三章07:魔眼は、世の悉くを見通して

 あれから諸用をこなした僕は、ベルカの城の四階――、すなわち皇帝専用に設えられたエリアで、魔眼の確認を行っていた。

 

 ちなみに「魔眼」とは、一度目視した場所か、特定の対象に張り付かせる事で周囲の視聴覚情報を得られる、移動式の監視カメラの様なものだ。使役数の上限は十。現状は僕のフロア、勇者エイセスの牢獄、エメリアたちにそれぞれと、レオハルトら要職者の周りに浮かせている。


 もちろん不純な動機の為では無い。勇者エイセスや要職者については監視目的で、エメリアたちの場合は飽くまでも身辺の警護を兼ねた防犯の為だ。――特に今日のルドミラのように不安が残る場合は、ある程度念入りに見てはおく。幸いにルドミラは、しばらく泣き腫らした後は疲れきったのかくーくーと寝息を立てていて、そこで安心した僕は、魔眼の視覚を切る事にした。


 ……と、そこまで弁明を企てておきながら、ふと我に帰ると明らかに不純である。――目的はどうあれ結果として。だってこれ、覗こうと思ったら覗けるし。実際のところ、慣れ親しんだエメリアたちの下着姿はどうという事もなかったのだが、今日はじめてルドミラの私生活を垣間見た時に、さすがに罪悪感が芽生えてしまった。明日以降はそう、なるべく見ないようにしよう。非常事態のアラートだけはかけておいて。


 なんてことをぼんやり考えていると、フロアに設置した魔眼が、侵入者もとい来客の到来を告げる。これの便利なところは、視界に異常があった時に知らせてくれる機能があることだ。おかげで濫りに他人のプライバシーを侵さずに済む。……いや、もう既に十分侵しているのだが……それは、言わないで欲しい。




*          *



 

 そして僕が気付かぬ素振りで入り口に背を向ける中、ガラリと扉を開けたのはケイ。彼女は既にメイド服を脱いで、タンクトップにスパッツと、動きやすい服装でアップを始めている。


 四階には皇帝、皇妃、使用人の居室がそれぞれと、武道場、リラクゼーションルームが分かれ、ここはそのうちの武道場に当たる。

 

 皇帝こそが最強たるエスベルカでは、日々の鍛錬もまた公務の一つだ。とは言え今宵は、勇者エイセスを超える力を欲する、ケイの特訓の為のそれではあったが。




「よっしセンパイ! 今日も宜しくお願いします!」

 元気一杯に声を上げたケイは、背中に背負しょった新しい弓を構えて見せる。


 ――ナイトレーベン。

 勇者エイセスの宝物庫から接収した、黒一色の複合弓コンポジットボウ


 M字型に屈曲した弓身は黒曜石の、伸びた弦はアラクネーの、それぞれ人界最硬質と称される素材で作られていて、闇の魔力を放つ呪われた短弓は、一発の矢に二つの質量を持った残像が追随する。鴉の翼を思わせる禍々しい外貌が「ナイトレーベンワタリガラス」の名の由来でもあった。


「待っていたぞケイ。さあ、それじゃあ始めようか」

「オッケー、先ずは見ててね! ぬぅううううん!」 


 ナイトレーベンを構え、目を閉じて集中するケイの周りに、周囲に放たれていた魔力が、いっときに集まっていく。


「孤高なる夜を穿て。千の魔眼、百の心眼。我が追走の月下に逃れる術無し、花と共に散り、黙して死ね。――フライクーゲル」


 僕がケイに与えているのもまた闇の力。フライクーゲルとは文字通り魔弾の事で、目視し念じた相手の元へ、ありとあらゆる方法で以て辿り着く必中の矢である。


 ケイの場合はまだ充分に習熟していない為、魔弾の発動には詠唱を要する。

 これからの課題はと言えば、詠唱無しチャントレスからの即時発動で、それさえクリア出来れば、将軍たちドゥーチェスの末席程度の戦力にはなる筈だった。




「――行くよ、センパイ」

 黒い瞳に闇夜を映し、ぼそりと呟いたケイのナイトレーベンから、一本の、つまりは実質三本の矢が放たれる。


 初日は二本。翌日は四本。だから今日は六本の魔弾を放てれば課題はクリア。

 僕はそれらを躱しながら、徐々にスピードを上げケイの側に近づいて行く。


 敢えて明後日の方向に撃ち、外れたと思わせた所で背後から射抜く手段もあるにはあったが、覚えたてのケイにはそれはまだ出来ない。幾ら必中とは言え、正面から乱射される弓をいなすのは容易だ。


「――六発。今日もクリアだ。お疲れ」

 そして全弾を叩き落とした僕の手が、背後からケイを抱きしめる。


「あっ……もうセンパイ、ちぇっ、ボクの負け。はぁ」

 闇の力を抜きぐったりと項垂れたケイの膨らみかけの胸を、もにゅもにゅと僕は揉む。


「はぁ……ねぇセンパイ、エメリアとボクならどっちが強いの、今だと」

 しかし。あからさまなセクハラにすら反応せずに真顔で問うケイに、僕は逆に不安を覚えた。


「あ、ああ……まだエメリアのほうが強いかな。それでもレオハルトには敵わないけど」


 将軍たちドゥーチェスの名を出されたケイはさらに溜息を重ね「あー、もっと頑張らないと」と肩を落とす。


「まぁ焦らなくていいよ。式典まではまだ一ヶ月あるんだから。毎日少しずつ強くなろう」

 僕はそう宥めると、ケイの両肩に手を置いて、今日の分の魔力を与える。


「ああ……んんっ。これがアレなのかな。今日フィオに見せて貰ったけど、ほら

……ユークトバニアの……なんだっけ、39……」

 

 力に身体を震わせるケイは、途切れ途切れにアナトリアで見た光景を口にする。


「フィオは抽出してるって言ったけどさ……センパイのこれは……大丈夫なの? ボクじゃなくて、センパイの身体が」


「見たんだな……ああ大丈夫だよ。僕の持つ魔力はあいつらとは比べ物にもならないから」

 

 魔力を送り終えた僕がそう締めると、がくんとケイは膝から崩れ、目の前の黒い甲冑に身を委ねる。




「そっか……良かった……センパイが無理してるんじゃなくて」

 とろんとしたまなこのケイの頭を撫でながら「今フィオには、勇者エイセスの魔力を軍事転用できないか試して貰っているんだ。もし実現されれば、対魔王の切り札の一つになり得るからね」そう僕は続けた。


「だよね……ボクも頑張らないと。あのサルの穴を埋める為に……センパイの側に居続ける為に……」


 強力なエネルギーの付与は、気分の高揚と共に疲労も齎す。

 くーくーと聞こえるケイの寝息を耳に、僕は彼女を抱いたまま訓練所を後にした。




 これからケイを部屋まで送り、身体を拭いて着替えさせた後、僕も部屋に戻って一日を終える。これじゃどっちがメイドかわからないなと思わぬでもないが、彼女の頑張りに免じて、敢えて口には出さないでおく。――とまあ、これがここ数日の僕の夜だ。


 ――明日はシンシアの問診を受けなければなあ。ルドミラは大丈夫だろうか? エトセトラ、エトセトラ。幾つかの雑考を脳裏に巡らせ、僕は廊下の突き当り、ケイの部屋のドアを開けた。

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