第五話

 太陽が西に沈み、あたりが赤く染まる頃。この時間なら、アイザはたいてい図書館にいるはずだ。授業が終わるとガルはすぐさま図書館に向かって走った。ここ数日、学園の中でアイザを探し出すことにも慣れた。暇があれば勤勉なアイザはどこかで勉強をしている。


「どうするのよ! このままあの子にもしものことがあったら……!」

「ちょっと脅すだけって言ったのはあなたじゃない!」

「そっちだって乗り気だったじゃないの!」

 ぎゃあぎゃあと言い争う女子生徒たちに、ガルはうるさいなぁ、と眉を顰めた。そして、そのなかのひとりが持つ紺色の上着に気づく。

 真新しい、魔法科のそれがなぜか妙に気になった。直感としか言いようがない。声をかけようと近づいてみると、夜の気配を孕んだ冷えた風に乗ってかすかにアイザの香りがした。

 おそらく、ガルでなければ気づかないほどの、かすかな残り香だ。

「……それ、アイザの上着?」

 問いかける声が、いつもより低くなる。突然後ろから刺されたかのように、三人の女子生徒はびくりと肩を震わせた。振り返った目がどれも怯えている。

 ――アイザにまだ友達がいないみたいだ、とか。

 魔法科のなかにアイザをよく思っていない奴らがいるみたいだ、とか。

 バカなガルにもわかっていることはいくつかある。そして、今さっき彼女たちが言い争っていた様子からしても、たまたま置いてあった上着を拾ったんだ、なんて結末ではないということも予想できた。

「え、いや、わたしたちは――」

 女子生徒たちは怯えながらも、どうにか誤魔化してしまおうと慌てて口を開く。

「偶然見つけただけよ。どうしようか相談していたところなの」

「そ、そう!先生に届けようかって話していて」

 するすると女子生徒たちの口から溢れてくる言葉に、ガルは嘘だと思った。嘘くさい。勘だとしかいいようがないけれど、こういうガルの直感は外れない。

 人は嘘をつく生き物だ。ときにはやさしい嘘もある。そういったものはガルを容易く騙すけれど、根幹に悪意がある嘘はいやというほどわかる。嘘なのだと。

「……アイザ、どこにいる?」

 ガルは努めて冷静に問いかけた。何も知らないと偽る女子生徒の手からアイザの上着を奪い返し、ガルは金の目で静かに女子生徒を見た。

「だ、だから!わたしたちは知らな……」

 聞いていなかったのか、とでも言いたげな苛立ちを孕んだ声だった。

 女の子にはやさしく、とイスラからきつく教え込まれているし、ガルは暴力は嫌いだ。弱いものいじめも嫌だ。

 ――けれど。

 ぷち、と頭の中で何かが焼き切れる。

 ガルは真ん中の一番声高に騒いでいたひとりの胸倉を掴みあげる。ヒッと短い悲鳴が聞こえたが、そんなことどうでもよかった。

「アイザに何した」

 獣が唸るような声と射抜くような金の目。かすかに垣間見える犬歯がまるで本物の獣の牙のように見えた。

「な、なにも」

「アイザに、何した!」

 噛みつきそうな勢いでガルが再度問うと、女子生徒は怯えてぽろぽろと泣き始めた。

「何をしているの!」

 緊張を切り裂く声に、救われたような顔をしたのは女子生徒たちのほうだった。

「ガル、その子を離しなさい!」

 駆けつけてきたのはセリカだった。ガルがわずかに手を緩めたところでセリカが傍まで駆け寄り、再度「離しなさい」と繰り返した。掴みかかったままかたまった手を、ゆるりと解く。

 ガルと女子生徒たちの間に立ったセリカが、冷ややかな目で女子生徒たちを見た。

「……あなたたちが編入生に言いがかりをつけていたと聞いたわ。編入生の私物を奪い、森へ飛ばしたとも。それを追いかけてその子が森に入ったとも」

 セリカの声に、さっと女子生徒たちの顔が青くなったのが暗がりにもわかった。

「これで彼女に何かあれば、厳罰は免れないと思いなさい。魔法使いとして恥ずべき魔法をあなたたちは使った」

 軽率だった、では済まされない。魔法は玩具などではない。子どもがふざけて使ってよいものではないのだ。

「予想していなかった、わざとじゃなかった、言い訳はいくらでもできる。けれどあなたたちも魔法使いの卵であるなら、自分が使った魔法にたいして結末まで責任を持ちなさい」

 最悪の事態を想定し、それに対処できるように構える。だが現実としてそれができない未熟さゆえに、学生は紺色を纏う。雛鳥にすらなれない、彼らはまだ孵ることもできない卵なのだ。

「ひとまず、あなたたちは寮に戻りなさい。二週間謹慎処分とし授業を受ける以外の外出を禁じます。場合によってはさらに重い罰があると覚悟しなさい」

 はい、と力なく女子生徒たちは答えて静かに寮へと向かった。その背中が小さくなると、セリカがさて、と息を吐き出す。

「ガル、あなたもアイザのことで怒るのはいいけれど、暴力はダメよ?」

「まだ何もしてないし……」

「胸倉掴むだけでも充分怖いものよ。その上殴ったりしていたらあなたも罰さなければいけなくなるところだった」

 それでもいい。謹慎だろうが山ほどの課題だろうが、甘んじて受けるから一発だけでも殴らせてもらえばよかった、と思う。だってきっと、あいつらはアイザを傷つけたに違いないのだ。

 すっきりしないもやもやした感情は、ガルの胸のうちで消化不良を起こす。

「アイザを探しに行かないとね。あなたは寮に戻りなさい」

「いや俺も――」

 ついて行く、とガルが続けようとして言葉を切った。セリカの背の向こうからまさに探していた本人がやってきたのだ。大きな犬に支えられながらゆっくりと歩いている。足を怪我したのかもしれない。

「アイザ!」

 堰を切ったようにガルはアイザに駆け寄る。アイザはきょとん、とした顔で「ガル?」と答えた。

「おまえ、なんで……いや、もしかしなくてもわたしのせいか」

 ガルがアイザを置いて寮に帰っているなんてありえない。まさにそれで口論になったというのに。

「冷えるから早く上着着て。足どうした?」

 夜の風は冷たく、アイザの体温を奪っていくだろう。

「転んで少し捻っただけだ。ルーが大袈裟だから」

「ルー……って、それ?」

 アイザの傍にぴったりと寄り添う犬――いやこれは狼だろう――を見下ろしてガルが問う。

「うん、まぁ……知り合いというか」

「知り合い? 保護者の間違いだろう」

 抗議するように鼻を鳴らし、ルーがアイザを見上げる。

「しゃ、しゃべったぁ!?」

 ガルが飛び上がるように驚いてルーを見ているとセリカが駆けつけてきたが、アイザの隣のルーを見て、明らかに困惑の表情を浮かべる。

「……ええと」

「ほらみろ、ルーにみんな困った顔をしている」

 だからついて来なくてもいいって言ったのに、とアイザが恥ずかしそうに零した。どうやらここに来るまでに押し問答があったらしい。

「ふん、そこの若造は別としてもマギヴィルの教師が私をただの獣と間違えることなどあるまい」

「それは、もちろん……ですが、我々が姿を見えることができるほどの高位の精霊がなぜ彼女に?」

 ルーが一目で精霊であることは魔法使いならばすぐに分かる。だが普段人の前に姿を見せないはずの高位の精霊がアイザの保護者を名乗る状況はさっぱり分からない。アイザに対する過保護そうな様子は、ただの知り合いというには無理があった。

「ルーは父の契約精霊だったんだ。幼い頃短い間だが一緒に暮らしていた。たまたま森で再会して……」

「リュース・ルイスの……? なるほど、それで……」

 納得したようにセリカが笑って、そしてアイザの足元を見る。

「とにかく、アイザには手当が必要ね」

「……お願いします。そんなにひどくないとは思うんですけど」

 鈍い痛みを訴える足で歩くのはやはり厳しい。森の出口までは大人しくルーの背に乗っていたのだが、さすがに恥ずかしくてここまではゆっくり歩いた。おかげでじわりと痛みが沁みてくる。

「歩けないなら俺が背負ってやるよ?」

「い、いい!」

(それはルーの背中に乗るより恥ずかしい……!)

 ぶんぶんと勢いよく首を横に振ったアイザに、ガルはいささか不満げだった。年頃の女の子としては気にすることがたくさんあるんだと説教したい。体重とか、体重とか、体重とか。いくらもう既に一度荷物のように担がれたことがあったとしても。

「でも無理をするのはよくないわね」

 セリカが困ったように微笑んで零した。ここで時間を浪費することほど無駄なことはない。

「……ふむ」

 ルーの翠の目がじろりとガルを品定めするように見つめた。ルーの視線に気づいたガルが訝しげに見下ろして首を傾げた。

「私が学内に入ってかまわないのであれば、このままアイザを支えるなり背に乗せるなりしてやれるが?」

「本物の狼なら頷くわけにいきませんけれど、魔法使いが精霊を拒むなんてできませんよ」

 セリカの返答にルーは笑ったようだった。アイザを急かすように鼻先をアイザの腰に押し付ける。どうやら乗れと主張しているらしい。

(結局また乗るのか……)

 このまま支えになってくれるだけでもいいのだけど――とアイザが目で訴えたが、過保護なルーも譲る気はないようでじとりとアイザを見上げてくる。

 結局アイザが折れて、再びルーの背に乗った。さすがにガルやセリカがいるのでスカートの裾を気にして堂々と跨るのはやめておいたが。


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