十章14:副長は、無念を飯で紛らわせ
ユーティラと別れた僕は、示された食堂へ向かい歩を進める。うっかり、と言うべきでは無いのだが、ベルカ内部のミリタリー・バランスを考慮し損ねたのは失策だった。
ヴェンデッタの力を得た僕は、僕自身の魔力で相手を強化できる。勿論それ自体に副作用はあるが、本人の才能と努力次第では、すぐに数倍の力を引きだす事も可能だろう。対魔族を念頭に置いた戦線補強の手前、判断そのものは英断。されど些かに穴があったと評すべき事態だ。
先ずは勇者を凌駕する為に、エメリアとケイを集中的に強めた。次いでユーティラ、フローベル、タマモといった、各国の主力級。――となると、とどのつまり。聖グレースメリア副団長の片割れたる、ブリジット・S・フィッツジェラルドを放って置いたのは好ましくない。
元々が実力伯仲と謳われたユーティラとブリジットの手前。前者のみが魔力を
となると初めから
僕は僕を包む黒鉄の鎧、ヴェンデッタに目を落とし一考する。ユーティラの曰く、ブリジットは食堂に居るとは聞くが、幾ら何でもこの格好で肩を叩く訳にもいかないだろう。衆目を集めすぎるし、何より彼女も驚くに違いない。
僕はさてどうしたのもかと頭をひねり、そう言えばと思い出したように自室へ戻る。次にクローゼットをがらりと開けると――、果たしてそこにあったものは、ヴェンデッタの上からさらに着付ける事が出来る白銀の鎧だった。
(これを着ていくか……)
先日エメリアと外を練り歩いた際、聴衆から浴びせかけられた
鏡を見る。そこには近衛騎士団の鎧を纏う、白髪の剣士がいた。髪をセットし、無理やりな笑顔を作り、少々気恥ずかしいながらも一連の動作を試してみる。どのみちこのエリアまでブリジットを連れてくる、ただのメッセンジャーに過ぎないのだと自身に言い聞かせ、僕は階下への一歩を踏み出した。――かくて一ベルカの騎士に成り代わった僕は、素顔のままでブリジットの元を訪ねたのだった。
* *
昼食時を過ぎ、人気もまばらな城内食堂。しかしてそんな閑寂の中で、一人丼を搔っ込む女騎士の背中が見える。跳ね返ったボブカットに、一本だけ垂らされた三つ編み。一目でブリジットだと気づいた僕は、暫くその様子を眺める事にする。
彼女の眼前に積まれた丼は、既に三十杯を軽く超えている――、にも関わらず食事のスピードは衰える事もなく、ただひたすらにブリジットは箸を進める。トレーに乗る丼の数が一枚につき四杯、それを台車に乗せて運んできた形跡が見て取れる以上、そろそろ打ち止めか、そうでなければお代わりの為に立ち上がるであろう頃合いだった。
「失礼致します、フィッツジェラルド卿」
そうして時宜を見計らった僕は、ブリジットが立ち上がった瞬間に割って入る。
「んんんッ!???」
すると咄嗟の出来事に驚いたのか、目を見開いたブリジットが凄まじい形相で僕を凝視する。ぼふぼふと胸元を叩き、咽せかけた飯を辛うじて胃に流し込んだ様子のブリジットは、俄に顔を赤らめながら返す。
「は、はいッ!! なんですかッ!???」
その余りに頓狂な声に、敢えて見て見ぬ振りをしていた周囲が一斉にブリジットを見やる。しかして当の本人は、それとは別の事案にてあわあわとしているようらしい。――いやそもそも、衆目を気にするなれば、うら若き乙女がこれ程の大食を晒すものでもないだろうし。
「い、いえ……お食事中失礼致しました。フィッツジェラルド卿。――私、先般近衛騎士団に引き立てられました、ララト・V・フライハイヴと申します。陛下よりフィッツジェラルド卿をお呼びする様にと仰せつかりまして」
ただそれはそれとばかりに、僕は用意していた偽名を告げる。要はブリジットをこの場から引き剥がせれば十分な訳で、その為だけの一芝居ならどうという事はない。
「へ、陛下がッ!?? あ、あたしにッ?! ……あわわわわ」
というかこのブリジットとやら、こんなテンションだったかなと思いを馳せるが、よくよく考えれば彼女の素性は、平民出、並の騎士では敵わない実力など、周辺から齎された断片的なものでしかない。――何度か顔を合わせ、会話も交わしている筈だが、僕の彼女への認識はその程度でしかなかったのだ。まあ端的に、今後の事を考えれば芳しくない。
「はい。内々にお話したい事があると。――お食事が済みましたら、お声をかけて頂ければと」
而してこのまま放っておくと、さらに半刻は食べ続けかねんと判断した僕は、ブリジットの理性が食欲を上回る事に賭けてそう申し出る。
「もももも、勿論ですッ!! ほらあたし、もうたった今ご飯食べ終わっちゃいましたからッ!」
そのくせ明らかにお代わりを求めかけていた姿勢を誤魔化し、ブリジットは口元のご飯粒を舐め取る。
「余りお焦りにならずに。食器類は私が片付けましょう」
言うやさっと台車を受け取った僕は、相変わらずあわあわするブリジットの声を背に返却口へと向かう。いやはや、鍛錬に励む騎士たちが食に困らぬようにと大盤振る舞いの城内食堂ではあるが、ベルカ広しと言えども、これだけ一度に平らげるのは、血気盛んな男騎士とてそうはいないだろう。
「あ、ありがとうございますッ!!」
僕が戻ると、ブリジットはお腹をぼふぼふしながら破顔している。こうして見る限りにおいては相当の美少女なのだが――、かくも剣の腕が立つにも関わらず、あの好色な
「いえ、では参りましょうか。陛下は王の間におられます」
――最も、行き先は武道場なのだがと内心で告げ、僕はブリジットを連れ四階に向かった。
* *
「えっと……陛下は?」
数分もするとだいぶ落ち着いてきたと見え、ブリジットはレイヴリーヒのいない武道場を訝しげに見回す。まったく大した消化力だと舌を巻く僕だが、けろっとした彼女はもう普段の様子そのものだ。
「ははは……陛下ならここに居るじゃないか」
とまれ、それはそれだ。ここでやっと二人きりになった僕は、もういいだろうとブリジットに振り返る。道中幾らか話はしたが、所詮は偽りの身の上、適当な情報しか与えてはいない。
「へ? ララトさん……ですよね?」
当然の如くぽかんとした表情のブリジットの前で、僕はヴェンデッタの上に纏ったプレートメイルを、これみよがしに外してみせた。ガラガラと音を立て、ハリボテの鎧が床に落ちる。
「私だ。皇帝の身なりで食堂に入るのは過分に抵抗があってな。すまないが、あのような装いとさせて貰った」
そこに立つのは、恐らくは皆が見慣れたであろう、黒鉄の鎧に身を包むレイヴリーヒとしての僕だ。
「そのお声は……へへへ、陛下ッ!!??」
瞬間飛び退いたブリジットは「ももも申し訳ございませんッ!!!」と高らかに声を上げるのみ。
「いやいいんだ。というか口調を変えよう。ええと――、私。というのはレイヴリーヒ。で、その中身が僕、すなわちララト……という事で、疲れるから楽にしよう。改めましてブリジット。僕の名はフリーゲ・ヴリーヒ・ムーシュ・ララト。ゆえあって今はベルカの皇帝をしている、元ナヴィクの警備兵だ」
「は、はあ……」
茫然自失といった風のブリジットに、僕はこれまでの経緯を掻い摘んで説明する。曰くエメリアたちとのざっくりとした関係性、曰くユーティラにも魔力を与えていた事実。そして最後に、素性を隠していた事への謝罪。
* *
「え、えっと……つまり陛下……じゃないや、ララトさんは、
流石に
「じゃあララトさんの力を貰えば、あたしも今よりもっともっと強くなれるんですねッ!!!!」
というか理屈とかそういうのはどうでもいいらしい。僕の手を握りしめる彼女の瞳には「じゃあ早くシテ下さいよ」ぐらいしか意志を感じない。
「うんまあ、そういう事かな……言った通り、多少の副作用はあるけど。それでもおっけーなら」
「もちもち、モチのロン! オッケーです!!」
即答わずか一秒未満……まあ、こうなる事は分かりきっていたにしても、あからさまに緊張されるより、この子の場合は砕けて話すほうが気が楽だなあとは改めて思う。
「それじゃあ送るよ。このまま手を離さないで」
「は、はいッ……うわわッ!!??」
びくりと身体を震わすブリジットは、額に汗を浮かべて僕を見上げる。
「こ、これって……」
「身体機能が一斉に活発になるからね。食う、寝る、ヤる。のどれかは、大概来るよ」
「ヤるって……なんですか……か、身体が熱いのは分かりますけどッ……」
確かにたった今食欲を満たしてきたばかりのブリジットが、反応する欲求と言えば、残すところ睡眠欲か性欲以外に無いだろう。
「ちょ、ちょっと待って下さいララトさん……鎧……脱ぎますから……」
言うや答えも待たずに胸当てを外すブリジット。すると外した側から、ぶるんと音を立てる程のたわわが、俄に顔を出した。
「あわわ……ここも熱くなってる……それにいつもより……おっきくなってる……かも」
自分で弄り、そして荒い吐息を吐くブリジットは「最近どんどん胸が大きくなっちゃって……胸当てで押さえてるんですけど、困ってるんです」と眉をハの字にした。
「そりゃあ……あれだけ食べて、むしろ体型が崩れないほうが不思議だよ……」
いったい一回の食事で成人男性何人分のカロリーを摂取しているのだと思いを馳せつつ、僕はブリジットをフォローする。
「だって最近、ユーティのほうがどんどん強くなっちゃって……それであたし、思ったんですけど……人の五倍食べて五倍動いて、五倍寝たら、もしかして追いつけるかなって……」
待つんだブリジット。それはどう考えても時間の帳尻が合わないぞと内心でツッコミつつも、言わんとしている事を理解した僕は、成る程と頷くに留める。
「それじゃあ胸が大きくなるのも仕方がないよ……大丈夫。これからブリジットはどんどん強くなるから」
太鼓判を押す僕に「ほ、ほんとうですかッ!?」とブリジットが反応し、今度はイキナリ抱きついてくる。
「うわわっ?」
流石にと言うべきか、不意を突かれた
「はわわ……こんなに胸がドキドキするのって初めてで……うおお……めっちゃ子供欲しい……」
は? 今なんて言ったこの子、と僕が思うまでも無く、ブリジットは「……あ、あたしのうち、兄妹めっちゃ多いんですよね……ふふふ」と不敵に笑う。
「うう……でもモテないんですあたし……というか、付き合っても他に何したらいいか分かんなくて。子作りぐらいしか思い浮かばないんですけど……まだそれには早いし……」
期せずして人生相談と化した武道場。ブリジットの曰く、奨学金目当てに幼少期から文武に励んでいたブリジットは、ろくに異性に巡り合う機会がなかったらしい。とは言えこの美貌の事だ、求愛される事はあっても、子作り以外にやる事が分からずに拒否し続けていたという。まあ婦女子に幻想を抱きたいであろう男側の意志を代弁するなら、あのドカ食いを見せられたら最後、百年の恋も一夜で冷めるといった所だろう。
「はあ……ブリジットは可愛いんだから、その気になればすぐに彼氏だって出来るよ。今は魔力の副作用で多感になってるだけさ。さ、気を取り直して頑張ろう。――僕も手伝うから」
僕としては、ここでユーティラを
「えっ……??? ララトさんがあたしの彼氏になってくれるんですかッッ????」
どこをどう捉えればそうなるのかといった具合だが、キラキラと輝くブリジットの瞳は、もう明らかに僕をそういう対象として見ているようでしかない。
「いや……まあブリジットに本命の人が出来るまでは、練習ぐらいになら付き合うけど。飽くまで鍛錬が主体だよ?」
「付き合うって言いました? ララトさん、今あたしとッ!?」
いや言ったけど。確かに言ったけど……どうやらブリジットの脳内は、普段溜め込んだ性欲の反動で大変な事になっているらしい。
「分かった……分かったから。付き合う、付き合うから。とりあえず今は離れよう。暫く休んだら、きっと冷静になるから」
僕はブリジットを辛うじて引き剥がすと、プレートメイルをもう一度付け直し覚悟を決める……先に冷静になるべきは僕だった。人の五倍食欲があって、人の五倍は寝ようという子が、ただ性だけから離れて生きてきた場合どうなるか、と。答えは明白である。――人の数十倍発情する。性欲の化身になる。言うまでもなかった。
だから僕は、ブリジットに半休を言い渡すと、家に送り届ける為に抱きかかえた。いつものケースであれば、半刻もしないうちに劣情は収まる。なんなら他の子のようにここで付き合ってやっても良い所ではあるのだが、相手はさして交流もないブリジットだ。今日は申し訳ないが家で一人で致すなり、どこぞで相手を見つけてヤッてくれと祈りながら、僕は階下へ、もう一度向かったのだ。
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