Act.4  The open‐weight Tournament ~Final round~

01 破綻

・Aブロック・第一試合。

 ×兵藤アカネ(柔術道場ジャグアル)

 ○サキ(新宿プレスマン道場)

 一ラウンド。三分五秒。KO(フロント・キック)


・Bブロック・第一試合。

 ○小笠原朱鷺子(武魂会小田原支部)

 ×ローザ・ブランコ(キング・ジム)

 二ラウンド。二分二十五秒。KO(右フック)


・Aブロック・第二試合。

 ×沙羅(NJGP)

 ○ベリーニャ・ジルベルト(ジルベルト柔術アカデミー)

 一ラウンド。四十三秒。TO(チョークスリーパー)


・Bブロック・第二試合。

 ○ユーリ=ピーチ・ストーム(フリー)

 ×リュドミラ・アシモフ(チーム・マルス)

 一ラウンド。一分五十八秒。TO(膝十字固め)


 Aブロックの準決勝戦は、サキ対、ベリーニャ・ジルベルト。

 Bブロックの準決勝戦は、ユーリ・ピーチ=ストーム対、小笠原朱鷺子。

 それらの勝者が決勝戦を闘い、最後に生き残った者が、初代無差別級チャンピオンと認定される。


 泣いても笑っても、残りの三試合ですべてに決着がつけられるのだった。


                 ◇


『青コーナー。百六十八センチ。六十キログラム。ジルベルト柔術アカデミー所属。《スラッシュ》元・無差別級王者。《S・L・コンバット》無差別級、二連覇……ベリーニャ・ジルベルト!』


 浅黒い肌をした世界最強の女が、黒い柔術衣を脱ぎ捨てて、リングの中央に進み出る。


『赤コーナー。百六十二センチ。五十キログラム。新宿プレスマン道場所属。アトミック・ガールズ、ライト級チャンピオン……サキ!』


 赤い髪をしたライト級の女番長が、白い着流しを脱ぎ捨てて、リングの中央に進み出る。


 ベリーニャ選手は、黒い半袖のラッシュガードに、ハーフのスパッツ。

 サキは、白地のタンクトップに、和柄のハーフパンツ。

 身長差は六センチ。体重差は、十キロ。

 かたや伝統ある柔術道場のグラップラー。かたやKO最多記録を持つ生粋のストライカー。


 何とも予測の立てにくい対戦カードではあるが、それでもサキの不利は否めないだろう。

 ベリーニャ選手は、立ち技が不得手なわけではない。ただ、グラウンドの技術が卓越しているだけだ。


 いっぽうのサキは、確かに立ち技の技術はとびぬけている。その代わりに、グラウンドの技術は、並である。

 いっそ兵藤選手ぐらいとの体格差であれば、スピードで攪乱することもできたかもしれない。が、ベリーニャ選手とて、最大の持ち味は敏捷性と瞬発性なのだ。


 サキの勝利を誰よりも強く祈りながら、瓜子にもまったく攻略の糸口すら見出すことはできなかった。


「……頑張れ」


 入場口の扉の外で、ユーリが静かに手を合わせている。

 いったいどちらの応援をしているのだろう、と瓜子はまた埓もない想念にとらわれてしまう。


 そんな中、この日で何度目かのゴングが打ち鳴らされ───そうして試合は、またもや一分足らずで終結することになった。


 先に仕掛けたのは、サキである。

 前足のローと、パンチのコンビネーション。疾風の如く、という表現に相応しいラッシュを仕掛けて、まずはベリーニャ選手の先制タックルを封じてみせた。


 右ジャブを二発。右のローキック。左のボディフック。

 右のショートフック。右のローキック。左アッパー。

 目にも止まらぬ連続攻撃だ。


 しかし、ベリーニャ選手には当たらない。

 ローは受け流され、パンチはガードされ、合間にジャブを振ってくる。もちろんサキもガードはしているが、互角としか言いようのない攻防だ。


 しかし、互角ではサキに勝機はない。

 それに、そんな真正面から接近戦を仕掛けてしまうのは、勇敢というよりも無謀としか思えなかった。


 ボクシング流のステップでサキの攻撃をかわしながら、ベリーニャ選手は冷静にサキの動きが止まるのを待っている。

 まともに組みつかれてしまったら、その時点で勝負は決まってしまうかもしれない。

 序盤から、瓜子はまったく生きた心地がしなかった。


「……ひゃあっ!」


 と、ユーリが悲鳴のような声をあげる。

 左のストレートをかわされたサキの上体が、バランスを失い、宙を泳いだのだ。

 バックステップしかけていたベリーニャ選手の身体が、おそるべき反応速度で、横合いからサキにつかみかかろうとする。


 その瞬間、サキの身体がそれから逃げるように、すっと下方に沈みこんだ。

 沈みながら、後方から右足をはねあげる。

 かつてユーリも沙羅選手から仕掛けられた空手の大技、胴廻し回転蹴りだ。

 低空で宙返りをしたサキの右かかとが、凄まじい勢いでベリーニャ選手のこめかみを襲う。


 ベリーニャ選手はすんでのところでその攻撃をブロックし、サキはまるで曲芸師のような身軽さで立ち上がった。

 そうして立ち上がるなり、左のローを叩きこむ。


 まだ止まらないのか。

 いったいサキは、いつ呼吸をしているのだろう。

 胴廻し回転蹴りそのものよりも、その後の猛ラッシュに辟易とした様子で、ベリーニャ選手は引き下がろうとする。

 世界最強の女が、引き下がろうとしている。


(サキさん……)


 薄暗がりの中で、瓜子は拳を握りしめた。


 逃げるベリーニャを、サキが追う。

 右のロー。右のボディアッパー。左のストレート。

 右のフック。右のロー。もう一発、ロー。左のショートアッパー。

 すさまじいばかりのコンビネーションだ。


 ベリーニャ選手の反撃が、止まっている。

 組みつこうという気配もない。とにかく距離を取って、体勢を整えなおしたい。そんな心情をありありとのぞかせながら、ベリーニャ選手が両腕でサキを突き飛ばすような仕草を見せた。


 それに合わせて、サキが右の前蹴りを放つ。

 バックステップしかけていたベリーニャは、さらに腹を押される格好で、後方に少しよろめいた。


 そして───サキの左足が、マットを蹴る。

 燕のタトゥーが上空に舞い上がり、日本刀のようなハイキックが、ベリーニャ選手の側頭部に襲いかかった。


 ベリーニャ選手がとっさに顔を伏せたのは、やはり並々ならぬ反射神経と言えただろう。

 しかし、そこまでならかわせる選手もいる。瓜子だって、かわしたことがある。きっと、頭を沈めることで回避しやすい高さと角度で放たれるハイキックなのだ。

 そして、頭を沈めたことによって生じた死角から、黒き燕が、舞い戻ってくる。


 燕返し。

 ハイキックからの、かかと落とし。

 楕円を描いたサキの左かかとが、うなりをあげて、ベリーニャ選手の左肩に突き刺さった。


(……左肩?)


 こめかみでは、ないのか。

 しかも、当たっているのは、かかとではなく足首の裏だった。

 ついに放たれた伝家の宝刀は、鞘におさめられることもなく、ベリーニャ選手に両腕で抱えられてしまっていた。


 残った右足を、ベリーニャ選手の右足が刈る。

 サキは背中からマットに落ち、ベリーニャ選手もまた、背中からマットに倒れこんだ。


 身を起こそうとするサキの左ももに、ベリーニャ選手の両足がからみつく。

 そして、両手でつかんでいたサキの左かかとを右脇にはさみこみ、両腕をクラッチして、一気にひねりあげる。


 ヒールホールド、かかと固めだ。

 サキの身体がびくんっとのけぞり、レフェリーが止めるより早く、ベリーニャ選手は技を解き、立ち上がった。


 静かな憂いをふくんだ目で、ベリーニャ選手はサキを見下ろし、その視線の先で、サキは───おのれの左膝を抱えこみ、苦悶にのたうち回っていた。


 ゴングが乱打され、サイトーとリングドクターがなだれこむ。

 無情な歓声の中、ベリーニャ選手の右腕が掲げられ、『一ラウンド、一分二十四秒、ヒールホールドにより、ベリーニャ・ジルベルト選手の勝利です!』のアナウンスが告げられる。


 瓜子は力なく壁にもたれかかり、ユーリは切なげに息をついた。


「サキたん、負けちゃったかぁ……」


 しばらくは、リング上が騒然としていた。

 リュドミラ選手に引き続き、再び担架が持ち出されることになってしまったのだ。


 ヒールホールドは、危険な技である。膝の靭帯が一瞬で破壊されてしまうため、以前は総合格闘技の試合においても反則技と認定されていたぐらいであった。


 それが解禁されたのは、他ならぬブラジリアン柔術とバーリトゥードの伝来がきっかけである。パウンドなどグラウンド上での打撃攻撃が許されるルールであるならば、足への関節技は非常に極めにくくなるため、現在ではヒールホールドを反則とする団体は少なく、《アトミック・ガールズ》もその例外ではなかった。


 ともあれ───サキは、負けてしまったのだ。

 伝家の宝刀を、無残にへし折られて。

 瓜子はショックのあまり、しばらく声を出すこともできなかった。


 数分後、左足をテーピングでぐるぐる巻きにされたサキが、サイトーに肩を借りて、ようやくマットに立ち上がった。

 どうやら担架の使用を拒絶している様子だ。

 柔術衣を着直して、正座でそれを待ち受けていたベリーニャ選手が、長身の兄とともにそちらへ歩み寄っていく。


 サキはがっくりとうなだれたまま、顔をあげようとしない。

 サイトーが空いているほうの手を上げて、ベリーニャ選手の接近を止めた。

 通訳係の駒形氏を通して、二言三言やりとりをして、ベリーニャ選手は深々と頭を下げた。


 拍手と声援が、二人の健闘を祝福する。

 それを聞きながら、瓜子は悔しさのあまり、涙がこぼれてしまいそうだった。


「……ハイ、ピーチ=ストーム」


 そうして、ベリーニャ選手が帰還してきた。

 夜の湖のように穏やかな眼差しが、とても静かにユーリを見つめる。


「……ケッショウセンでマっている、イってるよー」


 ユーリは「はい」としか答えなかった。

 ベリーニャ選手はひとつうなずき、兄とともに通路の奥へと消えていく。

 その背中が完全に見えなくなってから、瓜子はひさかたぶりに言葉を発した。


「サキさんは……大丈夫っすかね?」


「うぅん……いちおう担架じゃなく自力で歩いてたから、靭帯断裂まではいってないと思うけどぉ……心配だねぇ……」


「……まさか、このまま引退したりはしないっすよね?」


 しない、とユーリに答えてほしかった。

 そうでないと、瓜子は心がバラバラになってしまいそうだった。

 しかし、ユーリはしょんぼりとした面持ちで首を振っている。


「どうだろう……ここまで完璧にやられちゃったら、リベンジに燃えるどころじゃないかもね……」


「そんな……それじゃあ、こんなトーナメントに出場した意味がないじゃないっすか!」


「うにゅ? 意味がないなんて、いくら何でもそれは言いすぎだよぉ。あのまま何もしないで引退しちゃうのと、完全燃焼の試合をして引退をするんじゃあ、まったく意味合いが変わってくるからねぇ」


「な……何を言ってるんすか、ユーリさん! それじゃあユーリさんは、サキさんがこのまま引退してもかまわないって言うんすか?」


 声が、大きくなってしまった。

 後方に控えていた立松コーチが、「おい、猪狩」と渋い顔で割りこんでくる。

 しかし、瓜子には止められなかった。

 この二ヶ月間、胸の奥底に押しこめていた鬱屈が、うねりをあげて噴きこぼれてしまっていた。


「答えてくださいよ、ユーリさん! ユーリさんは、サキさんが引退してもかまわないんすか? 自分たちの目の前からいなくなっちゃっても、それでも全然かまわないって言うんすか?」


「全然かまわないってことはないけど、最終的に決めるのはサキたんじゃん? これ以上は、ユーリたちにも口出しできないよ」


「ユーリさん……!」


「猪狩、いいかげんにしないか。これからすぐに試合なんだぞ」


 入場口の隙間から、リングアナウンサーの声が聞こえてくる。今にもユーリの入場曲が鳴り始めるのだろう。

 だけど、瓜子は叫ばずにはいられなかった。


「冷たいっすよ! けっきょくユーリさんにとって、サキさんてのはそのていどの存在だったんすか! 去る者は追わずで、後は関係なしっすか! ベリーニャ選手と試合できれば、ユーリさんはそれで満足なんすか!」


「ベル様のことは、いま関係ないじゃん」


 子どものように、ユーリは唇をとがらせる。


「ユーリは、こーゆー人間なんだよぉ。こんだけ一緒に暮らしてて、まだわかってなかったの? それが気にくわないなら、ユーリのそばになんか、いなければいいじゃん」


「……わかりました」


 瓜子の中で、何かが砕け散った。

 けっきょく、これが結論だったのだ。


「もう、限界です。これ以上、ユーリさんのそばにはいられません。……色々とよけいなことを言って、すみませんでした」


「おい、猪狩───」


 ユーリと立松とジョンに背を向けて、瓜子は通路を走り始めた。


 終わりだ。

 これ以上は、耐えられない。

 これ以上、ユーリの姿を見てはいられない。

 ユーリは、あまりに強すぎて───化け物のように強すぎて、きっと他人の弱さが理解できないのだ。


 屋上から飛び下りることになった理央という娘の弱さも、《アトミック・ガールズ》を引退しようとしたサキの弱さも、ユーリのそばにいられなくなった瓜子の弱さも、ユーリには何も理解できないに違いない。

 絶望と暗黒に彩られた運命から、たゆみない努力だけで脱することのできたユーリには、それができない人間たちの弱さが理解できないのだ。


 誰もがユーリのように強くあれるわけではない。

 格闘家としては何の適性も持っていなかったユーリが、たったひとつだけ持っていたもの――どんな絶望にも屈せず、あきらめず、努力し、突き進むことのできる、強靭な精神力。そんなものを、瓜子や、サキや、理央という娘が持っているわけがないではないか。


 ユーリはやはり、運命に選ばれた人間だったのだ。

 絶望と、孤独と、逆境を糧に、ユーリは英雄になってしまった。化け物になってしまった。そんなユーリのそばにはいられない。瓜子はただの、凡俗な人間にすぎないのだから。


 サキがいなくなり、瓜子とは触れあえなくなった。それでも平然と笑っていられるようなユーリのそばに、瓜子の居場所などあるはずはなかったのだ。


(サキさん……)


 今こそ瓜子は、サキの気持ちを理解できたような気がした。

 そんな灼けつくような思いを胸に、瓜子はひたすら走り続けた。

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