十章13:賢母は、母乳出づる日を待ち

 ――つ、疲れた。

 その感情以外にないだろう。たった一人ベルカの駅に佇み、アンジェリカを胸に抱く僕はそう呟く。而してこのまま自室に戻る事は叶わない。なぜならこのアンジェリカを、ベルカでの代理母たるユーティラに引き渡さねばならないからだ。




「――お待ちしておりましたわ。陛下」

 ついさっき別れたばかりのフローベルと似た口調で待ち受けるのは、他ならぬユーティラ・E・ベルリオーズ。淡い紫の、ウェーブがかったボブカットをかきあげる様は、正に深窓しんそうの令嬢。おまけに家事全般から育児にまで長けているというのだから、非の打ち所がない。


「ああ。ようやく終わった。ほらアンジェ……ママだぞ」

 言うや僕の手から飛び出るアンジェリカは「ママー」と破顔しながらユーティラの胸元に飛び込む。決してふくよかな身体とは言えない、まだ少女の面影が残るにも関わらず溢れ出るこの母性こそが――、彼女の持つ武器の一つであろう事は疑い得ない。


「よしよし。また暫くはわたくしがママの代わりになりますからねー。フフ、アンジェちゃん。あとでおっぱい飲みましょうねえ」

 いやそもそも出るのか母乳といった所だが、或いは言葉のアヤかも知れない。僕は二人の和やかなやり取りを傍目に、今日一日の疲れを押し流す様にため息をつく。


「あら、陛下もお疲れのようですわね」

 くすくすと微笑むユーティラの前で「ああ、多少な」と告げ僕は仮面を脱ぐ。――ここは鍛錬場の特別室。訓練を名目に密室に至った手前、この部屋には僕とユーティラ、それにアンジェリカの三人しかいない。


「ふふふ。陛下もわたくしのおっぱい、お飲みになりますか?」

 ユーティラの思わずの発言にブフッと吹き出す僕。


「母乳が……出るのか?」

 その時の僕は、もしかすると恐ろしく血走った眼をしていたかも知れない。いや、決してそういうプレイが好きだという訳では無いのだが。


「あら、陛下が種付けプレスさえしてくだされば、すぐにでも出るようになりますわ」

 どこで覚えたのだという下品な言葉を口に、ユーティラは相変わらず微笑んでいる。なんというか、貞淑ていしゅくな文脈に唐突に現れ出る破廉恥はれんちというのは、些かに興奮を誘うものではある。


「それは鎧が脱げてからの話だな……ま、出るにせよ出ないにせよ、しゃぶるだけなら問題なしか」

 ずかずかと歩み寄る僕に、頬を赤らめながらユーティラは胸当てを上げる。大きすぎず小さすぎず、ちょうど手の平に収まる程度の恐らくは美乳は、全男騎士の憧れの的であろう。ベルカの高嶺の花と言えば、ユーティラとエメリアのほぼ二択に絞られていると言っていい。


「フフ。わたくしだって、魔王を倒す前にボテ腹になろうなんて思っておりませんわ。ただ――、その前に」

 胸に伸びた僕の手を自らの秘所にあてがい、ユーティラは悪戯げな笑みを浮かべる。


「お力添えを。陛下の魔力を、わたくしの中に」

 分かりきってはいたがといった風に僕が頷くと、既にそこは濡れそぼっていた。


「んっ……陛下のお指……」

 嬌声を上げたユーティラは、それを堪えるように押しとどめ、はだけさせた自身の胸をアンジェに吸わせる。


「こうして……おけば……この子も大人しくなりますわ……」

 妖艶に舌なめずりをするユーティラの唇が、言うや僕の唇に重ねられる。


「フン……だがお前の口は騒々しいぞ」

 上も下も、はしたないくらいに音を立てるユーティラのソレ。僕が魔力を送る度に痙攣けいれんするユーティラの足元には、分とせずに水たまりが出来ていた。


「仰らないで下さい……わたくしをこんなにも五月蝿うるさい女に仕立て上げたのは、陛下ですわ……」

 とろんとした眼差しを向けるユーティラを抱きしめ、その乳房を揉みしだき僕は答える。


「仕方あるまい。力の代償とは大同小異、誰にでも訪れ得る。お前の声はどれだけ聞いても飽きるものではない。二人きりの時は存分に囀れ」

 ――最もアンジェが居るには居るが。と付け加える僕に「意地悪ですわ」とユーティラは返す。


「お許し……頂けるのでしたら、赴くままに喘がせて頂きますが……んっ……毎日毎日、わたくしは陛下の事だけを想い、この身体を慰めておりますわ。ああ……だから悔しい。あの愛くるしいメイドが、毎夜毎夜陛下の寵愛を受けていると考えるだけで、もう……」


 そう言いながら耳たぶを噛んでくるユーティラに、存外にこの子はストーカーの気質があるのかと危ぶむ僕ではあったが、魔力の副作用と割り切って応じ続ける。


「アレが強いのは昔からだ。私が与えたのは些細なるキッカケ。ユーティ、お前の才能を持ってすれば開花など容易い事だろう」

 実際の所、将軍たちドゥーチェスの最強の男、レオハルトの娘たるユーティラの武芸の才は、他の騎士たちを軽く凌駕し憚らない。


「でしたら……わたくしが強くなったら、今度は祝宴の席で踊って頂けます? あの日、あのメイドの手を取ったように」


 ――わたくし、あの光景を見るのが居たたまれなくて、それで席を外したのですわ。と今更のように告白するユーティラ。やはりどうやら、この子はエメリアたちに負けず劣らず嫉妬深い。或いは表向きの良妻賢母ぶりとは裏腹に、存外な危険物件なのかも知れない。


「ああ、そうしよう。私が望み、そしてお前が受け入れるのなら、ベルカの二人目の我が妻は、ユーティラ・E・ベルリオーズになるだろう」

 そう告げる僕に「嘘つき」とユーティラは返し、だけれど嬉しいですわと微笑んでみせる。


「一番目はソルビアンカ殿下。次いでユリシーズ卿。そのくらい分はわきまえる女ですわ、わたくしは……ですけどせめて」

 ――五本の指には入る女になりたいですわね。と、淋しげに続け、ユーティラは僕から身体をふわりと離す。


わたくしったら、また痴女めいた乱痴気を……どうしてしまった事でしょう」

 アンジェに乳を吸わせたまま、平素の口調に戻るユーティラ。ただしその構図は余りにも平時とはかけ離れていた。


「構わんさ。どうせ誰も居ないんだ」

 また仮面を被る僕に、思い出したようにユーティラが言う。


「――そういえば、陛下」

「どうした?」


わたくし以外の団員も、そろそろ強化して頂いたほうが良いのではと……」

「ブリジットか?」


 かくて蒼髪の副団長を脳裏に浮かべ、僕は返す。――ブリジット・S・フィッツジェラルドとは、氷剣使いのグレースメリア副団長だ。平民から伸し上がるだけの才覚を有してはいるが、ここ最近は魔力の分配の都合もあって、同じ副団長のユーティラには溝を開けられている。


「はい。昨日の訓練もそうですけれど、あの子、少し自信をなくしてしまっているようなのですわ」

 鎮痛な面持ちのユーティラは「ですから陛下、あの子にも魔力を」と、懇願の眼差しを僕に向けた。


「なるほどな……いや、懸念のなかった訳ではない。ただ、エメリアによる勇者エイセス打倒の一件があったからな。どうしても後手に回ってしまった」


 やはりそういう時宜かと僕は内心で頷く。エメリアが勇者エイセスを打ち倒した今、次に噴出した課題は、エメリア以外のベルカ兵力をどうするかだ。だがそうとは言えタイミングはある。自然な流れでブリジットの肩を叩ければと思う僕だったが、ソルビアンカ姫救出までの日程を考えると些かに時間が足りない。大丈夫だろうかと呟く僕に――、而してとユーティラは答える。


「その点なら心配ございませんわ。あの子リジィの趣味を多角的に分析いたしましたけれど、恐らく陛下はド直球の趣味ど真ん中。用事があると呼び出して、軽く素顔を見せれば一発でKOですわ」


 流石に疼きも収まったのか、胸からアンジェを離し床に立たせるユーティラは、いそいそと胸当てを下ろし乳房を隠す。


「そうなのか……まあ真偽はどうあれ、早めにリカバリーしておくに越したことはないな。ありがとうユーティ」

「いえいえ。来たるべく良妻の日に向けて、周囲に目を光らせるのもわたくしの務めでございますから」


 しれっと怖い事を言うユーティラを敢えてスルーし、僕は「そうか、ありがとう。なら早速、これからブリジットに会いに行くとしよう」と告げ、踵を返すと特別室を後にする。


「はい。リジィは今なら、食堂でお昼ごはんの最中でしょう。わたくしはこれより、アンジェと暫し訓練を行ってから午後の職務に戻りますので、宜しくお願い致しますわ」


 そう背後で聞こえる声に「お前も、無理はするなよ、ユーティ」とだけ僕は応え、ブリジットの待つ食堂へと向かったのだった。

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