魔女

蒼蓮瑠亜

第1話

それはまだ、この国が独立した王国で、隣の国と争っていた時代のこと。


世界は『魔女』の持つ不思議な力に惑わされていた。

奇跡を起こすその力は門外不出。

彼女達は、たとえ死んでもその秘密を口にしなかった。



そう。


最後の一人となった彼女も同じ。



これは、争う世界に生きた彼女と一人の王子の昔話。






「カイナ殿下」

 ふと呼ばれて、男は足を止めた。振り返り、自分を呼んだ相手を認めた男は、立ち止まった事を後悔した。相手は城仕えの若い侍従。顔は知らない。しかし、問題はその仕え先だった。彼の襟に止められた紋章が表す相手は一人しか居ない。

「なんだ?」

 不機嫌も顕に男が問う。若い侍従は、それでも気にせず、顔を伏せて言った。

「陛下がお呼びです」

「わかった。あとで伺うとお伝えしてくれ」

 答えた男は内心、舌打ちしたい気分だった。しかし、外にはそんな様子は微塵も見せない。用は終わりと再び歩きだそうとした男だったが、しかし、侍従はそれを止めた。

「いいえ、殿下。直ぐに、と」

 侍従の言葉に、男の表情が険しくなる。

「急ぎの用なのか?」

「はい」

 低頭する侍従は、それでも男が断れないことを知っている。だから、どんなに男が不機嫌になろうと、侍従は恐れることは無い。

「……分かった」

「陛下は謁見室でございます」

 侍従の言葉に男は踵を返す。その後に侍従も続いた。男の表情は、目的地に近付くに従ってさらに険しくなっていく。大抵、呼び出されたときには厄介事が待っているのだ。確か前回は、地方領主のもめごとの仲裁だった。男にとっては厄介でしかなく、うまみなどこれっぽっちもない。おそらく、今回も同様だろう。

 さっさと領地に戻っておくべきだった。男はそう思ったが、呼び出されてしまった今となってはどうしようもない。やがて目的地に着いた男は、不満を映した蒼い瞳でその扉を睨む。侍従が手際よく扉を開き、男の来訪を告げる。

「陛下、第三王子カイナ殿下をお連れ致しました」

「こちらへ」

 返答に従って部屋に入った男は、最奥最上段の上座に座る父親を見やる。王家の血筋の象徴である金の瞳を持つ父親を前に、男は形通り跪き頭を垂れた。

「カイナ・テルミエータ、お召しにより参りました」

「よく来た。面を上げよ」

 言われた通り、顔を上げた男は無表情に父親を見上げた。豊かな黒髪に金の瞳、威厳のあるその姿に誰もが跪く、それがこの国の王。そして、男の父親だった。

「カイナ、お前に女をやる」

 ふと言った王の言葉に、思わず男は眉をひそめた。

「……どういった意味でしょう?」

「そのままの意味だ。お前に、女を与える。そして、その女の心を開かせろ」

「心を開かせる?」

 意味が分からず、問い返す男に、王はその金の瞳を細めた。

「聞き出すのだ。女から、『魔女』の秘密を」

 その言葉に、男は大体の経緯を悟った。ほんの数日前、城に『魔女』の末裔が連れてこられたという噂を聞いていた。その女のことだろう。

「それなら、兄上たちに任せればよいのでは?」

 女の事なら、兄たちの方が得意のはずだった。色事には目がない。しかし、王は首を横に振った。

「あやつらはダメだ。『魔女』は何をしでかすか分からん」

 つまり、男なら何があっても良いということか。言外に含まれた言葉に男は苦笑した。

「……女は地下にいる。詳しいことはそこの看守に聞け 」

 国王の言葉だ。男に拒否権はない。

「御意」

 短く答えて頭を下げた。



 そもそも、一国の王子自身が地下にある牢へ顔を出すと言うことは、他国から考えれば異常なことだろう。しかし、男にとっては有り得ない事ではない。

 王命に従い、自ら地下牢に出向いた男は、周りからの視線を感じて嘲笑を浮かべた。大抵、上流階級の貴族が向けてくるのは侮蔑の視線。下層階級が向けてくるのは憐憫や同情の視線。男にとってはどちらでも良かった。どちらにしろ、此処には味方はいない。

(……いや、そんなもの何処にも居ないだろう)

 看守の案内について地下へ降りて行く。カビ臭い匂い。混じる腐臭、血臭。囚人の呻き声。全てがいやな記憶を蘇らせる。

 男は数年前、此処にいた。身分も全て取り上げられ、一時期はただ死を待つ為だけにここに入れられていた。結局、疑いは晴れ、身分も回復したが、一度付いた汚名は何処までもつきまとう。

「こちらです」

 ふとそう言って看守が足を止めた。そこは、特別凶悪な犯罪者を閉じこめるための独房だった。“魔女”とはいえ、若い女を閉じこめるだけにしては、手の込んだことをしている。呆れながら、看守の開いた扉をくぐった。

「相手は魔女です。お気をつけて」

 看守の大仰な言葉に苦笑しながら中に目をやった男は、それを目にして立ちすくんだ。

 女は両手を頭上で縛られ、鎖で吊されていた。一種の磔である。力なく伏せられた顔からは血の気が失せ、床に至るまで白い髪が流れ落ちている。何度となく受けたであろう拷問で流れた血で汚れてはいるものの、その美しさに目を奪われた。薄汚れていても、その美しさは揺るがない。まるで彫刻のように女はそこにあった。

 男は唐突に理解した。これでは兄たちに与えるわけにはいかない。その美しさに魅入られて、言うなりになるだけだ。その点、男なら都合が悪くなれば共に殺してしまえばいいのだ。

 看守は、男の様子を見ながら、女をつついた。

「おい、殿下がいらした。起きろ」

 それに気づいたのか、女がうっすらと目を開けた。その目は、赤かった。

目だけが赤い。他は作り物のように白い。女は赤い瞳に男を捉えると、感情を消したままじっと見つめてきた。

「お前、魔女なのか?」

 我ながらバカな問いだと、男は思う。しかし、女は答えない。

「ここから出たくはないか?」

 一瞬、女の瞳が揺れた。しかし、それもすぐ消える。

「お前、ナグルアから来たのだろう? ナグルアの事、魔女の力について話せ」

 男がそう言うと、女は僅かに口を開いた。しかし、震えた唇から音は出ず、すぐに閉じた。

 男は苛立ちも露わに、女に近づく。そして、女の顎を持ち、無理やり上を向かせた。近くで見た女の顔立ちは、まだあどけなさが遺る少女のもの。そのことに少し驚くものの、そんなことはおくびにも出さず、ただその赤い瞳を見つめた。

「お前の名は?」

「……」

「……答えないのか?」

 それとも、答えられないのか。近くで見てみると、女の体は傷だらけだった。そして、氷のように冷たい。強い意志を見せた瞳とは裏腹に、身体は震えていた。

 男の時もそうだったが、この部屋に入れられ、拷問を受けて最初に気付くのが喋れば喋るほど、死が近づくということだった。喋るのを止めれば、精神的にも肉体的にもやがて声が出なくなる。もしかしたら、この女もそういう状態なのかもしれない。そう考えた男は、看守に目を向ける。

「おい、この魔女は何ができる?」

「何、と言いますと?」

「魔術を使うのだろう? 此処から出すと危害を加えてくることや、逃げ出すことはあるのか?」

「それはないかと思います。今のところ、そういった素振りは全くございません」

 そうか、と考えた男は、ふと、疑問が浮かんだ。

「……なら、何故こんな厳重な管理を?」

「それはもちろん、魔女ですから」

 何でもないことのように言う看守に、男は眉をひそめた。“魔女”だから危ない、とでも言うのだろう。そうして、疑惑は容易に白を黒にする。

 “魔女の秘密”は知ることで世界を手にする事ができると言われている。それを聞き出すための拷問なら、解らなくもない。しかし、今この女は喋れない。それでは聞き出すなんて事が出来るわけがない。このままでは、聞き出す前に疑惑が女を殺すだろう。

 ふと、男は納得した。だから、父が自分に任せたのだ。喋れなくなった女から、“魔女の秘密”を聞き出せと、無茶苦茶な命令を出した。あわよくば、扱いづらくなった魔女と男をともに処分してしまおうと。

 男は、ひっそりと暗い笑みを浮かべた。喧嘩を売られたのだ。買ってやらねばなるまい。いっそのこと、“魔女の秘密”とやらを男が手にしてしまえば、男が世界を制す事ができるかもしれないのだ。

 しばらく、思案に耽っていた男は女に目を向ける。女は、その赤い瞳で、じっと男を見つめていた。やがて、男は看守に言った。

「この女を牢からだせ」

 女がビクリと揺れた。看守も、一瞬ぽかんと男を見つめた。 

「は?」

「女を出せと言った」

「し、しかし、魔女ですよ?!」

「聞いてないのか? 俺は王から直々に任されている」

 言外に、これは王命であることを匂わせるが、それでも看守は頷かない。だから、安心させるようにさらに男は言う。

「責任は俺がとる」

「……わかりました」

 仕方なしに頷いた看守は、女の手首にはめてある手錠を外し始める。それを確かめた男は、踵を返した。そして、牢を一歩出たところで足を止める。

「……何か言いたそうだな」

 そう問うた男は笑みを浮かべている。男がちらりと視線を向けた先には、陰にひっそりと立つ青年が居た。今まで気付かなかったのが不思議なほどの長身だ。その青年は、整った顔をしかめて男の言葉に応えた。

「解っているなら、なぜ引き受けたのです」

「それ以外に道があるか?」

「しかし、これでは死に急ぐようなものでは」

「死ぬ気はねぇよ」

 不適な笑みで青年を見た男の目が鋭い光を浮かべる。

「殿下」

 窘めるような青年の声色に男は肩を竦めた。

「……悪い。とにかく、彼女を上へ連れてこい。介抱が必要だろうからそれも任せる」

「……御意」

 律儀に頭を下げた青年に背を向けて、男は立ち去った。



 連れ出された魔女は、男の有する離宮の一部に連れてこられた。日の下で見た女はさらに美しく見えた。ただ、自力で立つことも出来なかったため、すぐに医者が呼ばれた。診た医者は、暫くは安静にするようにとした。体中に付いた傷には顔をしかめたが、命に関わるものはなく、深くは触れなかった。

「皆、彼女を魔女だから警戒してるんです」

 ここまでの手続きを全てした青年はそう言っていた。そうして、一通りの報告を聞いた男は、青年を下がらせると、安静にと言われている女の部屋へ向かった。

 部屋へと入った男は、明かりはいれなかった。もう深夜を回る時間で真っ暗だったが、テラスに続く大きなガラス扉から月光が差し込み、あたりを照らしていた。ベッドに寝かされた女は眠っていた。ピクリとも動かない女は、月光に浮き上がるように照らされ、まるで作り物のようだった。

 近づいてみるが、眠り込んでいる女が起きる様子はない。白い肌、純白の髪、長い睫毛、その下にはあの赤い瞳が隠れているのだろう。そっとその頬に触れてみる。地下で触れたときほどではなかったが、ひんやりと冷たかった。

 すると、その感触に気付いたのか、女が目を覚ました。虚ろに視線をさまよわせ、やがて男に気付いたのか、赤い瞳が驚いたように震えた。男が構わず観察してると、やがて、女はその唇を開いた。そして、ゆっくりと、唇を言葉の形に動かす。それを読んだ男は軽く目を見張った。

「……礼を言われるとは思わなかった」

 そんな男に、女は器用に首を傾げて見せた。その様子に男は、笑みを浮かべる。

「いや、お前が居たあそこは二度と近づきたくなくてな。お前から話を聞くには連れ出すしか無かっただけだ」

 男の言葉の意味が分からなかったのか、女は不思議そうに瞬いた。そして、ゆっくりと首を横に振り、微笑んだ。本当に素直な感謝の視線に、男は思わず眉を顰めた。

「そういう顔をされると、なんだかムカつくな」

 男の言葉に女は目を見張る。

「お前、言葉は解るんだな?」

 女は頷く。

「では、声は?」

 今度は首を横に振った。声は出ないというわけだ。

「声が出ないのは以前からか?」

 もう一度首を横に振る。つまり、声が出なくなったのは最近の話というわけだ。

「そうか、なら名前を聞いても今は答えられんな……」

 そう、男が言うと、女は目を見張った。そんなこと聞かれるとは思っていなかったようだった。それもそうだろう。この国の連中にとって、この女は“魔女”であり、それで十分だったのだから。やがて、女は何かを探すように視線をさまよわせた。男がじっと見ていると、女は目的の物を見つけたのか視線を止める。そして、ゆっくりと腕を伸ばす。その先に男が目をやると、そこにあったのはメモ帳とペン。女の位置からは手を伸ばしても届かないそれを、男は取って渡してやる。そんな男に、再び驚いたように女は目を見張った。

「何をそんなに驚いている」

 男の言葉に、女は受け取ったメモにペンを走らせた。

“取ってくれると思わなかった”

「俺はそんなに心の狭い奴だと思ったのか?」

“というか、王子様って全部人任せだと思ってたから驚いた”

 サラサラと綴られた文字に、男は、苦笑する。

「文字、書けるのだな」

 文字を書くことも読むことも、一般市民に出来ることではない。だから、男は、驚いたのだが、女はただ微笑むだけでそれには応えなかった。

 こうして、男と女の筆談を使った会話が始まった。

 男は空いてる時間を見つけては女のもとに顔を出した。女も男が来る度に嬉しそうな笑顔で迎え、体力の許す限り男との筆談を楽しんだ。

「で、結局、まだお前の名前を聞いてないな」

 男の問いに、女はふと考えるように手を止めた。その様子に男は眉を顰めた。

「もしかして、忘れたというのか?」

 拷問で記憶を無くす例もある。女にはそういった様子はなかったが、万が一という事もある。しかし、女はすぐに否定した。

“違う”

「なら教えろ」

 男の命令に女は仕方なくペンを走らせた。

“フェルエルミナーシャ・ルシフェラ・トルクメニアス・ルー・ティシアニスタ・ロー・エニスタ・レクトリア”

「……」

 女の羅列した文字を読んだ男は言葉を失った。女もそんな男の様子を見て苦笑する。そして、その紙を破り、新たな紙に文字を書いた。

“正式にはもう少し長いけど書く?”

「……いや、いい」

“魔女は名前をたくさん持っているのよ”

 その言葉に男は目を見張った。女が自ら魔女について語るのは初めてだったからだ。その様子に女の方が首を傾げた。

“どうかした?”

「いや、……とりあえず何処を呼べばいい?」

 男の問いに、女は少し考えてペンを走らせた。

“エル、かしら。親しい人はそう呼んでたわ”

「そうか」

 納得したような男を見つめて、女はペンを走らせる。

“貴方は?”

「俺?」

“貴方のことはなんて呼べばいい?”

 一瞬、男は呆気にとられて女を見返した。女の赤い瞳が悪戯っぽく見返す。男が王子であることは解っている筈なのに、その呼び名を求めるという女。当然の如く、その地位で呼ばれると思っていた男は驚いたが、その度胸に応えたくなった。

「カイナ、だ。そう呼べ」

“カイナ、ね。声が戻ったら必ず呼ぶわ”

 そう書いた女は、嬉しそうに微笑んだ。




 女は順調に回復していった。起きていられる時間が延びてくると、女は男が来れない間の暇つぶしを求めた。王子という立場である以上、男にも少なからず公務に拘束される時間がある。その間、本を読んでいたいと女が言ったのだ。体力が回復してきたとはいえ、まだ動くことができない。読書は最適な暇つぶしと言えた。

 男が了承すると、女は幾つか本のタイトルを挙げた。それを聞いて、男は感心した。女の挙げたものはどれもこの地方の御伽噺だったからだ。それらは政治とは無関係だ。それはこの国の内政に干渉することはしない、という意思表示にもとれる。そうだとするなら、この女は賢い。

 男が求められたとおり、数冊の本を持参すれば、女は喜び礼を言った。その際、確かめるように男は聞いてみた。

「御伽噺ばかりだな。魔女は学術書は読まないのか?」

 すると、女は不思議そうに男を見上げ、少し考えてからペンを走らせた。

“魔女にとってはどちらも同じよ?” 

「同じ?」

“御伽噺も立派な学術書なの”

「……変わってるな」

 男の感想に、女は苦笑する。しかし、議論する気は無いらしく、女はそれ以上そのことに触れなかった。

 ここまで女の回復を見ていた男は、そろそろ本題に入ってもいい頃だと判断した。そこで、まずは試しに直接聞いてみることにした。

「“魔女の秘密”とは何だ?」

 しかし、女はすぐには答えず、男をじっと見つめた。それでも男が返答を待っていると、女はやがてペンを走らせた。

“言えないわ”

「エル、俺はお前を哀れんであそこから出した訳ではない」

 男は静かに告げる。そして、ただ女の赤い瞳を見つめる。ただ見つめ合う二人は、時間が止まったかのようにじっとしていた。蒼の瞳と赤の瞳。どちらも譲らない。全く動じない女に、男は改めて感心した。

 男は、王子という立場上、人の上に立つことが多い。命令の仕方も心得ている。こういう状況で、しかも一対一で、主導権を握るのは得意だった。普通ならば、こうして目を合わせているだけで、相手が解るし、相手を従わせる事ができる。

 しかし、彼女に関しては全く上手く行かなかった。赤い瞳からは何も読めない。その上、見つめているこちらの方が不安になってくる。相手は捕虜であり、女であり、病人だ。それでも、女の態度は堂々としていて、場慣れた雰囲気さえ感じられた。

 やがて、先に動いたのは女だった。男から視線を外すと、さらさらとペンを走らせる。

“秘密は必要だから秘密にされている。知るのは無意味。それ以上に危険。あと、言っても解らない。それ以前に、声が戻らないと無理”

「声が必要なのか」

 女は頷いた。そして、悲しそうに書いた。

“聞けたとしても、貴方には理解できない。そういうもの”

 その言葉に男は、眉を寄せる。

「俺の理解力では足りないと?」

“貴方が劣っているわけではない。魔女にしか解らないの”

 そう綴った女は哀しげに目を伏せた。男は、その様子をじっと見ていたが、やがて無言で踵を返した。

 実際の所、男は不愉快だった。しかし、何が不愉快だったのかは解らない。男を侮った発言が気にくわないのか。はっきりと言わない女が気に入らないのか。立場が弱いはずの女一人、思うように動かせなかったからなのか。それとも、最後に見せた女の哀しげな表情の所為なのか。

 結局、その原因は分からず、彼女から再び秘密について触れることはなかった。




 そうして時間は過ぎ、女は順調に回復していった。動けるようになると、彼女はよくテラスに出るようになった。時には庭に下りたいとも言うようになった。庭に出る際には、兵士を付けていたが、女はそれにも構わず、庭を歩き、鳥と戯れた。

 時には男もそれに付き合った。

 前を歩く女は、床に届くほどもある髪を一つに纏め、すらりとした躰は踝までのワンピースで包み、肩からストールを掛けている。楽しげに歩く彼女の後ろ姿に、男は思わず微笑んでいた。季節は春に近付いているとはいえ、まだまだ冬の寒さが残っている。それでも、彼女は楽しそうだった。

 鳥と戯れ、わずかに咲き始めた花を愛で、空を眺めていた。

「……楽しそうだな」

 男が言うと、女は振り返り微笑んだ。声が出ない女は、何も言わない。庭を歩くだけだからと、筆記用具もない。それでも、彼女が喜んでいることはわかった。

 そんな様子は城内に筒抜けだった。隠す必要も感じてなかったし、何より国王が男に任せたのだ。男は、自分の思うとおりにするつもりだった。

 しかし、暫くして、国王から呼び出された。他の者なら一蹴していたが、国王自身からの公式な呼び出しだ。断るわけにはいかなかった。

 仕方なく、身なりを整えた男は謁見室に向かった。国王は、男に会う時、必ず此処に呼び出す。男にとっては、此処にもいい思いではない。なんと言っても、男は、此処で捕らえられたのだ。謂われのない罪を着せられて。逆に国王にとっては、これはある種の牽制でもあるのだろう。この謁見室には兵士がいる。此処ではなにも出来ないだろうと。

 男は、憂鬱な気持ちを振り払って謁見室に入る。目の前に悠然と座る国王を一瞥し、頭を下げた。

「面を上げよ」

 男は国王の声に素直に従う。国王はそんな男を感情のない瞳で見下ろした。

「女から秘密は聞き出せたか?」

「いえ、まだ出来てはおりません」

 男は、素直に答える。その一方、そんなことのために呼び出したのかと、頭の隅で考える。国王は目を細めて男を見下ろした。

「遊ぶために女を与えたのではない」

「承知しております」

「なら、なぜ早く聞き出さぬ?」

 苛立ちを隠さない国王に、それでも男は神妙に答えた。

「女はまだ回復途上。声が戻らぬ限り、秘密は語れないと申しておりました」

「本当にまだ声が出ぬのか?」

 その声色には、疑問ではなく、出させろという命令が含まれている。端的に言えば、拷問にでもかけてみろとでも言いたいのだろう。国王の声に、男は、内心嘲笑しながらも、それを隠して答える。

「じきに声も戻ります。そうすれば、必ず聞き出しますので、もう暫くお時間を」

 男の様子に、国王は考えるように金の目を細める。男は何も言わず待った。やがて国王はゆっくりと立ち上がった。

「……わかった。お前に任せる。ただし、猶予は無いと思え」

「御意」

 男の答えを聞くか聞かないかのうちに国王は謁見の間を出て行く。その背を低頭して見送る。やがて、頭を上げた男は、不愉快そうに眉を顰めた。

 国王は焦っているのだろう。敵対しているナグルアとの情勢は芳しくない。女から、魔女の秘密を探ることで、戦況をひっくり返したいのだろう。男も現在の戦況は危うく感じている。ただ、なんとなく国王の思惑に乗ってやるのも嫌だった。

 謁見室を後にした男は、そのまま考えながら廊下を歩く。

 国王の思惑に乗るのは嫌だが、そろそろ結果を出さねばならないのも事実だった。そもそも、女のせいで男は、一ヶ月もこの城に滞在している。中央は男にとって居心地が悪い場所。本来ならば、さっさと領地に引きこもっている予定だった。女の件に引きずられ、結局帰れずにいたのだ。

「殿下」

 不意に呼ばれて、男は思考を停止する。振り返れば、そこには従者の青年が居た。

「何だ?」

 端的な問いに、従者は表情を変えずに報告した。

「彼女が声を取り戻しました」

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魔女 蒼蓮瑠亜 @laluare

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