第17話

 翌朝、リョウはリンに叩き起こされた。

 「リンさん…おはようございます…今日も5時に起こして下さるなんて涙が出そうです…」

 リョウは目を擦りながら言った。

 「おはよう、リョウ君。その涙はあくびの涙ね、今日はソラノと遊びに行くんでしょ?」

 「あぁ…そっか…はい…」

 「洋服とか買ってきて、かなり楽しみにしてたわね…」

 リンはにんまりと笑う。

 「そんなにですか…?」

 「ソラノはね、あんなだから、洋服とか買いに行ったこと…ほとんどないのよ。いっつも白衣かバイタルチェック用の黒い実験着だもの。リョウくんが検査のときに着てるあれね」

 「あの、黒いパッツンパッツンの服か…」

 「外で遊んだこともないし、楽しいのよ。今が…」

 リンのその表情は本当の姉が家族を想うようだ。

 「ソラノは、まだ此処を離れるって言ってるんですか?」

 「そうね…そのつもりみたいよ…リョウくんは嫌?」

 リョウは少し黙って。考えをまとめてから口を開く。

 「…ソラノは俺の為に此処を離れるって言ってるんでしょ?俺がこれ以上巻き込まれないように…。でも、俺はアイギスと戦ってしまったし、俺がアマテルと戦えるなら、ソラノは自分を犠牲にしなくて済むんです。俺はソラノには此処にいて欲しいんです…。俺は、俺が戦えることでソラノにいなくならない、いい方法になりたい…です」

 リョウは照れ臭いが、リンの目をまっすぐに見て言った。リンも笑って見せる。

 「ソラノには言った?」

 「え?」

 「ソラノには言ったの?行かないで欲しいって…そんな感じのこと…」

 「まぁ…力になりたいって位は…言いました」

 「…」

 リンは驚愕の表情で固まっていた。

 「リンさん?」

 「リョウ君…。人にはね、言葉にしないと伝わらないことってあるのよ」

 「はぁ…」

 リョウはポリポリと頭を掻く、自分の気持ちは伝えたはずだ。

 「まぁ、覚えといてね…。ほら!展望公園に行くんでしょ?先に検査終わらすわよ!」

 「ヴぇ…。まだ検査あったんですか?」

 「当たり前でしょ。さっさと着替える着替える!」

 リンがそう言いながら部屋を出ていくと、リョウはがっくりと肩を落とし、着替えを始める。

 「言葉にしないと伝わらない…」

 リンの言葉が少し引っかかっていたのであった。



 ※※



 数時間後、リョウは検査を終えて、出かける為に私服に着替えていた。カーゴパンツにブーツ、お気に入りのTシャツの上にはフード付きのベストを着る。

 「さすが高校生ね」

 着替えを終えて部屋を出ると、外で待っていたリンが、リョウの姿を見て言った。

 「なんか変ですか?」

 「ううん…違うわよ、やっぱりお洒落ねぇって思ったのよ」

 「こんなん普通ですよ…」

 なんだか照れくさくなってニヤつく。

 「ふふ…じゃあ行きましょう」

 リンがそう笑ってラボの廊下を歩きだす。ラボ内には立ち入り禁止区域や危険な場所もある為、移動する場合はリンや他の職員に案内してもらわなければならない。

 「あの…リンさん」

 リョウが口を開く。リンは振り向かず返事をする。

 「なぁに?」

 「俺って何でこんなに検査受けないといけないんですか?」

 「知りたい?」

 「はい…やっぱ自分のことなんで…。ソラノがいなかったら、さすがに知らない施設で検査受けるなんて…絶対しません」

 「そうよね…。しっかりしてるわね…。リョウくんはナノマシンについて少し詳しいのよね?」

 「まぁ…自分がナノマシン遺伝者なんで色々と調べたりはしました」

 「自分のナノマシンについてはどこまでわかってる?」

 「今までは調べても普通のタンパク質型ナノマシンとしか言われなかったから、具体的にはわかりませんでした…。でも、色々自分で実験したりしてましたから、どんなことができる。とかそういうのはわかってます」

 リョウはリンの様子を窺うように言う。

 「実験?」

 「はい、俺、小さいころに本気で怒っちゃって、力を抑えられなくなったことがあったんですよ。そのときナノマシンが暴走して、みんなに怪我させたんです…。仲が良かった子も巻き添えにして…。だから、そんなことにならないよう、何をしたらこうなる、とかここまでやると危ない、とか色々試したりしてたんです」

 「…」

 リンは黙ってしまう。リョウはそのまま続けた。

 「まぁそれ以来友達なんていませんでしたけどね、だから、誰も俺のことを知らないこのESSに来たんです…」

 リョウの顔は少し寂しさを帯びた。リンはそれを察した。

 「少し話が脱線したわね…。リョウくんは、アプリエイターって言葉はわかる?」

 「…?」

 「アプリエイター…。ナノマシン四原則、進化・学習・増殖・再生この四つの内、どれか…特に進化の機能を持ったナノマシンのことね。増殖についてはもう遺伝者なんかがいるから曖昧だけど」

 「でも、それって、映画とかアニメの話ですよね?」

 ナノマシンが知能を持って、人間を支配してしまうと言うSFは少し前に流行った。

 「あら、そう思う?」

 リンはリョウを見て、少し笑った。

 「確か、四原則の提唱者って、叩かれてましたよね?そんなもん実現しないから必要ないって…」

 「…へぇ」

 リンが意外そうにリョウを見た。

 「え?何か変でした?」

 「いえ…ホントによく勉強してるなぁ~って思って…。」

 リョウとリンはエレベーターの前に来た。リンは上へのボタンを押す。ここは地下7階だった。

 「さっきも言ったけど、増殖は実現してるわよ?」

 「…確かにそうですけど…。って俺がアプリエイターとかそういう話ですか!?もしかして」

 「…ふふ」

 リンは到着したエレベーターに面白そうに笑いながら乗る。リョウも慌ててそれについて行った。

 「うちに保護されてよかったわねぇ…。違うとこに先に見つかってたらバラバラにされてモルモットにされてたかもよ?」

 リンは笑ってさらりと言う。

 「俺が本当にアプリエイターかどうかを検査してるんですか…?」

 「惜しいわねぇ。リョウくんは気付いてないかもしれないけど、あなたのナノマシンは毎日進化してるのよ。特にサクラシティでの戦闘から爆発的にね。だからあなたがアプリエイターだってことはほぼ確定…。検査してるのは、リョウくんのナノマシンの解析と進化の進行状況。認定されればあなたは世界で8人目のアプリエイターね」

 「…」

 言葉も出なかった。

 「もちろん、認定なんてしたらとんでもないことになるから、公表なんてしないけど…」

 「あの…他のアプリエイターって…?」

 「苦労してるわよぉ。世界中追い回されたり、表向きには生きてるってことになってて実験でもう死んでるも同然だったり…。薬漬けで廃人だったり」

 リョウは少し寒気がした。自分がもし他の組織に捕まっていたら…。

 「俺以外にここで保護されてるアプリエイターっているんですか?」

 「いるわよ、うちが一番保護してるでしょうね…奪命だつめいのアプリエイター、支配のアプリエイター、幻実げんじつのアプリエイター」

 唐突に名前が出て来たせいで、何とも返事をしようもない…。先程までアニメなんかの設定みたいなものでしかなかったアプリエイターが、こうして現実に何人も存在することを突き付けられているのだから。

 「…」

 「リョウくんの場合、電撃のアプリエイターってところかしら?」

 「電撃のアプリエイター…」

 「まぁ、うちの保護下にいれば大丈夫よ。長い付き合いになるかもだけど、よろしくね」

 「…」

 「あんまり深く考えない!自分の意に反して力が発動し続ける子だっているんだから、あなたはまだいい方よ!」

 エレベーターが目的の階へ着く。少し歩けばオーコックス・インダストリーの正面玄関だ。土曜でも研究員や警備員が働いている。

 「リンさん、その力が発動し続ける子って―――」

 「さっ!お姫様が待ってるわよ!」

 リンはリョウの言葉も聞かず、リョウの背中を押す。自動ドアが開き外へ出る。そこにはソラノとミズキが立っていた。

 「遅い!稲葉リョぉ!」

 「リョウ、検査大変だったな…」

 「…」

 リョウは固まってしまっていた。

 ミズキはショートパンツにブーツ、上はタンクトップに肩出しのTシャツを着ていた。

 「今日も開放的ね、ミズキ…」

 リンは半笑いで言う。

 「当たり前じゃない!暑いんだからぁ!」

 ミズキは声を張り上げる。

 ソラノはミニ丈のマリンボーダーワンピースを着ている。靴を見ると、リョウと初めて会ったときに買ったピンクの靴を履いていた。

 「かわいいな…」

 リョウは思わず言ってしまう。

 「…っ!」

 それを聞いたソラノは顔が真っ赤にした。

 「下らないこと言うな!」

 「やぁねぇ…ほんとにソラノかわいいわよぉ」

 ミズキがいやらしい目つきでソラノを見つめる。

 「はいはい、遅れるわよ。楽しんできなさい」

 リンは三人を急かす。

 「気を付けるのよ」

 「わぁかってるぅ」

 最後のミズキとリンの言葉は妙に重く聞こえた。

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