二百二十五話 懐かしい魔獣

「プボッ、プボプボッ!」

「ポポブムじゃないかっ!」

「にゃああ」


 黒猫ロロは嬉しそうに鳴きつつポポブムの脚に頭部を衝突させた。

 抱きつく勢いで体を寄せる。

 そのままポポブムの脚の皮膚をペロッと舌で舐めてから、ポポブムの後頭部へと跳躍。


 黒猫ロロはポポブムの丸く少し凹んだ後頭部の位置に尻をズデンと乗せた。

 居座ると、ふっくらとした腹を見せびらかすように陣取る。


「ンン」


 喉声だが、つぶらな瞳を俺に向けてドヤ顔をアピールしてきた。


 同時に、左右の首からお豆のような小さい触手を伸ばす。

 ポポブムの喉を、その可愛らしい豆のような触手の先端を使って優しく撫でている。


 黒猫ロロは自分の腹をついばむように毛繕いを始めた。

 ノミとかはいないはずだが、そこは猫の習性か。


「しかし、懐かしいなぁ」


 ポポブムに語り掛けながら、硬い皮膚をナデナデしてやった。

 そのポポブムの鞍には舫い結びの縄ロープで連結された木箱がある。

 木箱は細い小板を重ねた簡易的な作り。

 箱の横には大きな隙間が空いていた。


 俺がポポブムを撫でるから木箱の中に納まる油壺が揺れる。


「でも、どうしてここに……」

「シュウヤ、その魔獣は知り合いなのか?」

「あぁ、昔、世話になっていた魔獣だ」

「ほぅ」


 ルリゼゼが不思議そうな表情を浮かべつつ呟く。

 そこに、虎獣人ラゼールの商人が走り寄ってくる。


「ハァハァハァハァハァ、やっと追いついた」


 若い獣人青年だ。

 両膝に両手をおいて項垂れていた。

 走ってきたらしい。


「えっと?」


 俺は誰ですか?

 的なニュアンスで彼に話しかける。


「すみません、こいつはわたしのポポブムでして、油売りの商売に利用していたんですよ。ところが、闘技場に着いた辺りから鳴き声をあげ出して、頭をきょろきょろと動かすと急に走り出してしまって……」

「プボプボッ」


 ポポブムは俺に会いたかったと言わんばかりに、角頭を左右に振る。

 そのまま重そうな横広い顔を目一杯上げて、緑の小さい目を向けてくる。


 ……カワイイ。

 しかし遠くから……俺と黒猫ロロの匂いを感じ取ったんだな。


 一緒に冒険してきた光景が蘇る……。


 ゴルディーバの里から隘路の難関、乾燥肉をあげたっけ。

 俺と黒猫ロロが倒した蟹の肉は凄い勢いで食べていたな。

 ユイとの出会い、主無き地、魔霧の森、ヘカトレイル、ホルカーバム……。


 ある時、盗賊から尻に矢を受けて……。

 あ、ちゃんと、尻に、その時の微かな傷跡がありやがる……。


 ちゃんと、傷が残ってるじゃねぇか……ポポブムよぉ。


 懐かしい思い出が涙を作る。

 自然と視界が、水の膜で覆われていた。


「プボッ」


 優しい法螺貝の音を鳴らし、緑の小さい目で見つめてきやがる。

 あ、ポロリと……お前も涙を?

 ちゃんと、お前は、おれとロロを覚えていたのかよ……。

 ちゃん、と……おれを。


 売っちまってごめんな。ポポブム……。

 温かい感動が胸底に染み渡る思いを感じた。


「……こいつを引き取らせてくれないですか?」

「え、命令を聞かない魔獣ですよ?」


 そんなことは構わないさ。


「幾らですか?」


 胸に来る思いを抑え、自然と値段を聞いていた。


「金貨四枚で買いました」

「分かりました、金貨六枚を出しましょう」

「本当ですか、ありがとうっ」


 嬉しそうな表情を浮かべる見せる商人。

 頬に流れる涙の滴を感じながら、アイテムボックスから余分に金貨を出し、彼に六枚の金貨を手渡した。


「おぉ、ありがとう。それでは荷物はそのままお譲り致します」


 商人は俺が泣いていることに対して興味を示さないが、快く鞍袋に連結した油壺が入った箱ごとポポブムを譲ってくれた。

 彼は金貨を懐に仕舞い、ほくほく顔を浮かべて通りを歩いて帰っていく。


 壺の荷物ごとポポブムを売っても黒字なんだろう。

 そこでまた、ポポブムの小さい瞳を見る。


「ポポブムッ、もうお前を売ったりしないからな」


 ポポブムの太い胴体に抱きつく。

 ざらざらした硬い皮膚が愛しく思えた。


「プボプボッ」


 ポポブムも叫ぶと、太い首を動かす。

 大きい角を生やした頭部を、俺に擦り当てようとがんばっている……。

 太い首のポポブムだからな……。


 上手く俺の体に頭部を当てることができない。

 相棒のように頬を俺に当てて擦りたいんだろう。


 可愛いポポブムだ。

 その時、


「にゃあ」


 黒猫ロロが縄ロープで連結された箱の中に入ってしまう。


 箱に嵌る黒猫ロロさん。

 箱の座席に座る感じだ。

 両前足を板の上に乗せ、後ろ脚を箱の板の間から真っすぐと外側へと伸ばしている。


 何だ、この哀愁ある姿は……。

 その真っすぐと伸びた後ろ脚は何なんだ。

 ふさふさの太腿の黒毛といい……。


 しゅっとした小さい靴下を履いたようなアキレス腱の部分が、何ともいえないぞ。


 まるで、河川敷にポツンと置かれた自転車の子供椅子に座りながら、アマチュア野球の試合でも見て『もっとよく振れにゃ』、『百六十三キロの球を打つにゃ』的なことを言いそうな雰囲気だ。


 面白い体勢。


「ははは、ロロ、また新しい姿を開発したなぁ」


 まだ涙が流れていたが黒猫ロロの姿を見て微笑みながら話しかける。


「にゃぁ」


 小顔を斜めに傾ける黒猫ロロさん。

 俺の頬に、触手の平たい先端を付着させてきた。


『ポポ』『かえってきた』『ポポ』『たのしい』『あそぶ』『なく?』『なく?』『あそぶ』『あそぼう』『ポポ』『たのしい』


 といった感情をぶつけてくる。


 その可愛い小さい頭部を撫でようとした――。

 が、天邪鬼な黒猫ロロは触手を収斂させつつ、サッと、俺の掌を避ける。

 そして、後ろ脚も畳むように引っ込めてから板の箱から跳ぶように離れて、ポポブムの後頭部に上がっていた。


 そのままドヤ顔を見せるかと思ったけど違った。

 ポポブムの後頭部へと抱き着く体勢になっている。


「にゃっにゃ~にゃおお」


 触手をポポブムの首下に当て走れ走れと指示を出す。


「プボプボッ」


 指示を久々に聞いたポポブムは俺から離れて、中庭へ走り出していった。

 あいつにとっては、俺より黒猫ロロのほうが上らしい。


「ロロ様……本当に嬉しそうです」

「あの黒猫と魔獣は仲が良いのだな」


 ヴィーネが微笑み、ルリゼゼも四眼を持つ魔族顔で彼女らしく笑う。


「あぁ……」


 本当に懐かしい。

 もう一度謝っておこう、ポポブム、売ってごめんな……。


「――強者たるシュウヤが鼻水を流し泣くとは……面白い」


 ルリゼゼは前頭筋に力を入れて語る。

 特徴的な四つの眼が少し前に出ている印象を受けた。


 驚いた表情を示しながら語る。

 二つの眼は眼帯で隠れているが。


「……そりゃ俺も泣く時はある……それよりこれを持っていけ」


 さっき余分に出した金貨数枚をルリゼゼに手渡す。


「世話はしないんじゃなかったのか?」

「余計なことを言うんじゃねぇ、ほら、ルリゼゼは地上を見て回るんだろう? 通りは向こうだぞ」


 少し恥ずかしくなり、視線を通りへ向けた。


「ふふ、可笑しな強者だ。我はシュウヤ、ソナタを生涯忘れぬであろう」

「俺も忘れないよ。強者の四眼ルリゼゼ。また何処かで、ラ・ケラーダ!」


 師匠の言葉を彼女に送る。友として。


去らばゴルバだ。強者シュウヤ。ルシヴァルのミル」 


 笑顔を見せてから歩いていく四眼ルリゼゼ。

 彼女の一本腕に抱えられた絨毯ポスターの中には、大槍でも仕込んであるように見えてくるから不思議だ。


 そういえば、あの魔力を感じさせる絨毯……。

 どんな効果かあるのか聞いていなかった。


 大事そうにしてるので重要なアイテム? 


 野生の勘を持つ黒猫ロロが一番早く飛び乗って、ごろにゃんこしていたから……もしかしてマタタビが内包? 

 いや、素直に癒し効果的なアイテムだったのかもしれない。


 これは想像だが……何か思い出の品とか?

 ポジティブに考えて、邪神界ヘルローネでの数千年の間に悪いことだらけじゃなく、あの絨毯にまつわる良い切ない思い出があるのかもな。


 ルリゼゼか。

 彼女が背負う大きな背嚢の表面には溝と皺が沢山あった。

 その溝や皺が、彼女がこれから生活するうえでの苦難なる前途を予感させる。


 四眼ルリゼゼ。あの激闘は忘れないだろう。

 一瞬、刹那の時間、短い時間だったが、数年一緒に過ごしたような濃密な戦闘時間だった。

 それは彼女も同じ気持ちだったと思いたい。

 また、何処かで出会うかも。

 不思議とそんな気持ちを抱かせる魔族シクルゼの女。


 ――元気で。

 淋しい思いを感じながら、中庭に視線を向けた。


「ロロ様が乗っている魔獣、昔、ご主人様が乗られていた魔獣なのですね」


 ヴィーネが俺の顔を覗くように、綺麗な顔を斜めに傾けながら聞いてくる。


「そそ、師匠から頂いた魔獣。利用する機会が減ったからポポブムのためにも売ったんだ。そんなポポブムは……俺たちの匂いを覚えていてくれたらしい…

…」


 また、視界が涙で埋まり揺れる。

 ポポブムの寿命が、あとどれぐらいあるか分からないが、ここなら大きい厩舎もあるし使用人もいる。たとえ俺がいなくても世話をしてくれる。


 だから、ポポブムはずっとここで暮らせるはずだ。


「ご主人様……」


 ヴィーネは俺が涙を流す様子を見て、慰めるつもりなのか、花の茎のような項を見せるように身を寄せてくる。

 ……カワイイ奴。

 気持ちを分かち合おうと健気な行動を取る彼女に感動しながら、肩に手を回しギュッとハグを返してあげた。

 綺麗な銀髪の上にもキス。


「……」


 ヴィーネは微笑みを含んだ優しい視線で見上げてくる。

 俺は指先で彼女の顎を撫でるように上向かせてから、銀仮面を装着している反対側の青白い頬へ優しくキスをしてあげた。


「いつも優しくしてくださいますが、今日はわたしが……」


 彼女はそう言うと、爪先で立ち、目一杯の背伸びをするように唇を重ねてきた。


 ヴィーネ……。


 ソフトな優しいキスから濃密なキスへ。

 ちゅぱんと唾の糸を引きながらヴィーネの唇から離れると、彼女は銀色の瞳を潤ませて、厭らしいことを期待する表情を浮かべていた。


 ありがとな、ヴィーネの優しい愛情で涙は止まったよ。

 とは、面を向かって言えず。


 そこに、ポポブムと黒猫ロロがドタドタと中庭を走り回る音が響く。

 イチャイチャタイムが終了するように視線を中庭へ向けた。


 中庭ではバルミントも参加し水を撒いていたヘルメも参加している。


 薪置き場&掃除道具置き場で仕事をしていた使用人たちも、神獣、竜、魔獣、精霊たちがガヤガヤと騒いでいる様子に注目していた。


 使用人たちも笑ってはいるが……やはり、どことなく元気がない使用人たちもいる。


 普段にはない緊張した雰囲気がある。何かあったのか?


 使用人の様子が気になったが、魔獣トレインを起こすように最後尾につけたバルミントが「ガォォ」と元気よく叫びポポブムを追いかけているのが視界に入った。


 ポポブムの頭の上に乗っている黒猫ロロが「にゃおおお」と逃げろというように鳴いてポポブムに指示。


 ポポブムは「プボプボッ」と法螺貝を鳴らし勢いよく前進。

 ヘルメも楽しそうに体から水飛沫を発生させて、そんな走り回る魔獣たちに水鉄砲を当てていた。

 広い中庭を動物園のように駆け抜ける。


 バルミントがポポブムを追い掛けている構図だけど。

 まさか、ポポブムを食うなんてことはしないよな……心配だ。


「バルミントー」


 ポポブムをトコトコと追い掛けるバルを呼ぶ。


「ガオォ?」


 親指のドラゴンライダー、契約の証と思われるネイルアートのマークが光る。

 追い掛けるのを途中で止めた幼竜バルミントは、顔を見上げて俺を見た。


 そして、小さい四枚翼を拡げながら、トコトコと走り寄ってくる。

 羽根というか四枚ある翼はもう幼竜なりに、成竜の原型といえる形に成長してきているが、可愛い姿だ。


「ガォ」


 足脛に頭を衝突させるバルミント。

 衝撃で膝カックンを後ろから喰らったような感覚を覚えるが、甘え上手だ。

 この辺は黒猫ロロの習性が身についてしまっているかもしれない。

 その可愛いバルミントを持ち上げて、つぶらな瞳を見る。

 瞳は白と緑が少々混ざっているけど、夜を感じさせる綺麗な黒瞳。


 可愛いぞ、このぅ。


 バルミントは口を拡げると、翼と同様に立派になりつつある牙を見せる。

 その口にある赤い長舌を伸ばしてきた。


 キュッと幼いヒヨコの時に鳴いていた小さい音を立て、俺の顔を舐めてくる。


「あはは、よしよし、バルミント~。大好きな気持ちはよーく分かった」

「ガォォン」


 バルミントは舌を引っ込めて、くりくりとした黒い瞳で見つめてくる。


「今度新しく加わった、というか、戻ってきたポポブムという魔獣だ。ポポは餌じゃないからな。同じ仲間だ」

「ガォガォォォォ――」


 ドラゴンらしい、牙をみせて声を出すバルミント。


 同時に親指のネイルアートの印が光った。

 命令と関係があるのか分からないが意思が通じる不思議な感覚はある。


「ちゃんと認識したんだな」


 前にも考えたけど、この子が将来が楽しみだ。


 空を飛ぶようになったら、巨大な神獣に変身した黒猫ロロと一緒に空の旅を……。

 あ、バルミントの母親、ロンバルアの故郷、カーズドロウが話していた未知の大陸へ旅をするのもいいかもしれない。地図はないからまったく分からないが、海を越えれば違う大陸に着くだろうし。

 そんな途方ない想像をしながら、


「……バルはいい子だ。ロロとポポブムの遊びに混ざってきていいぞ」


 持ち上げていたバルミントを石畳みの上に離してあげた。


「ガォッ」


 四枚翼をピクピクと動かしながら、ポポブムの上で指示を出している黒猫ロロのもとへ戻っていくバルミント。


 あのペンギンを彷彿とさせる二本の脚を使ったヨチヨチ歩きが可愛すぎる。尻尾も長くなってきた。

 しかし、この動物園の様子を見るに、本当に大金を出して中庭が広い家を買っておいてよかった。

 この広い屋敷の入口である大門と四方を囲う壁と繋がった寄宿舎と厩舎は高い。

 バルミントが姿を大きくしても、あまり外からは目立たないと思われる。


 さすがに壁を超えるロンバルアのような巨大竜へ成長を遂げたのなら……。

 住む場所を考えないと駄目だが、そうなったら、ここから引っ越すか。


 俺と一緒に放浪の旅へ出るか。

 サーディア荒野に住む竜の御婆に相談しようか。

 いずれにせよ竜の教育も含めて……バルミントのことを考えないといけない。


 教育のために可愛い子が巣立つのは寂しいが仕方のないことだ。


 が、今はまだここでいい。

 黒猫ロロとポポブムもバルミントと一緒に、この広々とした中庭を楽しそうに走っているからな。


 ヘルメの水を浴びて楽しく走り回っている動物園を眺めながら中庭を通る。

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