四章 大地将軍

四章 大地将軍 1

「路銀が尽きた」

 発端はイチの一言だった。セワ塚から木道を通ってツバキイチに向かうさなかのことである。立ち寄った里のいちで、塩や固餅、替えの草鞋などを買っていたイチが腰袋を探ってぽつりと言った。路銀が尽きた。

「ろぎん?」

「あんた、金は?」

「うぬ?」

「……まあ持ってないんだろうな」

「そ、そのようなことはないぞ!」

 首をすくめたイチに、かさねはむっとして言い返す。

「確か、亜子が下着に縫い付けてくれた銅貨があったはず……」

 もともと道中の無事を祈って縫い付けるものだが、そういえば、着ていたものはすべて狐の館に置いてきてしまった。襦袢の裏をひととおり探って、しおしおと肩を落とすと、だしぬけに大きな笑い声が弾けた。

「なんだい、お嬢さんたち、銭無しになっちまったのかい?」

 声をかけてきたのは、広げた茣蓙の上で布の端切れを売っている商人のひとりだった。歳は四十がらみで、首に漆黒の板をぶらさげている。里の商人であることを示す印だ。

「うむう、そのようじゃ」

「ここいらを通る旅人だと、あんたらもツバキイチゆきだろ。なら、いい話があるぜ。七日で飯付き、毎日歩くだけで銀十粒」

「なんだと!」

「何を運ばせる気だ」

 目を輝かせたかさねに対してイチは冷静だった。ちぇ、と商人はつまらなそうに口をすぼめて、布の切れ端を摘まみ上げる。よく見ると、表面に正絹らしい艶やかなぬめりがあり、かなり上質な品であることがわかる。

「ツバキイチの大地将軍に反物を届けるのさ」

「大地将軍とは、天都と争っているとかいうあの?」

「まあ、そうさな。俺たち織の里の者は、地都に反物を納めて生計を立てている。中でも大地将軍といえば、上得意なのさ。あのひとは、女性が好むものはみんな好きだからね」

 ふうむ、と唸り、かさねはまだ見ぬ大地将軍の人となりに想いを馳せた。聞くところによれば、将軍のもとに身を寄せた青年もまた「壱烏」を名乗っているらしい。ふたりの壱烏。どちらが偽物で本物なのかは、かさねにもわからない。

「ただ、近頃このあたりも野盗やなんかが増えていてさ。あとは、灰森山を治める山犬神のご機嫌が悪い。数年前に山犬様へ差し出す反物の数を減らしたんだが、これは古の契りと違うと言って、灰森山を通る者を襲い始めて困ってるんだ」

「山犬様がのう……」

「村の男はツバキイチに出稼ぎに行っちまっているのも多いから、ひとが足りない。というわけで、同行者を探していたところだったのさ」

「つまり、ツバキイチまでの護衛ってことか」

 それまで黙っていたイチがおもむろに言葉を継ぐ。用心深いイチなら、当然断るものと思っていたかさねは、金のまなこに乗る色が存外明るいことに驚いた。

「いいぜ。なら、やる」

 口元に薄い笑みをはいて、イチは顎を引いた。


「――それで、このように歩き通しになるとは聞いておらん!」

 雨が上がったばかりのぬかるんだ大地を蹴って、かさねは口をへの字に曲げた。前方には反物の櫃を担いだ人足が連なり、それを十名ほどの護衛が前、横、後ろについて守っている。イチの持ち場は後方で、かさねもその隣を歩いていた。

「毎日飯付きと言うておったのに、出てくるのはイチが買ったのと変わらん固餅であるし。あの商人め」

「はは、あんたの妹君はとんだ食いしん坊だなあ」

「こいつの食い意地のせいで、路銀が尽きたんですよ」

「イチ!」

 飄然とイチが護衛の軽口に乗るので、かさねは渋面をひどくした。

「まあま、いいじゃねえか。道中も今のところ、安全だしよ。噂じゃ、大地将軍が東の大蛇を討伐したらしいぜ。この調子で灰森山の山犬も追い払ってくれると助かるんだが」

「神を追い払うなど! そなた、無礼なことを言うでない!」

 思わずかさねが噛み付くと、護衛の男は驚いたように目を丸くした。お狐様と棲み分け、暮らしてきたかさねにすれば、地神の領分をひとが荒らすなど、あってはならないことだ。かさねとて、お狐様に喰われそうになって逃げてきた。地神が決して分かり合えない一面を持っていることは、あの件でよくわかったが。

(それとこれとはちがう)

「大地将軍とはいったい何者ぞ。みだりに地神を弑せばその身に天罰が……むぐ」

「わるい。古い村の出なもんで、妹はたまに妙なことを言い始める」

「むぐぐぐ……ぐぬう」

 イチに口を塞がれ、かさねは四肢をばたつかせた。

「別に気にしねえけどさ。お嬢ちゃん。信心深いのはいいことだが、まちがっても、大地将軍の悪口は叩くんじゃねえぞ。器は広いが、恐ろしい方だと聞くからさ」

 かさねの額を手の甲で軽く叩き、男は櫃を担ぐ人足と話し始めた。かさねの口を覆っていた手をイチがやっと外す。

「……そもそも、何ゆえそなたがかさねの兄なのじゃ」

 気持ちのおさまりどころを見つけられないまま憮然と呟くと、イチが肩をすくめた。

「仕方ないだろ。菟道のお姫さんを金烏の皇子が盗んできたって説明するのか」

「そなたがかさねの兄などと思うただけで虫唾が走るわ」

「奇遇だな。俺もこんな面倒くさい妹がいたら、とっくに縁を切ってる」

 セワ塚を発って五日が経つが、イチとは終始こんな調子だ。そも、相性がよくないのだろう。周囲に甘やかされて育ったかさねにすれば、何かにつけ、ひとつもちやほやしてくれないイチがつまらない。だが、護衛の連中はイチの説明を鵜呑みにしてしまったようで、お転婆な妹を持って大変だなあ、とのほほんとイチの肩を叩いている。

「ツバキイチに出るなら、こっちのほうが都合がいい」

 むくれて黙り込んだかさねに、さして取りなす風でもなくイチが言った。

「あんたの兄さまの話だと、天都の孔雀姫が俺たちをアルキ巫女に探させているらしい。たぶん訴えたのは、あの狐だろ。アルキ巫女は、ふたり連れの旅人を探しているから、商隊に紛れ込んでしまったほうが目立たない。加えて、俺らが通っているのは大地将軍が管理する『地道』。普通なら、木道を使うと考えるはずだから、目くらましにもなる」

「ああ、確かに木道とはちとちがうな。舗装が行き届いておるし、道幅も広い」

 木道は樹林の間を伸びる隘路もしばしば見かけたが、地道は路面が石で舗装され、櫃を担いでいる男たちが楽々通れるくらいに広い。地道は大地女神が守護する道である。女神と誓約を交わした武者は「大地将軍」と呼ばれ、地道の管理者のつとめを持つとともに、この国を平らかにする責を負う。地の支配者と呼ばれるゆえんである。

「石が新しいな。もしや路面の舗装も今の大地将軍とやらがやったのか?」

「へえ」

「……なんじゃ」

「少しは自分で考えるようになったな、お姫さま。前は何でもかんでも、周りに聞いていたのに」

「ふ、ふん! 褒めても、かさねはそなたにかいじゅう、されたりせぬからな!」

 頬がみるみる染まっていくのを感じながら、かさねは言い返す。イチはそれ以上何も言ってこなかったが、何やらひとりばつが悪くなり、足を速めて隊列の前方に出る。

「んむ?」

 一列に伸びた商隊の間を小さな影が跳ねるように飛び回っているのを見つけて、かさねは瞬きをした。白い髪に抜けるような白膚をした童子で、平たい額にはふたつの点が描かれている。童子が跳ねるたびに、桑の葉色の水干の裾がひらりと風に翻った。こんな小さな子どもも商隊に混ざっていたのか。興味が湧いて、かさねは童子を追いかける。

「えいやっ」

 後ろに回りこみ、童子を捕まえる。濡れた黒い眸が驚いた様子で、かさねを見上げた。

「そなたも家族が護衛をしておるのか? かさねもじゃ!」

 話しかけると、童子はこっくりとうなずき、ひときわ大きな坊主頭の男を指差した。

「あれが父さまか。かような旅についてきて、えらいの」

 かさねの腕の中で、童子がふるふると首を振る。どうやら喋ることが得意でないようだ。ふうむ、とうなずき、かさねは腕を一度外して、童子へ手のひらを差し出した。

「そなた、名はなんという。字は知ってるか?」

 童子がこくんとまたうなずいたので、「なら、ここへ書いてみいよ」と手のひらを指す。丸い目を思案げに伏せてから、「こ」と童子の指先がかさねの手のひらに一字を書いた。

「こ? こ、というのか、そなた」

 何やらずいぶん短い名である。それとも、あとに続く字をまだ教わっていないのだろうか。「こ」と書かれた手のひらを見やって首を傾げたかさねに対し、下から、きひひ、という声がした。童子が八重歯をのぞかせて笑っている。

「なんじゃ、そなた。かさねをからかいおったのか!」

 こぶしを振り上げれば、童子はきひひ、とまた笑って、櫃を担ぐ人足の股をくぐりぬけた。すばしこい童子はあっという間にいなくなってしまったので、まったく変な子じゃ、とかさねは苦笑まじりに息をつく。

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