それがセツにどう伝わっているか分からないが、しないよりいいはずだ。


『……最近妙なんです』


 ふと、セツがつぶやいた。


「何が?」

『心配になるんです。私の役目が失われるんじゃないかと』

「役目?」


 尋ねると少しの間を置いてセツは話した。


『あなたには友人ができました。相談もできるような仲です。それはいいことです。いいことでしょう。……ですが、それで私に頼らなくなってしまうと……それは問題です。問題な気がします』

「そっか……」

『不明瞭ですみません。分かりづらいですね』

「いいや、分かるよ。その気持ちは……知ってる」


 記憶を振り返ればすぐに理解することができる。リアをパウエルが引き取ると言って、自分のしてあげたいことができなくなった時。誰かに必要とされたかった時。きっとそういう時の気分だ。


「でも僕は君に頼ってるし、これからもたくさん頼ると思う。魔法だって君がいなくちゃ全然ダメなんだ。だから大丈夫。信頼してる」

『そうですか』

「そうなんだよ」


 少しは元気になってくれただろうか。無感情な声からセツの心情は汲み取れないが、会話のリズムや流れからなんとなくは分かる。今は大丈夫な印象。


「それにしてもセツって普通に人と変わらないよね」

『ですが道具にすぎません』

「そうかもしれないけどさ」


 セツは己をどう捉えているんだろう。気になったが、セツの忠告で頭から消える。


『そろそろ戻った方がいいのでは』

「そうだね。戻ろうか」


 答えて振り返る。どこか身体重く、一つの家族の団欒に混じっていく。

 それでも幸せな家庭は温かった。





 宿屋に帰ろうという時、クレール一家はネリーも含めて全員が外まで出て見送ってくれた。大げさだな、と思いながらもそこまで気遣ってくれることに感謝しなくちゃいけない。姉妹も「またねー!」とリアに手を振っていたあたり、仲良くできたようだ。

 とりあえず今晩は宿に戻って、そこでリアとこれからどうするかを話そう。

 夜の帰り道。石畳の道を照らすのは住宅から零れた明りだ。住宅街を歩いているため、色々な家から賑やかな声が遠く聞こえる。


「……」


 隣を歩くリアは静かだった。


「あれだけ賑やかだったから疲れた?」


 聞くとリアは「ううん」と首を振る。目線は下を向いていて、表情はどこか暗い。

 賑やかだったのが急に静かになったから、その差異で寂しくなってるのかな? そう思ったが、よく考えてみればリアはクレールの家でも大人しくなかっただろうか。

 元気な姉妹と遊んでいる間は楽しそうだったが、夕食を皆で食べている時など、妙に静かではなかっただろうか。

 その時は遊び過ぎて疲れただけかと思っていたが、今になってどうも疲労が原因じゃない気がしてきた。

 立ち止ってリアを見る。

 リアは急に立ち止ってどうしたんだろう、という目で見つめてきた。


「なあに?」

「い、いや、何でもないよ」


 純粋な瞳にどうすればいいか分からなくなってハーニーは目を逸らした。そのまま二人で歩くのを再開する。

 聞こえるのは静かな足音と、近隣の家の楽し気な声。アハハ、ワハハ、と一家の団欒を思わせる話し声だ。


「……んっ」


 リアがその声から逃げるように腕に抱き付いてきた。一瞬、恋愛感情がどうのこうの、と考えかけたが、リアの顔を見た途端に心は落ち着いた。

 寂しそうな顔だ。

 理由は分かる。

 ……いや、僕だって心の奥で感じていたことじゃないか。

 僕らにとって無いものをひどく近くで目にしたんだ。それはとっても幸せでとっても遠くに感じるもので、だから僕は居たたまれなくなってクレールさんの家を一度出たんじゃないか。温かすぎる家が羨ましくて、息苦しくなって外に出たんじゃないか。僕がそれを感じるのに、リアがそう思わない理由なんてない。リアも失った側の子なんだから。

 自分ではない、傍を歩く少女がそう思っている。そう分かると胸につっかえていたものがなくなった。

 どうすればいいかなんて単純なことだ。

 どうしたらリアが元気になるか。考えて、パッと浮かんだ方法をすぐに実行する。

 前向きな気分で、心穏やかに。

 そう感じることを躊躇わなくてもいいんだよ、と伝わるように声を張り上げた。


「羨ましいね!」


 辺りから聞こえる幸せな騒ぎ声を掻き消すようにもう一度。


「羨ましいね!」」


 突然大声を上げたハーニーをリアは初め驚いていた。それでもハーニーが笑いかけると、リアも嬉しそうに子供らしく元気に叫んだ。

 これは開き直ってしまおうという、自棄じみた思いきりだ。


「羨ましいねっ!」

「そうだね! 羨ましいよね!」

「うん! 羨ましいねっ」


 無垢な笑顔を嬉しく思いながらリアの手を取った。それだけでリアはさらに笑顔を浮かべる。そのままつなぐ手を振りながら帰る場所を目指す。

 僕は何を悩んでいたんだろう。一番大切なのはリアじゃないか。そんなこと分かり切ったことだ。そしてそれだけ分かれば十分。やるべきこと。すべきことなんて自然と分かる。


「ねえハーニー、恋って知ってる?」


 そう話を切り出されても動揺はなかった。


「んー、あんまり知らないな。リアは?」

「リアもよくわかんない。でもしてみたいと思うんだよ」

「どうして?」

「女の子みたいだから!」


 まさしく女の子らしい言葉にハーニーは笑った。リアは嬉しそうに続ける。


「恋はドキドキするんだって。リアたまにドキドキするよ? ハーニーといる時とか。これって恋かな?」


 そこまで言われるとさすがにドキッとする。


「さ、さあ、どうだろう。僕も恋したことないから分からないな」

「じゃあ一緒だね!」

「そうだね。一緒だ」


 リアは一緒だというだけで満面の笑みを浮かべる。

 それを見ているとそれだけでいい気がしてくる。

 ハッキリとした答えがなくても、大事なのはリアが笑ってくれる今なんだから。


「ハーニーはリアがいないとダメだもんね!」

「あはは、自信家だなあ」


 以前リアが生きる理由だと言ったこともあって否定できない。そのことをリアは誇らしげにするけど、なんだかそれすら愛おしく思える。

 ハーニーはリアと他愛もない話をしながら帰路を歩いた。

 いつの間にかハーニーを悩ませていたものは全てなくなっていた。


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