六章06:休閑は、激戦前夜の暫しの情事

「――ねえララト、起きてる?」

 そう言ってエメリアが僕の寝室にやって来たのは、周囲も寝静まった深夜だった。


 リザとエメリアの戦闘に触発されたのか、サラとケイが夜通しの稽古に励んでいる以外は、恐らく草木も眠る丑三うしみつ時と言うヤツだろう。


「……起きてるよ」

 返す僕に「うん」とだけ答えたエメリアは、なるだけ音を立てない様にそうっと室内に忍び込む。戦闘ならば兎も角、こういう時の所作はやはり護衛のケイに軍配が上がる。




「ごめんね……今日は負けちゃって」

 リザへの敗北を詫びるエメリアに、僕は「気にするな」と返した。


「もともとリザに敵意があった訳じゃない。言ってたじゃないか『レオハルト級』だって。つまりもうエメリアは、プルガトリア最強格の剣士と肩を並べてるって事だぜ。そう肩を落とすなよ」


「ま、分かってはいるんだけどさ……でも悔しいじゃん。あれだけ大見得切ったのに。はあ」


 エルジアにほど近い国境線のこの街は、寝間着に浴衣とやらを用いる。淡いピンクのそれを纏ったエメリアは、長髪にシャンプーの残り香を漂わせながら窓辺に立つとため息を吐いた。




「……あのさララト」


「――何だよ」


「私って……魅力無いかな?」


「いや、あるだろ。アカデミアの時だって、大概お前の噂ばかりだったし。マクミランでも人気だったの……見ただろ」

 

 才色兼備のエメリアは、所謂いわゆる学園のアイドル的存在だった。先輩から後輩に至るまで、アカデミア中の男子生徒がエメリアを羨望せんぼうの眼差しで見つめ、あわよくば手中にと思いを巡らせていた事を僕は知っている。――そして彼女自身もまた、その事実を知り、知った上で「名誉ある孤立」を選んでいた……筈だ。


「ならさ、あの女も言ってたけど……どうして私に手、出さないのよ」


 月下に煌めくブロンドの長髪を大仰に掻きあげ、そして不満気にエメリアは言った。


「いや、手って言うかさ。今なら兎も角、あれだけうだつの上がらない僕がお前に手を出してたら、学園中大騒ぎだろ? 立場とか才能とか、とにかく色々と差がありすぎる」




「――は?」

 ところがエメリアは驚いた表情でぽかんとすると、次にはニヤリと笑って続けた。


「え、ララトもモテてたよ? 知らなかったの? まあ私が色々握りつぶしてたから、知らなくてもしょうが無いけど」


「ええ?!」

 その衝撃の事実に、今度は僕が慄く番だった。


「ほら私、生徒会長も委員長も全部やってたでしょ。大概分かるよね……誰が何をしようとしてるか。いやあ潰した潰した」


 エメリアの曰くでは、彼女の持つ情報網の総力で以て、僕に至りそうな女子の好意を尽く潰して回っていたらしい。例外だったのはフォオナとケイ。エメリアのお眼鏡に適ったこの二人だけは、特別に僕の側に屯する事を許しておいたのだそうだ。


「おい……じゃあ僕の貴重な青春は……」

 

「まあ私が狩ってたわ。ごめんね」


 にこりと手を合わせて見せるエメリアだったが、今更ながらの狂気に若干引きながらも僕は続けた。




「し、知らなかったぞ……エメリアの側に居る所為で、避けられてるんだと思ってた……」


「いやいや。ていうか、彼氏ポジだったから。ララトは、私の」

 

 えへんと胸を張るエメリアは「勝手にララトが自分で引っ込んでただけ。まあそれなりに力の差はあったと思うけど、ララトが居るおかげで私はがんばれたし……えっと、ああ、その事は前に言ったね。とにかく、ララトは色々出来てたほうだよ。まあ、見た目も、ほんと」と、最後のほうで頬を染めながら言った。




「そうだったのか……そういえばナヴィクでも言われたなあ理事長先生に。フローベルだけの話だと思ってたけど……」


 僕はエメリアの先輩にあたる、あのツインドリルのお嬢様を頭に浮かべた。先日気づいたばかりだったが、フローベルも僕に好意を抱いていたらしい。


「ね、ね、でしょ? もう絶対先輩にはララトの事取られたくなくてね。私必死になって蹴落としたんだから。あの人の事」


 いつの間にか窓際に座っているエメリアだったが、そう考えると随分な執念で以て、彼女は彼女なりに僕を愛していた事が分かった。




「――で、それでフリーゲ・ヴリーヒ・ムーシュ・ララト。もう皇帝にまで上り詰めて、力も私を上回って、裸だって見た幼馴染みに、この期に及んで指の一本すら触れないってのは、どういう了見?」


 吐息がかかるぐらいに顔を近づけたエメリアが、胸元を強調しながら半ば怒りのこもった声で囁く。


「そ、それは……」

 気圧された僕は少しだけ身を引きながら、代償として失われる自身の命について脳裏に描いた。ここで欲望のままエメリアに手を出す事は不可能では無いが、その先の責任までを、背負える時間を僕は持たない。昔は自信が無いだけだったが、今はそれとは別の理由が横たわっている。


「ああ、ほら、脱げないんだよな。この鎧。本当はすぐにでもエメリアを押し倒したいんだけどさ……はは」


 冗談で言ったつもりの僕の唇を、エメリアは口吻こうふんで塞いで言った。


「――だったら押し倒しなさいよ。ララトの馬鹿」




*          *

 



「――いいじゃない……魔王を倒すまでその鎧が脱げないって言うなら、それでもいい。今の私はララトの臣下なんだよ? いの一番の、親衛隊の。だから好きな時に、好きな様にもてあそんでよ。分かる? 私がそれを望んでるの。だから、だから……」


 奪われた唇を奪い返すかの様に、エメリアを押し倒した僕の首筋に手を回して、彼女は潤んだ瞳で告げた。


「私は人の世の最強であり続ける。誰しもが羨む高嶺の花であり続ける。あなたに相応しい女であり続ける……だから、魔王を倒して全てが終わったら、その時は……」


 エメリアの頬を一筋の線が伝う。彼女の泣いた顔を見たのは、あの黄昏の日の告白以来だった。


「だから、私の側から、これ以上遠くに行かないで……お願い、ララト」


 そう言って僕を抱きしめるエメリアを抱きしめ返し、僕もまた彼女の耳元で囁いた。


「――遠くに行ったりなんかしないさ。大丈夫。必ず僕が、僕が皆を幸せにしてみせる」


 そして同時に僕は、エメリアにだけはヴェンデッタの代償を、余命の無い時間を告げる事は許されないと強く思った。――この誰よりも強く……そのゆえに危うい、大切な幼馴染みを、守る為に。

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