結 うさぎの嫁入り

結 うさぎの嫁入り

 つづらかさねのかさねみち

 つづれて つづれて かさねみち

 さあ はなもて かさをもて

 はなよめごぜんを あないせよ

 つづれて つづれて かさねみち


 かつては四道しどうの外れにあったといわれる莵道ウジの里。

 その領主筋の屋敷で今朝がた、祝言を知らせる旗が立った。

 普段は老門番があくびをしているだけののどかな屋敷には、朝からひっきりなしに祝いの品が運び込まれるせいで、誰も彼もがてんてこ舞いになっている。

 織の里から届けられた、花嫁御寮のための上質な白絹に、六海領主から贈られた氷詰めの魚たち。地都の大地将軍印の酒樽などはなぜか五つもある。

 まほろばの地やあわいの土地に棲み始めた神々や半化生の者たちも、祝いを欠かさなかった。塗布すればどんな怪我も治るふしぎな練り薬に、いにしえの鍛冶の技で鍛えられた守り刀、海の真珠を連ねてつくった首飾り、げにめずらしき白銀の龍の鱗、あとは瓢箪で作った楽器に祝い絵が描かれたものなども。

 あまりに次々届くので、莵道の屋敷のちいさな宝物庫はあっという間に祝いの品でいっぱいになってしまった。しかし慶事でわく屋敷に反して、主役であるはずの花嫁御寮は、不機嫌極まりない顔で唇を尖らせているのだから、どうしたものか。


「かさねは嫁入りなど、せぬ!」


 つんとそっぽを向くかさねに、化粧筆を持った亜子あこはこれみよがしに息をついた。


「姫さまがそっぽばかり向くせいで、化粧がちっとも進まぬではありませんか」

「だって、ありえぬとは思わんか!」


 床をたんと叩いて、かさねはまくしたてる。


「イチがおらん! 今日が祝言の日であるのに、肝心の婿どのが三日前から行方知らずというのはどういうことじゃ! まさかあやつ、直前でかさねへの愛が醒めて逃げたのでは」

「まさか。姫さまへ愛が募りこそすれ、うとましく思う者がどこにおりましょうか。ほら、今日の姫さまはいつにもまして、かわいらしくていらっしゃいますよ」


 とりなすように亜子が鏡を持ってくる。

 そこに映る花嫁姿の己を眺め、うむ、とかさねは満足げにうなずいた。


「確かにこれまでのかさねのなかでも、一、二を争うほどかわいい。亜子、やはり莵道の花嫁衣裳はいちばんよいのう。白の打掛に吉祥紋の掛下、朱の裏地も華やかで。かさねはこれまでにも何度か花嫁衣裳を着たが、莵道のものがいちばんすきじゃ」

 

 朱の裏地がついた白の打掛を広げて、「のう?」とかさねは亜子に同意を求める。「ふつうは生涯一度の晴れ姿なのですけどねえ」と亜子がのほほんとつぶやいた。


「亜子がつくってくれた組み紐も、守り刀に結んでおるぞ。ほら」


 旅のあいだは髪をくくっていた朱色の組み紐は、帯に挿した守り刀に花のかたちにして結ばれている。まあ、と口に手をあて、思わずという風に亜子は涙ぐんだ。


「あの小さかった姫さまが再び嫁がれる日が来ようとは……。亜子はもう思い残すことは何ひとつございませぬ」

「そう泣くでない亜子。そなたは長生きをして、そのうちかさねに子が生まれたら、しっかりしつけてもらわんと。――というわけで、じゃ」


 重たい装束を持ち上げて、かさねは部屋の外に目を向けた。


「かさねはちょっとばかし婿どのを探しに行ってくる。このまま雲隠れされてはかなわんからな!」

「お、お待ちくださいませ、姫さま! そのおすがたのまま外になど出られたら、大事な打掛が汚れてしまいます! 第一、このままでは宴の前に花嫁も花婿もいないということになりますでしょう!?」

「だーいじょうぶじゃ。兄さまか姉さまあたりが、どじょう踊りでもして皆を盛り上げていてくれよう」


 言うや否や、かさねは打掛の褄を取って、簀の子縁からぴょんと地面に飛び下りた。こうなれば、かさねの足はのんびりした屋敷の者たちの誰よりも速い。いまだ途切れることのない祝いの品を運ぶ家の者たちにすれちがいざまに声をかけ、老門番をねぎらい、遠くで嘆く声を上げる亜子に「すまぬな」と謝って、屋敷の門を飛び出す。

 莵道の里は、爽風が吹き抜ける初夏だった。

 鹿が群れになって駆けるみどり野を、息を弾ませながら走る。銀の朝露に濡れる草原は、こころなしか花木もはしゃいでいるように見えた。


「かさね嬢!」


 途中で追いついた銀灰色の狐が、かさねの隣を並走し始める。

「なんじゃ、おぼろ」と足を止めず、かさねはなじみの狐神を見やった。


「そなた、まだまほろばの土地には行っていなかったのか」

「かさね嬢がおおざっぱだったせいで、まだ道と道のあいだに綻びがあるのですよ。ゆえ、こういう吉日は祝いにも来られる」

「ほう、そなたもかさねを祝ってくれるのか?」

「まさか! 先ほどあの卑しい人間に呪詛を送ったところです」

「神が呪詛などと言うでない」

「跳ね返されましたが」

「跳ね返したのか……」


 呆れまじりに息をつき、かさねははっと目をみひらいた。


「おい朧、それはどちらじゃ!?」

「ええと、確か霧隠山のふもとのあたりだった気がしますが」

「でかした! あやつがいるのはそこじゃ!」


 朧の身体を抱き上げ、宙にぽーんと放る。かさねが何に喜んでいるのかわからない朧はされるがまま目を瞬かせていた。受け止めた朧を野に下ろすと、「ではな!」とかさねは手を振って身をひるがえす。


「お待ちください! どこに行かれるのですか、かさね嬢!」

「また祝言の席で会おう! かさねは気が短いゆえ、待っているよりは追いかけるほうがいい」


 朧と別れると、かさねは爽やかな風が吹く丘陵をくだる。

 きのうの雨で水量の増した小川を飛び石を使って渡り、セワの大樹がこんもりと茂る霧隠山のふもとに入る。数百年は生きているであろう大樹がそびえる森は、水を打ったように静かだ。

 はるか頭上で鳥が飛び立つ音が響き、かさねはそちらを振り返った。はずみに打掛の裾がささくれだった木の枝に引っかかり、前へ転びそうになってしまう。


「うぬぬ……せっかくの打掛が……」


 ささくれから長い裾を外そうとしていると、もたつく手元にひらりとひとの影が落ちた。


「――たすけてやろうか、かさねどの?」


 頭上にある太い枝からかけられた声にきづき、かさねは瞬きをする。そして、むぅと頬をふくらませた。


「祝言をすっぽかした男が、いけしゃあしゃあと現れたぞ」

「ちゃんと間に合っているだろ。まだ朝だ」


 高い木のうえから獣のように滑りおりてきたイチに、「間に合ってない!」とかさねは言い返す。


「ふつう、祝言の前の夜といったら、ふたりでいちゃいちゃしたり、愛を確かめ合ったり、そういうの、するであろ! 何故おらぬ! というか、三日もかさねをほっぽってどこに行っておった!」


 言い立てるかさねの話を聞いているのかいないのか、イチはささくれに引っかかった打掛の裾を意外と慎重そうな手つきで外している。祝言の前だというのに、イチの格好ときたら旅帰りそのもので、暗灰色の上衣はかさね以上に土や葉っぱで汚れていた。

 本当にかように大事なときにどこへ行っていたのだろう。

 眉根を寄せたかさねに、「ほら」とイチはほどいた裾を返してくれる。


「ありがとう。のう、そなた……」

「なんだよ」

「もしかして、やっぱり胸が大きいおなごがよかったとか、そういうやつか!?」


 思いきって切り出すと、「はあ?」とイチは怪訝そうな顔になる。

 自ら口にするのは勇気が要ったが、やはりここはお互いかくしごとはなくしておこうと、かさねは神妙な面持ちで目を伏せる。


「かさねもこの春で十九。うすうすきづいておったが、かさねのおむねさまにもはや希望はない。せつないが……。しかし、かさねはこのとおり、美少女かつ性格も完璧であるし、イチのことをむちゃくちゃ愛しておるし! 胸の小さい大きいなど、もはやささいな問題であると思うが!?」

「おまえはあいかわらず、何の話をしてるんだ」

 

 ずいと迫ったかさねに、イチは大仰に息をついた。


「俺が留守にしていた理由はこれだよ」


 懐から取り出したものをそっとかさねの手のうえにのせる。

 小さな木片を削ってつくった――口琴だった。まだ微かに樹の香気がする、削りたての木肌には花の文様が描かれている。


「なにゆえこの笛が……?」

「次の樹木神に言って、木片をひと欠片もらったんだ。ひよりが持っていたものとはちがうが、まあいいだろ」


 セワの樹上で、イチはどうやら口琴を彫っていたらしい。

 できたての口琴には、茜色の染め紐が通してあった。人差し指ほどの大きさのそれを木々のあいまから射すひかりにかざして、かさねは目を細める。口琴の元来の意味は、祈りだ。健やかにあれ、しあわせであれ、と願うひとびとの想いのかたち。


「ありがとう、イチ。とてもうれしい」


 首にかけると、口琴ははじめからそこにあったようにかさねにそぐわった。

「おお、そうじゃ」と己のすがたをかえりみて、かさねは打掛の褄をつかむ。


「どうじゃ、かさねの花嫁姿は! かわいかろう、かわいかろう?」


 くるんとイチの前で回ってみせ、さあ褒めよたたえよ、と胸を張る。

 イチはすこしわらった。


「あぁ、かわいいよ」


 ぱちくりと瞬きをしたあと、「んん!?」とかさねはイチを見つめる。……いま、とってもめずらしい言葉を耳にしたような。あぁ、もっと居住まいを正して聞いておけばよかった!


「イチ、次はしっかり聞いておるから、もう一回!」

「何度も言うかよ。面倒くさい」

「なにを、減るものでもなし」


 さっさと歩きだしてしまったイチをかさねは追いかける。

 すぐに追いつき、男の腕にえいっと両手を絡めた。


「今日はたくさんいちゃいちゃしような、旦那さまー?」

「はいはい」

「ちゅうしてよいか?」

「あとでな」

 

 小さくなっていく笑い声を見守っていた金の鳥が、枝を揺らして飛び立ち、まほろばの地へかえっていく。そして締めくくりのように、天地に向けて一声啼いた。

 さいわいあれ、と。


 ・

 ・

 

 いまはむかし。

 神々とひとが交わりあったお伽噺の時代。

 

 神にもひとにも愛された女神と、

 それを盗み出した男のはなしは、

 いまも、ことさらしあわせな婚姻譚として大地に語り継がれている。

 



                            《白兎と金烏・完》

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