四百九十四話 オフィーリアの演技

 船宿〝雀〟の屋根からシュウヤたちが離れ、通りの店で二つの仮面を買っていた頃。

 オフィーリアは部屋の中でロンハンと対面していた。


「アイテムはこれだけ」


 オフィーリアは古代狼族の秘宝が包まれた風呂敷をロンハンに手渡した。

 受け取ったロンハンは風呂敷を机において、銀色に輝く無魔の手袋を装着し、風呂敷を開けた。

 アイテム類を確認した途端、眉をひそめる。


「……指示された物はあるようだが……双月樹の幹と、双月樹の銀袋はなかったのか?」


 と聞かれたオフィーリアは、事前に想定していた言い訳を考えながら、


「銀袋は事前に隠されていたようです。それに、地表は……どこもかしも神々の力が眠っているような不可思議な樹ばかり。笛の音の結界も強力……地下も地下で迷宮のように入り乱れて、ケマチェンから貰った魔道具で宝物庫にたどり着きましたが、それしか盗めなかった」

「……大事な壁抜き用の道具もなくしたのか」

「逃げる時に……」


 そのオフィーリアの言葉にロンハンは考え込む。

 その考え込む仕草と間は……オフィーリアにとっては毒だった。


 どうしよう。演技とばれたら……。

 と、オフィーリアは内心、焦っていた。


「……なるほど、地下か。地下を放浪するはぐれドワーフの集団にでもかちあったか?」

「え? えぇ……はい」


 放浪という言葉にバーレンティンたちのことを思い浮かべてしまうオフィーリア。

 ロンハンがエヴァの特異能力のように相手の思考を読める能力を持つ者だった場合は完全にアウトだっただろう。

 幸いにもロンハンにはそのような非常に希有な能力はない。


「足が遅いドワーフで幸いだったな。地底神を信奉する狂信者の騎士集団だったら確実に死んでいたぞ」

「はい……」


 そんな集団なんて知らないけど……。

 と、オフィーリアは考えていた。


「ま、納得した。ケマチェンから反応が消えた。と聞いていたしな。つじつまが合う」


 え? あの壁を貫ける魔道具はわたしたちの追跡の意味もあったの?

 わたしの体に刻んだ紋章以外にも追跡用の保険を用意していたのね……。


 と、驚きながらも、逆にその保険が消えたことで、自分の言葉が信憑性を帯びる結果となり、オフィーリアは安心した。

 因みに、その保険ことドリル型魔道具は、衛兵長エイブランが触り本当に消えていた。


「……たぶん、古代狼族の誰かが触ったんだと思います」

「……そうか。まぁ、他のアイテムは手に入れたんだ。大丈夫だろう」


 ロンハンはそう喋りつつ、夢追いの袋の中にレブラの枯れ腕、ウラニリの血十字架、キズィマンドの羽根を入れていく。

 すべて小さいが、すべて曰くのある秘宝アーティファクトだ。

 彼が装備している無魔の手袋でなければ、ロンハンは呪われているだろう。


「……」


 安心する表情が顔に出ていたオフィーリア。

 その顔色を見て笑うロンハン。

 彼は遊び人だ。女を抱いてはすぐに違う女に乗り換える男。

 奴隷、商売女、淑女、構わず次々と手を出しては古い女を捨てていく。

 大金を出して買った女も気に食わなければ、吸血鬼のように殺して地下街に死体を投げ捨てていた。


 死体を喰うような猟奇さはないが、自らの欲を処分する道具としてしか女性を見ない……どうしようもない屑な男がロンハンであった。

 そして、オフィーリアのことも、そんな無数にいる女の一人として見ていた。


「……ケマチェンが何か文句を言うかもしれないが、そこは俺がなんとかしよう」


 と、わざとらしく男気を見せるロンハン。

 だが、オフィーリアには通じず。

 オフィーリアは冷たい眼差しでロンハンを見ながら、


「ありがとう」


 と礼を述べるだけであった。

 ロンハンも慣れた対応で頷くが、オフィーリアの分からないところで、視線を細めた。


「それで、次の仕事だが、ツラヌキ団は動けるか?」

「同胞たちは生きているの?」

「……いまさらか?」

「そうよ、だからよ」

「珍しいな……初めてか?」

「……いえ、最初の頃に何回か……」

「そうだったか? ま、生きているに決まっているだろう」

「……生きている証拠が欲しい」


 オフィーリアの珍しい言葉を聞いたロンハンは、


 ……それもそうか。

 故郷の仲間たちが人質に取られているんだからな。


 と考えてから頷く。


「少し待ってろ……」


 ロンハンは腰から手鏡風の魔道具を取り出した。

 その魔道具が白銀色に輝くと、鏡のような場所に男の顔が浮かんだ。


『定時連絡外だが?』


 と声も響く。

 魔道具に映るのはケマチェンだ。


「たまにはいいだろ。古代狼族の秘宝は手に入れたんだからな」


 ロンハンは双月樹の幹と銀袋のことを報告しなかった。

 オフィーリアにわざとらしく視線を向けていることから、気があることを示しているが、オフィーリアには通じず。


 ロンハンは、チッ、固い女だ。と心の中で舌打ちをしながらもケマチェンを見て、


「だから次の仕事に移る、としてだ。その前に、仲間が生きている証拠を確認したいとさ」


 魔道具に映るケマチェンはオフィーリアとロンハンを見る。


『そんなことで魔道具の力を使い報告してきたのか? その魔道具に残った魔力は、もう残り数回分のみだろう』

「紋章を使った報告だと疲労が激しいからな。フェウたちと合流予定だったのもある。そして、ツラヌキ団が回収したアイテムも持ち帰る必要がある代物だ。だから本部に帰還してから、この魔道具に魔力を補充すればいい」


 と、ロンハンは魔道具に映り込むケマチェンに話をする。


『そうか』


 ケマチェンが納得した様子を黙って見ているオフィーリア。

 彼女はシュウヤの言葉を思い出していく。


 〝連絡役が俺たちを導いてくれるはず〟


 と、シュウヤさんが事前に話をしていた通りの展開ね。

 性格を聞いた段階で、このロンハンの行動を読んでいたのだとすると……。

 この先の数種類のできごとも本当に予測ができているということ?

 だとしたら、少しシュウヤさんが怖くなってきた。


 そして、側に隠れているヴィーネも、


 作戦通りだ。

 ご主人様の知見は素晴らしい。

 先読みのスキルでもあるように展開を予知していた。

 しかし、ご主人様の予想通りだと……心配ごとも増えるということだ……。

 このまま、気取らせないことに注意しなければ……。


 と考えていた。

 そのタイミングで、魔道具に映るケマチェンが、ロンハンの隣にいるオフィーリアを見て、


『仲間のことか……オフィーリアは、我らを信用していないのか?』

「信用していなければ、この場にいません」


 オフィーリアは強気に出る。

 ママニとヴィーネは少し動揺した。


『……ふむ。だといいのだがな』

「……仲間、同胞を人質に囚われているんです。だからこそのツラヌキ団なんですよ? 理解して、とは言いませんが……十分に働いていると思いますが……」


 オフィーリアは怒っていた。


『……そう怒るな。貴重なアイテムを盗む腕前を証明し続けているツラヌキ団の実力は、我々も……高く買っている。だからこそオフィーリア隊長の行動を阻害する理由はない……逆に、使える者を使えなくしたとゼレナード様が知れば……我らが罰せられてしまう。魂を吸い取られてしまうだろう』


 あれほどの魔法を使うケマチェンが……。

 こんな怯えた顔は初めて見た……。


 と、驚くオフィーリア。

 ゼレナード様という名も初めて聞いた名前だった。


「そうだとも。いつも俺は〝待つだけの楽な仕事〟だしな?」


 と、ロンハンは口癖のような言葉を話す。


『お前は遊び過ぎだ』

「ふはは、だからこそ、オフィーリアたちを理解している。お前たちは優秀だ。ツラヌキ団のお陰で、楽ができるのだからなァ」

「はい」


 ロンハンは頷くオフィーリアからケマチェンに頭部を向けなおし、


「オフィーリアも故郷で有名だった。強い女ではあるが……一人の女であることには変わりない」

『……ふむ』

「ということで、仲間が生きているか知りたいとさ」


 ロンハンがオフィーリアにウィンクをしながら語る。

 そのロンハンが持つ魔道具に浮かぶのは、魔導師風の男のケマチェン。


 そのケマチェンが頷いた。


『……ふっ……』


 この女好きが……と馬鹿にしたような表情を浮かべながら微かに嗤うケマチェン。


『……今、出す』


 そうケマチェンが発言した直後――。

 小柄獣人ノイルランナーたちへと映像が切り替わった。


 そこには、トランプのようなカードゲームを楽しみながら、お菓子を食い合う楽しげな小柄獣人ノイルランナーたちが映る。

 床には白色の魔法陣が敷き詰められていた。


「あぁ! 皆……」


 オフィーリアは映像を映す魔道具に頭部を寄せていた。

 囚われている周囲の状況を観察するためでもある。


 そんな急に態度を変えたオフィーリアの態度を見たロンハンは面白くなかったのか、


「犬たちは生きてただろ。仕事をこなせば解放されるんだ。逆らえば、お前が知るように……」


 ロンハンは片頬を上げて嗤う。


「……はい」


 オフィーリアは内心虫唾が走っていたが、頷いて答えていた。


「で、ケマチェン。他に何か連絡はあるか?」

『……アルゼの件だが、もう片はついた」

「片がついた……どういうことだ? ダヴィとフェウとの合流は? アルゼで合流予定だったんだがな……」


 ロンハンは驚き、仲間の様子をケマチェンに問う。


『フェウならここに戻っている。アルゼに戻るなら気を付けろ。遅れると巻き込まれるぞ』


 魔道具に映像として浮かぶケマチェンは、ロンハンにそう警告した。

 アルゼは危険だから近付くな、と。


「おおぃ、フェウは戻ったのかよ。だとしたら、冒険者たちの追っ手と聖ギルド連盟の邪魔な刻印バスターの排除に成功したのか」

『した。白色の貴婦人討伐に躍起になった塵どもは我らの懐に入り込み過ぎたな。優秀だったが故だが』


 ケマチェンの言葉を聞いて、またもや驚く様子を見せるロンハン。

 オフィーリアもそれは同じであった。


 オフィーリアはシュウヤから聖ギルド連盟と関わったと聞いている。

 古代狼族の故郷に向かう際に出会い、争ったが和解した組織だと。

 ……【ギルティクラウン】というクランを率いるアソル。

 同じ聖刻印バスターのドルガル、リーン。


 聖ギルド連盟の幹部たちの名も聞いていた。

 幹部以外の連盟に所属する冒険者たちは三十人を有に超えていたと。


 その実力者たちがあっさりと壊滅したと聞いて、一気に不安が彼女の心を支配する……。


「マジかよ……〝俺たちは悪しき冒険者を裁き秩序を保つ〟とか毎回のように口上が五月蠅かった奴らを……」

『……もう処分ずみだ』


 そう静かな口調で語ると、愉悦の表情を浮かべたケマチェン。

 オフィーリアの怯えた表情を見て、我らの力を垣間見て怯えてしまったのだろうと勘違いをしていた。


「本当に聖刻印バスターたちを倒したのなら驚きだな。ゼレナード様が直に対処したのか?」

『いや、ゼレナード様が用意していた罠が発動した。そこに我らが奇襲を仕掛けて一網打尽。さらにフェウも追撃に出た』

「奇襲と罠か。剣士のほうは集団で掛かれば余裕だろうとは思うが……あの精霊使いをよく倒せたもんだ」

『あいつか。見たことのない文明の力……幻獣やら剣精霊を使う女だったな。我の魔法も防いでいた。確かにリーダーらしき女と剣士の男と、その逃げた女だけは、強かった。ゼレナード様に叱られてしまった』


 オフィーリアは当然だが、隠れていたママニとヴィーネもすぐに気付く。

 その逃げた女性は、シュウヤと戦ったことのあるリーンのことだと。


「ほぅ、お前と魔剣士のフェウがいて仕留め損なうとは珍しい」

『リーダーの女と手練れの剣士が自ら囮になった』

「自らを犠牲に仲間を逃がしたか……」

『……逃げられたが、逃げた先は樹海だ。仮にゼレナード様が用意した無数の罠を逃れたとしても、傷を負った人族の女が、たった一人で樹海を生きていられるか?」

「無理だな」

『樹怪王の軍勢は強力だ。人族の国に仕掛けない理由が分からないぐらいに』

「神出鬼没な地底のオーク共と争っているからだろう。トロールもいるからな。ゲンダル原生人は雑魚か……吸血鬼たちや旧神に、古代狼族たち。人族も国に分かれて、皆が皆で争っている」


 ロンハンがどうであれ、その言葉は真実。

 オフィーリアも頷いた。

 だからこそ、盗みが行えた面もある。と思考したオフィーリア。


『そうだ。仮にアルゼの街に避難できたところで……逆に好都合』


 ケマチェンがそう告げると、ロンハンが眉を動かしながら、


「好都合? 俺に逃げたその女の始末をつけろという意味か?」


 そう疑問げに聞いた。

 扇子の先を魔道具に映るケマチェンに差し向けている。


『違う。アルゼの街は、じきに消失するのだ』

「おい! まさか、もう実行する気なのかよ」

『あぁ、大量の魔力と魂を得るゼレナード様は……さらなる力を手にするだろう』


 勝ち誇った表情で語るケマチェン。

 オフィーリアは、魔道具に映るそんな惨いことを楽しげに語るケマチェンのことを睨んでいた。


 すぐに『あ、いけない』と自らを戒めるように拳を作る。

 視線をさりげなく下げたオフィーリア。


「オセベリアに喧嘩を売るとはな……で、ダヴィとの連絡は? あいつはこの魔道具もないし、お前とは話せないんだぞ」


 ロンハンは仲間の名を出して、ケマチェンに問う。


『お前の女のことなぞ知るか。明日の夜には、八支流の一つは完全に血に染まるだろう』

「……チッ、明日の夜かよ。はえぇな。のんきに突いて・・・遊んでいられねぇ……」

『相も変わらず女好きか。アルゼに戻ってもいいが……遊び過ぎるなよ。そして、仕込みが入っている秋風亭、八魚亭では遊ぶな。フレデリカの屋敷にも、絶対に近付くな……」

「フレデリカが美人だからってか?」

『アホが、娼婦に刺されるだけでは分からないようだな』

「おいぃ、嫉妬かよ。塵な女を持ち帰って、秘壺を貸してやるぞ?」

『……お前が一流でなかったら殺している』

「ははは、何が殺すだよ。魔道具越しにゼレナード様の番犬ちゃんが吠えたところでなァ」


 嘲笑するようなロンハンの言葉と眉が動いたケマチェンを見て、オフィーリアは焦る。

 ロンハンの扇子から魔力が溢れ出ると、扇子の先端から刃が生える。


 こんな光景は見たことがなかった。


 どうしよう……。

 ヴィーネさんとママニさん、何か魔法が飛んでくるかもしれない!

 と動揺するオフィーリア。

 ヴィーネはこの時、震えながらも我慢していた。

 ガドリセスを握る手に血が滲む。


『ふははは、我を挑発とは、昔と変わらんな』

「あぁ、変わらんぜ……」


 ケマチェンとロンハンは長い付き合いだ。

 端から見たらすぐに殺し合いを始めるような雰囲気だが、二人には日常茶飯事だった。


『だからこそ、アルゼに向かうなら多少は考えて動けということだ』

「分かってるよ。秘鍵書は手に入れたとはいえ、魂はゼレナード様が強く望むものだからな」

『ふむ。距離が離れているから仕方がない面もあるが……仕込んだ魔法陣に少しでも傷が付いたら、範囲が大きいだけに連結は失敗し、アルゼの街に住む者たちの魔力吸収は失敗に終わる』

「了解した。目立つことはしねぇ。アルゼでダヴィを回収して、適度に白色の貴婦人としての噂を流してから、樹海に戻るさ」

『……ふむ、次は海運都市リドバクア。その次は海光都市ガゼルジャンとなる。八支流を渡れる海賊の手配も今から考えておけ。使えないならノイルランナーたちを処分する』

「だ、そうだ」


 オフィーリアは頷いた。

 ロンハンが持っていた魔道具から銀色の光が失われると、映像も途切れる。


「死の街と化すアルゼは見物だな」

「……」


 ロンハンの言葉を聞いたオフィーリアは、ため息を吐く。


 この人も元は、白色の紋章を体に埋め込まれて脅迫されていたはずよね……。

 気持ちは分からなくもないけど、もう、完全に堕ちるところまで堕ちているのね……。


 と、オフィーリアは考えるが、その気持ちは顔には出さない。

 隠れているヴィーネとママニは、秋風亭、八魚亭、フレデリカの屋敷という貴重な情報をすぐに覚えた。


 そのママニは、


 ご主人様の予想だと、アルゼの街に敵の息が掛かった者が潜伏している可能性があると話をしていた。

 凄い。ツラヌキ団の情報だけで、この先の展開を読んでいたことになる。

 それも当然か……ご主人様が得意な個人対個人の戦いも、無数の選択肢がある中での、機先を制する戦いに変わりはないのだからな……広く見れば軍師や戦術家の能力があるということだ……。


 やはりご主人様は偉大なる宗主様であらせられる。


 そう思考するママニ。


 嘗て、虎獣人ラゼールの彼女はフジク連邦のハーディガの丘の戦場で、エスパーダ傭兵団の小隊を指揮し……幾つもの激戦をくぐり抜けている。

 ある丘の戦いで敗れて、辛い経験を越えた地獄の日々も味わってきたママニ……。

 だからこそ……ご主人様こと光魔ルシヴァルの宗主であるシュウヤが、事前にこういった戦局の予想が可能なことを嬉しく感じ、誇らしく思っていた。


 オフィーリアは、そう隠れながら考えているママニとヴィーネの二人の存在をロンハンに気付かれないように心がけながら、


「……ツラヌキ団は次の仕事の準備に入ります。では」

「つれないな、一杯どうだ?」


 オフィーリアは立ち止まり、背中でロンハンに応えてから、部屋の扉を押して廊下に出る。


「無視かよ」


 舌打ちの音を廊下で耳にしたオフィーリア。


 女性を塵のように扱う男、ロンハン……。

 でも、あからさまな男でもある……。

 態度と口に出すだけでもマシなのかしら……。

 中には態度に出さず、ストーカーを行う屑な野郎もいるから……ね。

 でも、屑は屑。

 シュウヤさんも女好きだけど、シュウヤさんとは、まったく違う。


 廊下に出たオフィーリアは背後を気にしつつ、考えごとをしながら階段を下りていった。


 宿の出入り口は閉まっていた。

 取っ手を握り扉を開けて宿の外に出ても……。

 安心してはいなかった。


 ロンハンには相方がいる。

 ダヴィという女性。

 わたしのことを見張っているかもしれない。

 でも、ただのロンハンの毒牙に掛かった被害者?


 だとしたら……今は幸せかもしれないけど……。

 ダヴィという女の人、大丈夫かしら……。 

 いや、だめよ……この戦いに同情は禁物。


 仲間の命が懸かっているんだから……。

 そう、なんのために今まで盗みを重ねて手を汚し続けてきたのか。

 だといって許される行為ではない……ロンハンを屑と思ったけど、わたしも屑よね……。


 でも、ツラヌキ団のメンバーたち、囚われた仲間たちのためなんだから……。

 ……もし、シュウヤさんに出会わなかったら……わたしはレネさんに射貫かれて死んでいた。


 その時、昏く絶望するような気持ちが湧き上がる。

 オフィーリアは暗澹とした気持ちが心を占めていた。


 わたし、死んだほうがよかった?

 楽だった? そうしたら、アラハも、ツブツブも、ポロンも、皆……。


 あぁ、いけない。

 シュウヤさんのように前向きに考えよう。


 と、オフィーリアは、そのシュウヤに胸元を見られていたことを思い出す。

 シュウヤさんはわたしの胸を……。

 最初はエロかったけど、途中から真剣な表情に変わった。


 シュウヤさんは、本当に、わたしや皆のことを考えている男の人なんだと思った時……。

 胸がきゅっと……痛くなり、切なくなったことを思い出すオフィーリア。


 そして、目元に涙を溜めながらも頬を赤く染めていく。


 シュウヤさんは素敵だったけど……。

 あの時はクナさんたちに紋章を見てもらうためだったし! 


 と、頭部を振って気を取り直そうとするオフィーリア。

 しかし……急に肩を落とすオフィーリア。


 ……眷属さんたちと、番の儀式をしたハイグリアさんもいるし……。

 そもそもが、サイデイルのキッシュさんのためなのよね。

 わたしたちのために行動する方だし、分かっていたけど……。

 なんて眷属思いの方なのだろう、シュウヤさんは……。

 そんなキッシュさんのことを友と呼ぶシュウヤさん。

 シュウヤさんに聞いたら、言い訳するように、照れながら、友のために動いたと語っていた。

 でも、誘拐された子供たちを助けて、キッシュさんの故郷の再建を手伝うために自らの血を分けての……眷属化だし、友というか、完全に愛しているわよね。


 ……他の眷属たちと同様に……。

 アラハの妹のサザーも愛されているからこその今がある……。

 わたしも、もしかしたら……。


 宿から続く通りに出てからも、暫く、そのようなことを考えながら一人で歩き続ける。


 商人、船旅中の旅人、船頭のかけ声は耳に入らない。


 あぁもう! 

 ……重要な作戦なのよ、わたしに期待してくれたシュウヤさんに応えないと!

 いや、皆のためにしっかりしないと! 


 わたしはツラヌキ団の隊長なんだから! 


 ――今は仕事に集中しないと!

 と思ったオフィーリアは、自らの両頬を両の手の平でパンッと叩く。

 気合いを入れた証拠として頬に掌のマークを作るオフィーリア。


 頬を赤らめていた彼女は、視線を強めながら、背後からついてくる気配がないか……。

 用心して周囲を睨むように視線を巡らせていく。


 オフィーリアは振り返る――。

 追跡をしている人物は誰もいないと分かってはいる……。


 しかし、彼女はまだ胸がドキドキしていた。


 大丈夫よね?

 と、心の中で自分に問いかける。


 大丈夫、追跡されてはいない。

 うんうんと頷いて、自分にそう言い聞かせるオフィーリア。


 ロンハンと何事もなく別れることができたオフィーリアは安堵の顔色に変化していく。


 ここで何かあったら……。

 すぐにヴィーネさんとママニさん、シュウヤさんも飛んでくる予定だし。

 ……ヴィーネさんとママニさんは、もう血文字で今の情報をシュウヤさんたちに伝えているはず。


 わたしも合流場所に急ごう。


 とオフィーリアは考えると、そそくさとクナたちの下に向かう。



 ◇◇◇◇



 隠れていたヴィーネは憤慨していた。

 女を愚弄する人族を多数見てきたとはいえ、ひさしぶりに屑な男を見たヴィーネは頭に血が上り、ロンハンの首を取ろうかと本気で考えていた。

 だが、ママニとシュウヤの血文字連絡で冷静さを取り戻す。



 ◇◇◇◇



 一方、ロンハンは考え事をしていたオフィーリアのことを追尾していた。

 隙あらば……と卑しいロンハンらしい行動だ。


 ――しかし、俺が女に苦労してもなァ。


 と、扇子を片方の手の平で叩く。

 気持ちを切り替えたロンハンは、もみ上げを風で巻き上げるように急に反転――。


 ダヴィの裸体を想像したロンハン。

 アルゼの街に向けて足を速めていった。

 ジングの村を出て、支流沿いの街道を駆けていく。


 彼は周囲を警戒していない。

 先ほどのケマチェンからの情報を得ているからだ。

 アルゼの警戒すべき主戦力は、もういない。


 扇子を掌で叩きながら脳天気に海と女たちのことを考えている。

 ダヴィの次は、海の女を頂くとしようか。

 奴隷の女でも買ったほうがいいかもな。


 増えたら処分すりゃいい――。


 いつものように女のことばかり考えているロンハン。

 彼は背後の気配に気付いていない。

 無論、追っている者が発動している<無影歩>という特別なスキルがあるからこそ気付いていないのだが……。


 その伝説の暗殺者が開発したという特別なスキルを扱うのは……。

 そう、瞳を真っ赤に染めた般若の仮面をかぶる槍使いだ。


 ロンハンは、とある神も畏怖する槍使いに泳がされていることに気付いていなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る