五章 ふたつにひとつ

五章 ふたつにひとつ 1

 彼らがその場所に通りかかったのは偶然だった。

 芸座の者である彼らは、西へ東へ、芸を売り歩いて流浪の旅を続けている。自由気ままであれど、帰る家は生涯持つことがない。里では生きていけないつまはじき者たちの寄せ集めが彼らなのだった。

 里の座敷に呼ばれて芸を披露することもあったが、その日は目的地への移動のさなかで、一晩の仮宿として、雨風のしのげる場所を探していた。腰にくっつけた楽器をかちゃかちゃと鳴らしながら、隊列のいちばん先を行くフエは、夜陰でもよく効く目であたりを見渡す。一帯は粉塵に覆われていたが、しばらくすると里の境を示す守りの鳥居が見えてきた。


「おかしらぁー。今日はこのあたりがいいかも――」


 フエが後方に声をかけていると、肩にとまった老鸚鵡が何かに気付いた様子で羽をばたつかせた。


「あいたたた。なんだよ、じいさん」


 じれったげに髪を引っ張る老鸚鵡に、フエは顔をしかめる。しびれを切らしたのか、老鸚鵡は色艶を失った羽を広げて、よろよろ飛び始めた。しかし、少しもいかないところで力尽きて墜落する。

 

「あぁ、いわんこっちゃない」


 鸚鵡を抱き上げようとすると、その下から別の小さな雛鳥が現れて、きぃ、と鳴く。めずらしい金の目をした烏の雛だった。「うちのじいさまがごめんねえ」とフエは鸚鵡の下敷きになっていた雛を救い出す。雛はつぶらな目でフエを見上げると、急にフエの袖端を嘴に咥えて引っ張り始めた。


「ええ、なに? よくわかんないけど、俺のこと呼んでる?」


 半ば雛に引きずられるように草地をくだったフエは、その先に広がっていた光景を見て、ぱちくりと瞬きを繰り返した。


「なんだ、これ……」


 そこにあったのは川の残骸である。ぬかるみには微かに水の気配が残っていたが、川自体はほぼ干上がってしまっていた。何より、もとは川に沿って茂っていただろう草原は、蝗害にあったかのように枯れ果て、腐った木の残骸があちこちに転がっている。まるでそこだけ、神がいたずらに刈り取ったかのような崩壊。

 その中心に、小さな影が横たわっていた。

 泥濘に半ばうずもれているせいですぐにはわからなかったが、その顔には確かに見覚えがあった。これはまずいや、と呟き、フエは雛鳥を懐にしまうと、少女を助けるべく命の潰えた草のうえへと踏み出した。


 *


 かさねを診たまじない師は、外傷は特にないが、熱が高いようだと言った。

 イチがかさねが持っていた荷を足で何度か蹴ると、中に入った熱冷ましにフエのほうが気付いて、かさねに飲ませてくれた。芸座のまじない師も薬はつくるが、樹木星医が煎じたもののほうが効果は高いだろう。今はだいぶ落ち着いたらしく、ぴすー、ぴすー、と案外のんきな寝息を立てている少女に安堵し、イチはようやく枕元から離れた。

 偶然くるい芸座の者たちと会えたのは、僥倖だった。

 かさねは力尽きてしまっていたし、今のイチにはかさねを安全なところへ運ぶことはとてもできない。やさしげな眼でこちらを見下ろしている老鸚鵡に、イチはてしてしと頭突きをする。何故か、この鸚鵡はイチのことがわかっているらしかった。


「言葉が通じねえのは厄介だな」


 かさねと樹木星医には通じていたので気にしてなかったが、ただびとであるフエにはイチはただの小鳥としてしか映らないようだ。自分たちの現状を伝えようとしたら、「この小鳥くん、ぴぃぴぃすごく鳴くんだけど!」ときわもの扱いをされたうえ、首を勝手にわしわし撫ぜられた。


「それにしても、うさぎちゃんがいるのにイチはどこにいったんだろうねえ」

「女の子を夜道に放置するなんて、最低だな」

「大喧嘩したとか?」

「あっ、だから川が腐海に変わってたんだー!」


 どことなく緊張感に欠ける男たちの会話にげんなりしていると、部屋の引き戸が外から勢いよく開かれた。


「ちょっとあんたたち、いつまで女の子の部屋にいるのよ」


 紫の羽織を肩にかけた芸座の女棟梁――ハナである。

 相変わらずしどけなくひらいた衿元から、豊満な胸がこぼれんばかりにのぞいている。かさねの世話をしてくれていた男たちを睨んで、ハナは腕を組んだ。


「年頃の女の子の周りに群がって。変なことしてないでしょおねえ?」

「いや、おかしら。さすがに十三、四の子ども相手に悪い気起こすほど、俺たちも飢えちゃいないですよ」


(……これで十八になったんだけどな)


 とはいえ、雨水をたっぷり吸っていたかさねの衣を子どものおしめを替える要領で手際よく着替えさせてくれたのはフエたちである。イチも文句は言うまい。この娘はつるぺったんなので、人間の男どもはだいたい悪い気を起こさないのである。


「とにかく、今晩はもう散った散った。各自適当な家を見つけて休むこと! 中のものは少しは拝借してもいいけど、壊しちゃだめよ。あっ、あとフエ。あんたは一太の世話をよろしく」


 今年三つか四つになる長男坊の世話を旦那に任せ、ハナはひとがはけた部屋にあぐらをかいた。婀娜っぽい仕草はこの女に不思議と似合う。まだほんのり頬が赤いかさねに手をあて、絞った手巾を額に置く。それから、ハナはふっと小ばかにしたように鼻で笑った。


「あんたずいぶん小さくなっちゃったわねえ、


 閉め切られた雨戸にくっついて外の雨音を聞いていたイチは、頭を上げる。

 やっぱり、と思った。この女にもイチはわかるのだ。


「あたしはもとをたどれば、漂流旅神を祀る巫女の家系なのよ。聖娼といえば通じるかしら。今はもうだいぶ落ちぶれて、神通力も弱くなっちゃったし、好きに男も女も抱いてるけどね」


 ――夜のあたしはすごいでしょお、イチ?


 もとは神と交わったとすら言われる聖娼は、交わった人間の天命を読む。あるいは病を癒し、精力を与える。ふいに思いあたることがあって、「デイキ島の島巫女の子孫か、あんたは」とイチは呟いた。かの巫女は男と交わることで、精力を奪っていた。ただ、あれは不死の呪いによって歪められたものであったので、もとの技はちがったのかもしれない。

 どうだかねえ、とハナはのんびりと笑った。


「イチ。あたしは五年前、道に落ちてたあんたを拾い、あんたを助け――、そして莵道の継承者へ至る道を教えた。どれもあんたには必要だったもののはずよ。あたしはね、その者が本当に欲するものを視るの。視てどうするかは、あたしの気まぐれだけどね」


 イチに樹木星医を紹介したのはハナだ。そして、樹木星医が教えた莵道の継承者へ至る道をたどり、イチは三年前、狐神に嫁ぐかさねの前に現れた。


「あんたには感謝しているよ」


 嘆息まじりにイチが言うと、ハナは乙女のように破顔して「でしょう?」と得意げにうなずいた。


「それで? ややこしそうなことになっている現状について、少しは教えてくれるのかしら?」


 どこから持ち出したのか、ハナはどんぶり茶碗に瓶子を傾ける。とろみを帯びた乳白色の酒が並々注がれた。もちろんハナのものではなく、この庵の持ち主のものだろう。一晩の宿を借りるついでに、「少し拝借した」らしい。

 考えたすえ、イチは天帝やかさねのことをハナに明かす。

 ハナやくるい芸座の者たちならば、かさねを害することはないだろう。どころか、地都にいる燐圭の野営地に近づくこともできるかもしれない。


「ふうん、なんだかえっらい壮大な話だけど……」

「細かい話は省くが、俺たちは今、燐圭のそばに侍ってる奴に近づきたいと思っている。あんたたちがこの場所を通りがかったのももしかして――」

「そのとおり。大地将軍が催す戦勝祈願に呼ばれたのよ」


 思ったとおりだとイチはうなずく。

 豊作祈願に病平癒、商売繁盛に戦勝祈願。神々への供応として、芸座の者たちはひとびとの前で芸を披露する。神を弑するとはいえ、大地女神の加護を受けた燐圭も例外ではない。実際、かつてイチとかさねは燐圭の館に囚われたとき、芸をしに呼ばれていたハナたちに助けられ、館を脱出したのだ。


「その戦勝祈願の一座に俺たちを混ぜてくれないか。迷惑は絶対にかけない」


 かさねは武器を扱ったことなど生まれてこのかたない非力な娘だ。自分の身を守ることができない。そんな少女がひとり敵陣に忍び込むなど、命がいくつあっても足りないし、現状とりうる最善の手はこれ以外ないと思う。イチはかさねを守ってやることができないので。盾となることすら、今はできないので。

 いいわよ、と何でもないことのようにハナは請け負った。

 茶碗を傾けて、豪快に酒を飲み干す。


「手伝うわよ。あたしたちに紛れて中に入るといいわ。芸座の者っていうのは特別だからね。あちらの兵もたぶん気付かない」

「……いいのか?」

「三年前、うさぎさんはあんたを見放さなかったでしょ。だから、あたしらもうさぎさんを見放さないわよ。芸座とはそういうものなの。血も縁もないかわりに、そういう理屈で生きている」


 イチがハナたちと行動をともにしていたのはたった二年だ。

 二年の間、仮の居場所として、身を寄せていたにすぎない。それでも芸座は一度受け入れたものは家族とみなすし、家族に恩ある者は芸座にとっても恩ある者だと考える。だから、何も言わずにかさねを助けてくれた。そして今も力を貸そうとしてくれている。

 目を伏せて、ありがとう、とイチは呟いた。

 

「あんた、変わったわね」


 空にした茶碗にまた酒を注いで、ハナが苦笑した。


「出会ったときのあんたは、だいぶ投げやりだったから。どうでもいいと思っていたでしょ、自分のことなんて。壱烏の願いを叶えたら、いつだって死んでいいと思っていた。あんたはそういう男だった」


 ――無事になんて、はなから頭にない。あんたってそういう奴だもの。


 かつて天都をめざしていたとき、この女が自分に向けて呟いた言葉を思い出す。

「でも、今はちがうんでしょ?」と茶碗に口をつけながら、ハナは流し目を寄越した。


「取り戻したいんでしょ、自分の身体。どうでもよくないんでしょ」


 視界が急に明滅するようにひらいていく。

 ――そうだ。

 イチは自分の身体を取り戻したい。

 壱烏にしていたように、天帝にぜんぶくれてやっていいとは思えない。だれかの身代わりにはなりたくない。なにかの陰であっては欲しいものは得られない。

 たとえば、イチの身体は天帝が下りるためのもので、使うためのもので、用が済めば壊されるものなのだとしても。天帝がそう決めていたのだとしても、それがはじめから決まっていたこの世界のことわりだったとしても、それでも。あれはイチのものだ。

 


「だから、俺の使い方は俺が決める」


 んん、と眉根を寄せて、かさねが寝返りを打つ。

 また、ぴすー、と穏やかな寝息が立ち始めた。ハナは唇に指をあてると、酒瓶を持って立ち上がった。話し声でかさねが起きないように気遣ったのだろう。

 足音を立てないよう部屋を出た女を見送り、イチはかさねの指先にぴとりと身を寄せる。そしてしばらくそのまま、穏やかな寝息に耳を澄ませていた。

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