第29話
「おはよー」
教室でやる気のない挨拶をしたのはリョウだった。
「やっときたか…大丈夫だったか?」
ソラノは席に座るリョウに声をかける。一応は気遣ってくれた。
「まぁ…途中で足突いて歩いて来たけどね」
リョウは足の固定具をプラプラと振って言った。
「ヤマトは何を―――」
「稲葉くん!?」
悲鳴に近い声をあげたのは隣の席の雪羽だった。ソラノは言いかけた言葉を飲み込んでしまった。
「湯野原さん…おはよう…。ん?どうしたの?」
リョウは何に悲鳴を上げたか大体わかっていたが一応聞いてみた。
「どうしたの!?その足!」
「ああ、ちょっと昨日やっちゃって…」
「ちょっとって!そんな風になるって事は大怪我じゃないの!?」
確かに、軽い骨折ならナノマシンですぐに治る、固定具を着けるとなると怪我もそれなりだ。驚くのも無理はない。
「い、いや、もうだいぶ治ってるよ…。さっきも歩いて来たし」
リョウは心配ありがとうという意味も込めて笑って言う。
「ほんとに!?昨日何かあったの!?ミズキに蹴られたとか!?」
「なんでそこであたしが出るのよぉ!」
ミズキがすかさずツッコミを入れる。
「だって、ミズキ、稲葉くんにキツイじゃん」
雪羽は少し頬を膨らませて言った。
「そ…そお?」
ミズキには自覚が無いようだ。だいぶきついっすよ。
「そうだよぉ!」
「あはは」
ミズキは笑って誤魔化した。反省してくれたんですかね。
「おはよう!席に着けー!」
そこにかわいい声で暑苦しい挨拶をして教室に入ってきたのは担任の白百合だった。ホームルームだ、その一声でクラスメイト達は仕方なく席に着く。
「稲葉くん…」
小声で話しかけてきたのは雪羽だった。
「…なに?」
リョウは少しソラノの様子を見てから言う。
「あのね…。稲葉くん、31日って空いてる?」
雪羽は真剣な顔で言う。上げている髪の横から垂れる触角というのだろうか、それが雪羽を色っぽく見せた。それを見たリョウは動揺してすぐに返事をしてしまう。
「…多分空いてると思う…」
「ほんと…!?」
雪羽はコソコソ話してはいるが、語気を強めた。真面目な雪羽が白百合の話を聞いちゃあいない。珍しい事だ。
「う…うん。たぶんだけど」
今のリョウにとって予定はとてつもなく曖昧なものだ。いつ昨夜のように襲撃があるかわからない。だからあまり自信を持って空いているとは言えなかった。
「な、何かあるの?」
「稲葉くん、今度水族館が出来るの知ってる?」
まさか…と思った。
「…うん」
「でね?31日にプレオープンがあるの」
「…ほう」
まさかは確信に変わる。
「ど、その日土曜日で学校も休みだし、空いてるんなら一緒に行かない?」
雪羽は両目を瞑って頭を下げる。お誘いというか、お願いに見える。
「…」
リョウはそのまま黙る。何と返事をすればいいのかわからなかった。昨日の話だと竜次は雪羽とプレオープンした水族館で偶然を装って会いたい。そして、雪羽が誰と行くかを非常に知りたがっていた。
まさか自分とは…。
「…か、考えとく」
「え…」
雪羽は今にも泣きそうな顔になった。
「い、いやいや!あとで大事な用事が入るかもしれないし…。こ、今週中には返事するよ…。ね」
リョウは焦って言う。女の子の泣き顔はどうも苦手だ。
「そ…そうだよね、うん。じゃあ、待ってるね!」
雪羽は満面の笑みで言った。切り替えが早い。
「うん…」
リョウは罪悪感のようなものを抱きながら返事をする。
「――――じゃあ、今日もがんばりましょう!」
そうこうしているうちに、ホームルームが終わってしまった。白百合の頑張った熱血教師風セリフで締められる。何を話していたか全く聞いてなかった。
「ふふ…」
雪羽の嬉しそうな笑いが漏れ、そのまま席を立つ、スキップ混じりで仲良しのアキナと友里のところへ向かった。
「何を話していたんだ?」
「…!」
後ろから非常に落ち着いた。いや、今のリョウの心境から言うと、冷酷な声でソラノの声が聞こえた。
振り返るとソラノがいつも通りの涼しい顔でこっちを見ていた。
「…いや、べつにソラノの興味が湧くようなもんじゃないよ…」
「そうか?」
ソラノは首を傾げる。口がとても不満そうだ。ソラノはあまり表情を変えない。しかし、口元は意外と表情豊かで最近どんな感情なのか見分けることができるようになってきた。
「そうそう…」
「いや、でも雪羽があんなに機嫌が良さそうなんだ、どういう話かは知っておきたい…」
「いや、ホントに…ソラノは興味ないと思うよ…」
「…ん?勝手に決めつけるのか?きみは」
「いや、そういう意味じゃなくてさ…あはは」
段々と逃げ場が無くなってきている。
「あかんなぁ~」
そう似非関西弁で近付いて来たのはミズキだった腕組みをしていて、腕にたわわな胸が乗っている。
「何が…」
リョウは席に座ったままミズキを見上げる。ミズキはいつものいたずらが好きそうな笑顔をこちらに向けている。若干自分で短くしているスカートから覗く太ももが眩しい。
「あれはあかんですよぉ~。稲葉リョぉも気づいてるんでしょぉ?」
「だから何が…」
リョウは少しミズキの態度にイラッと来たのでもう一度聞いてみる。こいつは人の困りごとで遊ぶ癖があるようだ。
「雪羽よぉ。あ、ソラノの前じゃ気付いてても言えないかぁ」
「ミズキ、何のことだ?リョウが何か隠しているのか?」
ソラノがこちらを睨んで言う。もう、目が虎の眼だ。
「いや…」
リョウは嫌な汗をかく。
「おい、真国…」
「ん?」
ミズキは素敵な笑顔。楽しんでいらっしゃる。
「…」
リョウはジッと黙ってしまう。これ以上何か言うとソラノに攻め込まれる。しかし、何も言わないとミズキがじわじわとトドメを刺しに来る。
万事休す。そう思った時だった。
教室の扉が勢いよく開いた。
「バカ弟子いいいいいいいいいいい!」
教室中に甲高い声が響く、その声の主は小学生のような身長の、大きなお団子頭な筑紫翔子だった。
「師匠…おは…」
リョウは翔子の纏っているオーラに気が付く。友好的なオーラではない。どこかの覇王のようなオーラ。
「あああああああああんんたあああああ!」
巨人の足音でも聞こえてきそうな迫力。
リョウの顔が引きつる。
「あんた!昨日!稽古!なんで来なかったのよ!」
昨日竜次と服を買いに行った件だ。リョウは放課後、いつも翔子に稽古をつけてもらっていた。しかしこれが昔のブラック企業よろしく何があっても休めない。恐らく昨日も「遊びに行ってくる」など言って、翔子が許してくれる事などナノマシン一個分もあり得ない。
だからサボった。そして、これが結果。
「師匠落ち着こう…」
リョウはそう愛想笑いをしながら立ち上がる。
「うっさい!あんた私がどれだけ待ったと思ってるのよ!」
「え?30分くらい?」
「2時間よ!フン!」
翔子は有無も言わさずキック。身長が低いので脇腹目がけて襲ってくる。
「…!」
リョウは固定具を着けた足でガード。もうだいぶ治っているので、いい防具になった。
「なによその足…」
翔子は足を上げたまま言う。残念ながらいつものスパッツ。
「昨日ちょっとね」
「そんな足で受けて大丈夫なの?」
どうやら翔子は心配してくれているようだ。
「うん、もう大丈夫。いい防具になった。ありが―――」
リョウがそう言って足を降ろした瞬間。
「ハッ!」
翔子の逆足の蹴りがはらに食い込んでいた。
「…んがっ!」
教室だからか吹っ飛ばないような威力で蹴ってくれている。しかし、常人の蹴りで人なんか吹っ飛ばない。十分痛い。どこからこの勢いが生まれるのか……。
「治りかけだろうが怪我人に蹴りを入れるのは良くないな」
凍りついた教室の中で口を開いたのはソラノだった。口を【へ】の字にして腕組みしている。目は虎の眼。
「あんた…なによ」
翔子がソラノに負けない眼で睨み上げる。
そういえば翔子とソラノは初対面だ。ソラノはモニターなどで見たことはあるだろうが。
「私はリョウの保護者だ」
「「保護者?」」
リョウと翔子は声を揃えてしまった。
「リョウは見ての通り怪我をしている。乱暴はやめてくれないか?」
「ハンッ!」
翔子は足を降ろして腕組みをする。そして、そんなに無い胸を張った。
「私はこのバカ弟子の師匠よ!?こいつが強くなってきているのは私のおかげなのよ!?」
「だからって、怪我人を蹴るのは良くないのでは?」
「…」
ソラノの冷たい視線。あの翔子が珍しく。黙っている。
「この…」
翔子がつぶやく。
「ししょ―――」
リョウは翔子がソラノに掴みかかるかと思った。もしそうなら、どちらの身の為にもやめさせないといけない。
「巨女!」
「…へ?」
翔子は掴みかかるでもなくそう言った。リョウは腑抜けた声を出してしまう。
「背ぇ!胸!態度!全部デカいのよ!」
「…」
ソラノは腕組みをしたまま眉をピクリと動かした。そして、その薄くグロスを塗ったような口を開く。
「マメ頭」
「「え?」」
今度はリョウと翔子が腑抜けた声で言ってしまう。しかし、翔子の方は口を開けてワナワナと震えている。
「…あ、あんた…今なんて…?」
「聞こえなかったのか?マメ頭だ。小さくて、頭にマメを乗っけている」
「あ…あ…ぁぁ…」
翔子は口をカクカクさせる。
「師匠…落ち着いて…」
リョウは今にもソラノに飛びかかりそうだ。なだめようと声をかける。
「…フン!」
「くはっ!」
次の瞬間にはリョウの腹に翔子の裏拳が入っていた。
「だから…怪我人に手を出すな!マメ頭!」
ソラノが怒気のこもった声で言う。
「うっさいうっさいうっさい!全デカ!巨女!巨人!」
翔子が叫びつつモモンガのように飛びかかる。
「……師匠!!」
リョウは翔子を咄嗟に捕まえた。というか抱きしめるかたちになった。
「ぴえ!?」
翔子はおかしな声を出して急に大人しくなる。
そしてぐったり。その隙にリョウは翔子を米俵の様にして抱え、教室の外へ運んでいった。
「…ふん…」
ソラノはひとつ鼻息を鳴らすと、口を開く。
「ミズキ、あのマメ頭が…」
「そうねぇ。筑紫翔子。一年生…稲葉リョぉがアイギスと一緒に戦った女の子」
ミズキが小さく言った。
「何か怪しいところはあったか?」
「身体強化のナノマシンなんかは入ってなかったわねぇ。個人識別用ナノマシンもおかしくなかったしぃ…。でも…インナーが怪しいわねぇ」
「インナー?下着か?」
「いやぁ…制服の下に一枚何か着てた」
「何か?ミズキでもわからないのか…?」
「そうねぇ…普通のインナーならパンツの柄までわかるのにぃ、インナーのせいで何も見えないのよぉ…少し調べてみるぅ」
「ミズキ、いつも柄まで見ているのか」
「やあねぇ、冗談よぉ、冗談」
ミズキは手をぶんぶん振って言う。冗談じゃないだろうな。
「…で、監視はこのままなのだろう?」
「そうねぇ」
ミズキはにっこりそう言って話を止めた。雪羽が来たからだ。
「大丈夫だった?」
雪羽はソラノに言う。まるで通り魔に襲われそうになった人を見る目。
「大丈夫だ…。リョウをばこばこ殴るのが気に入らなくてな」
「そうだよね!私ももう少しで止めに入るとこだったヨ!」
雪羽は鼻息を荒くしてブンブン手を振っている。
「かわいぃ~!」
「みっミズキ!ふわぁ!」
ミズキは怪しい手つきで雪羽に抱きついた。
「…ふん…。保護者か…ちょっと違ったかな…?」
ソラノはぎゃんぎゃん騒ぐ二人の横で静かにそう呟いた。
※※中庭※※
「放しなさいよ!この!バカ弟子!」
翔子はリョウに米俵の様に抱えられながら、リョウの背中に渾身のハンマーパンチを食らわせた。
「ごっ!」
リョウは突然の衝撃によろける。翔子は腕が緩んだ隙に、腕から抜けて着地。リョウは息が苦しくて咳き込んでいる。
「あんた…何よ、あの巨女…」
「ケホッ…何って…ソラノだよ…ソラノ・ライスブレイド…ゲホッ!」
「そんなこと聞いてるんじゃないわよ!」
「…?」
「なんであんなに図々しいのよ!」
「それ…師匠が言えたことじゃっ……はああッ!」
翔子の正拳突きがリョウの肩に突き刺さる。
「私と一緒にしないで!私は師匠なのよ!?師匠はいいのよ!態度デカくて!」
「あ、一応自分で分かって…」
「んあ?」
翔子は般若面のような顔でリョウを睨みつける。
「なんでもないです…」
「ん…よろしい」
翔子は腕組みをして満足気な表情。
「で…その足はどうしたのよ」
「はは…ちょっとね…」
「…」
翔子が睨む。
「…ちょっとで折れるわけないでしょ」
「…うーん」
翔子はこのままでは教室へ帰してくれそうもないご様子。
リョウは昨日の出来事を問題のない程度に話した。いや、問題だらけなのだが。
「んでぇ…?あんたはその最後のマシンフレームを嵐天・突風で蹴ったわけね?」
「…うん」
「そして、折れたと」
「…はい」
「情けない…」
「おい」
リョウはすぐにツッコミを入れる。マシンフレームを蹴って足が折れるのは情けない事なのだろうか?
「あんたね…ライジングモードでマシンフレーム程度も蹴り飛ばせないの?」
翔子はため息を一つ吐く。
翔子の思考と言動はもはや今の人類のものではない。たぶん数千年先の、宇宙に完全進出した人類のお話だ。8000年過ぎたころにはもっと恋しくなってるんじゃないかしら。
「じゃあ師匠は蹴り飛ばせるのかよ?」
「私は普通の人間だから無理よ」
「…」
「ていうか、なんでマシンフレームなんかと向き合うことになるわけ?そこらへん教えて欲しいんだけど?」
「だから…そこは話せないって」
「…あんた…もう関係者みたいなもんよ?私」
翔子は腕組みをしたまま静かに言う。それはそうだった。翔子は展望公園の事件の前、アマテルのアイギスという男と遭遇し、リョウと共に交戦している。歴とした関係者なのだ。
その後、ソラノ達オーコックス・インダストリーは翔子を拘束して尋問などをしようとしていたらしいが、人間業ではない体術や、経歴に全く問題がない事で逆に慎重になり、監視を付けて調査をしているらしい。もちろん、翔子にはそのことは知られていない。
「…言えない」
リョウは翔子の目をジッと見て言う。
しばしの沈黙。
「…はぁ…もういいわ…」
翔子は腰に手を置いて言う。いつもこんな感じで翔子は諦めてくれる。実は優しいのだ。
「ありがとう…」
リョウも胸を撫で下ろす。
「でも…今日の稽古は特別メニューにするからね」
翔子は不敵にニヤリと笑った。
「…はい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます