04 リリース

『トライ・アングル』における撮影地獄も終了し、三月大会のマッチアップも決定され、あとはひたすら稽古に邁進するのみ――という意気込みで迎えた、二月の最終月曜日である。


 その日こそが、『トライ・アングル』のファーストシングルの発売日であった。

 瓜子たちは、その数日前にサンプル版を手中にしている。さすがトシ先生の手腕は大したもので、特装版のジャケットはたいそう格好よく仕上げられていた。


 当時のユーリは顔の青痣がひどかったため、大急ぎで作製されたピンク色の派手な眼帯で右の目もとを隠されている。あとはショッキングピンクのハーフトップにダメージだらけのショートデニム、古びたエンジニアブーツという格好で、露出の多い上半身にはワッペンだらけのワークジャケットをだらしなく羽織っていた。


 そんなユーリがアンティークな肘掛け椅子でちょっとけだるげに頬杖をつき、白い肉感的な足を組んでいる。そして、残る七名のメンバーたちがユーリを守るように取り囲み、全員でこちらをにらみつけているという構図であった。

 背景は真っ白で、七名のメンバーたちはそれぞれステージ衣装に身を包んでいる。『ワンド・ペイジ』と『ベイビー・アピール』はかなり路線の異なるビジュアルをしているのであるが、それがユーリを中心にして不思議な調和を保っているように感じられた。


 ちなみに通常版のほうは、八名のシルエットをイラスト化したデザインとなっている。そちらはずいぶんシンプルな仕上がりであったが、その分どのような層にとっても親しみを持ってもらえそうなところであった。


 なお、同時発売された『トライ・アングル・プロローグ』のライブDVDに関しては、通常版も特装版もライブのワンシーンがジャケットに採用されている。こちらはこちらでライブの熱狂が静止画に封じ込められているような印象で、少なくとも瓜子には何の不満もない出来栄えであった。


「だからやっぱり不満なのは、フォトブックやら特典映像やらのほうっすよ」


 サンプル版を獲得し、もう数日後には一般発売という段に至っても、瓜子はそんな不満をねじ伏せることができなかった。


 ユニットメンバーのみで構成される画像や映像に関しては、申し分のない仕上がりである。特にフォトブックのほうはトシ先生の撮影であるからして、各メンバーの魅力がぞんぶんに引き出されていたのだった。


 瓜子のお気に入りは、モッズ調のワンピースを着たユーリが大写しにされ、奥のほうにモッズスーツを着込んだメンバーたちが立ち並んでいる一枚であった。もともとステージ衣装としてモッズスーツを着用していた『ワンド・ペイジ』の面々は言うまでもなく、普段とまったく異なる衣装をコスプレ感覚で着こなしている『ベイビー・アピール』の面々が、とても魅力的に思えたのだ。


 また、その対となる一枚も、なかなか捨てがたい。こちらは全員がロックテイストの強い『ベイビー・アピール』風の衣装を着させられており、『ワンド・ペイジ』の三名はまったく別人のようで――ここだけの話、ダメージだらけのTシャツにライダースジャケットやレザーパンツという格好をさせられた山寺博人が、抜群に格好よかったのだった。


 それ以外にも、カウガール姿のユーリが逃げ惑うメンバーを投げ縄でとらえようとしている一枚や、全員が白ずくめの衣装でけだるげに座り込んでいる一枚や、それぞれが専門外の楽器を抱えて楽しそうにはしゃいでいる一枚や――ここ近年ですっかり『トライ・アングル』の存在に魅了された瓜子としても、是非とも手もとに置いておきたいと思える素晴らしいファンアイテムであるように思えてならなかった。


 で――その合間合間に、瓜子と愛音の水着姿がまぎれこんでいるのである。

 ユーリを除くメンバーとの絡みは、そう多くない。女性ファンの反感を買わないように、瓜子と愛音はあくまでユーリを補佐する賑やかしという扱いであるのだ。

 しかし、それなら最初から瓜子と愛音を起用しなければいいではないか――と、瓜子はそのように思うのだが、千駄ヶ谷ばかりでなく他の運営陣も瓜子たちの起用には何故かやたらと前向きであったのだった。


「お二人は決してユーリ選手の引き立て役ではなく、ユーリ選手の魅力をブーストさせる増幅装置に成り得ているのです。おそらくユーリ選手にとって、お二人の存在は精神的な支えであるのでしょう」


 千駄ヶ谷などは、そのように語らっていた。


「シンガーとして注目され始めたユーリ選手にとって、今が一番大切な時期であるのです。お二人にはご苦労をかけてしまいますが、『トライ・アングル』の活動が軌道に乗るまでは何とかご協力をお願いしたく思います」


「はいなのです! 愛音などがユーリ様の輝かしい活動の一助になれるのでしたら、光栄の極みであるのです!」


 そんな具合に、瓜子の心情は相変わらず置いてけぼりのままであったのだった。


 そうしていざ発売日を迎えてみると、瓜子は予想に違わぬ羞恥心を随所で刺激されることに相成った。

 行く先々で、シングルやDVDを購入したという話を聞かされてしまうのだ。そして瓜子の周囲では、そのほとんどが特装版を購入し、瓜子のあられもない姿を目にしてしまっていたのだった。


「いやー、マジでうり坊は色っぽいよねー! ネットとかでも、すっごい評判になってたよー!」

「あの水着姿のスパーなんかは、ファイターとしての猪狩さんの魅力も発揮されていたと思います! なんか……感動しちゃいました!」

「おいおい、あんまり猪狩を追い込むなよ。……でも、あんたは本当に格好いいからさ。そんなに恥ずかしがらなくてもいいと思うよ」


「いやもう、本当に勘弁してください……それより、ユーリさんの歌はすごかったでしょう?」


「ふーん! ピンク頭をほめるのは、なーんかシャクにさわるからねー!」

「も、もちろん桃園さんの歌はすごいですけど……なんか、おいそれとは語れなくって……」

「うん。あっちはもう、ただすごいとしか言えないもんな」


 斯様にして、主役のユーリではなく瓜子のほうに意見が集中してしまうというのが、納得のいかないところであった。

 ただ――もちろん本当のところでは、ユーリのほうにこそ注目は集められているのであろう。その一端を瓜子に知らせてくれたのは、意外なことに立松であった。


「ここ最近、一般門下生からも桃園さんにサインを頼めないかとか、そんな話が後を絶たなくってな。一番最初にそういう話を禁止にしておいたのは幸いだったよ」


「あ、そうなんすか。これまでは、そういう話もあんまりなかったんすか?」


「ああ。今までは、桃園さんの色っぽいウェア姿を盗み見するだけで満足だったんだろ。これがモデルと歌手の違いってやつなのかね。……まあ、あんなものすごい映像を見せつけられたら、わからなくもないけどな」


「え? 立松コーチも、ライブ映像を観る機会があったんすか?」


 瓜子が何気なく問いかけると、立松は小石でも呑み込んだような顔をした。


「いや、まあ、うちの娘が、ちょっとアレでな。……なんか、年明けに流された番組かなんかで、桃園さんに目をつけちまったらしい。実のところ、そっちからもサインなんぞをせがまれてて、往生してるんだよ」


「ああ、きっと年末ライブの映像っすね。立松コーチの娘さんは、音楽専門チャンネルに加入するぐらい音楽好きだったんすか」


「どうやら、そうらしい。ここ最近は、毎日リビングのテレビを独占されちまってな。例のDVDを垂れ流しで、俺も女房も嫌でも目に入っちまうわけさ」


「そうでしたか。……でもまさか、特典映像まで垂れ流しにされてないっすよね?」


「いや、それはほら、アレだ。……俺だって、身内がさらしもんにされてるような気分で、居たたまれないんだぞ?」


 そうして立松はそそくさと男子門下生のもとに向かっていき、瓜子はまたがっくりと悲嘆に暮れることになったわけであった。

 そんな瓜子の頭を容赦なく小突いてきたのは、サキである。


「おめーもなー、エロい姿をさらすたんびにやいやい騒ぐんじゃねーよ。手前の勝手でエロい姿をさらしてんだから、マッチポンプが過ぎるってもんだろうがよ」


「まったくエロくないですし、自分の意思はいっさい反映されておりません! それぐらい、サキさんだってわかってくれてるでしょう?」


「だったら、オファーを断りゃいいだけのこったろ。こっちでも、半身不随のタコスケが欲情しまくりで大迷惑なんだよ」


「理央さんまで、特装版を買っちゃったんすか……それにしても、お口の悪さがひどいっすよ。何かサキさんのご機嫌を損ねることでもありましたか?」


「うるせーなー。こっちも立松っつぁんと一緒で、貴重なテレビを独占されて迷惑こいてんだよ」


「なるほど。サキさんも、ユーリさんの勇姿をさんざん見せつけられてるわけっすね。……年末のライブから、何か印象は変わりましたか? 順番としては、DVDのほうが早い時期の映像なんすけど」


「だから、うるせーってんだよ。あんな牛の鳴き声なんざ、聞き苦しいだけだ」


「なんか、トゲを感じるんすよね。もしかして、理央さんの前で涙でもこぼしちゃったとか……あ、あぶ、あぶないっすよ! つばめ返しをツッコミに使うのはお控えください!」


 そんな感じで、どこの誰と会話をしても、しばらくは『トライ・アングル』の作品にまつわる話題で持ち切りであったわけだが――とどめとなったのは発売日から3日後、稽古を終えた瓜子がユーリやメイとともに三鷹駅からマンションまでの帰路を辿っていた際のことである。

 瓜子の携帯端末に、姉からの着信があったのだ。


「もしもし。こんな時間に電話なんて、珍しいじゃん」


『やー、おひさ。その感じだと、何事もなかったみたいでよかったよー』


「何が? 例の騒ぎが収まってからは、平和なもんだよ」


《カノン A.G》にまつわる騒ぎが世間に吹き荒れていた際は、ユーリの捏造されたスキャンダルが親の耳にまで入ってしまい、一緒にいる瓜子は大丈夫なのかと、たいそう心配をかけてしまっていたようなのだ。それを安心させるために、瓜子も何度か実家の母親に電話をかける羽目になっていたのだった。


『うんうん。あんたは何も悪いことをしてるわけじゃないからね。いざとなったら、あたしも間に立ってあげるからさ。何かあっても短気を起こさず、冷静にね』


「だから、なんの話をしてるのさ? ちっとも話が見えないんだけど?」


『だからね、あんたの芸能活動ってやつが、ついに母さんたちの耳に入っちゃったみたいなんだよ』


 瓜子は夜道を歩きながら、奈落の底に突き落とされたような心地であった。


「げ、芸能活動って、なんのこと? あたしはユーリさんの付き人みたいなもんで――」


『でも、そのお人の作品でさんざん水着姿をさらしてるっしょ? それが母さんたちにバレちゃったわけよ』


「ど、どうしてさ! 母さんたちは音楽なんて興味ないし、ネットだってやってないでしょ?」


『なんか、ご近所さんがそのユーリってお人のファンになっちゃったみたいね。で、CDやDVDの特典に映ってるあんたのことが気になって、ネットで検索したみたい。そうしたら、名前なんて一発っしょ? 猪狩なんてそうそうある苗字じゃないし、母さんたちも娘のあんたが格闘技をやってることは隠してなかったから、すぐに察しがついちゃったみたいね。そんで、これが娘さんだったらサインをくれないかーって、母さんたちに打診してきたんだってさー』


「冗談きついよ……まさか、父さんの耳にまで入ってないだろうね?」


『あはは。母さんが父さんに隠し事するとでも思う?』


「笑いごとじゃないっての! 格闘技マガジンとかスポーツ雑誌で水着姿をさらされたときだって、大変だったんだからね!」


『そのときも、あたしが援護してあげたんじゃん。あたしまで敵に回したら、あんたは孤立無援だよー?』


 瓜子ががっくりと肩を落とすと、それを察したかのように姉がまた笑い声を響かせた。


『可愛い妹を見捨てたりしないから、元気だしなってば。ただまあ母さんたちには刺激が強かっただろうから、あれこれ言ってくるだろうと思ってさ。事前に連絡を入れておこうと思ったわけよ』


「まさか……母さんたちまで、CDやDVDを買ったりしてないよね?」


『いやいや。あんなに心配してたら、現物で確認しないわけにもいかないっしょ。サードシングルの特装版ってのはもう手に入らないのかって、あたしに聞いてきたぐらいだしさ』


「マジで……カンベンして……」


『あはは。でもきっと、母さんたちもひと山越えたら、きっと嬉しくなってくるって。どの画像でも映像でも、あんたは可愛いし格好いいもん。そうしたら、今度はコレクションって意味で作品を集め始めるんじゃないのかな』


「どっちにしろ、カンベンだよ! ……姉ちゃん、お願いだから、あたしは忙しくて電話をするヒマもないって伝えておいてくれない?」


『そんなの、問題を先送りにしてるだけじゃない? いっそ自分から連絡して、あたしは仕事をしてるだけだって言い切ってやればいいじゃん』


「あんなの、あたしの仕事じゃないんだよ! ……あ、ごめん。姉ちゃんに怒鳴ったって、しかたないよね。謝るから、見捨てないでね?」


『あんた、あざとくなったねー! その調子で素直に謝ったら、母さんたちとも上手くやれるんじゃない? まあとにかく、何を言われても冷静にね! あんたは短気を起こさなければ、ほんとに可愛いんだから』


 そんな感じで、姉との通話は終了した。

 瓜子はきっと、この世の終わりのような顔をしていたのだろう。左右を歩いていたユーリとメイが、それぞれ左右から瓜子の顔を覗き込んできた。


「うり坊ちゃん、だいじょーぶ? だいたいの内容は把握できたように思うのですけれど……要するに、あれこれのグラビア活動が、パパママ様の逆鱗に触れてしまいそうということなのかにゃ?」


「はい……今度こそ、親子の縁を切られるかもしれないっすね」


「だいじょーぶ! こんなかわゆいうり坊ちゃんと縁を切ろうとする人間など、この世には皆無であるのです!」


 ユーリは天使のように微笑みながら、瓜子の髪のひとふさをきゅっと握りしめてきた。

 そして逆の側からは、真剣きわまりない面持ちをしたメイが、瓜子の指先をぎゅっと握ってくる。


「そしてユーリは、傷心のうり坊ちゃんを全力で支えるのココロなのです! 遠くの家族より近くの他人という格言を、みごと体現してみせませう!」


「ああもう、カンベンしてください。そんな全力で愛情をぶつけられたら、涙が出ちゃいそうっすよ」


「にゃっはっは。ユーリだって、うり坊ちゃんの優しさにはしょっちゅう涙腺をえぐられておるのです」


 そうして瓜子は心優しいユーリとメイにはさまれながら、温かい我が家に帰ることになった。

 他人にしてみれば、笑い話にしか聞こえないところであろうが――やはり現在の瓜子にとっては、見知らぬ北海道のどこかではなく、この三鷹のマンションの一室こそが我が家であるのだ。そんな今さらの話を、瓜子は痛切に再確認させられたわけであった。

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