02 新たな刺客
数時間にわたる撮影地獄ののちには、ユニットメンバーと関係者で食事会が開かれることになった。
場所は、小洒落たダイニングバーである。個室の大部屋を借り切ったため、ユーリもパパラッチの目を気にすることなく食事を楽しむことができた。
「それにしても、二人がそこまでボロボロにされちまうなんて、さぞかしソーゼツな試合だったんだろうなぁ。生で観戦できなかったのが残念だよ」
生ビールのジョッキを掲げながら、ダイがそのように言いたてた。
「まったくですね」と同意したのは、同じドラマーである西岡桔平だ。
「俺もその日は仙台でライブだったんで、ステージの後は速攻でネットの記事をあさることになりました。《レッド・キング》との対抗戦で全勝だなんて、猪狩さんたちはさすがですね」
「そりゃあ女子MMAっていったら、アトミックの一強だしなぁ。《レッド・キング》なんていうマイナー連中は相手にならないんじゃね?」
「いえ。次鋒戦のマリア選手はアトミックでもトップファイターですし、赤星選手と青田選手はそれ以上の実力だっていう評判でしたからね。しかも、アトミック側の選手は全員体格でまさる相手との対戦だったんですから、本当に大したものですよ」
「そうそう! 相手が弱いんじゃなく、瓜子ちゃんたちがすごいんだよ! 瓜子ちゃんたちの努力をないがしろにするようなこと言うなよなぁ」
「あーっ! きたねーぞ、お前!」
瓜子たちの周囲では、おもに格闘技に興味を持っている面々がそんな感じで盛り上がってくれていた。
そんな中、ユーリは一心に食欲を満たしている。その姿を笑顔で見守っているのは、リュウだ。
「それにしても、ユーリちゃんはすごい食欲だな。いつもの五割増しぐらいの迫力だ」
「そうっすね。でも、試合の翌日なんかは下顎がガタついちゃって、うどんぐらいしか食べられなかったんすよ。……まあそれでも、一食に二杯は食べてましたけど」
咀嚼中で喋れないユーリに代わって、瓜子がそのように説明してみせる。
リュウは「そっか」といっそう楽しげに笑顔を見せた。ユーリへの恋心を断ち切った彼は、なんだか保護者のような眼差しでユーリを見守るようになっていた。
「あ、そういえば、キヨっぺは泣いて悔しがってたらしいよ。今回はバニーと真正面から殴り合って、それでもかなわなかったらしいな」
「はい。灰原選手は、のぼり調子ですからね。自分も対戦する日が楽しみです」
「瓜子ちゃんもユーリちゃんも、同じ階級にはもう敵なしって話だもんな。三月には、また一階級上の相手とやりあうのかい?」
「三月も出場のオファーをいただいたんすけど、まだ対戦相手は未定です。ただコーチ陣は、自分が一階級上の相手とやりあうことに消極的なんすよね。何せ、こんな怪我をしちゃったもんで」
「そっかそっか。瓜子ちゃんはただでさえちっちゃいから、一階級上だとひと回りも違っちゃいそうだもんな」
すると、ダイが「おいっ」と横からリュウの肩を揺さぶった。
「お前はユーリちゃんの担当だろ! いつまでも瓜子ちゃんと喋ってんなよ!」
「ユーリちゃんが食べるのに夢中なんだから、しかたねえだろ。ていうか、俺は瓜子ちゃんのことだって同じぐらい好きだしよ」
「す、好きとか軽々しく言うなよ! 瓜子ちゃん、こいつにも絶対スキを見せるんじゃないぞ?」
「あはは。自分はみなさんを信頼してますよ」
瓜子がそんな風に答えたとき、携帯端末が着信を告げてきた。
お相手は、プレスマン道場の事務所である。千駄ヶ谷に了承をいただいてから席を立ち、通話に出てみると、立松の声が聞こえてきた。
『お、出たな。足の具合は、どんな感じだ?』
「押忍。ずいぶん痛みは引いてきました。週明けにまた診察を受けて、それから道場に顔を出そうかと思います」
『ああ。足を使わないトレーニングは、サキのおかげで充実してるからな。でも、絶対に無理だけはするんじゃないぞ。病院での診断結果はきっちり頭に叩き込んで、俺たちにもその日に報告しろ。桃園さんの分と、二人分な』
瓜子が「押忍」と答えると、立松はあらたまった調子で言葉を重ねてきた。
『それでな、週明けまで待ってもよかったんだが……せっかくだから、伝えておく。パラス=アテナから、対戦相手の打診があったんだ。お前さんと桃園さんと邑崎の三人にな』
「あ、それはちょうどよかったですね。……でも、なんか声が暗くないっすか?」
『ちっとばっかり、入り組んでるんだよ。まず、比較的簡単な話から始めると……桃園さんの相手は兵藤選手で、邑崎の相手は赤鬼ジュニアだ』
瓜子は思わず「えっ」と言葉を詰まらせることになった。
「兵藤選手って、あの無差別級トップスリーだった兵藤アケミ選手っすか? あのお人は、引退したかと思ってたんすけど……」
『この対戦が実現するなら、これを正式な引退試合にするそうだ。そのお相手に、向こうのほうから桃園さんを指名してきたんだとよ』
瓜子たちが兵藤選手と最後に顔をあわせたのは、ゴールデンウィークの合同合宿稽古においてである。彼女は前触れもなしに合宿所に現れて、ユーリとのグラップリング・スパーを希望し――そして、ユーリに敗れて立ち去っていったのだった。
『パラス=アテナの駒形さんは、もう兵藤選手が桃園さんに遺恨を抱いたりはしていないと判断したそうだ。それどころか、兵藤選手は桃園さんにアトミックの行く末を託そうとしてるんじゃないか――なんて言ってたな』
「アトミックの行く末を……」
『ああ。桃園さんは来栖選手と小笠原さんにも勝ってるから、兵藤選手に勝てば無差別級のトップスリーを全員撃破したことになるだろ。だから兵藤選手は、そうやって桃園さんに自分たちの築いてきたものを引き継がせようとしてるんじゃないかって話だな』
それは何だか、むやみに胸を揺さぶられる申し出であった。
そうして瓜子が動揺を収めるより早く、立松は『でな』と続ける。
『赤鬼ジュニアに関しては、プロ昇格も見送りになったって話なんだ。まあ、この前の試合も決して褒められるような内容ではなかったからな。それで今度は、邑崎との対戦で両者の査定試合に仕立てたいんだってよ』
「邑崎さんも、プロ昇格をかけた査定試合っすか。本人は喜ぶでしょうけど……でも、なかなか思い切った判断ですね」
『まあ、邑崎もアマ戦績は三勝一敗で、勝った試合はみんなKOだからな。キックのアマ二冠の肩書きを持ってて、年齢ももうじき十八なんだから、早すぎるってわけでもないんだろう。ただ、相手が赤鬼ジュニアとなると……やりにくいことはやりにくいわな』
「そうっすね。でも、邑崎さんは奮起しまくるでしょう」
『そいつが空回りにならないか心配になるぐらいだな。で、最後にお前さんへのオファーなんだが……お相手は、ラウラ・ミキモトなんだよ』
瓜子は再び、「えっ」と驚くことになった。
「あの、《フィスト》の王者のラウラ選手っすか? あのお人は、アトミックを小馬鹿にしてるって聞いてたんすけど」
『そこのところが、入り組んでてな。……もともと駒形さんは、沖選手にオファーをかけてたんだそうだ。マリア選手を倒したからには、それ以上に格上の相手が必要になるからな。ただ、御堂さんは痛めた肘のリハビリで、三月の試合には間に合わないらしい。それで沖選手にオファーをかけたら、ラウラ選手が噛みついてきたそうなんだ』
「噛みつくって、どうしてです?」
『沖選手も、《フィスト》のフライ級王者だろ。そんなお人に一階級下の、しかもイロモノ団体の王者が対戦を希望するなんて何事だってな。そんなふざけたやつは自分が叩き潰してやるって息巻いてるそうだ』
「いや、自分が対戦を希望したわけじゃないっすけど……でも、一階級上へのチャレンジをお引き受けした時点で、同罪っすかね」
『そいつは別に、気にせんでいい。そんなトラッシュトークは、べつだん珍しくもないからな。……ただそのラウラ選手は、やるならアトミックのベルトをかけろとかほざいてやがるんだよ』
「へえ。アトミックに初参戦で、いきなりタイトルマッチを希望してるんすか。そのお人も、なかなかのタマっすね」
『ああ。ヤナの話によると、けっこう外連味のあるやつみたいだ。ただし、実力は確かだぞ。あいつは父親が柔術の道場主で、本人も黒帯の腕前だからな』
「ええ。たしか、凄腕のグラップラーって話っすよね。グラップラーは鞠山選手しか対戦したことがないんで、ちょっとワクワクしちゃいます」
『それじゃあ、受けるか? ……もしもこいつを受けるなら、駒形さんはその試合をメインイベントに据えたいそうだ』
「ええっ? でも、兵藤選手は引退試合なんでしょう?」
『引退試合は、メインイベントに据えられるほうが珍しいんだよ。引退するからには、選手として限界に達してるってことだからな。特に兵藤選手は故障だらけって話だし、ひいき目に見ても桃園さんに勝てる見込みは薄いから……半分がたは、功労者を見送るセレモニーみたいなもんだ。それはそれでけっこうな話だが、興行のメインにするような試合ではないだろう』
「でも、ユーリさんを差し置いて、自分がメインを務めるなんて……お客さんが納得しますかね?」
『おいおい。それを試合内容で納得させるのが、お前さんの役割だろ。そんな情けねえことを言うようなら、この話はなしだな』
「あ、待ってください待ってください! 自分にも、考える時間をくださいよ!」
『だから、週明けまでに考えておけ。正式な返事をするのはお前さんの足が落ち着いてからだが、こっちもやる気のないやつにかける労力はないからな』
そんな風に語る立松の声は、笑いを含んでいる。瓜子は頭をかきながら、「押忍」と応じるばかりであった。
そうして通話を終えた瓜子が座席に戻ってみると、『トライ・アングル』の面々は変わらぬ元気さで食事とおしゃべりに勤しんでいた。
「よ、おかえり! 道場のお人は、なんだって? もしかしたら、三月の対戦相手が決まったのか?」
「ええまあ、オファーがありました。でも、公式発表されるまでは口外できないんすよ」
瓜子がそのように答えると、愛音が闘志に燃える目を向けてきた。
「今回こそ、愛音は出場できるのでしょうか? 一月大会にも申し入れをしていたのに、けっきょく愛音は先送りにされてしまったのです!」
「オファーはあったみたいですよ。帰り道にお伝えしますね」
そうして自分の席についた瓜子は、呆気に取られることになった。ユーリが背後の壁にもたれて、安らかな寝息をたてていたのである。
「ユーリさんは、本当に精魂尽き果ててしまったみたいですね。試合から五日も経ってるのに、こんな状態が続いてるなんて……いったいどれだけの激戦だったのか、試合の放映日が楽しみです」
西岡桔平は、笑顔でそのように言っていた。
瓜子は苦笑しながら、ユーリの寝顔を覗き込む。旺盛な食欲を満たして眠りに落ちたユーリは、心底から幸福そうな寝顔をさらしていた。
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