三章 孔雀姫 3

 採ってきた薬草や木の実を分量どおりに混ぜて、すりこ木で潰す。莵道の娘のならいで、かさねもこういったことには心得があった。傷の発する熱を下げ、膿を抑える生薬をつくると、すり鉢を抱えてイチの部屋をのぞく。中はもぬけの殻だったが、外に立つセワの樹からぶらりと垂れた男の足を見つけた。

「……そなたは樹にのぼるのが癖なのか?」

 眉をひそめて問うたかさねに、イチは樹上から一瞥だけを寄越した。

「読書にはこっちのほうがいい」

 セワの幹に背を預けて書をめくる姿は大きな猫か何かのようだ。いざりの庵に身を寄せてから数日。もとから丈夫なたちなのか、イチはすっかり調子を取り戻し、好きに動き回るようになった。

「薬をつくってやったぞ。降りてこい」

 かさねの呼びかけにはこたえず、イチは樹上から手だけを差し出してすり鉢を受け取った。イチは身体の手当てを絶対にひとにさせなかった。野生動物のようだね、といういざりの言は的を射ていて、さながらひとに懐かない山犬か何かのように、身を清めるのも、包帯を巻き直すこともすべて自分でやった。

「のう、イチ」

 ぶらりと垂れた足のほうを見上げて、かさねは口を開いた。

「そなたはこれからどこへ向かうつもりなのだ?」

「へーえ」

「……なんじゃ」

「てっきり、俺にびびって逃げ出したのかと思った。どんな心境の変化だ?」

 道を外れたときのことを言われたのだとわかって、かさねは眉根を寄せる。

「あれはそなたが刀なんぞ見せて脅すから……!」

「今だって刀は持ってるし、必要なら使う」

「そなたは何ゆえ、そうまでして天都をめざす? 大地将軍のもとに身を寄せている皇子と何か関係があるのか」

 樹上の男をまっすぐ見上げて問いかける。虚をつかれたように、イチはかさねを見た。金のまなこを向けられると、魂のかたちをはかられている気持ちがして胸がどきまぎする。だが引かぬ、と心に決めて睨み続けていると、イチは息を吐き出し、ふいと視線をそらした。

「ああ」

「大地将軍が擁する皇子が偽物ということか? だから、そなた――」

「それ以上はあんたに話すはなしじゃない」

 固い声が返り、かさねは口を閉ざす。

「訳も明かさず、かさねに道案内をせよと?」

「あんたは俺に盗まれたんだ。俺の言うことを聞いてればいい」

「そんな人形みたいな真似、かさねはごめんじゃ!」

「あんたがどう思おうとこっちには関係ない」

 この議論は結局どこまでも平行線だ。唇を噛み、かさねは空になったすり鉢を胸に引き寄せた。イチに少し近づけた気がしていた。少なくとも、こやつにもひとの心があると感じることができた。それなのに、歩み寄ろうとすればこうなる。

(イチはほんに野生の獣とおんなじじゃ)

 嘆息して、かさねはセワの幹に背を預けた。

(近づけば遠のく)

 樹上のイチはかさねのことなどお構いなしに、読書に戻ったらしい。手元におさまる書物は表紙が虫食いだらけで、いかにも年季もののていをしている。

「そういえばそなた、先ほどから何を読んでおるのだ」

「莵道の記録だよ。セワ塚の書庫にしまってあった」

「そなたは! ほんによその持ち物をほいほいと勝手に……!」

「べつに。『セワさま』が開けてくれたんだからいいだろ」

 憮然と呟き、本を帯に挟むと、イチは樹から滑り降りた。

「おい。どこへ行く?」

「書庫」

 そのままセワ塚に向かって歩き出したイチをかさねは追いかける。イチが肩越しにわずらわしげな視線を寄越した。

「なんでついてくるんだ?」

「セワ守をしているのはかさねの兄さまじゃ。そなたに好き勝手荒らされるのは困る」

 そう言い返してみたものの、セワ塚にあるらしい「書庫」に興味が沸いてしまった気持ちは隠せない。この一帯のセワは老齢のものばかりで、天帝がこの国に鎮座した千年以上前から生きているものも多いという。歳を重ねた大樹の枝ぶりは一本の樹だけで森のようだ。緑陰に包まれた木の根道をしばらく歩くと、古鳥居が現れ、イチはその奥にたたずむひときわ大きなセワを仰いだ。セワさま、と呼ばれるこの森のあるじだ。

「中、入らせてもらうぞ」

 軽い口調で言って、先日かさねとイチが這い出たうろとは別のうろへ下っていく。イチを見守るセワさまは穏やかにさらさらと枝葉を揺らしている。セワさまは森の賢者とも呼ばれ、邪心があるものなら、懐のうちには決して入れないはずだ。

「何故、かような者に心を開かれるのじゃ……」

 道を譲るようにほどけた蔦を見据え、かさねは唇を噛んだ。身をかがめてしばらく下ると、存外広い空間が現れた。月苔が内側にびっしり生えているせいで、ほのかに明るい。その中に書物をおさめる棚がいくつも並んでいた。

「天都にある書庫とおなじものがここにもおさめられているらしい」

「これは地図……か?」

 書棚におさめられた巻物のひとつを取ると、彩色のほどこされた絵図が現れた。川や山の様子が描かれ、「守り」の位置や距離などが事細かに記されている。

「アルキ巫女の立ち寄りがあるってあんたの兄さまが言ってたろ。道の補修をするついでに作られた地図は、天都とこのセワ塚におさめられるんだ」

「では、莵道のことを書いた地図もある?」

「ああ」

 イチは先ほど樹上で読んでいた書物をかさねのほうへ寄越した。中には見慣れない文字が並んでいる。

「『神語しんご』という。天都で使われる言葉だ。あんたたち地上の者には読めない」

「そなたには読めるのか」

「ひとの身でこれが読めるのは天の一族だけだ」

 あいまいな言い方をして、イチは奥の書棚へ向かった。前方に並んだものよりも見るからに造りが古く、支柱が朽ちかけている。虫よけの香が焚かれていたのか、近付くと清涼な残り香がくゆった。

「それは?」

 棚をあさっていたイチが手にした巻物を見て、かさねは尋ねる。

「天都から莵道までの道筋を描いたもの……らしい」

「つまり、千年前の?」

 広げた巻物をのぞきこむ。絵図だったおかげで、かさねにも何が書いてあるか見てとることができた。はるか天上へ向かって、地上から一本の道が伸びている。始まりは莵道の里だ。木道と並んで伸びた細道は、地都の先にある日向三山で木道が途切れているのに対し、さらに先へと続いて、天都らしきまほろばの山へと届いている。莵道。そう地図の端に書かれていた。

「ほんに存在するのか……」

「あんたは一度自分で開いただろう」

 それでも信じられないのかと呆れた風にイチが呟いた。

「だって、この前はさっぱり開かんかったし、最初のときも気付いたら『テンテイ』とやらが現れて勝手に通してくれたのじゃ」

「テンテイ?」

「イチは覚えておらんのか」

「俺には何も見えなかった」

 眉根を寄せて、イチは莵道の終着点である天都を眺めた。

「莵道を開いたのが誰だか覚えているか」

「うむ?」

天帝テンテイだ」

 書物に目を落としたまま、イチは続ける。

「莵道はもともと天帝がこの地に降り立ったとき、莵道の姫を花嫁に迎えるために作った案内道だ。だから、莵道のすえであるあんたの前に『天帝』が現れたなら、筋は通ってる」

「だが、あやつはかさねを見て『莵道を開くには足りぬ』と言っておったぞ」

「足りない? 何が必要なんだろうな」

 顎に手を当ててイチが考え込んでしまったので、かさねは莵道から天都に伸びた一本道を改めて眺めた。遠い昔、花嫁を迎えるために一度だけ開かれたという莵道。「テンテイ」はそういえば、少し懐かしそうな目でかさねを見ていた。

「りん。そこにいるのか」

 不意に頭上で聞こえた声に、かさねは肩を跳ね上げた。イチが地図をすばやく書棚に戻す。どうやらうろの外に誰かがやってきたらしい。きざはしを半ばまで上って外をうかがうと、鳥居の向こうに立ついざりの背が見えた。

「あにさ……」

「――待て」

 声をかけようとしたかさねを中途で遮り、イチはうろに隠れた。はなせ、ともがくが、口元を手で覆われているせいで動けない。鳥居の前にたたずむいざりと、たおやかな女性の影が見えて、かさねは瞬きをする。ほっそりした手が小さな瓶をいざりに渡し、代わりにいざりが数日前に彫っていた神像を差し出す。

「それでは、クジャクヒメにはそのように……」

 いざりから神像を受け取った白い手が引っ込み、しゃん、と玲瓏な鈴の音が鳴る。鈴の結ばれた杖に虫垂れぎぬの姿は、以前見たアルキ巫女と装いが似ていた。では、これがいざりが言っていたアルキ巫女の立ち寄りなのだろうか。

(それにしては雰囲気がちとちがうような……)

「道中お気をつけて」

 差し伸べられたアルキ巫女の手のひらに兄はそっと頬を擦り寄せた。そこに確かな男女の情を感じたのは、かさねの気のせいではないはずだ。

「あなたさまも」

 しゃん、とまた鈴の音がして、アルキ巫女が草履を返す。いざりはしばらく目を細めて彼女がいなくなった方角を見つめていたが、やがてセワさまに奉じる酒を運び始めた。


「イチ。のう、イチ!」

 ふたりがいなくなったのを見計らってうろを出たイチをかさねは慌てて追いかける。

「今のは何だったのだろう」

「わからないか?」

 庵の前まで戻ってくると、イチはかさねを振り返った。向けられた金のまなこの冷ややかさに心臓をつかまれた気分になる。

「さっきの巫女はここに来る前、天都の方角へ鳥を放っていた」

「天都へ? 何ゆえ……?」

「夜陰にまぎれてここを発つ」

 短く告げて、イチは庵の戸に手をかけた。

「拒む権利はあんたにはない。兄に俺のことをどこまで話した?」

 冷淡ともいえるその眼差しにおのずと理解する。イチはいざりも、かさねのこともはなから信用していない。起こると思っていたことが起こった。そういう顔をしている。

「……べつに、なにも話してなどおらんよ」

 熱いものがこみ上げてきたのをのみくだし、かさねはようようそれだけを吐き出す。かさねだって、イチを信じきっていたわけじゃない。もともとあかの他人同士だ。加えて、この男はかさねを莵道の里からかどわかしたのだから。――そう思うのに、どうしても傷ついた気がしてしまうのは、かさねが甘ったれのせいだろうか。

 イチはちらりと探るようにかさねを見たが、何も言わずに庵の扉を開けた。

「『兄さま』の食事は、飯と水以外は口をつけるな」

「イチ?」

 どういう意味じゃ、と問う前に、イチは扉を閉めた。

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