雷乃発声その四 恵姫大暴走!

 お福と与太郎を人質に取られ、女頭領に詰問され続ける恵姫。その意志は固く眼差しは鋭く、閉じた口は頑ななまでに開こうとしません。


「そうかい、どうしても言わないつもりかい」


 業を煮やした女頭領は恵姫に近付くと、その頬を激しく打ち据えました。勢い余って甲板に転がる恵姫、殺気の籠った目で女頭領を睨みつけました。


「殴りおったな。磯島にさえ殴られたことのないわらわの頬を、お主は殴りおったな」


 甲板から身を起こした恵姫の声は怒りに満ちています。それでも女頭領は態度を変えません。


「ああ、殴ったよ。それがどうしたね。言わないなら何度でも殴ってやるよ」


 恵姫は力を使いそうになる自分を必死で押しとどめていました。しかし、それももう限界に達していました。もし自分が少しでも不審な動きを見せればお福の命が危ない、それは分かっていても、身の内から湧き上がる怒りが、恵姫を破滅の衝動へと突き動かすのです。

 恵姫はお福を見ました。いつも見せていた優しい笑顔は今はもう消えて、怯えて青ざめた顔へと変わっています。


『お福、許せ。わらわはもう辛抱できぬ。これ以上わらわの尊厳が汚されることには耐えられぬ。守ってやれなかったわらわを許してくれ』


 恵姫の髪が扇形に広がり始めました。それを見た女頭領はお福を捕らえている男に目配せしました。恵姫がおかしな動きを見せたらすぐに始末しろという合図です。しかしおかしな動きを見せたのは恵姫ではなくお福でした。


「ピィー!」


 澄んだ声が海原に響きました。いつの間にかお福は右手を上げ空を見詰めています。誰もが恵姫に注目していました。だからお福の動きには全く無警戒だったのです。


「うわー!」


 空から一羽の鴎が舞い降りると、お福を捕らえていた男に襲い掛かりました。堪らず手を放す男、お福はその隙に恵姫の元へと走ります。


「でかしたぞ、お福」


 走り込んできたお福の体を抱えると、恵姫の髪は完全に広がり、その先は青く発光し始めました。お福が解放された今、もはや何の遠慮も要りません。船中に恵姫の声が響きました。


「荒れよ!」


 俄かに波の音が大きくなりました。高波が押し寄せて船を木の葉のように揺らします。もう立っているのもやっとな状態です。


「ま、まさか、あんたたち、姫……姫の力を持っているのかい」


 女頭領はそれでも強気を崩しません。与太郎の傍に近付くと言い放ちました。


「変な真似をするんじゃないよ。この小僧がどうなってもいいのかい」

其奴そやつはわらわの仲間ではない。勝手にやってきたから利用したまでじゃ。其奴の生き死になどどうでもよい、好きにするがよかろう。どうせこの世の者ではないのじゃからな」

「そ、そんな……」


 女頭領は恵姫の言葉に驚きを隠せないようです。そして、それは与太郎も同じでした。男に捕まったまま情けない声で助けを請うています。


「ひ、ひどいよ、めぐ様、僕も助けてよ。こんな扱い、あんまりじゃないか」

「めぐ様……じゃ、じゃあ、あんたは、まさか、間渡矢城の暴れ鯛、恵姫!」

「そうじゃ、気付くのが遅かったようじゃな。わらわを海に連れ出すとは、お主たち、命が惜しくないとみえる」


 その時、空が光ったかと思うと、耳をつんざくような雷鳴が轟き、船の帆が燃え上がりました。雷が落ちたのです。


「見よ、天も怒っておる。よくもこのわらわを辱めてくれたな」


 恵姫は両手をゆっくりと上げました。それにつれて背後の海面が盛り上がってきます。


「ははは、与太郎が居るせいか、力がみなぎっておるわい。お福、わらわの体を決して離すでないぞ」


 お福は両腕で恵姫の体にしっかりとしがみつきました。その間にも恵姫の両腕は弧を描いて上がっていきます。そして両手が頭上で天を指した時、髪全体が青い輝きを放ったかと思うと、耳をつんざくような怒号が響き渡りました。


「捲き上げよ!」


 瀑布を思わせる轟音が周囲に鳴り響きました。盛り上がっていた海面が一気に爆ぜ、豪雨のように水飛沫を降らせながら、渦を巻いて立ち上がったのです。


「た、竜巻だあ!」

「みんな、逃げろ」


 男たちは海に飛び込みました。昇天する龍の如き水柱が船に襲い掛かってきたのです。


「ははは、壊せ壊せ。何もかも打ち砕いてしまうのじゃ! はははは」


 恵姫の高笑いに呼応するように、砕ける音、壊れる音、水に落ちる音、様々な音がぶつかり合っています。それはまるで荒れ狂う猛牛が畑の作物を踏みにじっていくようでした。恐るべき破壊力をまともに受けた船は、あっという間もなく木っ端微塵に粉砕されてしまいました。


「お福、怪我はないか」

 体にしがみついているお福を優しく労わる恵姫。頷くお福に対し恵姫は頭を下げました。

「済まぬ、お福。わらわはあの時そなたを見捨てようとした。わらわの尊厳のために、そなたの命を犠牲にしようとしたのじゃ。だが、誓う。これからはそなたを粗末には扱わぬ。わらわの命を懸けてそなたの命を守る。それゆえ、此度のことは許してくれぬか」


 お福はにっこりと笑うと大きく頷きました。それを見て恵姫の顔にもようやく笑顔が戻りました。


「ちょっと、そこの二人、何をいい感じになってるんですか」


 すぐ近くの海面から声が聞こえます。見れば板切れに掴まってふらふらと波に揺れている与太郎でした。


「なんじゃ、与太郎、生きておったのか。相変わらず悪運だけは強い奴じゃな。てっきりくたばったと思ったぞ」

「勝手にあの世に送らないでくださいよ。それよりどうすんですか、これ。船が跡形もなく消えちゃったじゃないですか。どうやって陸に戻るんですか」


 先ほどまで海に浮いていた船は、もう影も形もありません。破壊された残骸が波間を漂っているだけです。


「わははは、ついやり過ぎてしまったようじゃ。与太郎がおるせいで業に力が入り過ぎたのじゃな。つまり与太郎、お主のせいじゃ」

「勝手に僕のせいにするのはやめてくださいよ。それよりも二人はなんで浮いているんですか。僕も乗せてくださいよ」


 恵姫とお福は船の残骸の木切れの上に立って、水面に浮いていました。与太郎から見れば奇妙な光景に見えるでしょう。しかし恵姫の髪はまだ淡く光っています。力を使い続けている証拠です。


「見ての通りじゃ。わらわの力で浮いておるに決まっておるじゃろう。海水でわらわたちの重さを支えているのじゃ。与太郎も乗せてやりたいが、力を使い過ぎてな、三人を支えるのはちと無理じゃ。そのまま海に浸かっておれ」

「そ、そんな、水が冷たくて風邪をひきそうだよ、くしゅん」

「何を甘えたことを言っておるのじゃ。志麻の国の海女は雪が降っておっても海に潜るのじゃぞ。二月の海の冷たさぐらい我慢せい」

「そ、そんなあ~、くしゅん」


 与太郎は本当に寒そうです。そして恵姫自身もまた、いつまでもこのままではいられないと思っていました。今はまだこうして浮いていられますが、やがて力が尽きれば与太郎と同じように海に浸かることになるのです。


「う~む、今のうちに何とかせねば」


 木切れに乗って周囲を見回せば一面の海。西に朝熊山が見えていますが、島羽の港はまったく見えません。かなり沖に出てきてしまっているようです。


「一難去ってまた一難じゃのう」


 そうつぶやいた恵姫の目に、東の空に微かに輝く何かが映りました。


『あの輝き……あれは、そうじゃ、ほうき星じゃ』

 そうです。伊瀬の斎主宮で見たあのほうき星が、灰色の雲を通してまた見えたのです。

『あの位置からすればまだ昇り始めじゃ。そして与太郎もこちらに来てそれほど時は経ってはおらぬ。やはり関係があるのか』


 恵姫がそんな考えにとらわれ始めた時、不意にお福が袖を引っ張りました。何事かとお福を見れば、南の空を指差しています。


「ん、なんじゃ、あれは……鴎か」


 指差す方向には鴎が一羽待っていました。そしてその真下の海には、船が、一隻の船がこちらに向かって進んで来ています。


「姫様、姫様―!」

「おお、この声は厳左ではないか。ここじゃ、厳左、わらわはここにおるぞー!」

「おお、見つけた。皆の衆、姫様がおられたぞ。力を入れて漕げ漕げ」


 厳左と十人の漕ぎ手を乗せた小早船こはやぶねが、徐々にこちらへ近付いてきます。板切れの上で互いに互いの体を支え合い、互いに互いの笑顔で応えながら、厳左たちに向かって大きく手を振り続ける、恵姫とお福でありました。

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