ACT.6 開戦準備
01 レコーディング・前半戦
赤星道場との合宿稽古を終えたならば、ついにユーリはサードシングルのレコーディングであった。
この時点で、時節はお盆の三日前となる。そうしてお盆に突入したならば、《アトミック・ガールズ》あらため《カノン A.G》の九月大会のひと月前に至るということであった。
しかしこの段に至っても、いまだ対戦カードは発表されず、新宿プレスマン道場にも試合のオファーは届けられていない。それどころか、ルールの改正に関しても、いまだ正式には通達されていなかったのだった。
『もしかしたら、これも謀略の一環かもしれないだわね』
共闘関係にある女子選手には、鞠山選手からそのようなメッセージが届けられていた。
『チーム・フレアの連中にだけマッチメイクの内容を通達しておけば、あっちはひと足早く戦略を練ることができるんだわよ。試合のオファーを遅らせれば遅らせるだけ、向こうが有利になるって寸法だわね』
それが真実かどうかは、関係者にしかわからない。
しかしこのような憶測に説得力が生じてしまうほど、現在のパラス=アテナは信用ならなかったのだった。
ともあれ、瓜子たちは誰が相手になっても慌てずに済むように、トレーニングを積んでおくしかない。大体が、現在は壁レスや肘打ちの対策を練るだけで、こちらもほとんど手一杯であったのだった。
そんな状況下で行われた、ユーリのレコーディング作業である。
その初日は、『ベイビー・アピール』を迎えてのレコーディングであった。
「千駄ヶ谷さん、おひさしぶりぃ。……あ、ユーリちゃんと瓜子ちゃんも元気してたぁ?」
およそひと月半ぶりの再会となる『ベイビー・アピール』の漆原は、相も変わらずへらへらとしていた。
楽器を抱えた他の面々も、まったく変わった様子は見られない。強面で、どこか子供じみており、そして明るく朗らかな一団であった。
「どうも、おひさしぶりです。あの、先日はユーリさんの一件に関して、ありがとうございました」
瓜子が挨拶もそこそこにそのように言いたてると、漆原はけげんそうに小首を傾げた。
「ユーリちゃんの一件って? 俺、なんかしたっけ?」
「ほら、アレだろ。デマカセの熱愛報道に、お前がネットニュースで反論した件だよ」
坊主頭にバンダナを巻いた、たしかドラムスのダイなる人物が、苦笑しながら口をはさんだ。
漆原は、「ああ。アレかぁ」と痩せた肩をすくめる。
「アレは俺だって当事者だったんだから、お礼なんていらないよぉ。瓜子ちゃんは、律儀だねぇ」
「いえ、でも、ユーリさんにとっては本当にありがたい援護でしたし――」
「いいのいいの。千駄ヶ谷さんからお礼の電話をもらえただけで、おつりが来るぐらいさぁ。プライヴェートの携帯番号だったら、もっと最高だったんだけどねぇ」
漆原がおやつをねだる子犬のような眼差しを向けると、千駄ヶ谷は冷徹なる眼差しでそれを跳ね返した。
「その節は、本当にお世話になりました。……では、時間も差し迫っておりますので、ご準備のほうをお願いいたします」
「ちぇー、つれないなぁ。焦らされたら焦らされただけ、俺は熱くなっちゃうよぉ?」
不健康に痩せ細った顔に無邪気な笑みをたたえつつ、漆原はレコーディングスタジオに入室していった。
他のメンバーがぞろぞろと追従していく中、スキンヘッドのタツヤなる人物だけが瓜子たちのほうに寄ってくる。
「なあ、アトミックはどんな感じ? 小笠原選手は、へこんだりしてない?」
「はい。打倒チーム・フレアに燃えてますよ。自分の知る選手は、みんなそうっすね」
「そりゃあそうだよなぁ。ルール改正はけっこうだけど、これまでやってきたことを全否定するなんて、あいつら馬鹿じゃねえの? 本当に、これまでの試合をちゃんと観てきたのかって話だよなぁ」
そう言って、タツヤはにっと白い歯をこぼした。
「小笠原選手のアドヴァイスで、俺は瓜子ちゃんたちの試合もチェックさせてもらったからさ。まだ今年分の試合ぐらいしか観てねえけど、特に瓜子ちゃんはすごかったよ。ファイターとしてもアイドルとしても、一色ルイなんざ目じゃねえって」
「あ、いえ、自分はアイドルとかじゃないんで……」
「いや、ほんとほんと。試合もグラビアも楽しみにしてるから、頑張ってなぁ」
スタジオの中に消えていくタツヤの後ろ姿を見送りながら、瓜子は溜息をこぼすことになった。
が、れっきとした格闘技ファンである彼にあのように言ってもらえるのは、心強い限りである。瓜子もファイターとしてなら、一色選手に後れを取るつもりは毛頭なかった。
「では、ユーリ選手もご準備をお願いいたします」
千駄ヶ谷にうながされて、ユーリは「はぁい」と敬礼した。
ボイストレーニングの増加にはぶちぶち言っていたユーリであるが、今日の表情は『ベイビー・アピール』の面々に劣らず朗らかであった。昨晩などは、「生演奏で歌うのはひさびさだにゃあ」と、むしろ嬉しそうな笑顔さえ見せていたのだ。
(明るい歌詞の歌を歌うことには、まったく抵抗がないんだろうな)
来月発売予定のサードシングルは両A面シングルと銘打たれており、『ベイビー・アピール』が担当するのはもちろんアップテンポで元気なほうの楽曲である。曲名は『ハッピー☆ウェイブ』というもので、歌詞の内容はひたすら明るく前向きなものになっていた。
なおかつ今回は、ファーストシングルの『ピーチ☆ストーム』も生演奏バージョンが録音される。千駄ヶ谷は既存の曲のすべてを含めて五曲入りのミニアルバムにしてみてはどうかと提案したようなのだが、さすがにそこまでの変更は認められず、かろうじて『ピーチ☆ストーム』のカップリングだけが容認されたという顛末であった。
「音合わせが済んだら、軽く通してみるからね。ユーリちゃんも細かいことは気にしないで、モニターチェックのつもりで歌ってみて」
モニター室のプロデューサーが、マイクを通してスタジオの人々に呼びかけた。
ユーリは笑顔でうなずいていたが、ギターのチューニングをしていた漆原がコーラス用のマイクで声をあげてきた。
『でもさ、全部が本番のつもりで録音しておいてもらえる? 俺たちのレコーディングでも、けっきょく一発目を採用なんてのはザラだからさぁ』
「了解したよ。どんなアレンジに仕上げてくれたか、楽しみにしてるからね」
そうしてマイクを切ったプロデューサーは、穏やかな表情で千駄ヶ谷に向きなおった。
「『ベイビー・アピール』のコたちは、ユーリちゃんと新曲を合わせるのも初めてなんだよね?」
「はい。新曲旧曲を問わず、ユーリ選手が彼らと同じ場に立つのは、前回のステージ以来となります」
「それじゃあさすがに、一発目のテイクを生かすのは厳しいだろうなあ。『ベイビー・アピール』だったら、かなり大胆にアレンジしてるはずだからね」
今回の新曲は、作曲者の作製したデモテープをもとに、演奏陣が各自でアレンジを考案する、という形が取られている。が、その演奏を『ベイビー・アピール』と『ワンド・ペイジ』にお願いするというのは急遽の決定であったため、デモテープにはピアノやストリングスなどの音も使われているのだ。それをツインギターのロックサウンドにアレンジするのだから、それはずいぶん異なる仕上がりになるはずだった。
(でも、ファーストのピコピコしたサウンドでも、あのお人らはあんなカッコよくアレンジしてたからな。どんな仕上がりなのか、楽しみだ)
そうして、レコーディングは開始された。
ドラムのカウントで、凄まじい爆音のイントロが奏でられる。いかにも『ベイビー・アピール』らしい、荒々しくも爽快なサウンドであった。
プロデューサーは感心したように、「ほう……」と目をすがめる。
さらにそこにユーリの歌がかぶさると、今度はその目が驚嘆に見開かれた。
「声が出てるな。周りが爆音だから、それに引っ張られてるのか……?」
それは独白のようだったので、千駄ヶ谷も無言のままガラスの向こうのユーリたちを見つめている。
ユーリは、心から楽しそうだった。
それに、その歌声がボイストレーニングのときよりも鮮烈に、瓜子の胸へと食い入ってくる。『波に乗ろう』だの『遠くに行こう』だの、それはべつだん独創的でも何でもない言葉の羅列であったのだが――なんだかその歌声と演奏に襟首をつかまれて、ぐいぐい引っ張られていくような心地であった。
ユーリは『ワンド・ペイジ』の山寺博人から、歌に感情を込めるべしとアドヴァイスされた。だから今も、存分に気持ちを込めて歌っているのだろう。それがまた、生演奏の爆音によってブーストされたようなのだ。
最近のユーリは、新生パラス=アテナにさまざまな謀略を仕掛けられている。そういった逆風を跳ね返すかのように、ユーリの歌声は力強く、躍動感にあふれかえっていた。
プロデューサーは真剣な眼差しになって、指でトントンとリズムを取っている。
そうして最初のテイクが終了すると、ユーリが真っ先に『ひゃー!』と声をあげた。
『みなさんが演奏すると、こんな感じになるんですねぇ。すっごくかっちょよかったですぅ』
『ユーリちゃんの歌も、想像以上だったよ。前回のライブより声量もあがってるよね』
『このひと月ほど、トレーニングの日々でしたのでぇ。その成果が出てるなら嬉しいですぅ』
漆原は陽気に笑いながら、こちらを振り返ってきた。
『どうだった? 正直、テイクを重ねてもテンションが削られるだけな気がするんだよなぁ』
プロデューサーは大いに煩悶しながら、通話マイクのスイッチをオンにした。
「歌も演奏もよかったよ。でもやっぱり、何回かはテイクを重ねて比較させてもらわないとね」
『だったらさあ、その前に別の曲をやらせてもらえない? 連チャンだと、余計にテンション下がるからさぁ』
プロデューサーが了承を与えたので、今度は『ピーチ☆ストーム』の演奏が開始されることになった。
こちらもまた、前回のライブを上回るほどの迫力とクオリティである。
ユーリも『ベイビー・アピール』の面々も、本当のライブのように暴れ回ってしまっている。たとえ一発録りであろうとも、普通はもっと歌や演奏に集中するものであるはずだ。
だが、瓜子には最高に格好よく思えてしまった。
この勢いを殺してまで演奏に集中するならば、いったい何のための一発録りであるのかと、そのように思えてしまうほどであった。
『気持ちよかったー! やっぱりこの曲もかっちょいいですよねぇ』
自前のタオルで汗をふきながら、ユーリはそのように語らっていた。
ペットボトルの水で咽喉を潤した漆原は、にんまりと笑いながらこちらに向きなおってくる。
『どうだった? 最高のテイクが録れたと思うんだけど』
「うん……正直、驚かされたよ。ユーリちゃんと君たちのライブは評判になってたけど、想像を上回る迫力だった」
プロデューサーはちょっとなよやかな仕草で額に手をあてつつ、そのように答えた。
「だけどまあ、僕は君たちの天井を知らないからさ。念のために、こっちも何回か録音させておくれよ」
『慎重だねぇ。それじゃあ、また曲を変えよっかぁ』
「ああ、うん。かまわないよ。それじゃあ、また新曲のほうを――」
『いやいや、そっちじゃなくて、セカンドの曲をやらせてよ』
「え? 『リ☆ボーン』を収録する予定はないよ?」
『だったら、四枚目のシングルで使っちゃえば? ギャラを上乗せしろなんてケチくさいことは言わないからさ』
プロデューサーは困惑の表情で、千駄ヶ谷を振り返った。
千駄ヶ谷は縁なし眼鏡の奥の目を光らせながら、小さく息をつく。
「……権利の関係については私があちらの事務所と交渉させていただきますので、とりあえず録音作業をお願いできますでしょうか?」
「了解。……何にせよ、最高の出来になることは保証できると思うよ」
プロデューサーは、さまざまな感情の入り乱れた顔で笑っていた。
そうしてレコーディングの初日は、想定を遥かに上回るスムーズさで進行されていったのだった。
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