第三話

「殿下の居場所はおそらく北か西の離宮だろう。そちらは任せていいな?」

 迷いのない足取りの宰相のあとにタシアンが従い、そのすぐ後ろにはレーリとガルがいる。その他の団員は門のそばで待機したままだ。ぞろぞろと王城に入ったところで邪魔になるだけで、彼らの役目は王立騎士団を牽制することである。国境騎士団のなかでもいかつい連中を連れてきたので少しは迫力も増すだろう。

「もちろんです」

「――では、任せた」

 タシアンがしっかりと頷くと、宰相は振り返りもせずに告げてそのまま進んでいく。タシアンはそのあとを追わず、別の回廊へ進んだ。

「ガル」

 足早に歩きながらタシアンがガルを呼ぶ。ガルは返事をする代わりにタシアンの隣に並んだ。

「おまえのやることは分かってるな」

「もちろん」

 即答してから、ガルは「でもさ」と続けた。

「アイザを見つけたあとは勝手にしていいわけ? いいならさっさととんずらするけど?」

「好きにしろ。どうせ少なからず一悶着はある。合流したけりゃすぐ見つかるだろ」

 いくら広い王城とはいえ、王太子が騒動の種ともなれば穏便にはいかない。なるほど、とガルは納得して、近くの窓を開けた。

「じゃ、好きにする。そっちもせいぜい怪我ないようにな」

「こっちのセリフだクソガキ」

 何と言ってもガルは騎士団の服を着ているが武器と呼べるようなものは持っていない。しかしガルははは、と笑った。

「誰に言ってんのソレ」

 そう言って、ガルは窓枠を蹴った。既にここは王城の二階だ。下には庭園があるのみ。タシアンが驚く間もなく、ガルは窓の近くにあった樹に飛び移った。ガルはちらりとこちらを見ると、ひらひらと余裕そうに手を振った。

「……野生児め」

 タシアンは呆れたように呟いたあとで、踵を返す。



 日暮れまではあと一時間近くある。曇り空で薄暗いとはいえ、堂々とアイザを探し回るには不都合があった。しかし一時間とはいえ無駄にするわけがない。

「ようは、見つからなきゃいいんだよな」

 なんせここは広い王城だ。さきほどちらりと見ることのできたアイザの居場所を探すのに、時間はあればあるほどいい。

 植物にも意思がある。森の傍らで生まれ育ったガルはそのことをよく知っているからこそ、庭園はガルが隠れ潜むにはうってつけの場所だった。けれどうつくしく整えられた王城の庭園は、森の植物と比べると生気がない。木の幹に触れながらガルはそう思う。

 耳を澄ませながらアイザの声を、アイザの情報を探す。しかし華やかな城のなかは静寂に満ちていて、世間話も聞こえなかった。まるでこの庭園の植物と同じ。生きているのに死んでいるような。

 太陽はまだ沈んでいないが、曇り空のおかげで薄暗さは深まる一方だ。それならば、とガルは樹からするすると降りた。庭園の植物に身を潜めながら移動しよう、と。

 匂いの強い花が多く、ガルにとってはあまり居心地は良くない。

「これは驚いた。国境騎士団の者がこんなところで迷子かね」

 気配がなかった、というよりは、気配が庭園のなかに溶け込んでいた。ガルが振り返るとそこには、老いた魔法使いがいた。

「あんた……アイザを連れて行った……!」

「アイザ……? アイザ・ルイス? ああ、あのときにいた子どもか。彼女を探しているのかね」

 老人はふむ、と呟きながら問いかけてきた。ガルはその様子に毒気を抜かれる。だが馬鹿正直に答えることだけは避けた。

「あんた、魔法使い?」

「愚問だな。魔法を使った瞬間を目の当たりにしただろう。なるほど、宰相と国境騎士団が動き始めたか」

 やはりあのとき突然アイザとともに姿を消したのは、この老人の魔法だったのだ。しかしガルには魔法などまったくと言っていいほど馴染みがない。ガルだけではない、ルテティアに生きる者には、魔法などもう過去の遺産だ。

「……じゃあ、敵?」

「敵かどうかと問われれば、敵方なのだろうな。私は女王には逆らえない」

 あっさりと敵と認められるが、老人から敵意は感じない。それなら、とガルは警戒するように口を開いた。

「なんで俺のこと捕まえないわけ」

「捕まえろという命令はないのでな。……彼女を探しているんだろう?」

 老人は庭園の花の花弁を千切ると、息を吹きかけるように何かを囁いた。するとそれは蝶のようにひとりでに羽ばたきはじめる。

「アレについていくといい、彼女のもとまで案内するだろう」

 罠だろうか、とわずかに逡巡したのち、ガルは老人の言葉を信じることにした。嘘をついているような様子はなかった。

 ――夜の闇の中をひらひらと蝶が飛ぶ。

 ガルはその姿を見失わないよう、地面を蹴り追いかけた。







 西の離宮に王太子の姿はなかった。そのまますぐに北の離宮へと向かうと、どうやら当たりのようだとタシアンは思う。その離宮の入り口には、王立騎士団の団員と思われる男がふたり立っていた。

 無言のままタシアンが踏み出すと、男たちは立ち塞がるように動いた。

「まて、ここになんの用だ」

 じろりとタシアンを眺めて慇懃無礼に問いかけてくる。

「用もなにも、おまえたちに邪魔される理由はないが」

「ここは許可ない人間の立ち入りは禁じられている」

 馬鹿か、とタシアンは口の中で零した。それではここに高貴な人がいるんです、しかも監視して閉じ込めているんです、と白状しているようなものだ。

「その命令を出してるのは誰だ。王立騎士団の団長か。それとも女王陛下か。どちらにしても俺がその命令に従う理由はない」

 タシアンは腰の剣に触れる。レーリも無言で剣に手を伸ばした。

「俺が仕えているのはイアラン殿下だ。殿下の命令以外を聞くつもりはないし、殿下を害するものは排除する」

 力量を推し量ることもできない者ならばその程度。少しでも自分の腕と相対した人間の実力を比べることができるほどの者ならば、このときで既に負けを認める。

 どうやら目の前のふたりは、かろうじて後者だったようだ。

「くそっ」

 悪態をついてふたりは去って行く。おそらく上に報告するのだろう。

「いくら向こうにとって護衛する対象でないとはいえ、あの程度の人間に監視を任せるってのはこっちを馬鹿にしてんのか」

 曲がりなりにも王太子だぞ、とタシアンが苛立ちを隠さずに吐き出して、レーリが先に離宮に入る。他に誰もいないことを確認して、タシアンを呼ぶように頷いた。

 北の離宮は、遥か昔には寵妃のための離宮ではあったが、ここ数十年はほとんど使われることもなかった。けれどそれも王城の一部。寂しげな雰囲気はあるものの、いつでも使えるように清掃は行き届いているし、空気がこもっているようなこともない。ただ離宮から望める庭園の手入れはそこそこで止められ、花が咲いているような様子はなかった。

 いくつかの部屋を確認して、王太子の姿を探す。そして二階の西の隅の部屋にたどり着いたときに、タシアンはここだと確信した。


「――お迎えにあがりました、イアラン殿下」


 扉の向こうの彼も気づいている。だからタシアンは無作法と知りつつノックもせずに扉を開けた。

 暗くなった部屋の中、ランプひとつに照らされて長椅子に腰掛ける青年は、パタンと手元の本を閉じて微笑んだ。金の髪がランプの灯りで淡く輝いた。

「随分と遅かったね、タシアン。来るのが明日だったら退屈で死んでいたかもしれない」

 くすくすと少しも驚いた様子もなく笑う王太子に、タシアンは苦い顔になる。

「ご自身でどうとでも出来たのに大人しく捕まっていた殿下に言われたくありません」

 細身で自分より年下の王太子だが、彼が自分の身を護ることができる程度には鍛えられていることをタシアンは知っている。先ほどの情けない騎士たちには二対一でも負けることはないだろうということも。

「まぁ、あの程度の見張りを欺くことなど容易いけど。私が動くと陛下を刺激してしまうから、出来ない相談だね」

 そもそも捕まるような愚を犯すなと言いたいのだろうけど、と王太子は笑う。王太子は青い瞳でタシアンをじっと見つめて、さて、と小さく呟いた。

「女王陛下の機嫌がよいことと、君たちの到着が遅かったこと。このふたつから考えるに、アイザ・ルイスは女王のもとにいるね?」

 この聡明な王太子には隠し通せるはずもない。タシアンは悔しげに頷いた。

「……現在並行して救出に向かってます」

「なるほど。では私たちがそちらに向かうほうがいいな」

 王太子は怒るような様子もなく、ゆるりと立ち上がった。

「殿下!」

 まさか自ら渦中に飛び込むという発言は、さすがのタシアンも静観するわけにはいかない。しかし王太子は極めて冷静にタシアンに告げた。

「陛下が執着しているのはリュース・ルイスと、その娘だけ。だからこそ、ここの監視は甘い。私は邪魔しなければどうでもいいということだ」

 だから無駄に刺激しないよう、イアランは大人しく囚われの身となった。


「これから騒動が起きるとすれば――それは、間違いなくアイザ・ルイスのもとだ」


 小さな火種から、簡単に大きな炎は生まれる。

 アイザ・ルイスは、あまりにも無防備なまま、その小さな火種を数多く抱えていた。


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