水泉動その二 厳左の条件

 無想剣の力を借りて斎主宮へ攻め込むと言い出した厳左。寛右が翻意を促す言葉を口にする前に、磯島の言葉が飛び出しました。


「何を愚かな事を言っておられるのです。たとえあの剣を使ったとしても今の厳左殿が毘沙姫様と互角に戦えるとお思いなのですか」

「確かにわしは年を取った。しかしそれは毘沙姫様とて同じ。しかもほうき星によって姫の力は格段に落ちている。勝ち目が無いとは言えぬ」


 眉をひそめて口を閉ざす磯島。今度は寛右が説得します。


「毘沙姫様と互角に戦えるならば、最早二人だけの争いには留まらぬ。斎主宮、門前町、下手をすれば神宮までも壊滅的な被害を受けるはず。それだけの犠牲を払ってでも恵姫様と雁四郎を奪い返したいと申すのか」


 これには厳左も答えようがありませんでした。二人が本気で剣を交えれば全く関係のない人々も否応なく巻き込まれる事は目に見えています。厳左は深く息をつくと、ゆっくりとした口調で話し始めました。


「既に戦端は開かれておるのだ寛右殿。雁四郎は争い事を好まぬ。たとえ戦いを挑まれたとしても、まずは話し合いで解決しようとする。己に刀を向けられたとしても、安易に刀を抜くような真似はせぬ。だが、此度は刀を抜いた。あの雁四郎が刀を抜いたのだ。文には詳しく書かれておらぬ。恵姫様は斎主様に逆らい罰せられた。雁四郎は与太郎殿を逃がすために刀を抜いた、それだけしか書かれておらぬ」


 寛右は無言で頷きました。自分だけが目を通した斎主の文には、恵姫の断髪もそれを見て激昂した雁四郎が刀を抜いた事も書かれていましたが、布姫が厳左に宛てた文には書かれていなかったのです。それは厳左を無闇に怒らせないようにとの布姫の気遣いによるものでした。


「争いを好まぬ雁四郎が何故刀を抜いたのか。答えは簡単だ。恵姫様に刀が向けられたからだ。主を守る為に刀を抜いたのだ。最初に仕掛けたのは斎主様、雁四郎はそれを受けたに過ぎぬ。ならばこれは一方的な狼藉ではなく喧嘩とみなされるべきだ。喧嘩両成敗は武家の原則。雁四郎が腹を切るのなら斎主様とて何らかの罰を受けるのが筋というもの。しかしそれはあり得ぬ。斎主宮での裁きは斎主様によって為される。そして斎主様の下した沙汰に対して公儀は一切口出しできぬ。それが姫衆と公儀の取り決めだからだ。雁四郎も腹を切る覚悟はできていよう。しかし己が悪いとは思っておらぬはず。主を守ろうとした己の行為に恥ずべき点など一切ない、そう思っておるはずだ。その心情を考えると無念でならぬのだ。肉親の情に溺れておるだけ、寛右殿にはそう笑われるかもしれぬな。わしはもう雁四郎は亡き者と思っておる。しかしそれならば斎主様に対しても武家の意地を貫き通したいのだ。喧嘩両成敗、雁四郎の命を奪うなら斎主様のお命も頂戴致す。そうでもせねば雁四郎が不憫でならぬ」


 厳左の話が終わりました。寛右は溜息をつく事すらできませんでした。厳左の胸の内が心苦しくなるほどに理解できたからです。磯島もまた顔を伏せ口を閉ざしたままです。


 小居間に時太鼓の音が聞こえてきました。城の職務が始まる朝四つを告げているのです。ここに居る三人は城の重鎮、これ以上話し合いを長引かせてはお役目に支障をきたしかねません。


「厳左殿のお気持ち、よく分かった。しかし武に訴えるのはあくまでも万策尽きた時の最後の手段。ここはひとまず某に任せてはくれぬか」


 寛右は一旦話を切り上げようと思いました。実は文を読んだ時から一つの腹案を持っていたのです。


「何か策でもあるのか」

「うむ。とにかく伊瀬へ赴いて斎主様と面談致し、雁四郎の切腹だけは免じていただこうと思う」

「切腹を……それはいくら何でも無理ではないのか」

「いや、そう決めつけられるものでもない。島羽の友乗殿の力も借りるつもりだ。江戸で首尾よく公方様を姫衆の味方に付けられたのは、老中正武様の口利きがあればこそと左右衛門から聞いておる。正武様が我らに好意を抱いてくださったのは、恵姫様と共に面談した乗里様の巧みな口上によるもの。その功績を手土産に友乗殿に口添えしてもらうのだ。斎主様のお気持ちも多少は懐柔されよう」


 そう思い通りに事が進むとも思えぬ、それが厳左の正直な気持ちでした。しかし姫衆側と何の話し合いも持たずに、いきなり武力行使に出るのは性急に過ぎるとも思われました。


「雁四郎の命を助け、恵姫様が間渡矢に戻される、それがわしのギリギリの妥協点だ。説得できるか、寛右」

「力を尽くしましょうぞ」


 低く静かな、それでいて力強い寛右の返答。厳左は任せる事にしました。


 寛右は直ちに動きました。斎主との謁見を求める為、伊瀬へ直接使者を送り、島羽の友乗には助力を請う文を書きました。江戸の左右衛門と乗里にも事の次第を文で知らせ、老中正武の力を借りて公儀の態度を少しでも和らげるよう依頼したのです。


 斎主宮での一件から四日後の朝、寛右は一人、間渡矢を発ちました。斎主との謁見は明日。姫の付き添いなしに男は斎主宮へ入れないため、伊瀬に留まっている毘沙姫がわざわざ島羽城まで出向いてくれる事になっています。そこで友乗も交えた三人でそれぞれの思うところを話し合い、明日の謁見に臨むつもりなのでした。


「ようこそ参られた、寛右殿。この数日、さぞかし心を痛められた事であろう。今日ばかりはゆっくりと休み明日に備えられるがよい」


 島羽城で出迎えてくれた友乗の温かい言葉に、張り詰めていた寛右の心が少し和みました。しかし明日の謁見が済むまでは気を抜くわけにはいきません。一服する間もなく、既に到着していた毘沙姫と共に話し合いを始めました。


「毘沙姫様は当日の様子を全て見ておられたはず。此度の一件、何故ここまで騒ぎが大きくなったと思われる。一番の原因を作ったのは誰だと考えられる」

「う~ん、まあ、皆が意地っ張りだったからだろうな。斎主様は全てを教えるのが己の務めと考え、布を通して何もかも話してしまった。恵は家来を守るのが己の務めと考え斎主様に逆らった。雁四郎は主を守るのが己の務めと考え刀を抜いた。三人とも正しいと思って動いた。正しいと思う事がぶつかり合った。だから騒ぎになった。騒ぎの一番の原因は……強いて言うならほうき星だな。奴が一番悪い」

「しかしほうき星は罰せられませぬ。困りましたな」


 毘沙姫の返答に苦笑いする友乗。こんな時でも戯言に興じられる毘沙姫を頼もしく思いながら寛右は尋ねます。


「厳左殿の出した条件は雁四郎の助命と恵姫様の解放。これが叶わねば斎主宮へ攻め込む事も厭わぬと言っておる。この点は如何思われる」

「恵は大丈夫だろう。既に断髪という罰を受けているのだ。これは姫衆にとってはかなり重い処罰だ。斎主宮に留められているのは罰のためではなくほうき星絡みではないか。現に恵以外の姫たちも全員伊瀬に留まったままなのだ。与太郎の力に頼れぬ今、どのような手段でほうき星を消滅させるか、それを思案しているのだろう。髪を切られたと言っても恵の力は馬鹿にならぬからな」

「されば立春が過ぎれば恵姫様は間渡矢に戻られると」


 頷く毘沙姫。安堵する寛右。これで条件のひとつは満たされました。


「だが雁四郎は無理だ」


 問われるまでもなく言い切る毘沙姫。寛右の安堵はたちまち吹っ飛んでしまいました。


「私も雁四郎だけが罰を受けるのは不公平だと思う。先に手を出したのは恵、斎主様の剣は罰を与える為で傷つける意図はなかった、確かにそうだ。しかしあの時の雁四郎にそんな事が分かろうはずがない。恵を守る為に刀を抜くのは当然だ」

「ならば、それを理由に助命願えるのではないですかな」


 友乗の言葉に、首を横に振って答える毘沙姫。


「斎主様も、あるいはそうしたいのかもしれぬ。だが斎主宮内院で斎主様の許可なく抜刀すれば、理由の如何を問わず死罪と決められている。如何に斎主様でもその掟は曲げられぬ」


 やはり雁四郎の切腹だけは避けられそうにないようです。重苦しい沈黙の中、お互いの顔を見ようともせず考えを巡らせ続ける寛右たち三人ではありました。

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