麦秋至その三 悪戯姫

「庄屋殿、居られますか。雁四郎でございます」


 ようやく庄屋の屋敷に着いた雁四郎は門を叩きました。いつもなら恵姫が辺り構わずがなり立てて門を叩くのですが、今日は芽久姫に変身しているので雁四郎に任せたのです。


「は~い、雁ちゃん、今日はよろしくね~」


 陽気な声が聞こえてくると同時に門が開かれました。姿を現したのは黒姫、毘沙姫、田吾作のいつもの三人。その他に、庄屋と黒姫の母親も居ます。麦刈りは重労働かつ重要な農事なので、今日はこの二人も畑へ赴くのでした。


「あれ、その女の子は……」


 黒姫が首を傾げて恵姫を見詰めています。すかさず雁四郎が答えました。


「実は恵姫様の気分が優れないとのことで、急遽、遠い親類の芽久姫様が麦刈りを手伝われることになりました。麦刈りは初めてとの事で何かと至らぬ点はあろうかと存じますが、雁四郎が補佐致しますのでよろしくお願いします」

「えっ、でも、その子は……」


 困惑顔の黒姫。委細構わず恵姫も続けます。


「芽久姫でありんす。慣れぬ麦刈りゆえ、お手柔らかにお頼み申すでありんす」

「めぐ、ちゃん……ちょっとこっちに来て」


 黒姫は恵姫の手を引っ張って門の中に引き寄せると、五人から離れた場所まで連れて来て耳打ちしました。


「めぐちゃん、何を考えているのよ。芽久姫って何? 揚げ帽子はまだいいとしても、どうして麦刈りの日にお化粧なんてしてるの?」

「わちきは芽久姫でありんす」

「もう~、冗談はやめてよね。どこをどう見てもめぐちゃんじゃない」


『ちっ、黒には見破られたか。仕方ないのう、幼い時から一緒に育ってきたのじゃからな』


「気付かれたのならば是非もなし。如何にもわらわは間渡矢城の恵姫。かような姿で参上したのは訳あってのこと。実はな……」


 開き直った恵姫は化粧をしている理由を説明しました。磯島との約束なので拒むことができなかった、その点は黒姫も理解してくれました。


「でも雁ちゃんを騙すのは良くないんじゃないかなあ。どうやら本気で芽久姫だと思っているみたいだよ」

「嘘も方便と言うではないか。堅物の雁四郎には良い経験となるであろう。わらわたち以外のおなごとは、ほとんど付き合いがないのじゃからな。それに芽久姫のような愛らしいおなごと共に過ごせるのじゃ。雁四郎は役得ではないか」


 黒姫は雁四郎を眺めました。目は輝き、笑顔は明るく、言葉数も多く、今日はいつになくウキウキして見えます。どうやら恵姫の言葉通り、芽久姫のお供ができることを喜んでいるようです。


「分かったわ。雁ちゃんだっていつまでも騙されたままじゃないでしょうからねえ。じゃあ、早く着替えを済ませてきて。野良着は用意してあるよ」

「承知したでありんす」


 恵姫は屋敷の玄関へと歩いて行きました。さすがに普段着で麦刈りを手伝うわけにはいかないので、野良着を貸してもらうのです。


「おい、黒。恵のあの格好は何なのだ」


 こちらに歩いて来た毘沙姫が言いました。当然ですが毘沙姫も気が付いています。と言うよりも雁四郎以外は全員気が付いているのです。

 黒姫は顔を寄せて事の成り行きを説明しました。苦虫を噛み潰したような顔になる毘沙姫。


「幾つになっても悪戯好きな奴だな。幼い時と全く変わらん。それにあの厚化粧、磯島の執念が感じられる。恵の婿取りを何としても成し遂げたいのだな。まあいい、一緒に悪ふざけに興じてやるか」


 取り敢えず毘沙姫も恵姫の悪巧みに協力してくれるようです。事情が飲み込めた毘沙姫は門の方へ戻って行きました。


「待たせたでありんす。支度ができたでありんす」


 野良着姿の恵姫が歩いて来ました。頭には純白の揚げ帽子を被ったままなので、不自然さが爆発しています。


「芽久姫様、そのままでは揚げ帽子がお汚れになりますよ。置いて行っては如何ですか」


 黒姫が少々ふざけた調子で言うと、

「これを取るとそなた以外の者に正体が露見するので、取れないのでありんす」

 と答える恵姫。黒姫以外には気付かれていないと信じ切っているようです。


「おう、野良着姿も似合いますな、芽久姫様」


 支度が出来て門の前にやって来た恵姫を褒める雁四郎。お世辞ではありません。本音です。すっかり芽久姫に心を奪われてしまっているようです。


「初めての野良着姿、恥ずかしいでありんす、ポッ」


 恵姫はわざとらしく両手を頬に当てています。黒姫が『めぐちゃん、やり過ぎだよ』と目配せしても伝わっていない様子です。


「さあ、それでは麦畑に参りましょうか。芽久姫様」


 庄屋が声を掛けました。さすがは経験豊富な黒姫の父親。何も言われなくとも恵姫の企みを看破し、それに合わせてくれているのです。黒姫の母親と田吾作も同様でした。


「はい。雁四郎様、手をつないでくれでありんす」


 差し出された手を握る雁四郎。その頬がほんのりと赤くなっています。にやにやする毘沙姫。呆れ顔の黒姫。大人な対応で素知らぬ顔の残り三人。なんともちぐはぐな六人連れは庄屋の屋敷を後にして歩き始めました。


 城下町を歩いて行く六人とすれ違う人々は、皆、立ち止まったり、歩きながらこちらを見たり、指を差して何か言ったり、普段とは少し様子が違います。


「何やら我ら一行は、間渡矢の方々の注目を集めておりますようですな」


 庄屋はにこやかな顔で周囲を眺めています。如何にも愉快といった風情です。


「それは当たり前でございましょう。かように可愛らしい姫が歩いておりますれば、どのような者も振り向かずにはおられませぬ」


『うむ、雁四郎はよく分かっているではないか。芽久姫の愛らしさはわらわ本人も惚れ惚れする程じゃからのう』


 雁四郎の答えにご満悦の恵姫です。しかし、根が正直な毘沙姫が黙っているはずがありません。


「ははは、雁四郎。何を思い違いをしている。皆がこちらを見ているのは、普段お転婆な恵が化粧をしてしずしず歩いているからだ」

「はっ? 恵?」

「ちょ、ちょっと、毘沙ちゃん!」


 慌てて毘沙姫の手を引っ張る黒姫。恵姫の悪巧みに協力すると言った舌の根が乾かぬうちにこの体たらくです。耳に口を当てて小声で話します。


「駄目よ、そんな事を言っちゃ。あれはめぐちゃんじゃなくて芽久姫なのよ。もう忘れちゃったの?」

「んっ、ああそうか。失念していた。済まん」

「毘沙姫様、今、何を仰られたのです。お転婆な恵が化粧をして、とか言われませんでしたか」


 訝し気に尋ねる雁四郎。毘沙姫は咳ばらいをして答えます。


「おっほん。失礼。お転婆な恵と違って、化粧をした芽久姫様は実にしずしずと歩かれるので皆が振り向く、と言いたかったのだ」

「左様でしたか。拙者と同意見でございますな」


 最初に咳をするし、咄嗟に嘘を付くし、誤魔化し方まで恵姫に似ているなあと思う黒姫です。しかもその誤魔化し方についても、大して勘の良くない者でもすぐに気付きそうな稚拙さなのですが、どうやら雁四郎は全く疑いを抱いていない様子です。


『雁ちゃんもちょっと鈍すぎるんじゃないかなあ。これはあたしたちが少し鍛えてあげなくちゃ』


 変な所で親切心を起こしてしまう黒姫です。

 一方、恵姫は完全に自惚れていました。


『これで納得じゃ。やはりわらわは可愛いおなごなのじゃ。このような野良着姿にもかかわらず、化粧を施されたわらわの美しさに間渡矢の領民は釘付けではないか。これは今年中の婿取りも夢ではないかもしれぬのう、ふっふっふ』


 ど偉い思い違いです。知らぬが仏とはまさにこの事。本当は毘沙姫の言葉通り、化粧をした恵姫が珍しいので皆見ているのです。


 こうして六人六様の想いを胸に抱いて、麦畑目指して城下町を進んで行く恵姫一行なのでありました。

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