二章 誓約の乙女 2

「イチはどこの生まれなの? 歳は? 天の一族でないなら何なの? 何故旅をしているの?」

 上善と別れてからの紗弓といえば、口調どころか態度を繕うことすらやめて、イチに矢継ぎ早に質問をしている。案の定、もとから悪かったイチの機嫌がみるみる乱降下していくのが見て取れた。

(くそう、すこーし、ほんのちみっと、かさねよりお胸さまが大きいからといって……!)

 無論、かさねとて心安らかなわけがない。

 微妙な沈黙を不思議に思った様子で、紗弓は眉間を寄せた。それすらはっと目を惹くほど美しい仕草なのだから、たちが悪い。

「もしかしてこの男、喋れない呪いでもかけられているの?」

「あんたと会話するのが思いっきり面倒なだけだ」

「ふうん? 面倒くさがりなのね」

 軽やかに肩をすくめ、紗弓は屋敷の渡廊を颯爽と歩いていく。ぬばたまの黒髪は珊瑚の玉簪で結われただけだったが、あらわになったうなじからは得も知れぬ色香が漂う。イチがろくに取り合わないことに飽きたのか、紗弓はようやくかさねのほうへ目をやった。

「それで、あんたは? イチの世話係? そのわりには役に立たなそうだけど」

「役に立たないは余計じゃ! 第一、世話係でもない」

「ふうん、なら何なの?」

「そ、それは……」

 今のかさねとイチを表現するなら、旅の同行者というのが正確なところだろう。

(しかし!)

 むくむくと沸いてきた闘争心がかさねを勇気づけた。

「こっ、恋人じゃ!」

(未来のな!)

「――……」

「――……」

 むんと胸を張ったかさねをよそに、冷えた沈黙がその場に落ちた。さして人目を気にしないたちのかさねでも、理解できる程度の冷えきりぶりだった。ぱちくりと瞬きをした紗弓が不意に吹き出す。無邪気な哄笑が屋敷にこだました。

「あんたって真顔で冗談を言うのねえ……!」

「べつにじょうだんでは」

「恋人を俵担ぎする男もいないでしょ」

 岩場ではじめて会ったときのことを言って、紗弓は肩をすくめた。

「ここよ」

 話を切って、渡廊の先にある離れを示す。客間はふたつぶん整えられているようだった。

「昔、母上が過ごしていた殿よ。今は誰も使っていないから、好きに使って。朝餉と夕餉は運ばせるわ。ほかに何か必要なものがあったら、呼んで。とにかくも六海を救ってくれるというなら、力を貸すわ」

 イチのほうに言って、紗弓は気まぐれな海風さながらに青藍の表着を翻した。結局最後まで紗弓の目にはかさねはイチのお付きか何かのように見えていたらしい。口をへの字にして、かさねは部屋のひとつにずた袋を下ろしていたイチを睨んだ。

「紗弓どのはそなたをいたく気に入ったようだのう」

 意地悪く言ってやって、腕を組む。

「ああいうおなごがそなた、好きなのか。美少女だし、胸はでっかいし」

「何のはなしだ」

 怪訝そうに息を吐く男から目を伏せる。

(もっと何か言いよ)

 別にこの男がかさねに特別な想いを抱いていないのは知っている。イチのいちばんは壱烏だ。でも少しずつでもかさねに心を傾けてくれたらよいなとも思っている。かさねに恋をしてくれたらよいと思っている。だが。

(反論のひとつもしない)

 こみ上げてきたものをこらえて、かさねは深く俯いた。

「それより、この件を早く孔雀姫に――、」

 言葉の半ばでイチは珍しく虚を突かれた様子で目を瞠らせた。しばらく固まってから、ばつが悪そうに視線をそらす。

「……なんで泣いてるんだよ」

「だ、だって……っ、イチがあほんだらだから……!」

「はあ?」

「イチなんか、イチなんか、だいっっっきらいじゃ! そなたなんか、胸のでっかい美少女とよろしくやっておればよい!」

 叫んで、かさねは脱兎のごとく部屋から飛び出す。溢れた涙を手の甲でこすりながら、やってしまった、と呻いた。こんな癇癪を起こしたかったわけではない。ちがう。だが、腹立たしい。イチがちっともかさねを見ていないのが腹立たしい。

「……あんな朴念仁、泣いて喚いてかさねにすがってきたってもう知らんもの」

 雨の降りしきる中庭に立って、肩で息をつく。波紋を描く水面に映った自分はしょぼくれた濡れうさぎのていで、これでは確かに世話係に間違えられもする、とささくれた感想を抱く。しばらくしゃくり上げていたかさねは、レン花の咲き乱れる水面がふいに揺らめいたことに気付いた。黄金の光の粒が渦巻き、水面からとぷん、とのっぺりした青年が顔を出す。かさねは声を失ったまま、しばし青年と見つめ合った。

「ああ、かさね嬢」

 何故かほっとした様子で、青年は水面から腕を差し出してくる。

「見つけられてよかった。いやはや、神道はあちらこちらに繋がってしまってこまる……」

「くせものじゃ」

「はい?」

「くっ、曲者じゃ……!」

 とりあえず近くに身を守れる武器はないかと探したかさねに、「ま、待て、待ちなされ」と青年が慌てて池から上がってくる。

「いや、そうかこの姿では……うむ」

 手を打って、青年はひらりと浅葱色の狩衣を翻す。すると銀灰色をした見覚えのある狐が現れた。記憶にあるものよりはだいぶ小さく、子犬ほどの大きさではあるが。

「こちらの姿ならおわかりでしょう?」

「そ、そなた新月山の狐……おぼろか?」

「しかり。こたびの件、孔雀姫から聞きつけて、お手伝いに参った次第でございます」

 狐は濡れた毛を膨らませて、うれしそうに鼻面をかさねの足首に押し付けてきた。

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