五章08:唱歌は、歌われざる者のために

「――起きたかのう。おはようじょ!」


 遠い意識の果てから幼い少女の声が響き、僕ははっとして眼を覚ました。

 辺りを見回せば雑多なラボの風景。どうやらフィオナの実験を手伝う間に眠ってしまったらしい。


「んん……おはよう……じょ?」

 僕は僕の手の先の柔らかな感触と、自分で返した挨拶の違和感に気づき、まぶたを開け正面の影を凝視した。


「気持ちよかろう? ようじょの胸は」 

 見ればにやにやと笑みを浮かべるのはマクミランのギルドマスター、アンサングで、僕の手は彼女――、もとい中身はジジイの胸をひたすらに揉まされていた。


「アンサング……一体なんの真似だ」

 そう言って僕は、自分が仮面を付け忘れていた事を思い出す。あの仰々しい仮面が無ければ、いくら声だけを凄んだ所で外貌の威厳は無い。


「ふひひ……駄目じゃのう。油断大敵じゃ」

 言うやアンサングは、自らの身体を包む素材(シリコンだったか?)の配分が、いかに男性にとって揉み心地の良い具合であるかをとくとくと語り始めた。


 繰り返しにはなるが、見た目には人形の様に可愛らしい、それでいて艶めかしい肉感を持つ少女だ。中身が老人だとでも知らなければ、うっかりと欲情をそそられてしまうであろう程度には……




*          *




「ふぅ……分かった。分かったよ。で、要件は?」

 声色を普段に戻した僕は、アンサングに向かいタメ口で話を進める。どのみちおじいちゃんと孫程度には離れている年齢だ。このぐらいのノリで丁度良いのだろう。


「つれないのう。今日にはもう次の街に移るのじゃろう? 可愛い幼女が目覚めのキスに馳せ参じてやったのじゃが?」

 えへんと胸を――、成熟していないかの様に装われた小振りな胸を張りながら、アンサングは鼻の下を人差し指で擦って威張る。


「ああ……ありがとう。そうだな、起きないと」

 よっこらせと僕が立ち上がると、やはりアンサングの身長は僕の胸元までも無い。上目遣いにこちらを見上げる金色の眼は、うるうると潤みあざとくも可愛らしい。


「ん? そういえばマティルダ……レストインピースは大丈夫だったのか?」

 フィオナの姿を探すつもりだった僕は、アンサングの護衛であろうレストインピースが居ない事をつい呟いた。うっかりした証拠に、つい彼女のかつての名を口走る。


「そうじゃそうじゃ。大変だったのう、お主の魔力の所為で、レストインピースリップは一晩中ヨガっておったわい」

 悪戯げにほくそ笑むアンサングは、睨んだ僕に反応し「……冗談じゃ」と付け加えると「ここだけの話じゃが、命の恩人に深く感謝しておったよ」そう結んだ。


「恩人って、それはあなたの事では?」

「分かっとらんのう」


 僕の返しに頭を振りながら、アンサングは手近な椅子に腰掛けて大仰に足を組む。今日はピンクにリボンが付いたショーツだ。まったくこのジジイ、相変わらず世のロリコンどもを殺しにかかっている。


「お主がおらんかったら。あの子は結局助からんかったよ」

「――どういう……事です?」


 結局は僕の性だろう。語調もいつしか敬語に落ち着き、アンサングの話に聞き耳を立てている。


「あの日……お主がRIPリップを埋めた時、あの子は仮死状態じゃった。ゾディアの婆さんに付いて行ったわしが、物見台から見てかけつけるまで半刻。発破の魔法で熱を得られた事で、RIPリップの心臓は辛うじてまた動き出したのじゃ。さしものわしとて、死者を蘇らす事はできんからの」




「そういう事でしたか……経緯はどうあれ、助けていただいて有難うございます。彼女には家族がいるんです。それから友人も。――きっと無事を聞いて喜ぶでしょう」


 そう言いながら、僕は脳裏に彼女の姉ルドミラと、友人の騎士ユーティラの顔を浮かべていた。きっと将軍のレオハルトも、マティルダの存命を知れば肩の荷が降りるだろう。いや寧ろ痛々しい姿に、一層の罪責に苛まれるか……


「まあ余り気にするでない。壊れ物を修理するのはわしの趣味じゃ。そこから這い上がるのはあとは個々人の努力。あの子はそれだけ頑張ったという事じゃ」


「いえいえ、せめてもう少し御礼させて下さい。帰りしなに魔力でも充填して行きましょうか……? もちろん、見合うだけの魔蓄機オーメルがあればですが」

 

 ナヴィク一国を賄う事すら出来る僕の魔力だ。どうということでも無いと申し出てみたが、アンサングはというと椅子をひょいと越え、上目遣いでこちらに向かってくる。




「ほう……そんなに殊勝なら、わしの相手でもして貰おうかのう」

 すぐ側では机に突っ伏したままのフィオナがくーくーと寝息を立てる中、アンサングは白いセーラー服の合間から胸元をはだけさせ、少女とは、いや機械人形テルミドールとは思えない妖艶な表情で僕の身体に纏わり付く。


「ふふ……ナヴィクで見た時から好みじゃったわい。半年の摩耗まもうを経てまた一層とおいしそうになったのう」

 ぺろりと舌を出すアンサングに、ぞくりと僕が背中を震わせ、しかしこれが望みであるならと身を委ねかけたその時だった。鋭い閃光が走り、アンサングと僕の間の空間を、細剣スフィルナが切り裂いたのは。




「――随分長いと思えば。我が主君に危険が及んでいるようでしたので」

 はたと入り口を見やると、そこには仏頂面のエメリアが腕を組んで立っている。


「エ……エメリア?」

 問う僕に答えるでもなくつかつかと室内に踏み込んだエメリアは、地面に突き刺さったスフィルナを抜くと、その抜いた切っ先を鞘に戻しもせず淡々と語った。


「失礼致しました、アンサング議長。陛下に悪い虫がついておりまして、つい」


 アンサングを見下ろすエメリアの眼には怒りがたぎっている。或いは彼女を強化した事は失敗だったのかもしれない。レオハルトに並ぶ力を持つ個体ともなれば、単独で国家そのものを滅ぼしかねない。




「お、おう、おはようじょ!」

 汗という機能は無いのだろう。しかし明らかに焦りを見せながら、アンサングは僕にしたのと同じ挨拶をエメリアに向ける。――駄目だよじいさん。そんなの火に油を注ぐだけの……


 僕が内心で呟きかけたのと同時に、大仰に髪を掻き上げたエメリアは「Hellolitaハロリータ? へえ、そういうのを我が陛下になさってた訳ですか」と、案の定怒り心頭とばかりに裸の刀身をチャキリと動かした。


「ち、違うのじゃ……ほ、ほら、ヴリーヒ殿も色々溜まっておろうとおもってな……わしがその、発散をな……」


 ――おいじいさん、僕はそんな事一言も言ってないぞ。確かにあなたの見た目だけは特級に可愛いが……それは認めるが……

 

「――足りてますので」

 僕の意を汲んでか、エメリアがそれを否定してくれた。と思いきや、続く言葉は全く意外なものだった。


「陛下の処理は、私たちで足りてますので!」

 ――待ってくれ。お前にそれを頼んだ覚えも無い。




 やがて周囲の騒ぎに揺り起こされたのか、眠気眼を擦りながら、我が異母妹のフィオナもむくりと顔を上げた。


「おはようじょ……ん? おはよう」

 

 どうやら夢の中で聞いたであろうアンサングの言葉を、そのままオウム返しにしてしまったらしい。いや、そうであったと信じたい。


 コツコツと軍靴で地面を鳴らすエメリアに、流石に震えるアンサング。その狭間で動けぬ僕と、背伸びする義妹のフィオナ。――ナヴィクとは別の意味で騒がしいマクミランの一夜は、こうして終わりを告げたのだった。

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