第六話

 かつん、と早朝の廊下に足音は響いた。

「……君のことは、リュースから頼まれていた」

 イアランの部屋を出てしばらく無言だったが、ぽつりと宰相が口を開いた。突然出ていた父の名に、アイザは宰相を見上げる。

「父をご存知で……」

「これでも長く宰相を務めている。彼が王城にいた頃からね」

 くすりと笑う宰相に、アイザは小さく「失礼しました」と答えた。どうにも父がこの華やかな王城にいたとイメージできない。

「ヤムスの森を抜けてきたと聞いている。きっと君は、聞きたくなかった過去を聞いただろう」

「……ヤムスの森を焼いた、焔についてですか」

 かの森の話題で、アイザが聞きたくなかった過去と言われればひとつしかない。

「やはり聞いたか。リュースのために、これだけは否定しよう。彼は森も王都も守ろうとした」

「でも……」

 ヤムスの森で出会った精霊が、リュース・ルイスが森を焼いたと、そう言った。人ならざる彼らに、アイザに嘘をつく理由などない。

「おそらく精霊たちも知っているはずだ。あの森を焼いた焔が、リュースの魔力によって生まれたものであっても、彼の意思ではないと。だがリュースは否定しなかった。してくれなかった」

「……どういう、ことでしょう」

 まるで宰相はすべてを知っているかのようだった。

 魔力は身体から切り離せる。アイザの耳飾りと同じ光水晶を使えば、そこに魔力を蓄えられるからだ。光水晶を介して他者がその魔力で魔法を使えるということは、アイザ自身が身をもって知っている。

「彼は守ろうとした。彼は間違ってなどいなかった。他の誰がリュース・ルイスをどう評価しようと勝手だが、君だけはわかっていてやらねば、彼が救われない」

 ――ぐ、とアイザは拳を握り立ち止まった。数歩先に進んだ宰相が立ち止まり、振り返る。

「わたしは、父を信じていいんですか」

 魔法は、世界を愛する力だ。世界を、人々を傷つけるためのものではない。

 そうアイザに言い聞かせてきたリュースは正しいのだと。誰に恥じることもないすばらしい魔法使いなのだと、胸を張っても許されるのだろうか。

「信じて、誇りなさい。彼はルテティアの最高の魔法使いだ」

 否定されないことがこんなにも安心するのだとアイザは思う。

「……ありがとうございます」

 何もかもが恐ろしく寒々しかったはずの王城に、光がさすようだった。タシアンもイアランも、宰相閣下も、アイザのために、アイザの知りえなかったことを教えてくれる。アイザが傷つかないように。


「アイザ!」


 廊下の向こうから、アイザを呼ぶ声がした。赤い髪が朝日を浴びてきらきらとしている。

「ガル」

「どこ行ってたんだよ!起きたらいないしびっくりしたじゃんか!」

 ガルの目には宰相の姿は映っていないらしい。一直線にアイザのところに駆けつけて、怒っている。

 起きておまえがいなければ騒ぐだろう、と言っていたタシアンのセリフを思い出してアイザは笑った。

「って、あ、宰相閣下……?」

 アイザの笑い声にガルも我に返って、すぐそばの男性に気がついた。ガルの無作法を気にする様子もなく、宰相は笑った。

「君の騎士ナイトが来たようだから、私は失礼しよう。アイザ・ルイス」

 改めて名を呼ばれ、アイザは姿勢を正した。

「はい」

「困ったことがあれば私のもとに連絡しなさい」

 リュースから頼まれている、という先ほどの言葉を宰相は律儀に守るつもりなのだろう。

「ありがとうございます」

 やはりやさしい、とアイザは笑みを零した。そのやさしさには未だ慣れず、少しくすぐったいものがあった。

「えーと、なんか大事な話だった?」

「それが終わって戻るとこだったんだ」

「そっか」

 するりと伸びてきたガルの手は、迷いなくアイザの手を包み込んだ。その感覚に随分慣れたな、とアイザは苦笑する。

「……女王陛下、無事だって」

 ぎゅ、とガルの手を握りながらアイザは確認するように小さく呟いた。耳の奥では、女王の声が蘇ってくる。わたくしの、かわいい、むすめ。アイザ、と許しを乞うように紡がれた声が胸を締め付けた。

「……そっか、よかった」

 ガルの短い答えに、うん、とアイザは頷いた。うん、よかった、と。

 部屋までゆっくりと歩いて、アイザは何度も言葉を反芻する。よかった、本当によかった。素直に、そう思える。

「腹減ったなー。朝飯まだかな?」

 呑気なガルのセリフに反応するように、ふたりの腹の虫が主張した。顔を見合わせて、ふたりでくすくすと笑うとまるで日常がじわりじわりと戻ってくるようだった。





 アイザとガルは国境騎士団の面々と一緒に王城をあとにすることになった。

 結局、女王とは会っていない。意識はもうある、とイアランからは告げられたし、言外に会いたければどうにかするという意味だったのだと思う。

 けれど会ったところで、どうしてよいのかわからなかった。

 城門を出て、アイザは城を仰ぎ見た。うつくしい城は、あの日の騒動すらなかったことのようにそびえている。女王はまだ離宮に移らず、私室にいるはずだ。

 ――ぎゅ、と胸元の光水晶を握る。

「……タシアン。女王陛下の部屋から、このあたりは見えるかな」

「は……? まぁ、たいていの部屋は南向きのはずだから見えると思うが」

 そうか、とアイザは呟いて、小袋に入れていた光水晶の耳飾りを取り出す。三角錐の形のそれは、アイザの左耳で揺れるものの片割れだ。左耳の耳飾りはすっかり色をなくしていた。

「アイザ?」

 ガルが不思議そうに声をかけてくる。

 虹色の光水晶を、アイザは右の耳につけた。その重みに少しだけ泣きたくなる。

 光水晶を虹色に染め上げるのは、父の、リュース・ルイスの遺した魔力だ。

(きっと、だからこそ、こう使うのが正しい)

 けれどまだ迷うアイザは、おずおずとガルの手に触れる。ガルの手はやってきたアイザの手のひらをしっかりと握った。それだけで、迷いは決意に変わる。きっとガルにはアイザが何をしようとしているか、検討もつかないだろう。けれど無条件でアイザを応援してくれている。

 虹が見たいわ、と彼女は言った。かつて、リュース・ルイスが見せてくれた虹を。

「《七色のひかり、流星のように空を駆けて。あの日のように、青空をあなたの色に染めて橋を架けて》」

 右耳の光水晶が、瞬きアイザの声に合わせてそのうちに秘めていた魔力を解放する。

「《せかいに、祝福を》」

 眩しいくらいの青空に、鮮やかな虹が現れる。それはアイザが以前生み出したものよりもずっと大きなものだった。

「……貴女に祝福を」

(きっと、父さんならこうした。こうしたかったはずだ)

 リュース・ルイスは、娘ひとりを守りたかったのではない。きっと、遠くの愛したそのひとも、守りたかったのだ。自分という存在で狂わせ壊してしまった、そのひとを。

 彼女がまだ女王でなかった幼い日々に、そうであったように。

「……行こう」

 虹を見上げて、満足げに微笑むとアイザは踵を返した。






 窓の向こうで、ひかりが瞬いた。


 ウィアがそちらへ目を向けて、そして、青い目を大きく見開いた。

 七色のそれは、ウィアが焦がれてやまなかったものだ。ずっと愛し続けたものだ。


「……リュース……」


 白い頬を、透明な雫が流れ落ちる。

 唇が震えるようにして、か細い言葉を紡ぐ。誰も聞き届けることのないそれは、いとしいひとへの別れを告げる言葉であり、愛の告白のようでもあった。


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