第19話 堀川悠人

 一週間程して、望月が訪ねてきた。

「今日は、同業者から、入村希望者の情報を貰ったので、こちらに書類を持ってきました」

「書類は役場に持っていくんじゃないんですか」

「実は、その・・・。まあ、書類に目を通してください」

 清と百合は怪訝そうな顔で、手渡された書類に目をやり、そして驚いた。そこに書かれていた名前とは、堀川悠人だったのだ。彼は、ホームページでこの村の事を知り、興味が涌いたらしい。しかし、彼は画家としてどうなのか。清はその事が心配だった。芸術家村の入村者はあくまでも、画家、彫刻家など芸術家としての活動が条件なのだ。

「望月君、彼の作品は見たのかい」

「いいえ、ただ、この書類を持ってきた同業者は太鼓判を押してました。ですから一度、東さんと片山先生に、彼と会って欲しいと思いまして」

「なる程、わかりました。で、いつですか」

「明日、此処に連れてきます。片山先生も明日来るそうです」

「あ・・・」

「どうかしましたか」

「いえ、別に・・・」

 そういえば、片山には百合の妊娠の報告をしていない。とりあえず何とか取り繕うことにしよう。清は内心冷や汗をかいていた。

 いよいよ、堀川悠人がやって来る。果たして、美咲をすぐに会わせるべきなのか。清は迷っていた。いや、先日も美咲に言った通り、会わせるべきなのだ。そして、前を向かせてあげるべきなのだ。そう思い、清は百合に相談した。

「どうしたものかな?」

「清さん、私に任せてもらえますか」

 百合には何やら考えがあるようだ。無理に作戦を聞くことも無いだろう。片山にもその旨は伝えておいた。片山も、全て百合の思うように進めたら良いと、任せてくれた。なんといっても百合は片山からの信頼が厚いのだ。片山は百合の考えていることならば間違いはないと、端っから全幅の信頼を置いているのだ。

 翌日、望月が堀川を連れてきた。望月は役場の応接室に彼を案内したのだが、やはり心なしか緊張しているようだ。部屋に入ると既に片山と清、そして百合がソファーに腰かけていた。

「初めまして、堀川悠人です」

「片山伯道です」

「東清と妻の百合です」

 簡単な挨拶を済ませ、早速本題に入る。

「最初から話しづらいことを質問しますが、堀川さんは、右手を事故で無くされてから、左手で絵を描かれて来たのですか」

「はい、最近になって漸く左手で描いても、昔の絵と遜色なく描けるようになりました」

「では早速、見せていただきましょうか」

「はい」 

 堀川は、大切に布で包まれた一枚の絵を取り出した。花瓶に生けた一輪の白百合。背景を敢えて暗い色にして、百合の花を引き立てている。というよりも、周囲が暗いだけに、尚更に百合が美しく感じるのか。

「綺麗ですね。これはもしかして、あなたの心の中に住んでいる女性を表現したのかしら」

 堀川は驚いたような顔で百合を見ている。

「図星のようですな」

 片山も見抜いたようだ。百合は美咲に電話をした。

「百合です。今お客様が来ているので飲み物を六人分持ってきてくださるかしら」

 美咲はすぐにお持ちしますと言って電話を切った。

「堀川さん、この絵の背景が明るい色になることはあるのかしら」

「え、あ、あの、どういう事でしょうか」

「だって、背景はあなたの心、そして百合はあなたが思っている女性。そんな感じがしたから」

「参りました。確かに私には思い続けている人が居ます。数年前に別れた妻なのですが。私が右手を失ったがために、別れなくてはならなくなったんです。左手であの時以上の絵が描ければ、彼女と再び結ばれるのではと、儚い希望を胸に必死で絵を書き続けました。しかし、奥さんが指摘した通り、私の心が・・・」

 その時美咲が飲み物を運んできた。

「お待ちどうさまです。コーヒーをお持ちしました」

 と、美咲はドアを開けたまま、その場に立ち尽くし、完全に硬直してしまった。

「み、美咲」

「悠人・・・さん」

 百合が立ち上がり、美咲からコーヒーポットとカップを受け取り、美咲を空いてる席に座るよう促し、各々の前にコーヒーカップを置いた。

「どうして君がここに・・・」

「私が呼んだんだよ。東君の奥さんが忙しくなったものでね」

「私、百合さんの補佐で、ホームページの作成や、宿泊施設の管理をしているの」

「そ、そうか。片山先生。東さん。お願いです。是非この村に住まわせていただけないでしょうか」

「そうですね・・・」

「良いじゃないですか。その代わり条件を付けましょう」

「「「条件・・・!」」」

 片山、清、望月が一斉に百合の言葉に反応した。

「一ヶ月の間に、この百合の絵をもう一枚描いて下さいな。美咲さんに捧げるための絵を。その絵をお三方に評価して貰って、その結果で決めたら如何ですか」

「うん、それがいい。僕も彼女の為に一枚の絵を思いを込めて描いた結果、今の地位を築けました。堀川さん、今のあなたならきっと描けますよ」

「わかりました。描かせていただきます。美咲、許可をいただいたらもう一度やり直してくれるかい」

 美咲は泣きじゃくり声を出せない。ただ黙って大きく頷いている。

「じゃあ、一ヶ月間私のアトリエを使いなさい」

 特別に片山の小屋の使用許可がおりた。

「良かったね、美咲ちゃん。堀川さん頑張ってください」

 清のエールに堀川もやる気が出てきたようだ。一ヶ月後、果たしてどの様な絵が見られるのか。期待して待つことになった。百合に促され、美咲は堀川を小屋へと案内していった。

「これで一安心だね」

 清が百合に話しかけると、片山が何やら気づいたようだ。

「東君、奥さんの顔が何となく変化したんじゃないか」

「へんか・・・ですか」

「ああ、何だか一層優しい顔になったような気がするんだが」

 気付かれてしまったのならば、正直に話すしかない。

「あのぅ、実は赤ちゃんが・・・」

「なに、赤ちゃんができたか。そうかそれは愛でたい。奥さんの顔つきからいくと女の子だな、こりゃあ、東君、今の内から名前を考えておいた方が良いぞ」

 片山は手放しで喜んでいる。何だかこの日は、良いこと尽くめだ。機嫌を良くした片山が、清夫妻と望月、美咲と堀川を連れて、食事をご馳走すると言い出した。しかし、百合の悪阻の事もあったので、清夫妻は丁重に断った。

「良かったね。美咲さんもこれで一安心だわ」

「そうだね。堀川さんは、確かに凄いと思うよ。美咲ちゃんの目は確かだよ」

「うん、あの二人にもう一度幸せな家庭を築かせてあげたいね」

「この村に居る限り大丈夫さ」

「そうよね」

 翌日から、せっせと堀川の世話をする美咲の姿が、村人たちに目撃された事は、言うまでもない。徳さんも、さすがに美咲の見合い話はしなくなった。何故なら悠人の世話をする岬の顔は以前にも増して、溌溂とし、より美しくなったのだから。

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