第三話

 アイザはタシアンの背にしがみつきながら駆ける馬に揺られていた。

 もちろん、マギヴィルに戻るためである。


 ミシェルとの婚約の件で、タシアンはノルダインに行かなければならなくなった。

 国家間のやり取りなど騎士団長がやることではないが、彼自身けじめのために会いに行くという決断をしたわけだ。

(といっても、あとから馬車で外交官も追ってきてるんだよな……タシアンには急ぐ理由がないと思うけど)

 単騎での移動は荷物が制限される。まして今回はアイザと二人で騎乗しているので、最低限のものしか持ってきていない。

 ノルダインの王城へ行くにも、タシアンは正装すらないのではないか。

 結局は荷物と共にやってくる外交官を待つことになるだろうに、タシアンはアイザに「急ぐけどいいか」と問うた上で今に至る。

 アイザも一人で馬に乗れるわけだが、今回も許可はおりなかった。長距離移動できるほど慣れていないだろうし、警護しにくいと一刀両断にされた。

 舌を噛まないように始終だんまりだ。アイザの長い髪は邪魔にならないように三つ編みにしている。これでもタシアンが絶妙なタイミングで休憩を入れてくれるので、アイザには疲れはない。

 馬に併走して走るルーはアイザやタシアンの目にしかうつらないが、野生の狼そのものだった。

(……あれ? わたしは馬じゃなくてルーに乗れば良かったんじゃ……?)

 アイザの荷物はルーに背負わせているけど、馬の負担を考えればアイザもルーの背に乗るべきだったのでは。

 そんなことを思いついても、タシアンに話しかける余裕はない。


 ……ので、休憩の際に言ってみたのだが。


「急ぐのならば私の背は危険だ。馬のように鞍をつけるわけではないし、おまえが落ちる可能性があるなら速度を落とさなければならない」

「だ、そうだ」

 二人(正しくは一人と一匹)にあえなく却下された。

「速度を少し落とせばいいんじゃ……わたしも急いでくれるのは助かるけど、タシアンはそんなに急がなくてもいいだろ?」

 授業への遅れは少ない方がいい。既にマギヴィルは長期休暇が終わって一週間ほどが経っている。

 その間の授業はクリスやヒューのノートを借りるつもりだが、アイザしか受けていない授業もある。残念なことに交友関係の狭いアイザには、ノートを借りるあてもないのだ。

「あー……その件で、おまえに頼みがあるんだが」

「頼み?」

(タシアンが、わたしに?)

 きょとん、とアイザは目を丸くする。

 タシアンから頼られるなんて驚きだ。アイザにできて、タシアンにできないことなど魔法絡みくらいだと思っていたが。


「……ミシェルに会いに行きたい。ルテティアからの使者としてではなく、ただのタシアン・クロウとして」


 それは緊張を滲ませた声だった。

 アイザと同じ青い瞳は真摯にこちらを見つめてきている。

 ――真剣なのだと、わかる表情で。

(……なるほど)

 個人的に会いに行くにも、タシアンにはその手段がない。だがアイザには心当たりがあった。

「マギヴィルに戻ったら、クリスに頼んでみるよ」

「……頼む」

 アイザ個人もミシェルの友人といってもいいのだが、王城を訪ねるための道はアイザが勝手に使うわけにはいかない。そもそもアイザはその道順を覚えていないのだ。ルーやシルフィに頼めばクリスを頼らずともたどり着けると思うが、礼儀の問題だ。

「……まぁ、その。おまえのルームメイトが承諾してくれるか怪しいが」

「それは大丈夫じゃないかな。クリスも、陛下よりタシアンの方がいいって思っていたみたいだし……」

「そんな話していたのか、おまえ」

「これでもわたしだって心配していたんだよ」

 家族の将来に関わる問題だ。アイザにだって心配する理由はある。

 悪い、とタシアンは小さく笑って立ち上がる。休憩はそろそろ終わりだ。日が暮れる前に街に着きたい。

「……おまえの時はもっと大変だろうな」

 馬に乗り、手綱を握りながらタシアンがぼそりと呟く。

「わたしの? なんの?」

 タシアンの背に掴まりながらアイザが首を傾げる。タシアンは苦笑まじりに、すぐ答えた。

「おまえが結婚する時」

 けっこん。

 想像したこともない単語が飛び出してきて、アイザの思考は一瞬停止した。

「……今のところ、結婚とかするつもりはないんだけど」

 そもそもするとかしないとかではなくて、考えたこともなかった。

 自分の将来のことで手一杯で、恋愛とか、そんな余裕はアイザにはない。

 ぎゅ、とタシアンの背にしがみつく。


 恋はおそろしい。

 自分を見失いそうな気がして。


 恋をすることが不幸だと、今のアイザは言えない。そうではないかもしれない、という気持ちも芽生えてきているから、否定することはしたくない。

 けれどやはり、自分がそうなる未来は、まだぼんやりとしていて掴めない。

「……どうなるかなんてわからないだろ。俺だってそのつもりだったが、このザマだ」

 苦笑したタシアンは会話を切るように「行くぞ」と言って馬を走らせた。



 マギヴィルは長期休暇を終えて、再び生徒たちで賑わっている。

 そんななかでも静かな図書館で、ガルは地図を広げていた。

「……ノルダインがここで、ジェンマがここか」

 ルテティアの東にある島国のジェンマは、マギヴィルから行くには遠い。レグの言っていたように、長期休暇でもなければ足を運ぶこともできなさそうだ。

 マギヴィルまでの道中、レグと一緒だったおかげで知りたかったことは多少聞くことができた。

 だがそれは『聞いただけ』であり、ガルの中でしっかりと根づいてはいない。未だ自分の中で獣人という本質があやふやなままだ。

「……行きたいな、ジェンマに」

 夏には夏季休暇があるが、年末の休暇に比べて期間が短い。おそらくジェンマまで足を運んでも滞在する期間は長く取れないだろう。

 何より、それほど長い期間アイザと離れることは嫌だ。

 うーん、と唸りながらガルは地図を畳んだ。どちらにせよ、授業が再開したばかりの今、ガルがやるべきことは勉強である。

 授業が始まって一週間。

 マギヴィルではルテティアの情報など入ってこないけど、クリスが言うことには国葬は既に終わったらしい。

 それならば、あと数日でアイザに会えるだろうか。


 アイザといえば、とガルはレグとの会話を思い返した。

『あの嬢ちゃん、おまえのつがいだろ?』

 間もなくマギヴィルに着くという頃だった。レグが思い出したかのようにそう問いかけてきたのは。

 嬢ちゃん、と言われて思い当たるのはただ一人だ。

『アイザのこと? ……そもそもつがいって何』

 ガルも幾度となく聞いてみようとは思った。けれど口にしようとする度になんとなく触れてはいけない話題のように思えて口を閉ざしていた。

 レグから聞いてくるのなら、遠慮はいらないだろう。躊躇い続けてきた言葉は意外とすんなりと声となった。

『……んー……』

 レグは空を仰ぎながら言葉を濁らせる。

 ガルがつがいとはなんだと問うてきたことには、何一つ驚く様子はない。

『なんだよ、もったいぶるなよ』

 自分から言い出しておいて、とガルはむっとする。しかしレグは悪気なく、ほんの少し苦笑してガルを見た。

『いや、答えにくくてな。俺にはいないし』

 ガルはきょとん、と目を丸くする。

 なぜかレグは獣人のことならなんでも知っているのだろうと思い込んでいたことに気づいた。レグはまだ青年と呼べる年齢だ。ガルにとっては年長者だが、大人たちからすればまだ若造と呼ばれてもおかしくはない。そりゃ、知らないことだってあるだろう。

『そうだな、言えるとしたら――』

 レグが唯一、はっきりと言えることがあるとすれば。

『獣人の男は、つがいをこう呼ぶ』


 ――運命、と。


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