第12話 子作りの湯
翌朝、二人は外が明るくなると、すぐに目を醒ました。小学生が、遠足の時にウキウキして、早く目を醒ますような感じなのだろう。百合は、早速ご飯を炊き、おにぎりを用意する。清も顔を洗い、身支度を整え、いつでも出発できる状態だ。久し振りに百合の作った朝食を食べ、車に乗り込んだ。
「さて、出発だ。午前中はちょっと景色の良いところに行こう」
「景色の良いところ?」
「うん、村のはずれに小さな沼があるのを知ってる?」
「知ってるよ。でもあそこは危険だから入っちゃいけないんだよ」
「その沼の先に洞穴があるんだけど、実は綺麗な鍾乳洞だって知ってた?」
「知らない。そんな鍾乳洞が有ったなんて初耳」
「そこに行ってみよう。懐中電灯は持ってきてるからね。大体三十分位で見終わるから」
「なんだか楽しみだわ。早く見てみたい」
ということで、二人は、先ず村はずれの鍾乳洞にやって来た。何万年もの歳月をかけて、形成された美しい鍾乳石に天井から滴る水滴が、懐中電灯の光に照らされて、きらきらと輝いている。その滑々とした石灰の柱は、自然が生み出した芸術品ではないかと思えるほどだ。
「綺麗!まるで夢の世界に居るみたい」
「気に入ってくれたかな」
「もう、最高です」
「じゃあ、これを持って」
清は上着のポケットから、何やら巨大な金平糖のような物体を取り出して、百合に手渡した。
「これは何?」
「まあ、見てからのお楽しみだよ」
そう言って、彼は懐中電灯を消し、百合に持たせた物体のボタンを押した。すると、突起の部分が白く光り出したではないか。
「うわ、光った」
「手のひらの上に乗せて、周りを見渡してご覧」
言われるままに、百合は手のひらを平にして、その上に大きな金平糖を乗せ、周りを見渡した。仄かに白い光を浴びて、洞窟全体が幻想的にうっすらと、光を反射している。
「なんだか夢の世界に居るみたい。この光は何の光なの?」
「これは発光ダイオードのスーパーホワイトの光だよ」
均一な方向ではなく、ランダムな方向に光を飛ばすことによって光ムラを作り、より周りが幻想的に見えるのだ。そして高原を回転させることによって、この空間が全く違ったように見えるのだ。
「どう、気に入ってくれたかな」
「もう、私、清さんのこと尊敬しちゃいます。光を使って、こんなに素敵な光景を作り出すなんて、凄すぎます」
「良かった、気に入ってくれて。じゃあそろそろ行こうか」
「また、連れてきてくれますか」
「いいよ。また来よう」
「はい」
二人は車に戻り、子づくりの宿へと車を走らせた。そろそろ紅葉も終わりを告げようかとしている山並みは、針葉樹の緑と、赤茶けた広葉樹林が、斑に不思議なコントラストを醸し出している。その様な山並みの中、二時間ほどして、二人の視界に目的の宿が見えてきた。相変わらず人気がなく、閑散としている。
「ごめんくださーい」
大きな声で中に向かって呼んでみたが返事がない。
「居ないのかなあ」
「釣りに行ってるのかもね」
「ああ、そうだね。もう一回呼んでみて出てこなかったら、車に戻って待つことにしよう」
「そうですね」
清と百合が大きく息を吸った時。
「やあ、お二人さん、またおいでになったか」
二人の後ろから声が聞こえた。振り向くと、猟銃と鳥を持って主人が現れた。
「ちょうど良かった。今夜は鴨鍋だよ」
そう言って、左手に持った鴨を二人に見せた。
「早速、鴨をさばいて準備するから、あんたらは釣りでもしてくるといい」
主人は二人に釣り竿を渡し、宿の奥から餌のイクラを持ってきた。先日の釣り場に行き、先ずはおにぎりで腹ごしらえ。中は鮭とタラコと梅干しだ。自然に囲まれて食べる食事は、なんとも美味しい。清はあっという間に、三個のおにぎりを平らげてしまった。
「最高だなあ、こんなに美味しいおにぎりは、滅多に食べられるものじゃあない」
「まあ、極普通のおにぎりですよ」
「そう、その極普通が普通じゃないんだよ。今の世の中は普通で居られることが、至難の技なのだから」
「・・・」
「まあ、難しい話はさておいて、食休めしたら釣りを始めよう」
そう言うと、清は百合の膝枕で横になった。
「なんか幸せな気分だわ」
「ん、何が?」
「こうして誰もいない自然の中で、二人っきりで寛げるなんて」
「そうだね。美しい自然に囲まれて、美しい妻の膝枕。最高のシチュエーションだ」
「やだ、美しい妻なんて・・・」
「良いじゃないか。誰も聞いていないんだから。こんな時だから、思いをそのまま口にできるんだ」
「ありがとう。素敵な旦那様・・・」
三十分ほど寛いで、二人は釣りを始めた。近くに焚き火をして、釣り上げた魚をその場で焼いて食べようと準備をしたが、結局釣れたのは二匹だけ。それでも、ゆっくりと焚き火の側に串刺しの魚を立てて、焼き上げ二人で食べた。食べ終えると、後片付けをきちんとして、火の後始末も忘れずに行った。
宿に戻ったのは午後三時過ぎ、主人はまだ支度ができないから、ゆっくりと風呂に入ってくるように促した。風呂に行くと、先日とは違って何やらお湯が濁っており、仄かに変わった臭いがする。湯船にはお酒が、風呂桶の中に置かれて浮かんでいる。
「これは、あの時の酒だ。グラスが二つあるから、百合ちゃんにも飲めってことかな」
二人が風呂に浸かると、何となく肌がチリチリとしてきた。
「薬湯みたいですね」
「ああ、お湯は熱くないのに、肌が温かくなっていくみたいだね」
「うん」
「折角だから、この薬酒も飲もうか」
「でも、食事の前から硬くなっちゃったらどうするの」
「ああ、そうか。じゃあ、寝る前にまた入ることにして、その時に飲もう」
「うん、その方がいいと思う」
「そうだ、背中を流してくれるかい」
「はい」
清の背中を触った百合が、驚きの声を上げた。
「清さん、肌がつるつる!」
「エッ?」
「きっとこの薬湯の効果だわ」
清は振り向いて、百合の肌を触ってみた。
「本当だ、君の肌もすべすべになってる」
と、何やら百合の目がトロンとしている。
「どうしたの、百合ちゃん」
「あん、気持ちがいいの」
「あ、ごめん。胸ばかり触っちゃってた。あがろうか」
「うん」
はっきり、こんなにも百合の色っぽい顔を見たのは初めてだったので、清はドキドキしていた。部屋に戻っても、まだ少し余韻が残っているようだ。まるで、薬湯の中に媚薬が入っていたのではと思いたくなるくらいに。
百合の様子が少し落ち着いてきた頃、主人が、食事の支度ができたと呼びに来た。清は百合を先に行かせ、車の中から絵を持ってきた。
「ご主人、先日の朝の風景を描いてきました。どこかに飾っておいて下さい」
「いやあ、こんな凄い絵を貰っても良いのかね」
「どうぞ気兼ねなく」
「じゃあ玄関にでも飾らせて貰いますよ」
満面の笑みで、主人は絵を受け取った。そして、彼の笑顔を見る清も満足そうだ。
「あの酒は飲んだかね」
「あ、いや。あんまり早くから効き目が出ちゃうと困るので、食後に飲もうということで・・・」
「ハハハ、そうか。ま、そうだな。先ずはたんと食べて下さいな」
主人が鴨鍋の蓋を開けると、とてもよい香りが部屋全体を包み込んだ。二人は早速取り皿に取り、口に運ぶ。
「美味しい!」
百合が感嘆の声をあげると、主人の目尻が下がった。
「自然界の生き物を今日食べる分だけいただく。それが自然界の掟なんです。そうしていれば生き物は絶滅しない。そして有り難い気持ちになるから、美味しくいただける」
二人はウンウンと頷きながら、箸を進めている。
「ご主人はずっとこの渓谷で暮らして居るんですか」
百合が尋ねると、彼は軽く首を振った。
「儂も若い頃は、一旗揚げようと都会に出ていったさ。その頃は両親が、この宿を営んでいた。下宿して学校を卒業して都会で働いたが、なんだかつまらなくてね。金に溺れて、人間らしさを失った連中の中にいても、なんも面白くないんだ」
「それで、都会を捨てて戻ってきたわけか」
「ま、そんなところだな」
「なんだか、みんな似てるね」
「そうだな」
百合にしても、清にしても、都会の生活よりも自然に満ちた田舎の生活の方が、性に合っているくちだ。だからかも知れないが、有名な温泉や、観光客で賑わう場所に行くよりも、この渓谷の鄙びた宿が、妙に気に入ってしまうのだ。恐らく清が、田舎の風景画に拘るのも、自然を愛しているからかも知れない。いや、間違いなく都会の無機質な風景よりも、生きた自然の風景に魅せられているのだ。
そんなことを考えていると、唐突に主人が百合に向かって質問をした。
「奥さんは、日本が好きかね?」
「はい」
「日本語にはどうして、こんなにもきめ細やかな表現があるのか、考えた事があるかい?」
「エッ、別に考えた事はありません」
「例えば、雨一つとっても沢山の表現があるだろ」
「えーと、五月雨、梅雨、にわか雨、氷雨、驟雨、夕立雨、小雨、霧雨・・・ですか」
「こんなにも沢山の表現が有るというのは、日本人が、自然と共存してきたからに他ならないと思うんだ。だから一言でその情景が目に浮かぶように、表現が細やかになったんだと儂は思っているんだ」
確かに、天候や自然の移ろいについての、日本語における表現は、繊細なものを感じる。それだけ自然を大切にし、自然と共に生活を営んできたということか。
「ご主人、あなたは一体どの様な方なのですか?、まるで国語のお先生のようだ・・・」
「儂か?、儂はただの年寄りだよ。それ以上でもなければ、それ以下でもない。ハハハ」
二人は軽く笑い飛ばされてしまった。自然と共に暮らしていく者にとって、肩書きなど必要としないということか・・・。その様に言われれば言われるほど、二人は、この主人の器んい魅力を感じてしまう。人間的な真の魅力とは、こういう事を指すのではないかと思えるのだ。
「ま、今日はしっかりと子づくりに励んで行きなさい」
「やだ、恥ずかしい」
察するに、夫婦の営みもこの人にとっては、自然界の営みの一部でしかないのかも知れない。清の中にそのような意識が強く入り込んできた。とはいえ百合にとってはやはり他人の口から出る言葉として受けてしまうのだろう、顔が一気に紅潮した。そんな百合の姿が、清にはとても美しく映るのだ。
食事を終えると、二人は再び風呂に入った。薬湯の刺激に、多少は体が馴れたのだろうか、先ほどのようなチリチリ感がない。しかし、体の表面から、徐々に体の芯に向かって熱くなっていくのは感じる。二人は、桶の中の酒の小瓶を開け、お互いのグラスに注いで一気に飲み干した。
喉から胃へとアルコールが流れていく。その感覚の後から、押し寄せるように、体の内側が、カーッと熱くなってきた。百合の体も、全体がほんのりピンク色に染まって、色っぽく見える。
「ねえ、清さん。キスして」
見ると百合は、既にかなりとろけた表情をしている。こんなに早く効いてくるものなのか。いや、もしかしたら食前の入浴の効果が残っていたのだろうか。
「百合ちゃん、どうしたの?」
「さっきからなんだかもうウズウズしちゃって・・・恥ずかしいくらいに・・・」
酒が効き始めてきたのか、百合の言葉に清の体も反応し始めている。清は百合の求めに応じて、キスをした。風呂から上がり、部屋に入ると、二人は今までに無いくらい、激しくお互いを求め合った。
翌朝、二人はまだ暗いうちに目を覚ました。特性のマムシ酒が効いていたのかも知れないが、あまりにもすっきりと目が覚めてしまったのだ。折角だから、あの絵を描いた場所に、朝焼けを見にいく事にした。
「いつ見ても綺麗な景色」
「そうだね」
ふと見ると、百合の顔も朝焼けの光を浴びて、少し赤く染まって見える。
「百合ちゃん、君もとても綺麗だよ」
ふと我に返り、百合は恥ずかしそうに、清を見つめた。二人には、これまでの時間は、関係ないのかもしれない。常に新鮮な気持ちで、お互いに愛を育んでいる。
「いつまでも、一緒にいようね」
「うん」
宿に戻ると朝食を食べ、二人は主人に挨拶をして宿を出た。別れ際、主人が薬湯の薬と酒を土産に持たせてくれた。なんでも、この宿に伝わる秘伝らしく、今までは誰にも持たせた事は無いらしい。そんな大切な物を土産に持たせてもらい、二人は大感激して宿を出発した。
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