土潤溽暑その五 磯島の決断

 今回持って来た与太郎の布袋は、これまでで最大と言えるほどに大量の物品で溢れかえっていました。それもこれもこちらの時代の海で遊ぶために、与太郎が買ったり借りたりして集めて来たからです。


「与太郎、何故、わらわたちが海に行くのを引き留めるのじゃ。此度お主が来たのは浜で遊ぶためであろう。それ、そこに転がっておるでかい西瓜、早くあれを食べようぞ」


 今回与太郎が持参した中でも一番大きいのがスイカでした。食いしん坊の恵姫の気を引くには十分な大きさです。


「もう、やっぱり忘れてる。四日前にめぐ様言ったでしょ。若い娘が身に着けるカワイイ下着を持って来れば、それをお福さんに着せてもいいって。まだそれを叶えてもらってないよ」


 当然の事ですが忘れていました。相手にさせた約束はいつまでも忘れず、自分がした約束はすぐに忘れる、人間とは得てしてそんなもの、そして恵姫はその最たるもの。お福に下着を身に着けさせる事など忘却の彼方に消え去っていました。それでも言い訳は忘れません。


「ああ、おう、そうであった。いや、忘れてなどおらぬぞ。これ磯島、さっそくお福を呼んで参れ」


 お福は与太郎のモノを見せられた衝撃で座敷を飛び出して行ったまま、まだ戻って来てはいませんでした。磯島は頷いてお福を探しに行きます。しばらくしてまだ顔の赤いお福が座敷に戻って来ました。磯島からここに連れられてきた理由は既に聞いているようです。身を縮こまらせて座っています。


「四日前、与太郎を着替えさせたのはお福であったな。覚えておるとは思うが、三百年の後のおなごのさらし巻と腰巻をそなたに……」

「……!」


 恵姫の言葉の途中でお福が激しく首を横に振りました。


「嫌か、まあ無理もないじゃろうな。さりとてこれは約束……」

「…! …!」


 更に激しく首を振っています。断固として拒否する構えのようです。鬼のような恵姫も乙女心が分からない訳ではありません。あんな布切れのような装束、しかも一度与太郎が身に着けたものなのですから、お福でなくても着るのは嫌に決まっています。頑なに首を振り続けるお福を前にして恵姫は説得を諦めました。


「見ての通りじゃ、与太郎。お福はそれを着るのは嫌じゃと申しておる。悪いが此度の件はなかった事にしてくれ。その装束は持って帰ってよいぞ。大儀であったな」

「ええっ!」


 与太郎は目の玉が飛び出さんばかりに吃驚仰天しています。


「そんなのってないよ。僕がこのブラとパンティを手に入れるためにどれだけ苦労したか知ってるの? 大変だったんだよ」

「そうは言ってもお福が拒んでおるのじゃ、無理強いはできぬであろう。主のために苦労するのは家来の役目。ここは引き下がるがよい」

「そんな……そんなのってないよ! お福さんが着てくれるって言うから僕はあんなに頑張ったのに。ひどいよ、めぐ様、ひどいっ! うわーん!」


 与太郎は座敷の隅に走って行くとそこでうずくまってしまいました。まるで駄々をこねる幼子のようです。そして皆に背を向けたままブツブツとつぶやき始めました。


「元の時代に戻ってからすぐにバイトを探して二日間働いてお金を貯めて、それで勇気を出して下着売り場に行ったら、サイズが沢山でどれを買っていいか全然分からなくて。それで困った僕はふうちゃんにメールしたんだ。女性用の下着を買いたいんだけど買い方教えて、出来ればふうちゃんのサイズを例にとって教えて、って。お福さんとふうちゃんは顔立ちだけでなく体付きもそっくりだから、ふうちゃんに合う下着なら、お福さんにもピッタリだと思ったんだ。そしたらふうちゃん、返事をメールでなくわざわざ電話してきて、それで心臓は一気にバクバク状態だよ。高校の時だって会話した事なんて滅多になかったんだからね。そんで、下着の事を色々教えてもらって、ふうちゃんのサイズも教えてもらって、よかったこれで下着が買えると安心したら、最後に『でも好きな人にプレゼントするなら下着とか止めた方がいいんじゃないかな、好みとかあるし』なんて言われて『ち、違うよ、そんなんじゃないよ』って言っても『隠すな、隠すな。みんなには内緒にしておいてあげる。彼女とうまくやるんだよ。あ、それと受験勉強忘れないようにね。じゃあ』『ちょ、ちが、話を聞いて!』って言っても一方的に電話を切られて、その後、メールで弁解しようとしたけど、まさか江戸時代のふうちゃんの先祖のために買ったなんて言えないし、だからってどう説明すればいいか分からないから、結局誤解されたままになっちゃって。それでもなんとか気を取り直して下着売り場に行ったら、妙に親切な店員さんが『彼女へのプレゼントですか?』って訊いてきて、『はい』って答えてサイズも教えたら、勝手にあれこれ持って来てくれて、しかもどれもこれも想定していた価格の二倍くらいの値札が付いていたんだけど『これくらいのモノでなくてはプレゼントとして失礼に当たります』とか言うもんだから、勧められるままに買っちゃって『ラッピングはどうしますか?』って訊くもんだから『お願いします』って言ったら、綺麗な包装紙と豪華なリボンフラワーを付けてくれたのはいいんだけど、実はそれは有料で別料金として千五百円も取られちゃって、予想外の出費に心も財布もスッカラカンの状態で家に帰って、でもお福さんの下着姿が見られるのなら安い物だと思い直して、海へ行く支度を整え、ずっと自分の部屋で待機。そしてようやく今日ここに来られたと思ったら、お福さんは着てくれない、苦労して手に入れた下着は持って帰れって言われる。ここまで無慈悲な仕打ちをされても家来だから我慢しろって言うの? めぐ様は僕の気持なんかこれっぽっちも分かってないんでしょ。嫌いだあ、めぐ様なんか大嫌いだあ! うわ~ん!」


 座敷に居る恵姫たちは放心状態で与太郎の独り言を聞いていました。話の半分以上は何を言っているのか分かりませんでしたが、とにかく与太郎が怒っている事だけは理解できました。


「おい、恵、なんとかしてやれ。よくは分からんが約束を破ったのはおまえなのだろう」

「と言われてものう。肝心のお福は嫌じゃと申しておるし、はて……」


 毘沙姫も恵姫も腕組みをして解決方法を思案しています。が、名案などそう簡単に浮かんでくるものではありません。その間も与太郎は座敷の隅で喚いています。


「もういい、もうこっちには来ない。二度と来るもんか。これで最後にしてやる」

「分かりました」


 与太郎の「こちらには二度と来ない宣言」を受けて、磯島がすっくと立ち上がりました。


「恵姫様の失態は教育係であるこの磯島の失態。お福の失態は女中頭であるこの磯島の失態。私が二人の責任を取りましょう」

「おいおい磯島、どうやって責任を取るつもりじゃ」

「お福に代わりこの私が、その三百年の後の世のさらし巻と腰巻を身に着けましょう!」

「おお、それは名案じゃ!」

「えっ、磯島さんが……」


 与太郎がこちらを振り向きました。目が点になっています。


「えっと、失礼ですが、磯島さん、歳は幾つでしょうか」

「おい、与太郎、おなごに歳を訊くとは無礼であるぞ」

「まあ、恵の母よりは年上だな、うん。それは間違いない」

「厳左と比べるとどちらが上じゃったかのう。おい、磯島、どうであったか」

「秘密でございます」


 三人の会話を聞いているうちに、与太郎の顔色が徐々に変わっていきました。


「あ、あの、ごめんなさい。僕の我儘でした。磯島さん、無理しなくていいですよ。もう下着の件は諦めます。忘れてください」

「何を申されます。一度交わした約束を果たせぬとあっては比寿家の名折れにございます。ここは私が責任を取ります。さあ、着替えましょう。お福、それに恵姫様、手を貸してください」


 磯島は座敷の隅へ行くと着物を脱ぎ始めました。慌てて背を向ける与太郎。はっきり言って見たくありません。頼まれても目にしたくありません。それでも二人の会話だけは嫌でも聞こえてきます。


「おいおい、磯島、随分太ったのう。腹肉が一段とたくましくなっておるではないか」

「姫様が美味しい魚を釣って来てくださるおかげでございます。よいしょっと、この股引、かなりきつうございますね」

「尻肉がほとんどはみ出しておるのう。ふんどしみたいになっておるぞ」

「おやおや、下の毛も隠しようがございませんね。今から毛抜きで整えるわけにも参りません。このままで我慢していただきましょう」

「いやだああ~、聞きたくない! 見たくない!」


 与太郎は目を閉じ、耳を両手で押さえたまま畳の上を転げまわっています。が、恵姫たちの会話は問答無用で聞こえてきます。


「おい、そこまで乳が垂れていては、この程度のさらし巻ではどうしようもないのではないか」

「本当でございますね。では垂れ乳の下にさらしを巻きましょう。如何ですか」

「うむ、垂乳根たらちねの母と申すが、これほどになるまで乳を与えて育ててくれた親の恩を感じる着こなしであるのう。実に有難い姿じゃ。これならば与太郎も満足であろう」


 どうやら無事に下着を身に着ける事ができたようです。毘沙姫が畳の上で耳を押さえて丸くなっている与太郎の背中を叩きました。


「おい、与太郎、着終わったぞ、見ろ」

「嫌だあ、見たくない! 絶対見ない!」


 毘沙姫に見ろと言われても頑として姿勢を変えない与太郎です。毘沙姫の目が少し吊り上がりました。


「磯島は恵の父より官位の高い公家の娘なのだぞ。それが惜しげもなく素肌を晒しているのだ。見てやらねばかえって失礼に当たる。早く見ろ」

「嫌です。もういいんです。約束はなかった事にしてください」


 あくまで言う事を聞かない与太郎の首に毘沙姫の手刀が当てられました。


「与太郎、私の手刀は菖蒲切りに勝るとも劣らぬ切れ味だ。素直に見れば良し。見ないのならば、この手刀がおまえの首を一刀両断にするぞ」

「ごめんなさい、すぐ見ます」


 与太郎はバネに弾かれたように起き上がると、磯島の声が聞こえていた方に体を向け、恐る恐る目を開きました。


「如何でございますか、与太郎殿。うふ(はあと)」

「うぎゃああああ~!」


 断末魔の如き悲鳴を上げる与太郎。その叫びは奥御殿を通り抜けて表御殿にまで届き、削り氷を食べて寛いでいた雁四郎も、思わず刀の柄に手を掛けたほどの凄まじさだったと伝えられております。

 すっかり生気を抜かれた与太郎でしたが、この後、恵姫たちと浜へ行き、お福の行衣姿を見て、ようやく元気を取り戻したそうです。良かったですね。


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