草露白その二 才姫の懸念

 始まって少し経ってから休憩になりました。小柄女中が運んで来てくれたお茶とお菓子で一息入れる恵姫。お稽古事はいつでも詰まらないのですが、今日ばかりは詰まらないを通り越して、逃げ出したくなるくらい嫌気が差しています。


「三味線って楽しいよねえ。唄も教えてもらおうかなあ」


 一方、黒姫はかなり気に入っているようです。何でもそうですが、上手にできるから好きになれるし、好きになるから更に上手になれるのです。どんなに好きでも下手糞ではやがて好きではなくなるし、好きでなくなれば上手にもなりません。今の恵姫は後者の道をまっしぐらに進んでいます。お茶を飲みながら才姫に愚痴ってしまいます。


「才よ、そなたがわらわに稽古を付けるとは、どのような風の吹き回しなのじゃ。このような芸事はわらわが最も苦手とするところであると、そなたも知っておろうに」


 もありなんと言わんばかりの才姫の表情。困り顔の恵姫を前にして楽し気に見えますが、それでも意地悪でやっているのではなさそうです。


「分かってるよ。安心しな。三味線の稽古は今日一日だけで終わるつもりだから。別の用件で来たのさ」

「別の用件、じゃと」


 才姫の意外な言葉に湯呑を置く恵姫。黒姫も食べていた茶菓子を飲み込むと、才姫の言葉に耳を傾けます。


「ああ、そうさ。お福の事で来たんだよ。以前、河月院で布と話をした時、お福は何かに怯えているような様子だったんだろう」


 才姫に言われてあの日の出来事を思い出す恵姫。布姫との話を終え、控えの間に戻って来たお福はその場に倒れ込み、顔からも血の気が引いていたのでした。


「うむ、その通りじゃ。布から余程肝を冷やされるような話をされたのであろうな。じゃが、しばらく休むうちに落ち着きを取り戻し、黒が帰って来る頃には元に戻っておった。結局、布に何を言われたのかは分からず仕舞いじゃ」

「そうかい、やっぱりね」


 才姫は顔をしかめると親指の爪を噛み出しました。これは苛立った時や迷いが生じた時に出る、昔からの才姫の癖でした。


「実は、あたしには心当たりがあるんだよ。五人の中ではあたしが最初に布と話をしただろう。ほとんど世間話だったんだけどね、布はお福の事をやたらと聞きたがったんだ。間渡矢に来る途中、毘沙の背中であたしはお福について色々聞かせてもらっただろう。麻疹を感染される遠因になった浜遊び、その時に見せた姫の業、喋るように雀に語った無言の言葉。あんたたちから聞いた話をあたしは全部布に喋っちっまったんだよ」


 才姫にそう言われても、それのどこがいけなかったのか恵姫には分かりませんでした。黒姫もやはり同じように思ったようです。


「でも、それは別に悪い事じゃないんじゃないかあ~。才ちゃんじゃなくて、あたしやめぐちゃんや毘沙ちゃんが、布ちゃんから同じ事を尋ねられれば、同じ話をすると思うよ」

「そうだね。だから布には教えない方が良かったのかもしれないのさ。一を聞いて十どころか五十や百を知ってしまうのが布の知恵。ここからはあたしの推測だけど、多分、布はお福に対して何らかの危機感を抱いたんだよ。それもあたしたち姫に大きな影響を与えかねない危険な何かをね。だからそれに対する戒めをお福に与えた、そんな気がするのさ」

「お福はわらわたち姫に害を為す、そう言いたいのか、才よ」

「断定はできないよ。あくまでもこれはあたしの推測だと言っているだろ。それに影響は害じゃなく益かもしれない。どんなものにも二面性はある。薬も少量なら効き目があるけど、多量に取れば毒になる。それと同じさ。お福が薬になるのか毒になるのか、お福自身さえ分かってはいないのさ」


 恵姫と黒姫は顔を見合わせました。どちらも何も言えません。才姫の推測がどこまで正しいのか、それも分かりません。ただ、お福に対して布姫が何らかの危機感を抱いている、という才姫の推測はあながち間違ってはいないと思いました。

 浜辺で飛入助が西瓜を持ち上げた時、お福は長い沈黙の言葉を発していた……黒姫からそう聞かされて、恵姫も毘沙姫もそして当の黒姫自身も、赤子に包丁を持たせるような危うさをお福に感じていたからです。


「ねえ、それって毘沙ちゃんにも話したの?」

「いいや、毘沙には話す必要はないからね。布と毘沙は旅の姫衆。時には旅路を共にするほど気心が知れた仲だ。河月院で布がお福に何を言ったか、全てではないにしても、ある程度は教えてもらっているはずさ」


 確かに毘沙姫はお福に会う前からお福について知っていました。布姫からお福について色々と聞いていたからです。五人の中で最後に布姫と話をした毘沙姫には、恵姫たちの知らない事柄も教えているかもしれません。


「じゃあ、毘沙ちゃんに訊けばお福ちゃんの事も分かるんじゃないかなあ」

「ふっ、お目出度い頭をしているね、黒は。毘沙もあれで口が堅いからね。布が言って欲しくないと思っているなら、あたしたちが尋ねても喋ってなんかくれないよ」


 恵姫はしばらく黙って考えていました。布姫が何を知っていて何を隠しているのか、それを見つけ出すのはまず無理と考えてよいでしょう。ただ、布姫がそれを言わないのなら言わない理由があるのです。言わない方が自分たちにとって都合がいい、そう考えているからこそ言おうとしないのでしょう。


「才、よくぞ教えてくれた。お福について少々モヤモヤしておったのじゃが、これでスッキリしたわい。わらわは全て布に任せておけばよいと思うぞ」

「布がお福をどう思っているか、知りたくないのかい?」

「それは知りたい。じゃが、布は知らぬ方がよいと思っておる。知らぬまま全てが済めばよいと思っておるのじゃ。ならばその意志を汲んでやろうではないか。布だけでなく毘沙や厳左もそうじゃ。瀬津に襲われた件に関して、やはりわらわに何か隠しておる。気にはなる。それでも知らぬ方がよいと気を遣ってくれるのなら、知らぬままでいてやろうではないか。余計な事に気を揉んで毎日を過ごすより、その方が気が楽じゃ」

「は~い、あたしもめぐちゃんに賛成で~す」


 陽気に手を上げて同意する黒姫。うむうむと頷く恵姫。そんな二人を眺める才姫の口元には、やや寂しそうな笑みが浮かびました。


「そうかい。あんたたちがいいって言うなら、これ以上は何も言わないよ。あたし一人だけがモヤモヤを我慢すればいいだけの事だからね。それにしても詰まらないねえ。あたし以外の七人の神器持ちの姫は、みんなつがいになっているんだからね。恵と黒、布と毘沙、禄と寿。こうなったらあたしはお福と仲良くなろうかねえ」

「お福と才では水と油じゃ。むしろ与太郎の方が似合っておるのではないか。彼奴、時々お与太と名乗り、おなごの格好をするからのう。良き話し相手になるかもしれぬぞ」

「へえ~、今度来たら相手になってもらおうかね」


 今や与太郎は才姫の家来。恵姫の時より過酷な運命が待っている予感しかしません。


「しかし、才よ、こんな話をするためなら、わざわざ三味線の稽古などと言わずに、話だけをしに来ればよかったのではないか。御典医殿も城に遊びに行くくらいは許してくれるであろう」

「ああ、それは恵じゃなく、黒の希望なんだよ。どうしても三味線を弾いてみたいとか言うもんだからね」


 恵姫の顔が険しくなりました。鋭い目付きで黒姫を睨んでいます。


「そうそう、あたし三味線を弾いた事がないから。才ちゃんに教えてもらおうと思ったんだけど、一人でお稽古しても面白くないでしょ。だからめぐちゃんと一緒にお稽古しようと思って、磯島さんにお城でやらせてくださいって頼んだんだよ」

「く、黒、そなた、その様な身勝手な理由でわらわに地獄の苦しみを味わわせたのか」

「おっと、長話が過ぎたね。さあ、稽古を始めるよ」


 再び始まる三味線のお稽古。これも昼までの辛抱と、悔しさと無念さと腹立たしさを押さえ込み、才姫のしごきに耐える恵姫ではありました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る