款冬華その四 乾神社の餅

 毘沙姫に餅搗きを任せた為に大変な事になってしまった二臼目の餅。前回の木臼と違って今回は石臼だったので幸い割れる事はなく、また杵も力を入れていなかったおかげで折れる事はありませんでしたが、姫の力が作用した餅は四方八方に飛び散ってしまいました。


「毘沙、何をやっておるのじゃ、この怪力娘が」


 一番被害が大きかったのは、あろう事か恵姫でした。小袖は勿論、顔にも手にも飛び散った餅がくっ付いてしまったのです。


「済まん、済まん、こんなつもりではなかったのだ。力は全く入れていなかったのだがな」

「手に力は入っておらずとも気合が入っていたのじゃ。髪が薄っすらと光っておったわい。知らぬ間に姫の力が働いてしまったのじゃ」

「恵姫様、じっとしていてくださいませ。ああ、こんな所にも餅が」


 慌てて縁側から下りてきた小柄女中が、濡らした手拭いで恵姫の顔を拭いています。黒姫や田吾作も同じようにくっ付いた餅を自分で拭いています。そんな中、鼠の次郎吉が地を駆けずり回りながら飛び散った餅を集めています。


「お餅が大好きなだけあるねえ~。勿体無いから一所懸命拾っているよ」


 次郎吉の大好物は黒姫と同じく餅。臼から餅が飛び散った瞬間、黒姫に呼ばれていないのに姿を現し、餅を集め始めたのでした。


「飛び散った餅は次郎吉に任せて続きを搗くとするか。まだ半分ほど残っているからな」


 再び臼の前に立つ毘沙姫。餅をきれいに拭い取ってもらった恵姫は毘沙姫に近付くと、手に持った杵の柄を握りました。


「よこせ。続きはわらわが搗く。毘沙には任せられぬ」


 意外な成り行きに驚く毘沙姫。庄屋を見れば大きく頷いています。毘沙姫も頷き返すと杵を恵姫に渡しました。


「ならば恵に任せるとするか」

「よいか、餅はこのように搗くのじゃ。ふん!、ふん!」


 股を開き、腰を落とし、杵を振るう恵姫。今朝まで座敷でゴロゴロしていた姿が嘘のように活気に満ちています。


「ほう、恵は意外と力があるのだな」

「当たり前じゃ。力がなくては大物が掛かった時に釣り上げられぬ。ふん!。二貫を超える鯛を釣り上げた事もあるのじゃぞ。ふん!」


 餅を搗く恵姫を眺める毘沙姫。その顔には珍しく笑顔が浮かんでいます。毘沙姫だけではありません。合いの手を入れている田吾作も、横で見ている黒姫も、才姫も庄屋も小柄女中も、皆、喜びの笑顔を浮かべて、餅を搗く恵姫を見ていました。それは間渡矢に戻って来てから初めて恵姫が見せた、元気に満ち溢れた姿でした。


「毘沙姫様がしくじった時には、これは裏目に出たかと思ったのだがな。禍を転じて福と為すとはよく言ったものだ」


 自画自賛する庄屋です。


 毘沙姫が二度と杵を持たなかった事もあって、それから餅搗きは何の支障もなく進み、無事、予定の餅を全て搗き終える事ができました。搗き終わった餅を伸し、丸め、鏡餅にする作業も済ませ、庄屋の用意した出汁入り黄粉餅と御馳走で少々早めの昼食を取っていると、鷹之丞と亀之助が小さな大八車を引いてやって来ました。


「これは鷹之丞様、亀之助様、お役目ご苦労様でございます。城へお持ちする餅は全て準備できておりますれば、さっそく積み込んでくださりませ」


 二人は餅を城まで運ぶ為にやって来たのでした。小柄女中の指示に従い、搗きたての餅を大八車に積み込み始めます。


「これはまた小さい大八車ですな。しかも荷台が箱になっているとは珍しい」


 庄屋の言葉を聞いて亀之助が自信満々で答えます。


「これは拙者の考案した箱付き大四車でござる。普通の大八車は荷台が八尺。これは長さが四尺しかないので大四車となり申す。小型ゆえに取り扱いが楽。しかも箱を取り付けたので荷物はそこに入れるだけ。縛る必要もない。便利な物でござろう」


 今度は新しい運搬具を作り出した亀之助、創造力はとどまる所を知らないようです。


「これが城の餅。こちらは庄屋の分、これは才ので……残りの餅は何じゃ。今から食うのか」


 座敷に並べられた餅を見ながら恵姫が尋ねました。搗いた餅の山は四つに分けられているのです。


「違うよ~、それは乾神社に持っていくお餅だよ。めぐちゃん、いつもお餅を搗き終わったらすぐお城へ帰っちゃうから知らないんだね。毎年神社の分のお餅も搗いて持っていくんだよ」

「そうか、乾神社に行くのか……」


 何やら考え始めた恵姫。せっかく出てきた元気がまた少し引っ込んでしまったようです。そうこうしているうちに餅の積み込みが終わりました。


「それでは私たちは餅と一緒に城へ戻ります。恵姫様はどうされますか」


 小柄女中に尋ねられた恵姫は、きっぱりとした口調で言いました。


「わらわは戻らぬ。黒と共に乾神社へ餅を届けるのじゃ。構わぬであろう、黒よ」

「あっ、うん。別に構わないけど……」


 口籠っているのは理由が分からないからです。どうして神社に行きたいのか、その訳を訊こうか迷う黒姫。しかし才姫にはすぐに分かったようでした。


「黒、訊く必要はないさね。神社に行けば分かるさ。あたしも途中まで一緒に行くよ、帰り道だからね」


 こうして餅搗きが終わった後は二手に分かれる事となりました。小柄女中たち四人は城へ帰り、恵姫たち四人は乾神社へ向かうのです。


「神社に行った後、恵は私が城まで送り届ける。心配は要らぬぞ」

「毘沙姫様ならば元より心配はしておりませぬ。それにしても大した腕力でございますなあ」


 乾神社の餅だけでなく才姫の餅まで持たされた毘沙姫は、まるで山を背負っているように見えます。それでも平気な顔で歩いているのですから鷹之丞たちもその怪力ぶりに改めて感心するのでした。


 城へ向かう山道で四人と別れ西へ歩く恵姫たち。突然黒姫が声を上げました。


「あ、めぐちゃん、見て。もう顔を出しているよ」


 道の南側に駆け寄る黒姫。しゃがみ込んで何かしていたかと思うとすぐに戻って来ました。


「ほら、蕗の薹だよ。これを見ると春は近いって感じるよねえ」

「蕗か。わらわは余り好かんな。苦みが苦手じゃ」


 無愛想な言い方に黒姫は不満顔です。餅を搗いて回復した恵姫の元気も、どうやら長くは続かなかったようです。


「恵、まだ気にしているのかい、与太とお福のこと」


 才姫が声を掛けても恵姫は返事をしません。黙々と歩いています。


「二人に接していた時間は恵が一番長かったからねえ。いきなり引き離されちゃさぞかし辛いだろうよ。でもね、それは恵だけじゃないんだよ。病、事故、やむを得ない事情、人と人との別れなんてこの世には掃いて捨てるほどある。だけど皆それを乗り越えて生きているんだ。恵だけが特別なわけじゃないんだよ」

「単に別れたのではない。わらわは与太郎を死に追いやったのじゃ。何の罪もない者に死を与えたのじゃぞ」

「それは上に立つ者の宿命さね。殿様も厳左も寛右も似たような経験は何度もしている。それも一人や二人じゃない。そんな事を気にしていたら松平家の正室なんか務まらないよ」

「……才にそのような事を言われとうない。そなたとてわらわの母上が亡くなった時、山に籠ってしまったではないか。頭で分かっていても心は従わぬ。人とはそのようなものなのじゃ」


 これには才姫もすぐには言い返せませんでした。言われてみればあの時の才姫も今の恵姫と似たり寄ったりだったのです。


「ははは、確かにそうだね。でもね、だからこそ言いたいんだよ。山に籠っている年月は本当に無駄だった。間渡矢に戻ってやっとそれが分かったんだ。恵にはあたしと同じ轍を踏んで欲しくないのさ。そろそろ山籠りは止めて里に下りて来なよ、恵」


 恵姫の背中で大きな音がしました。才姫が平手で叩いたのです。


「毘沙、餅運びはここまででいいよ。御典医の屋敷はすぐ近くだからね」

「んっ、そうか。分かった」


 毘沙姫から餅を受け取った才姫はもう一度恵姫に言いました。


「それに与太はまだ死んじゃいない。あの時のあたしはもう何もできなかったけど、今の恵にはやれる事が残っている。うじうじ悩んでいるくらいなら手遅れになる前に何かやってごらん」


 それだけを言い残して御典医の屋敷へ帰っていく才姫ではありました。

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