雪下出麦その三 三人の夜更かし

 朝のうちから雲が広がっていた今日の空。島羽へ着く前に雪がちらつき始めました。おまけに冷たい風も吹き始めています。先頭を歩く恵姫の歩みが徐々に遅くなっていきます。


「うう、寒い寒い。これだから冬の旅は好かぬのじゃ」

「めぐちゃん、冬の寒さを辛抱するから春の暖かさが有難く思えるんだよ。麦だって冬の寒さを経験しないと芽を出さないからね」


 稲の収穫が終わった後、毘沙姫が大剣を振るって麦刈りをしたあの畑に、今年も黒姫は麦の種を蒔きました。寒さを感じて芽を出す麦。その後、葉を何枚か付けたら今度は苗を足で踏みつけて強くするのです。


「麦は寒さに震えて芽を出し、足で踏まれて強くなる。それは分かっておるが寒さに負けて凍え死ぬ麦もあろう。体を踏まれて挫ける麦もあろう。くしゅん、うう、寒くて敵わん。雁四郎、お主が先頭を歩け」

「ははっ!」


 最後方から早足で歩いて来た雁四郎に先頭を譲って恵姫は向きを変えると黒姫とお福の間に入り込みました。更に才姫も呼び寄せて自分の周りを三人に取り囲ませます。


「うむ。寒い時はこうして身を寄せ合うに限るのう。このまま島羽まで行くしよう」

「めぐちゃん、あたしの麦の例え話、全然頭に入ってないでしょ。寒さに耐え、足で踏まれて強くなるのは麦だけじゃないんだよ」

「分かっておる。しかしな黒よ。如何に強靭な麦といえど一度芽が出て茎が伸びれば弱いものじゃ。多雨、乾燥、日照不足、日照り、その程度で簡単に穂を実らせなくなってしまう。人も同じじゃ。子は風の子であっても大人は風の大人ではない。皆で体を寄せ、暖め合って島羽を目指そうぞ」


 相変わらず屁理屈だけは達者だなと思いつつ、体を寄せ合って歩くとかなり寒さを凌げるので、黒姫はもう何も言わない事にしました。先頭の雁四郎だけが一人で寒さを堪え、四人の風除けとなりながら歩いていくのでした。


 島羽には昼前に着きました。いつものように本丸御殿の客間に通された五人。用意してあった火鉢で暖を取りながら、出迎えの家老、友乗の話を聞きます。


「寛右殿より伺っております。いよいよほうき星退治に取り掛かられるとの事。これは江戸の綱吉公も特に気に掛けておられる大仕事。お役目つつがなく果たされますように」


 今回の召集がほうき星退治に関するものなのかどうか、まだはっきりとは分かりません。しかし友乗はそう信じ切っているようです。


「うむ、まあ、斎主様の文には伊瀬に参れと書かれていただけで、ほうきのほの字も書かれてはいなかったのじゃがな。さりとて、それ以外に用があるとは思えぬのでそうなのじゃろう」


 歯切れの悪い恵姫です。ほうき星の他にお福の素性の件もあるのですが、どうやら友乗には知らされていないようです。

 その日の恵姫はこれまで島羽城で繰り広げてきた我儘が嘘のように、客間の火鉢に当たりながら大人しく過ごしました。夜、控えの間に雁四郎が下がり、お福と一緒に一の間で床に就いた恵姫ですが、なかなか寝付けずにいました。お福はどうしているかと耳を澄ませば、すやすやと寝息が聞こえます。寝付きも寝起きも良いのがお福の長所です。


「よく眠っておるのう」


 恵姫はそっと寝床を出ました。夜着を引っ被ったまま、才姫と黒姫が寝ている二の間の襖を開けます。


「何だい、眠れないのかい」


 二人は寝床にも入らず火鉢に当たっていました。どうやらこちらも眠れないようです。


「どうにも気になってのう。そなたたちは何をしておるのじゃ」

「黒にこれまでの事を詳しく話していたのさ。下田での布の話も江戸での斎主様の話も、黒には手短にしか話していなかっただろう。いい機会だと思ってね、あたしたちの体験や知識を洗いざらい教えていたんだよ」


 七人の神器持ちの姫の中で、ずっと間渡矢に留まっていた黒姫だけは、完全に蚊帳の外に置かれていました。ほうき星もお福の事もほとんど知らないままだったのです。


「この三カ月の間に色々あったんだねえ。めぐちゃんの嫁入りが決まったってだけでも驚いていたのに、斎主様や将軍様と直接顔を合わせて話をしたなんて、想像もできないよ、ふぇ~」


 ため息混じりにお茶を飲む黒姫。当の恵姫ですら江戸城大広間での一件は現実ではなく夢だったのではないかと今でも思うくらいなのです。黒姫が目を丸くするのは無理もないのでした。


「でもさあ、布ちゃんって本当に物知りだよね。もしかしたらほうき星の事もお福ちゃんの事も、ずっと以前から分かっていたんじゃないのかなあ」

「それなのさ、あたしが引っ掛かっているのは。ふぅ~」


 才姫は温め酒を飲んでいます。恵姫には何も言わずに二人は最初から夜更かしするつもりだったのでしょう。火鉢の横の盆には茶請けやつまみまで用意されています。


「何が引っ掛かっておるのじゃ、才」


 恵姫は盆の上の湯呑を持つと黒姫に差し出しました。無言で火鉢の土瓶から茶を注ぐ黒姫。


「御城から帰って来た日、上屋敷で斎主様と一緒に昼飯を取っただろう。あの時、布は斎主様にこう言ったんだ。『そろそろお福を姫衆に加えてはどうか』ってね」

「ああ、そんな事があったのう。それがどうかしたか」

「で、斎主様はこう答えた。『ほうき星の件が片付いたら吟味する』ってね。でも斎主様はお福が記伊の斎宗様の娘である事を知っているはず。伊瀬の姫衆に加えられるはずがないのに、吟味すると返答したんだ。おかしいじゃないか」


 確かに奇妙でした。斎主の言葉は誠実な返答とは言えません。吟味に値しないものを吟味すると言っているのですから。


「う~ん、それはきっと斎主様は何て答えていいか分からなかったんじゃないかなあ~。だってその場にはお福ちゃんが居たんでしょう。『実はお福は次期斎宗様なのです』なんて皆の前で言えないじゃない」


 いつも通り軽い口調の黒姫ですが、その言葉には大きな意味がありました。もしその通りならば、斎主の言葉は必ずしも信用に値するものではないと言わざるを得ないからです。


「考えてみればお福の件だけじゃないさね。布が言っていただろう。斎主様は全てを知っている、ほうき星の意味もそれを消し去る方法も何もかも知っているって。なのに二月の謁見の時、斎主様は与太郎の出現に驚いているかのような口振りだったじゃないか。多分、斎主様はずっと隠し事をしていたんだ。それを確かめるために布はあんな問い掛けをしたんだよ。お福を伊瀬の姫衆に加えてはどうかってね」

「つまり布もお福が記伊の姫だと気付いておったという事か」

「あれだけの知恵者だ。気付いていないはずがないさ。斎宗宮の場とお福の場が一致し、お福によって与太郎がこちらに引き留めておけると分かった時点で、布はお福が斎宗様の娘ではないかと疑い始めていたんだよ。そして斎主様に姫衆追加の提案をして後ほど吟味すると言われた時、それは確信に変わった。普段の素行、飛入助という神器を育て上げた器量、お福は吟味の必要がないくらい姫の素質がある娘なんだからね。あの問い掛けは布が斎主様に仕掛けたひとつの罠だったのさ。抱いている疑念を解消する為のね」


 姫衆随一の知恵者、布姫。その恐るべき智謀は斎主すら手玉に取るほどのものだったのです。恵姫は注いでもらった茶を飲むと、ため息混じりに言いました。


「斎主宮へはいつも仕方なく赴いておるが、此度ほど気が重く感じられる謁見はないのう。こんな事実を聞かされた後で斎主様とどのように向かい合えば良いのじゃ。下手をすると斎主様の悪口を言ってしまいそうじゃ」

「別にこっちが気を使う必要は無いさね。非は明らかに斎主様にあるんだ。向こうの弁解を黙って聞いてやろうじゃないのさ」

「そうだよ、めぐちゃん。あたしたちは何も悪くないんだもん。斎主様だってきっと言うに言えない事情があって隠し事をしていたんだよ。正直に本当の事を話してくれるのなら許してあげようよ」


 強気の才姫と朗らかな黒姫。二人の励ましの言葉を聞いても気持ちのざわめきが収まらない恵姫ではありました。

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