第14話

 「さて…どうするかな…師匠はもういないし…警察に飛び込―――」

 「くぅぅぅおぉぉぉらァァァァァっ!」

 エスカレーターから猛獣のような叫び声が響く。下を見ると、翔子が叫びながらエスカレーターを怒涛の勢いで登ってきた。

 「これで私がぁぁ!納得するわけないでしょうがぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 翔子がリョウの10段下から跳躍。そのままの勢いで鳩尾に頭突き。今日は何回鳩尾に衝撃を食らったであろうか…。

 人間ってこんなに飛べるんだね。

 「師…しょ!?…うごはっ!」

 リョウは壮大に吹っ飛ぶ。翔子は倒れこんだリョウに馬乗りになり襟首を掴む。

 「あんたァ!私があのまま別れて普通にいられると思う!?ねぇ!?」

 よく見ると涙ぐんでいた。翔子の身体が羽のように軽いことに不謹慎だが驚いた。

 「これ以上は、俺と一緒にいても危険なだけだって!だから早く逃げれ!」

 「勝手に決めるな!」

 「…!」

 「勝手に決めないでよ…。全然自分の方が危ないくせに…強がって!置いて行かれて平気でいられるわけないでしょ!?私は力になれる!」

 翔子は襟首を引いて鼻と鼻が当たるほどに顔を近づけて叫んだ。リョウも叫び返す。

 「そんな簡単じゃないんだよ!向こうはプロだっ!下手したら死ぬんだぞ!?…」

 リョウは自分で言いながら、この状況に既視感を感じた。

 「だからっ!あんたに何かあったら私はこれから先!後悔すんのよっ!わかる!?後悔したくないの!今、私が納得いくことをしたいの!わかる!?」

 「…でもっ!―――」

 リョウの頬に水滴が落ちる。翔子の涙だ…。

 「私は!あんたが死ぬかもしれないのに…放っておいて何も無かったように明日を迎えられるような人間じゃないのよ!」

 「…」

 リョウはこの既視感の正体がわかった。リョウは今、ソラノの立場だ。ソラノもこんな気持ちだったんだろうか…。俺のせいで危険な目に遭わせたくない。関わらせたくない。恐いけど自分で何とかする。こう思っていたのだろうか…。そして、翔子はリョウの立場だ。その気持ちが今、十分にわかった。

 「師匠…」

 翔子は立ち上がり、涙を拭く。

 ちょうどそこへ一台のパトカーがサイレンを鳴らしてリョウたちの目の前に停まった。

 「…!?」

 助手席の窓には血しぶきのようなものが付着しており、車内にいる人間が警察ではないことは明らかだった。

 「行くわよっ!」

 翔子がリョウの腕を掴んで走り出す。翔子は走りながら口を開いた。

 「この際、あんたが何者なのか、さっき何をしたのか聞かない…。ただ、あんたのあの動きなら私の技、すぐに出来るようになる。だから私の動きを見て覚えなさい!そして、再現するの。一番大切なのはイメージを再現する力。あんたなら出来るから…」

 「…師匠…死亡フラグが立ってますっ!」

 「うっさい!」

 翔子は腕を握る力を強める。

 「いでででで!て、ていうか、窓見ただろ!?ホントここまででいいから!師匠逃げ―――」

 「もう一回、同じセリフ言わせる気!?あんた!」

 「わかってるけど…!」

 「もういい!黙って走って!」

 走っていると、人通りが目に見えて減っていくのがわかった。

 「おかしいわね…こっちに行けば人が多いと思ったのに…」

 「来た!」

 リョウがそう叫んだと同時に後ろからさっきのパトカーが二人を追い抜き、道を塞ぐように歩道に乗り上げて建物の壁にぶち当たった。その光景に通行人が悲鳴をあげて逃げていく。

 少しの沈黙のあと、ドアが開いた。

 「逃げちゃダメだよォ?ていうかさァ、何?さっきの?結構痛かったよォ?クククク…」

 パトカーから出てきたのは、さっきの切れ長の目の男だった。気持ち悪く肩を震わせて笑う。

 「クク…逃げても無駄だってェ~。警察の回線と君の反応ですぐ見つけちゃうんだからァ~…。あっそうそう、俺が警察殺しちゃってるからこの辺り規制がかかるみたいだよォ~」

 逃げ場は無いと悟ったのか、翔子は構える。

 「そうそう!そこの女の子ォ…俺がアイギス使ってなかったら死んでたよォ?よかったねェその年で人殺しにならなくてぇ…ククク」

 「アイギス?何それ?彼女?死んでればよかったのに」

 翔子は男を見据えたままニヤリと笑う。

 「ひどいなァ~。クク…アイギスは彼女じゃないよォ。そうだなァ…俺のことを今からアイギスって呼んでねェ!」

 アイギスは懐から拳銃を取り出し、翔子に向けた。

 「〝双天・烈突〟」

 翔子は一気に間合いを詰め、掌底と膝蹴りを当てる。そして、肘打ち。有り得ない破裂音とともにアイギスが吹っ飛んだ。

 しかし、前回程は派手に飛ばなかった。

 「…くぅ!」

 「っとぉ!向かって来るとかすごいなァ!痛かったァ?硬くしたから痛かったでしょォ?」

 アイギスは何もなかったかのように、すんなりと立ちあがる。翔子は手を押さえていた。

 「師匠!」

 「少し隠れてて!終わらすから!…!」

 翔子が全部言う前に、アイギスが拳銃を構える。翔子はジグザグな軌道を描き、アイギスに接近。

 掌底。

 拳銃を叩き落すと懐に入った。

 「〝鋼天・烈突!〟」

 翔子は腰を落とし、アイギスの胸を、全身を使って両手で押し飛ばす。

 「おっほォ!」

 アイギスは不気味な笑い声をあげて吹き飛び、パトカーに激突。翔子はそのまま追う。

 「〝聖天・流星群!〟」

 車体に寄りかかっていたアイギスの顔面に突き。そこから、全身に掌底と突きの乱打。目にも止まらぬという言葉が当てはまるのだろう。もう何発打ち込んだかわからないほどの突きと掌底を浴びせている。そして、空中二回転蹴りが顔面に決まる。

 「…クぅぅああぁ!」

 悲鳴をあげたのはなぜか翔子だった。よく見ると翔子の手と脚は血だらけで、傷だらけだった。

 「ばぁぁぁぁぁかぁぁぁぁ!クハハハハ!」

 アイギスが笑いながら翔子の腹に蹴りを入れる。翔子の軽い身体がよろける。

 「師匠ぉぉぉ!」

 リョウは翔子に駆け寄って身体を受け止める。

 「最初は油断して食らっちゃったけどさァ!硬くしちゃえば何ともないんだよねェ!骨、大丈夫ゥ?クククク…」

 「この…っ!」

 リョウは見様見真似で接近。掌底と膝蹴りを当てる。そこから肘打ち。手応えがない。

 「何やってんのォ?」

 アイギスはニヤニヤと笑う。アイギスの身体は鉄板のように硬かった。手と膝に激痛が走る。そして、拳銃を腹に突き付けられる。

 「腰が入ってない!」

 いつの間にか起き上がり、懐に入っていた翔子が叫ぶ。

 「〝鋼天・巨星!〟」

 翔子はアイギスの懐に入り小さな肩で突進。アイギスの身体は勢いよく飛び、放物線を描いてパトカーの向こう側に落ちる。

 「…くぅ!」

 翔子は苦悶の声を漏らし、肩を押さえていた。リョウを鋭い目で見つめる。

 「あいつ…まともに打撃入れられない、硬すぎる…。吹っ飛ばしまくって気絶させる!腰入れて!本気出しなさい!あいつがどこまでも追って来るんなら!ここで終わらせなさい!」

 「…」

 リョウは覚悟を決め、拳を握り締める。電流が全身を流れ、軽くなっていく。その雰囲気を感じ取ったのか翔子は構えを整えた。

 「いい覇気よ…もう反撃はさせない!20秒で終わらせる!」

 「あぁっ!」

 二人はパトカーの上に乗った。向こう側ではアイギスはニヤニヤと笑って立っていた。

 翔子が先に飛び降りる。着地と同時に接近。

 「〝双天・烈突!〟」

 アイギスが吹っ飛ぶ。リョウが加速した身体で見様見真似で追撃。

 「アアァァァァッ!」

 翔子の追撃。

 「〝鋼天・彗星!〟」

 アイギスに全身を使って体当たり。吹っ飛ばす。アイギスが信号機に激突、ポールがぐにゃりと曲がった。

 リョウが一気に距離を詰める。掌底を構える。

 「これでぇぇぇぇ!…がはっ!」

 リョウが構えた瞬間。アイギスがリョウの首を掴んだ。勢いが付いていたせいで首にかなりの衝撃が加わり、息が上手くできない。

 「調子乗るなよォ!ガキィ!お前もォ!」

 アイギスはもう片方の腕でもう一つの拳銃を腰から出して翔子に向けた。

 翔子は距離を詰めようとする。

 数発発砲。銃弾が翔子の行く先に着弾。

 「あっ――」

 翔子は足を滑らせ、転んで仰向けに倒れる。地面が凍っていた。

 「…氷?なんでっ――――」

 翔子の細腕をアイギスが容赦なく踏みつける。

 「くああぁぁぁ!ああ!」

 「面白かったよォ。でも、もう止めようねェ?もう疲れちゃったよォ…平気だけど痛いしィ。クラクラするしィ…」

 片手でリョウの首を持ったまま持ち上げる。首が絞められて息が出来ない。

 「師匠…」

 「そうそう、俺にはねフロストっていうナノマシンもあるんだよォ!凍っちゃえぇ」

 そう言うと翔子の腕が青白くなってきた。凍っているのだ。翔子は苦悶の声を漏らしながら反対の手でアイギスの脚を殴る。

 「ああぁぁああぁ…」

 「クククク…いいねェ。小さい子が喘いでるのってェ…。ゾクゾクするよォ」

 リョウももがくがビクともしない。逆に絞める力が強くなっていく。意識が薄れる。

 「や、め…ろ…」

 「早く何とかしないと腕なくなっちゃうよォ…?おっと、君はソーラーノームの為に要るから殺せないねェ。危ない危ない…でもこっちはァ…」

 アイギスは踏みつける力を強くする。翔子は声にならない悲鳴をあげて涙を流す。

 「…っ!…ぁっ!」

 リョウに無力感が襲った。リョウの目にもまた、悔しさで涙が溢れてきた。

 次第に意識が薄れていく。そして、自分がこのまま気絶したあとのことが脳裏に浮かんだ。翔子は殺される。ソラノは「私のせいで」と苦しむ。何があってもソラノは悲しむし、リョウにとって最悪な世界が待っている。

 嫌だ…。そんなの絶対に嫌だ。

 そんな世界は絶対に認めたくなかった。全て自分のせいで人が悲しむ。ソラノもこんな気持ちだったんだろうか?だから目の前から消えようとしているんだろうか?それ以外に方法はあったんじゃないのか?そして、気付く、全て自分のせいならば、全て自分次第。自分は本当にここまでか?まだ何かないか?自分に問いかける。自分の方法がないのか。

 あるよ…力が!雷姫とやらと同じ力が。

 「…知ったことか…」

 リョウは声を振り絞る。

 「ん?なァに?」

 アイギスが口を大きく開いてゆっくりと言った。楽しんでいる。

 「知ったことかァ!」

 俺に、この先何があろうと関係ない!今、目の前の師匠すら助けられなくて何が力だ!

 リョウは身体に電流を流す。アイギスに浴びせる為ではなく、身体を加速させる。

 「…っらぁ!」

 残りの力を使ってアイギスの首に加速させた渾身の蹴りを入れる。アイギスはさすがにバランスを崩して翔子から脚を離した。アイギスの腕を両手で掴む。

 「うあぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁ!!!」

 全力で叫んだ。一気に放電。身体が青白く輝き、ありったけの電撃が流れる。

 「ぎゃあああああああ!」

 アイギスに電撃が走る。激しい音と共に、次第に焦げ臭くなってくる、放電を止めない。

 「きぇぇぇぇぇいぃ!」

 アイギスは奇声を発してリョウを投げ飛ばした。

 着地。

 リョウは身体を加速させ一気に間合いを詰める。

 師匠の動きを思い出せ!

 〝双天!烈突!〟

 「げぇ!」

 アイギスは吹っ飛んだ。鉄板のような手応えはない。さらに加速。追撃。リョウの突きがアイギスの腹に突き刺さる。

 「くたばれぇぇぇぇぇ!」

 そのまま放電。

 「がぁぁぁぁはぁぁ!ががががががげげげへぇ!」

 アイギスは痙攣し気持ち悪い悲鳴を上げる。

 すぐさま顔面に掌底。アイギスは吹っ飛び、力無く転げる。

 「…がはっ…かっ…お、お前ぇ…!なんなんだよぉ!」

 アイギスはよろよろと立ち上がり、うろたえる。全身からは煙が上がり、所々焦げている。立ち上がるのが不思議な程だ。

 「ソラノは行かせない!後悔したくない!」

 翔子の言葉を思い出す。

 「今、俺は!俺の方法で!俺が納得いくことをしたいっ!それで、俺の世界が変わるなら!」

 リョウが地面を蹴る。あまりの衝撃で地面が砕ける。身体から青白い電撃を迸らせ、勢いのままにアイギスに肉迫。

 「…あぁ。だから姫ちゃん…探せって…い…」

 アイギスは諦めるように笑い、呟いた。リョウはアイギスの顔面を片手で掴み、思いきり地面に叩きつけ、引きずる。

 これまでで最大の放電。リョウの全身から、アイギスから電撃が飛び散り、周囲の電灯やガラスを派手に砕け散らす。

 「ハアァァァァァァァァァッ!」

 電撃の爆発。周囲を落雷のような爆音と光が埋め尽くす。

 放電が終わると、所々から、チリチリと音だけが聞こえ、周囲はまるで戦場だったかのような惨状が出来上がっていた。

 「はぁ…はぁ…」

 リョウはアイギスの頭から手を離した。

 アイギスはどこから出しているのかわからない声を出すだけで、動かなくなっていた。

 「…ア、…アァァァァ…」

 「…バカ野郎…」

 リョウはそう言うだけで精一杯だった。すでに視界が霞んで見えている。翔子の姿もぼんやりとしか見えない。その場に崩れるように座り込む。

翔子がゆっくりと立ち上がり、腕を押さえながらこちらに歩いてくる。

 「…し…しょ…」

 「…あんた…何…なの…?」

 翔子はそれまでに見せたことがない表情でリョウに言った。会ってそんなに経ってないけど。

 「…秘密って…言ったろ…」

 「…まぁ…いいわ、大丈夫…?」

 「大丈夫じゃないっぽいな…。寝そう…」

 リョウは力なく倒れる。咄嗟にそれを翔子が支えた。

 「ちょっと!寝るとかダメよ!」

 「…師匠…俺、ちゃんと戦えるようになりたい…」

 翔子は死んでしまうんじゃないかとでも思っているんだろう。またリョウの頬に涙が零れた。

 「私が教えるわよ!だから、寝るとかダメよ!?」

 「ありがと…。寝る前にひとつ教えてくんない…?」

 「…何よ…」

 「俺、強くなれるかな…」

 「…当たり前でしょ…私が師匠なんだから…!ていうか寝たらぶっ飛ばすわよ!?ねぇ!?」

 リョウの意識は限界だった、段々と薄れていく。最後に聞いたのは翔子のその言葉だった。

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