五章07:乞願は、夜の闇に静かに消えて
「ふぅ、これでセット完了かな」
たった今フィオナが僕に付けたのは、身体を纏う鎧、すなわちヴェンデッタを透視する機械らしい。
兜を外し椅子に座った僕は「こんな事で分かるのか?」とフィオナに問う。
「まあ分からなかったらしょうがないけどさ。帝都にはこの機械無いんだもん」
さも導入しろよと言わんばかりに視線を投げるフィオナは「だいたいアタシじゃなくてお兄ちゃんの身体なんだからね!」と赤縁のメガネをくいとさせ、説教する時の表情で唸ってみせた。
「まあな……と言っても、ご覧のとおり僕はなんともないんだけどな」
嘯く僕に「はいはい」と頭を振りながら、フィオナは箱型の機械のスイッチらしきに指を置く。すると緑色の光が僕を照らし、光源が上下左右に揺れながら品定めする様に舐め回した。
* *
――ヴェンデッタ。僕を包むこの
ただこれらは状況をこそ指してはいるが、背後に控える原因については一切踏み込んでいない。つまり卓抜たるフィオナの知能を以てその地平に至ろうという打算が僕の目論見にはあった訳だ。――無論いくばくも無い僕の余命を知られる事なく。
「――どうだ? 何か分かったか」
「うーん、分かったというか……なんというか」
フィオナにしては珍しく歯切れの悪い口調で「分かったのは……分かんないって事だけだね」と、そこだけを断言した。
「何が……どう分からないんだ?」
とにかく情報の断片でも欲しかった僕が尚も食い下がると「ブラックボックスっていうのかな……見えないんだよね、何も。普通なら骨や内蔵まで見透かせる筈なんだけどさ。星の無い空みたいに……なんにも見えない」そうフィオナは答えた。
「概念として一番近いのは、
引き続き唸りながら堂々巡りするフィオナは、ふと立ち止まると「やっぱりその鎧自体を外すしか無いんじゃないかな」と僕に詰め寄る。
* *
「ねえお兄ちゃん、本当にその鎧、一回も外した事ないの?」
「あ、ああ……」
「おっかしいなあ……ねえお兄ちゃん、アタシに何か隠してない?」
顔を近づけ詰問するフィオナに、たじろいで僕は答えた。外すには外したが、人目に
「兜と仮面ぐらいだな……まともに外せたのは。他は無理だ。しかしフィオナを以てしても分からないとなると、暫くはこのままかな」
密かな期待はどうやら的外れに終わった様で、ところがその一言が、義妹の研究者魂に火を点けてしまったらしい。
「なにそれ、まるでアタシじゃ謎を解明できないみたいじゃない!」
まったくもって失言だった。エメリアが剣において比類なき負けず嫌いなら、フィオナは知の分野に負ける事を嫌う。
* *
「……はあ、やっぱり駄目だねえ」
しかし数刻後、ぐったりと項垂れたフィオナは「アタシの仮説が全部崩れたよ……既存の概念じゃ推し量れやしない」と僕により掛かる。今や二人は、部屋の巨大なベッドの上だ。
「無理するな。今は出来る事からやっていけば良いだろう。
「うーん……とは言うけどさぁ。なんか心配なんだよね……お兄ちゃんがいつか遠くに行ってしまいそうで」
それは家族としての直感なのだろうか。残された僅かな命に思いを馳せた僕は、暫くフィオナの問いを聞き流してしまっていた。
* *
「……ねえお兄ちゃん、お兄ちゃんってば」
「ん? んん、ああ……なんだっけ?」
「なんだっけ、じゃなくてさ」
「うん」
貧相な身体にぴっちりと張り付いた魔道士のローブは、これまたぴっちりと僕の身体に密着している。藍色の髪をおでこで揃え、こちらを見上げる義妹の表情が、妙に艶めかしく、そして愛おしい。
「お兄ちゃんはさ……同盟を結んで、魔王を倒したらどうするの、どうしたいの……?」
ただ質問を飛ばすフィオナの、くるくるとした藍色の眼は、切迫した真面目さを湛えている様にも見えた。
「気が早いな……どうしたんだ?」
「ううん……知っておきたいなって思っただけ……」
不意にしゅんと俯くフィオナは、地面を向いたまま言葉を紡ぐ。後ろで結んだおさげの髪が、彼女の呼吸に合わせて揺れている。
「……国をまとめる為にお姫様と結婚する。皆を守る為に魔王と戦う。それで勝って……勝ってもまだ王様のまま?」
フィオナの意図する所は分からなかったが、その時点で既に死んでいると踏んだ僕としては、そもそも未来に何かをするだなんて選択肢自体が、想定の範囲外だった。
「あ、ああ。どうだろうな。皆が幸せに暮らせるなら……皇帝である必要は無いのかもしれないけど……」
「はぁ。みんな……か」
思いつきで口を滑らせた僕に、フィオナは寂しそうに呟く。
「みんな、みんな……お兄ちゃんはいつだってそうだよ。誰か、じゃなくて皆」
フィオナは、自らのローブの端を握りしめ、つらそうに言葉を紡ぐ。
「アタシはさ。お兄ちゃんの幸せがアタシの幸せだって思ってるからさ。だから、お兄ちゃんが皆の幸せを願うのなら、それを幸せだと思いたいよ。思いたいけど……」
それから一寸の沈黙が横たわり「……ううん、なんでもない」とフィオナは続けた「ごめんね。聞き分けの無い異母妹でさ」と笑いながら。
「……お兄ちゃん疲れたでしょ。先に休んでて。アタシはこれから、ここの設備を使って
――皆。フィオナの言わんとしている事に気づいた僕は、己の残酷を改めて噛み締めた。だがしかし、もう命が尽きると分かっている人間と生涯を誓い合った先に、一体彼女たちに何が残るだろう。フィオナは兄である僕の目にも可愛らしい才媛だ。きっと相応しい相手が見つかるに違いない。――いや、必ず僕が見つけてみせる。この命が終わる前に。
「待て。僕にも手伝える事があろだろう。付き合う。一緒に行こう」
内心を巡った言葉を抑えつけ、ベッドを立った僕に、フィオナは嬉しそうに飛び跳ねた。
「……本当? 嬉しいな。なんだか昔を思い出すよ」
そう言えば、僕も孤児院に居た頃はフィオナの研究を手伝ったりしてあげてたっけ。最も殆ど原理は分からず仕舞いで、全然役に立ててたとは思えなかったけど。
そしてラボの入り口をもう一度開けた時、ギイと閉まる音の中で、フィオナが小声で何かを言った。ただその何かを聞き取れないまま、僕らの夜の実験は始まったのだった。
(――お兄ちゃん、アタシさ。お兄ちゃんだけが居てくれるなら、世界の行く末なんてどうだっていいんだよ)と。
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