旧王都 リアと恋心 1
その姿を一目見た瞬間から、私は夢を見ていると気付いていた。
私の目線は低く、そして目に映る男の人の背は高い。私と同じ金髪で理知的な顔。でも冷たい感じじゃなくて優しい表情。
「どうしたんだいネリー。急に立ち止って」
「……別に。何でもないよお父さん」
気付けば周りの風景が変わっていた。旧王都の道。ううん、まだ王都だった頃の道だ。小さいころよくお父さんと散歩した、あの道。
覚えてる。お父さんはいつもうーん、って考え事をしていた。
「うーん……どうしたものかなあ」
「また魔法の悩み?」
私がその内容を聞くと嬉しそうに笑うのだ。
「そうなんだよ。難しい話だ。魔法が発現する理由と素因についてで──」
私はそれをよく分からないままに聞いて、知った風な口を利く。適当なことを喋って、たまに役に立って、それが何より嬉しかった。
私はお父さんの子なんだって。研究者の子なんだって。そう思えて誇らしかった。
「……夢よね」
俗に言う明晰夢だ。夢の中で夢だと気付く夢。
それを証明するように、私が夢だと口にした瞬間から世界は固まった。
周囲を歩く人、雲の流れ、お父さんも皆動かなくなった。時が止まったみたいに固まっている。
私も変わった。目線の低さはなくなって、今現在の世界の高さが目に映る。
急に風景が遠ざかっていく気がした。いや、遠ざかっているのだ。私だけを置いて夢の世界が離れていく。
「あ……」
私は終わったはずの時間に手を伸ばしていた。でも、その手は途中で止まる。
さっきまで私がいた場所。ううん、昔私がいた場所に私じゃない女の子がいた。だって私はここで、遠くからそれを見ているんだ。だからあの小さな女の子は私じゃない。あれは過去の私?
ふと、気付く。私がいなくなったあの夢の時間が動き始めている。そして女の子は横に立つ男の人を見上げた。横顔が見える。
「リアちゃん? どうして?」
分からない。
見れば男の人もお父さんじゃなくなっていた。
「ハーニー」
名前を口にしてもハーニーはこちらを振り返らない。リアちゃんに笑いかけていた。
私はまるでよろめいて壁に手を突くように、横を見た。
そこには誰もいない。
仄暗い闇があるだけだ──
◇
「っ……!」
ネリー・ルイスは跳び起きた。慌てて周囲を確認する。朝日の差し込む部屋にあるのは、たくさんの本棚だ。殺風景な、男の学者のためのような部屋。見慣れた光景。
「……そういえばクレールおばさんの家だっけ」
荒れた呼吸が落ち着いてくる。
まったく変な夢を見た。どこか暗示的な夢。私がリアちゃんに自分を重ねているとはいえ、あんな夢を見るなんて。
……。
…………ぐぅ~。
お腹が鳴って周囲を確認。誰もいない。恥ずかしがらなくていい。
「……ご飯食べに行こ」
雑念を振り払うように勢いよくベッドを出た。部屋を出ようとドアを開けるとギイイ、とうるさく軋む。聞きなれたその音は落ち着く。
ぼんやりした足取りで階段を下りて一階のリビングに行くと、テーブルの上には朝食が用意されていた。トーストと目玉焼きだけの庶民的な食事。
「あら? 今日は随分早起きね~」
台所で家事をしていた女性がネリーを振り返りながら言った。
「おはよう、クレールおばさん」
クレールは30代後半の女性で実年齢より若く見える。カールがかった茶髪は元気な印象を与え、皺も近くから見ないと分からない。
クレールは元々はネリーの家──ルイス家の使用人だ。父が死に、貴族姓を剥奪され、身寄りもなかったネリーを引き取ったのが彼女。6歳の時から、ネリーが家を飛び出す14歳までの間、ネリーはクレールに面倒を見てもらったのだ。
ネリーが椅子に座り、朝食に手を付け始めるとクレールはネリーの顔をまじまじと見た。
「ん~、また寝不足?」
「そんな感じ」
「もう。昨日もじゃなかった? ……もう。突然家を飛び出したと思ったら急に帰ってきたり。帰ったと思えばドタバタ忙しかったり。もっとおしとやかにできないの?」
また始まった。
「いいでしょ、別に。4年前急に飛び出したのは悪かったけど、それから定期的に顔を見せに来てたんだし。……最近は忙しくてダメだったけど」
クレールはむっと顔をしかめた。
「一昨日突然帰ってきて……戦争だ戦争だーって騒ぎが大きくなってて心配だったのよ?」
「それは悪かったけど」
「ネリーちゃんは昔から忙しないのよ。元気なのは結構だけど、もっとおしとやかにした方がいいわ。せっかく美人さんなのに、それじゃ相手が見つからないもの」
「……別にいい。どうせ私にはそんなの似合わないし」
「あら?」
クレールが首を傾げた。
「おかしいわ。いつもなら、私には研究があるからどうでもいい! とか言うのに。その口ぶりだとまるで気にしてるみたい」
嫌な予感に食事の手が止まる。
「もしかして!」嬉々とした表情に変わったクレールは口に手を当てて声を上げた。
「ネリーちゃん! あなた、好きな人ができたんでしょう!」
「っ、けほっ、けほっ」
咽て咳き込んだ。
「な、何を根拠にそう言い切るのよ?」
「おかしいと思ってたのよ~。昨日帰ってきたと思ったらすごく慌ててたり、すっごく不安そうにしてたり……そんなのよっぽどのことがあったか、想い人ができたかくらいしかないものね~」
「じゃあよっぽどのことがあったんでしょ。戦争だって始まっちゃったし」
「いーえ。ネリーちゃんはそういうことじゃ慌てないわ。お利口なんだから」
「……むう」
「やっぱり男の人なんでしょ?」
「私の……友達の安否が分からなかったの。それだけよ」
「友達? ネリーちゃんに友達ができたの?」
「そりゃいるでしょ」
「珍しい! 家にいる時は部屋に引きこもって本ばっかり読んでたネリーちゃんが友達だなんて!」
「失礼ね」
しかし事実なので強く返せない。
「ね、どんな人? 女の人? 男の人? 年上? 年下?」
「……何でそんなに聞くの」
「だって気になるわよ~。すぐ人に見切りをつけるネリーちゃんが、友達よ? すごいじゃない! どんな人か気になるじゃないの~! ね、どんな人なの?」
「どんな人って……」
思い浮かべる。
ハーニーを印象で言うなら何だろう。一言で言うなら優しい、か。それとも優柔不断?
……でもハーニーは土壇場で決断できる人だ。それこそ自分ごと敵を崖から落としたり、窮地で行動できる。私だってそれで何度も救われた。アクロイド脱出の時もそうだし、ガダリアからアクロイドへの道中だってそう。あの時のことはよく覚えてる。私を守るために庇うように抱きしめて……。
「──ちゃん? ネリーちゃん? 聞いてるの~?」
「ん?」
気付くとクレールは意地の悪い笑みを浮かべていた。
「ぼおっとして嬉しそうにして、何考えてたのかしらねえ?」
「べ、別に嬉しそうになんか……!」
「ふ~ん?」
「……私、そういう風に見えたの?」
クレールは大げさに身振りしながら「そりゃ~もう! にやにやしてたわ~」と可笑しそうに言った。その大仰さにネリーは恥ずかしくなりながらも冷静になる。
「絶対大げさに言ってる。無事だったことを改めて思い出してほっとしただけよ。うん。それだけ」
「本当かしら? 動揺してるみたいだけど~?」
「……ふん」
無視を決め込んで食事を再開する。クレールは呆れ笑いを浮かべるとまた台所に向かった。既に食べ終えた二人の娘たちの皿を洗っているらしい。
……動揺してたのは本当だ。私はハーニーのことを隠したがったし、それについて考えるのがすごく恥ずかしかった。
最近いつもそうだ。暇になればパッと浮かぶのはハーニーばかり。それであれこれ考えて、そんな自分に気付いて恥ずかしくなってやめる。その繰り返し。
どうしてこうなったんだろう。始まりはいつ? ガダリアからの逃亡戦で助けられた時から? ハーニーが私の悩みを変えてくれた時から? アクロイドで危機的状況を打破してくれた時から?
……分からない。今となってはそのどれもが眩しくてその時の自分が想像できない。こんなこと今までなかった。だから、考えてしまう。
どうして? なぜハーニーのことが気になるの?
「……はぁ」
答えは出ない。いや、もしかしたら、というものはあるけど、確証はない。一般的に。一般的に心が騒ぐ理由の一番有名なものはあれだ。考えるのも憚られるあれ。でもそんな俗っぽいものに私が当てはまる?
「……ううっ、馬鹿馬鹿しいっ。安否が分からなかったから。心配させられたからよ。そのせいに決まってる」
「また独り言。その癖直さないと男の子に嫌われるわよ~」
「えっ。あっ」
慌てて口を手で塞ぐがもう遅い。クレールはすぐに振り返った。
「なあにその反応。ネリーちゃん! あなたやっぱり……!」
「う、うるさいっ。今のは独り言を無意識にしている自分に驚いただけ! それだけだから邪推しないで! 今考え事してるの!」
クレールは不満そうにしたが、気を取り直して目の前の問題に目を向ける。
まず、私がハーニーをどう評価しているのか。それを客観的に考えないといけない。主観なのか客観なのか分からないけど、客観的に考えないといけない。
私はハーニーを……悪く思ってはいない。一緒にいて嫌じゃないことから分かるし、そうじゃなくちゃハーニーがいなくなったた時、あれほど不安になったりしないはずだ。
あれほど……。
「くうっ」
ネリーは顔を覆った。顔が熱い。赤くなっているに違いない。
改めてハーニーが無事だと分かった時を思い出す。
私も捜索に出て名前を呼びながら探し回ったのが昨日の朝のこと。結局見つけたのは私じゃなくて近くを探していた魔法騎士団だった。私は見つかったって聞いてすぐに向かって、ハーニーを見た。目立った怪我はなくて、こっちの心配なんか知らない風にぼおっとしていた。私はそれに腹が立ったはずだ。ムカついて、一発はたいてやろうかと思ったはずだ。
それなのに……どうして私は泣きそうになったんだろう。
疑問に至るまでは死ぬほど恥ずかしかったのに、一度考え始めると不思議なほど冷静になる。
友達が無事だったから嬉しくて?
……うん。おかしくない。有り得ること。
でも、本当にそれだけ?
それだけでいいじゃないの。そう心は訴えてるけど、逃げ出したい自分が騒いでるだけなんじゃないかとも思う。……お父さんも言っていた。心の中でいつもどこか抗いなさいって。妄信的になっちゃいけない。可能性を否定することは学者としてやっちゃいけないことだ。
「ごちそうさま」
クレールは何事か言っているが頭に入らない。身体が勝手に動いて皿洗いを始める。
……ううん。きっと考え方が良くないのよ。切り口を変えてみよう。
皿洗いを終えてネリーは自室に戻る。
ベッドに身を放り出してうつ伏せになりながらつぶやいた。
「私はハーニーをどう思ってる……?」
友人として親しくなれる相手だということは分かっている。
それじゃあ……異性の相手としてはどう?
「……んう」
世間知らずなところはあるけれど、自分を冷静に見られる人だ。それに気遣いもできる。し過ぎでムカつくことはあるけれど、リアちゃんの気持ちを汲んであげられるところはとってもいいところ。うん。リアちゃんに優しくすることはすごく眩しく見える。
それはリアちゃんが私そっくりだからだ。同じころに唯一の家族であるお父さんがいなくなったから、まるで生き写しみたいに感じてる。私がリアちゃんに自分を重ねてることは否定できない事実だ。夢の中でもそうだった。
すると、やっぱり困ったことになる。
「それだと私はハーニーを嫌えなくなる……」
枕に顔を埋めながら、幾度と辿りついた答えの一つに悶々とする。
私がリアちゃんに自分を投影してるなら、どうなる?
……ハーニーは昔の、お父さんを亡くして孤独だった私に優しくしてくれる感じだ。寂しかったあの頃を解きほぐしてくれてるような感じ。
それって情けないけど……たまらなく嬉しい。
「うううう」
恥ずかしさに耐え切れず足をバタつかせた。気持ちの経緯を再認識すると、ハーニーのリアちゃんへの優しさがどれほど自分を喜ばせるか分かってしまう。また、それへのとてつもない恥ずかしさも。
「どうしよう。やっぱり嫌いになる理由がない……」
嫌いにならないといけないわけじゃないけど、どうしてか嫌いって言いたい。そっちの方向に持って行きたい。
好き、じゃない方に。
だってこれだと好きになる理由しかないとしかいいようが──
「──無理! 無理無理! こんなこと考えるなんて私らしくない! 馬鹿みたい! 全部気のせいよ気のせい! ハーニーが死んだかと思って心配だったせい! 私はハーニーのこと好きじゃないっ! 考えるのは終わり!」
寝返りをうって仰向けになる。いつの間にか荒くなっていた呼吸を落ち着かせながら上を見る。
すると視界に入るのは天井と、それを囲う本、本、本……。
「私って女の子っぽくない……」
正直外見は悪くないと思ってる。お母さん譲りの綺麗な金髪に、肌だって白い。それでも女の子らしいかと言われると……怪しい。女らしくないってクレールおばさんも言ってたし、あのうるさいユーゴにも言われた。
ハーニーは……言ってない。優しい。でも気を遣われてるだけかもしれない……。
「逆に、ハーニーは私のことをどう思ってるんだろう。知り合い? 友達? それとも……」
そこまで考えて天啓を得た気になった。
「考えてみれば、向こうから好かれるのはどちらにせよいい気分ね。だって私関係ないし。……うん。そうすれば選択肢も増えるし、安心できる。そもそも嫌われる必要なんてないんだから……そう! これよ!」
がばっと身体を起こす。前向きな意見に勢いを得るが、すぐに気持ちは沈んでうつむいた。
「でも私って女の子らしくない……化粧だってろくにしたことないし、化粧道具も持ってない……そんなのでよく思われるわけない……」
色気の欠片もない部屋を見ても意気消沈する。現実逃避とばかりに、抱えた枕を指先で手慰みに引っ張ってみたりする。
……。
……私自身は持ってなくても、この家にないわけじゃない。
「さりげなく、本当にさりげなくおばさんに借りてくればいい。やり方は知らないけど、化粧は引き算って聞いたことある。別に初めから完璧を目指す必要なんてないはず。足すにしても小数点程度にしておけば悪くならない、と思う。急に気取りはじめたとも思われたくないし、ほんの少しだけなら……。お父さんだってやらずに後悔よりやって後悔って言ってた。そもそも、本来の姿に戻るだけだし。女の子として普通に。うん。何もおかしくない……!」
ネリーは意気込んでベッドを出た。
ハーニーのことを考えるのはやめたはずだったのに、いつの間にか考えていたことに気付いたのは化粧道具を持ち出した後だった。
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