十章10:三葉は、亡妹の記憶を呼んで

 翌朝、一向に起きる気配の無いケイを抱え、僕は彼女の部屋へ向かう。

 それもその筈。ケイは昨日、将軍たちドゥーチェス九龍カオルーン教授たちプロフェゾーレ機械人形テルミドールと、各国の最高戦力を相手に大立ち回りを演じたばかり。ゆえに反動として訪れる疲労は、想像を絶するものがあるだろう。だからと僕は敢えて言及せずに、ケイをベッドに寝かせ部屋を出る。――とどのつまり、今日一日はオフという事で、ゆっくり休んで貰うつもりだった。




「おはようございます。陛下」

 そうして部屋を出た僕を待っていたのは、宰相代行のルドミラ。いやはや既に宰相と呼んでいい立場ではあるのだが、年齢を加味した周囲への配慮とでも言うべきか、本人の意向もあって役職の表記はそのままにしてある。


「おはようルドミラ。昨日はよく眠れたか?」

 確か昨晩ルドミラの枕元には、実妹じつまいたるレストインピースが佇んでいた筈だが……


「はい陛下。不思議な夢は見ましたが、お陰様で」

 だがくすりと微笑むルドミラに寝不足の兆候は見て取れず、褐色の肌に銀髪を揺らし、くるりと一回転して見せる始末。どうやら過分に機嫌は良いらしい。


「随分と機嫌がいいな」

 灼眼に冷淡を湛える平素の表情とは打って変わった朗らかさに、僕は僕で顎を弄りいぶかしむ。


「ふふ、陛下。朝起きたら枕元に、これが置いてあったんです」

 ぱあっと少女らしく破顔するルドミラは、その小さな手に三枚葉シャムロックのクローバーを握りしめている。


「それは……トーシャの……」

 三枚葉シャムロックとは、文字通りルドミラの家紋たる野草の一つだ。なにせ姉妹全員が押し花のペンダントを代々受け継いでいる手前、相応に由緒あるものなのだろう。


「はい! なんだかあの子マティルダが帰ってきたみたいで……いえ、もう居ない事は分かっているんですが。ふふ」

 するとルドミラはクローバーを鼻まで持っていき、くんくんと匂いを嗅ぐ。なるほど、どうやらレストインピース――、すなわち妹たるマティルダは、姉の枕元に、家紋の野草を置いていったという訳らしい……随分と回りくどいというか、なんというか。


「きっと天国でマティルダも、姉のお前を応援しているんだろう」

 いやいや実際にはすぐ側に居るんだが、それも恋のライバル宣言までをして――、と僕は内心で独りごち、しかしてレストインピースとの約束を守るべく空々しい嘘をつく。


「そうかも知れませんね……陛下、私ももっともっと頑張りますから! マティルダの分まで、きっと!」

 そこまで言い切ったルドミラは、俄に赤面し「そういえば今日も、面会を希望されている方々が」と思い出したように告げる。


「いや、何となくは分かった……教えてくれてありがとう」

 即座に魔眼を回した僕は、王の間に集結する厄介な一団を脳裏に映す。


「申し訳ありません陛下。私ったら……勝手に舞い上がっちゃって」

「気にするな。お前だって気が張る毎日だろう。私の前では、素のままのルドミラで居てくれていい」


「は、はい……」

 恥ずかしげに俯くルドミラの頭をぼふぼふとし、ケイのオフを伝えた僕が階段を降りると、そこにはマクミランの一行が待ち構えていた。




*          *




「おはようじょ! ぞいぞい!」

 ノースリーブのセーラー服に、ショーツが見えるか見えないかの際どいミニスカ。そしてボーダー柄のニーソックス。明らかにその手の連中を殺しにかかる外貌で甲高いロリ声を上げるのはアンサング、すなわち工業都市マクミランを率いる、あろうことかその議長だ。


「ああ……おはようじょ……無駄にテンションが高いようだが……」

 露骨に頭を抱え、僕は答える。レストインピースに聞いた話では、こいつは昨晩、完全緊縛のうえ陵辱の限りを尽くされたとの事ではあるが……


「それはもう!!! おぬしとRIPリップのいちゃこらを、ベッドインからの朝チュンまで見届けた次第じゃからの!!??」

「は!!???」


 思わず頓狂な声を出す僕に、奇妙なヘッドセットを取り出すアンサングは笑いながら続ける。


「このハイパーVR眼鏡をポチッと押すとじゃな……ほれ」

『あっ……駄目だよっ……姉さんが寝てるのに……姉さんの好きな人と、こんな……』


 スピーカーから漏れ出るのは、少女状態のレストインピースの嬌声きょうせい。どうやら盗聴録音もこのじじいの趣味らしい。


「おい……アンサング」

「なんじゃ♡」


「なんじゃじゃない! RIPリップはこの事を知っているのか?? この出歯亀でばがめスケベじじいが!!」

 ヘッドセットに手を伸ばす僕をひょいと躱しながら「秘密じゃよ、勿論」と悪辣な笑みでアンサングが答える。


「はあ……道理でRIPリップの姿が見えない訳だよ。アイツがこれを知ったら、殺されるぞ、アンサング」

「むっふっふ、アレは今、フィオナちゃんの工房で機械人形テルミドールの修理中じゃ。アリバイ完璧、一安心」


 ここでアンサングの背後で、無表情のまま頭を垂れるオープニングが、眉をぴくりとも動かさずに「マスター、お時間です」と告げる。


「おっ……もうそんな時間か。ね、ね、お兄ちゃん。わしと一緒にデートしようぞ!」

 ヘッドセットをオープニングに投げ、怪しい言葉遣いのまま擦り寄ってくるアンサング。特段断る事情も無いがゆえに、僕は連れ立って歩く事を渋々ながら了承する。


「一体なんの用で出張でばってきたんだ……もう今日で帰るんだろう? マクミランに」

「いやじゃあ〜 わしだって遊びたいー」


「はあ、まあまだ早朝だしいいか……ただし、余り時間は割けないぞ」

「はーい♡」


 中身はじじいの癖に、ロリをさらにロリロリしくしたような甲高い声。クソ野郎と内心で毒付きながらも、僕はアンサングに付き添って階下へ向かう。何せナリはアレでも一応は一国の盟主だ。良好な関係性を維持し続ける事もまた、ベルカを率いる皇帝としての責務だろう。




「……での。昨日は凄かったんじゃ。RIPリップの喘ぎ声を聴きながら責められるわし! おぬしの身体に触れる事すらできずに、吊り下げられ無様に鳴き惨めにわななき、愛しさと切なさと――」


 廊下を歩きながら、昨晩の情事を事細かに報告するアンサング。何だよ最後のヤツはなどと思いつつも、止むからず相槌を打つ僕……人間、暇と時間が増えるとこうも性に貪欲になるのかと嫌気が差し、しかして無下にも出来ぬまま気がつけば、目の前はフィオナの研究室アナトリアだ。




*          *




「おっはようじょー!!! フィオナちゃんーーー!」

 バタンと勢い良くドアを開けるアンサング。室内には所長たる我が妹フィオナと、その眼前でメンテナンスを受ける、レストインピースの二人が居た。


「むっ! おじちゃん!! おはようじょ!!!」

「馬鹿マスターか……いい加減、その挨拶は止めにしろ。しめやかに安らかに眠れレストインピースと告げる、ワタシのイメージにも関わる」


 あからさまに侮蔑ぶべつの視線を投げかけるレストインピースに、まあそうなるわなと僕も挨拶を返す。


「おはよう。昨日はご苦労だった。うちのメイドが随分と暴れてしまってな。フィオナも、すまない」

「本当だよお兄ちゃん! まったくみんな無理しちゃってさ! アタシの身体、一つしか無いんですけど?!」

 アマジーグのおじちゃんも来たおかげで、こっちは徹夜だよと眼鏡をくいとさせ、フィオナはレストインピースの腕部に目を移す。


「ふぅ……いや、迷惑をかけるな。感謝はしている。支払いならそこの馬鹿マスターが幾らでもと言っているから、適当に毟り取ってやれ」

「言われなくても! はいおじいちゃん、ガッツリRIPリップちゃん直してあげるんだから、ちゃんと報酬ははずんでよね!」


 ぷんすかと、しかしてどこか楽しげに笑うフィオナ。なんだかんだと言って大陸最高峰の技術を誇る、マクミランの機械人形テルミドールに興味津々なのだろう。


「仕方ないのう……まあまあ、楽しいものも見せて貰ったし、今度LE級レジェンダリーアーティファクトを見繕って送ってやるぞい」

「本当! やったねー。 アタシの武器も強化できるのだといいなあ。いつの間にかケイちゃんもぶっちぎりで強くなってたみたいで……なんだかちょっと落ち込みモードさ」


 そこは研究職のフィオナが張り合う所じゃないだろうとおもんばかりはしつつも、どうせ言った所で聞かない口だ。休養を取るようには促すが、基本的には好きにやらせるに尽きる。


「――落ち込む事は無い。お前に渡されたビーハイヴ。中々に良く立ち回れた。足りぬのは使用者たるワタシの落ち度だ」

 ふぅと溜息をつくレストインピースは「だが課題は見えた。マスター。帰ったらワタシを強化しろ」と続けると、ぎょっと身をすくめるアンサングを凝視する。


「お……おう、じゃが、マスターのわしに暴力は振るわぬと約束するのじゃぞ……マゾ豚ビッチのロリ奴隷ではないからの……わしは」

「自分で言うか? 全てはお前の心がけ次第だ。せいぜい腕を振るう事だ」


 言い放ってまたフィオナに向き直るレストインピース。アンサングは僕にしゃがむように促すと、耳元で(アレがおぬしの前だと途端にしおらしくなるのじゃから、たまらんのう)とこそこそ話す。


「何か言ったか? 馬鹿マスター」

「な、なんでもないぞい……」


 ぐぬぬ、聴覚系を強化しすぎるのも問題じゃわいとアンサングは肩を落とし、椅子に座った僕の膝の上に、ちょこんと腰掛ける。


「ぞいぞいお兄ちゃん〜 わしつまらんー。あそぶのじゃー あそぶのじゃー」

 僕の仮面を外しながら纏わり付くアンサングに、フィオナとレストインピース、二人の鋭い声が突き刺さる。


「おじいちゃん!!! お兄ちゃんに変な事するの禁止!!!」

「恥を知れ馬鹿マスター! また天井から吊り下げられたいか!!!」


 ぶーと頬を膨らませるアンサングは「ま、吊り下げられるのはアリじゃぞ」と小声で呟くと、ぴょいと床の上に着地する。――おいアンサング、世間はそれをマゾと呼ぶんだ……


「残念じゃのう。もうちょっとお外で遊んでからくればよかったぞい。またの機会じゃ、ララトお兄ちゃん♡」

 最後に軽くキスだけをしたアンサングは、また突き刺さる視線を躱す様に「なんでもないぞい」と手を振ってみせる。




*          *




「ふむ。では名残惜しい所ではあるが、この辺りでおいとまするかのう」

「今回もウチの馬鹿マスターが迷惑をかけた。またの機会だな。一ヶ月後、楽しみにしている」


 それから数刻。まだ人気も無い駅のホームに、アンサング、オープニングにレストインピースの、マクミラン組は立っていた。


「いや、楽しかったよ。こちらこそありがとう。来月の結婚式にはきっと呼ぶから、是非きてくれ」

「ああん〜。嫌じゃ嫌じゃ〜、わしもおぬしのお嫁さんになりたいのじゃー」


 駄々をこねるアンサングの頭を小突き、駆け寄ってきたレストインピースは、僕の耳元で小さく囁く。


(姉さんの事、頼んだ。ワタシももう少し、強くなって帰ってくる。――あと、ちょっとはかわいくな)

(分かったよ。お前は今のままでも十分綺麗だ。だから、無理はするなよ――ああ、それから)


(なんだ?)

(お前の置いてった三枚葉シャムロック、喜んでたぞ、ルドミラのヤツ)


(――そうか)

(ああ)


 軽く交わされる抱擁と、挨拶代わりのキス。すぐに防毒面ガスマスクを被り傭兵の姿に戻るレストインピースは、タンと勢い良く跳躍し、列車の屋上に立つ。なんでも本人いわく、これが一つの様式美らしい。


「じゃあねおじいちゃん! アーティファクト、ちゃんと送ってね!」

「任せるのじゃ! わし、アンサングの名に賭けてものすごいエロエロマル秘アイテムを送らせていただくぞい!」


 なんだか不穏な単語という気がしないでも無いが、隣で赤面するフィオナを他所に、列車のドアは音を立てて閉まっていく。最後にお辞儀をしたオープニングの姿がガラスの奥に消える頃、汽笛がベルカの朝を叫ぶ。――こうして来賓の一角、マクミランの一行は、彼の地へと帰ったのであった。

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