ACT.3 決戦の前に

01 さらなる援軍

《レッド・キング》十月大会の翌日――十月の第三月曜日である。

 打ち上げの場において赤星弥生子と胸襟を開いて語らうことのできた瓜子は、また過酷で楽しいトレーニングに励むことになった。


 そして本日は、プレスマン道場にスペシャルゲストを招いている。

 誰あろう、それは瓜子の旧友たる佐伯芳佳とリンであった。


「一色ルイって、サウスポーのアウトスタイルっしょ? だったら、うちがスパーリングパートナーになってあげよっか?」


 佐伯は前々から、そんな風に言ってくれていた。何を隠そう、佐伯もサウスポーで名うてのアウトファイターだったのである。

 しかし九月大会の対戦相手はメイであったし、十月の第二日曜日には佐伯のほうが《G・フォース》の試合を控えていた。それから一週間を経て、ようやく合同稽古が実現したわけである。


「あんたがたが、佐伯さんとリンさんか。キックはもうひとりのコーチの担当なんだけど、かねがね猪狩からお話はうかがってたよ。今日はわざわざ足を運んでくれて、ありがとうな」


 まずは立松がそのように挨拶を述べると、佐伯はいつもののほほんとした顔で笑いながら、「いえいえ」と応じた。


「うちもいっぺん猪狩ちゃんと手を合わせてみたかったんで、こいつはちょうどいいやって思っただけなんです。下心ムンムンなんで、何もお礼には及ばないですよ」


「へえ。猪狩とは長いつきあいって聞いてたけど、スパーのひとつもしたことがなかったのかい?」


「ええ。猪狩ちゃんが所属してた品川MAってのがそういうところにうるさくって、出稽古は系列ジムしか許されてなかったんです。ようやく猪狩ちゃんの石の拳を味わえるのかと思うと、ウキウキしちゃいますね」


 そんな風に語る佐伯は、昼寝をしている猫のように目の細い、長身ですらりとした身体つきの女性である。彼女は瓜子よりも一階級上であったが、ファイトスタイルばかりでなく上背も一色ルイと二センチ差であったので、そういう意味でもスパーリングパートナーにはうってつけであったのだった。


 いっぽうリンは瓜子と同じ背丈で、一階級下である。しかし瓜子が体重よりもずいぶん細く見える体質であったため、傍目には似たような体格に見えることだろう。浅黒い肌でいつもにこにこと無邪気に笑う、タイ生まれ日本育ちのムエタイファイターであった。


「アウトスタイルに関しては佐伯さんで、肘打ちに関してはリンさんってこったな。リンさんは、わざわざ一色選手の過去の試合まで分析してくれたんだって?」


「ハイ! ルイ・イッシキのシアイはDVDにシュウロクされてなかったんで、カコにホウエイされたブンをケンキュウしてきましたー。……ウリコをイエにヨんでもヨかったんですけど、そうするとオトウトやイモウトたちがオオサワぎするから、ケンキュウにシュウチュウできないんですよねー」


 そう言って、リンはいっそうにこやかに微笑んだ。


「クビズモウとヒジウちのクセなんかは、ワタシなりにブンセキできましたから。それなりに、おヤクにタてるとオモいますよー」


「いやあ、本当に助かるよ。持つべきものは友人だな、猪狩?」


 立松に笑顔を向けられた瓜子は、誠心誠意で「押忍」と答えてみせた。

 立松は満足そうにうなずきながら、また佐伯たちのほうに向きなおる。


「いつかこっちで力になれそうなときは、全力でお返しするからな。もう本番まで一ヶ月きっちまったけど、どうかよろしく頼むよ」


「はいはい、こちらこそぉ。……でも、本番一ヶ月前でまだ対戦相手がはっきりしないんですか?」


「ああ。なるべく対戦相手の研究をさせまいっていう、小賢しいやり口さ。だけど今回はトーナメント戦だから、どこかで一色って選手に当たる公算は高い。そうでなくっても、あんたがたとの稽古は猪狩の糧になるだろうさ。……じゃ、何かあったら遠慮なく声をかけてくれ」


 そんな言葉を残して、立松は男子選手のほうに戻っていった。

 佐伯は猫みたいに笑いながら、瓜子を振り返ってくる。


「あの立松ってお人も赤坂さんに劣らず、猪狩ちゃんへの愛情があふれかえってたねえ。よ、コーチ殺し!」


「あはは。ウリコはいっつもマッスグだから、コーチもやるキをかきたてられるんでしょうねー」


「うるさいっすよ」と、瓜子は苦笑を返してみせる。何を茶化されても腹が立たないというのは、やはり相性というものであろう。そうだからこそ、彼女たちは瓜子の数少ない友人に成り得たのである。


「それじゃあ、更衣室に案内しますね。……あれ、ユーリさん? なんでそんなに小さくなってるんすか?」


「あ、いえいえ! ユーリのことはお気になさらず! ……あにょう、これから一ヶ月間、どうぞよろしくお願いいたしまする」


「うん、よろしくねー。って、このまえ会ったときと、ずいぶんテンションが違くない?」


「あうう。あの日のユーリは、いくぶん気持ちが上滑りしていたもので……」


 あの日とは、メイを含めた五人でカラオケパーティをした日のことである。あの日のユーリは『ワンド・ペイジ』の歌詞に情動を揺さぶられて、いささかならずおかしなテンションになってしまっていたのだ。


 ユーリの佐伯たちに対する基本スタンスは、「瓜子の友人に不快な思いをさせてはならない」というものになる。それでこのように、不必要に恐縮しきってしまうのだった。


「そんなちっちゃくならないでさー。うち、ユーリちゃんともスパーしてみたいなあ」


「そのときは、ボディプロテクターの装着をおすすめするっすよ。ユーリさんの攻撃力は、ほんとに化け物じみてますから」


「そいつは楽しみだねー。じゃ、まずはお着換えしよっかー」


 佐伯がそのように言ったとき、玄関のドアが開かれた。そこから現れたのは、灰原選手に多賀崎選手、小柴選手に愛音という、お馴染みのメンバーだ。


「押忍。みなさん、お疲れ様です。邑崎さんも、今日は早かったっすね」


「はいなのです! 今週半ばからは中間試験なので、もっと早く来られるのです!」


「それはけっこうなお話っすけど、試験勉強は大丈夫なんすか?」


「特別な試験勉強など必要ないぐらい、愛音は普段の授業を真面目にこなしているのです! 稽古時間を確保するには、それがもっとも効率的な手立てであるのです!」


 昼から道場にやってきても、ユーリに会えるわけではない。よってこれは、純然たる向上心の表れであるのだろう。ライバルと目する大江山すみれの活躍を目の当たりにして、愛音もいっそう火がついたようだった。


 そして灰原選手たちは、佐伯とリンに注目している。瓜子が両陣営の紹介を果たすと、灰原選手は「ふーん!」と対抗心をあらわにした。


「キック時代の、うり坊のツレってわけね! どっちもけっこー可愛いじゃん!」


「いや、外見よりも実力のほうを気にしてくださいよ。……とにかく、着替えを済ませましょう」


 最近は出稽古で賑やかな女子部門だが、本日はさらに拍車がかかってしまった。新旧の友人知人が入り乱れて、瓜子としてはなかなか奇妙な心地である。


「あ、そのブラウス、愛音も店頭で見かけたのです。佐伯サンも、エスニック系が好みなのです?」


「うん、まーね。邑崎ちゃんのスカートも、かーいーね」


「おほめにあずかり、光栄なのです。佐伯サンのようにファッショナブルなご友人を持ちながら、猪狩センパイは女性らしさを触発されることがなかったのですね」


「あはは。猪狩ちゃんは、昔っから着るもんに無頓着だったもんねえ」


 と、愛音と佐伯は思わぬところで意気投合している。

 いっぽうリンも、愛音に興味を覚えた様子であった。


「アイネはキョネンの、Gとブコンのニカンオウですよねー? ワタシもムカシ、Gのアマチュアタイカイでユウショウしたコトがあるんですよー」


「はい。猪狩センパイが準優勝した大会の、五十キロ以下級ですよね? 自分と同じ階級であったので、愛音も記憶に留めていたのです」


「えー、アイネはまだジュウナナサイなのに、あんなムカシのタイカイもチェックしていたのですかー?」


「昔といっても、たかだか五年前なのです。愛音はその頃から、武魂会のジュニアクラスの大会に出場していたのです」


 さすが元キックの選手ということで、愛音はこちらの両名と共通の話題が多いようだった。いっぽう小柴選手は武魂会のグローブ空手から、キックではなくMMAに進出したため、《G・フォース》とは関わりが薄いのだ。


「そういえば《G・フォース》もあとは十二月大会を残すのみだけど、けっきょく猪狩ちゃんは出場しないまま今年を終えちゃうのかな?」


 下着姿の佐伯に問われて、瓜子は「どうでしょう?」と首を傾げてみせた。


「《カノン A.G》の十一月大会を無事に終えたら、そっちに出られないことはないと思いますけど……まずはオファーが来るかどうかっすよね。今年はオファーを蹴りまくっちゃいましたし」


「うんうん。それでランキングも降格されちゃったんだもんねー。でもまあMMAのほうで充実してれば、問題ないのかな? 今年なんて、試合数がすごいっしょ?」


「はい。通常大会は皆勤で地方大会にも二回出場してるんで、現時点で七試合なんすよね」


 とたんに、灰原選手が「いーなー!」とわめきたてた。


「あたしなんて、一月と四月と六月の三回だけだよ! 一月にうり坊にやられちゃって以来、調子をあげてるところなのにさ!」


「わたしも、三試合ですね。でも、それが普通のペースじゃないですか? 欲を言えば、年内にもう一試合はしたかったところですけれど……」


 小柴選手がそのように発言すると、灰原選手はぐりんとそちらに向きなおった。


「だったら二人で、《レッド・キング》にエントリーしちゃう? あっちの十二月大会も、これから試合を組むところだって話だからさ!」


「え、でも……二人でエントリーしたら、わたしたちが対戦することになりそうですよね? 赤星道場に、この階級の女子選手はいないみたいですから」


「あー、そっかー。せっかくの外部の興行でコッシーとの対戦は、ちょっとつまんないかなー」


「つ、つまんないって、ひどくないですか?」


「あー、違う違う! せっかくの《レッド・キング》だったら、普通じゃない相手とやりあってみたいってことだよ! コッシーだっていっつもスパーでやりあってる相手より、お初の相手のほうが楽しいっしょ?」


「うーん……楽しいかどうかはさておくとして……わたしにとって、灰原さんは一回負けてる相手ですから。もっとしっかり力をつけてからリベンジしたいなっていう心境です」


「うんうん! あんなクソみたいな運営の関わらない場所でね!」


 そう言って、二人はそれぞれの気性に合った笑顔を見交わした。

 それを細い目でこっそりうかがっていた佐伯が、瓜子の耳もとに口を寄せてくる。


「あのお人らは、別のジムの所属なんでしょ? そうとは思えないぐらい仲良しさんなんだね」


「ええ。今は腐った運営を相手に、一致団結してますからね。……まあその前から、合宿稽古とかで親睦を深めてたんすけど」


「いいなあ。うちは出稽古とも無縁だったから、なんかいい刺激をもらえそうだよ」


 そう言って、佐伯はまた猫のように微笑んだ。

 そうして瓜子の旧友二人を交えた初の稽古は、粛々と開始されたのだった。

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