百七十四話 幕間ユイの二

 わたしは父が暮らすサーマリア王国に戻った。

 今日も、日盛りのむっとした暑さ。

 サーマリア王国の陽夏の午後は、毎年暑い。


 王都ハルフォニアは人族が多いから顕著だと、学者が前に語っていたけど、わたしには理解できない。


 でも、シュウヤから、もらった古代金貨を売るため各地の知り合いの店を回る。

 幸い情報屋は多い。

 このハルフォニアには大小様々な盗賊ギルドが暗躍している。

 内戦が激しいレフテン王国の盗賊ギルド【サイザーク】から離脱者も多かった。

 わたしは、その【サイザーク】から逃れてサーマリア王国で一旗揚げようと、がんばる情報屋を利用。


 古代金貨専門のアンティークショップを見つけて、シュウヤからもらった古代金貨を売ることができた。

 古代金貨の一枚は、白金貨一枚と金貨五枚!

 

 ふふ、やった。

 ゾルが持つお金を合わせたら大金。


 本当にありがとう、シュウヤ。

 そのお金を利用して……。

 数日かけて優秀な薬医師を見つけることができた。


 しかし、父の治療代で、すべてのお金が消える。

 けど、後悔はしない。

 

 優秀な鱗人カラムニアンの薬医師だったからだ。

 薬医師は、人魚の肉、聖鳥クンクルドの羽、ローデリア海にあるアムロスの孤島でしか取れないピグミンの巣とアムロス真珠を使って、精製された貴重な薬と語る。


 本当にそうなのだろう。

 父の酷かった呪い傷が徐々に引いている。


「……ユイ、この薬の量は……」

「うん、仕事を頑張った。だから心配いらないから、この薬を傷に直接掛けて、服用していれば、いずれ父さんは回復する。もうすぐ立てるようになるって」

「仕事か、わたしの後を継いだと聞いたが……」

「気にしないで、フローグマン家はまだ続いている」

「……あぁ、すまない。ユイ、ありがとうな」


 父さんは痩せこけた顔だ。

 虚ろな目でわたしを見て話すと、その目を瞑り眠りだした。



 ◇◇◇◇



 暫く日が経ち、父さんの体から呪い傷が完全に消えた。

 まだ、寝たきりの状態だけど、快方に向かう父さんに……。


 疑問に思ったことを、


「父さん、どうしてこんな傷を受けたの?」

「これはヒュアトス様の政敵との戦いで、身代わりになって受けた傷だ」

「なんですって?」

「聞いてなかったか」

「……うん。それじゃ、父さんは、ヒュアトス様を守ったのに、病気で苦しんでいる父さんには、ヒュアトスは、ろくな援助をしてくれなかったという事?」

「それは仕方がない。ある種の見せしめなのだ……わたしは駒に過ぎないのだから」


 父さんは悲愴なる思いで語っているのか、視線を少し落とす。


「でも……」

「――だが、お前を雇ったのだろう? それは助けたことになるのではないか?」

「あ、そうね……」

「うむ。お前の暗殺者としての腕は一流だ。さぞや色々と貢献していたのであろうな……ごほごほっ、ごほっ」


 急に咳き込んでしまう。


「大丈夫っ?」

「あぁ……少し眠る」


 父さんは寝てしまった。

 実は、父には何も言わなかったが、ヒュアトス様にはまだ報告を行っていない。

 もう既に、ここに戻って一ヶ月以上は経っている。


 わたしがここの屋敷に戻って活動していることは知っているはずだ。


 早く報告に行かないと。

 でも、報告するのは怖い。

 指令の依頼の失敗なんて、今まで一度もなかった。

 ごめんなさい。父さん。

 わたしのせいで……父さん、フローグマン家を潰しちゃうかもしれない。


 憂鬱な気分でヒュアトスの大屋敷へ向かう。

 ヒュアトス、様、とつけなきゃだめね、父さんのことで、つい……。

 今は、我慢。


 その思いは顔に出さないように……。

 

 事の顛末の報告を行う。


「……そうか、君が失敗するとはね」


 侯爵家特有のシダーウッドの香りが漂う政務室にて、頭を下げていた。


「申し訳ありません」

「それと、ここに来るのが随分と遅かったね、君が父上のことで色々と動いていたのは、耳に入ってはいたんだよ?」

「はい」

「わたしがどうして、そんな君たちの屋敷に手を出さなかったのか分かるかい?」

「父が優秀な武人であり暗殺者だったからですか?」


 わたしは思わず眉間に力を入れて、侯爵を見ていた。


「そうだ。君と父君はわたしに貢献した元部下だったからだ。だが、君は遅れてここにやってきた……【暗部の右手】としての指令は絶対だと知っていて、戻ってきたんだな?」


 ヒュアトス様は狐目を鋭くさせて、わたしを睨む。


「はい」

「即答か……君、ユイは、槍使いを追ってから、少し雰囲気が変わったか?」


 するどい、この男。

 初めて愛した男ができたことを見抜いてきた?


「……い、いえ、ただ、わたしの剣が通じぬ相手もいるんだと、身をもって味わいましたので」

「なるほど。サーマリアで君の暗殺から逃れられる相手は、そうはいないのは知っている。……やはり、君が追っていた槍使いは特別だったのだな」

「はい」

「卑見を申し述べますが、閣下、お許しになるのですか?」


 ヒュアトスの側で頭を下げながら進言しているのは、アゼカイという金魚のような大きさの色彩が濁った灰色眼を持つ、痩躯な男。

 群島国家出身で死骸魔師という特異な戦闘職を持つ【暗部の右手】の大幹部といえる存在だ。


「勿論、簡単に許すわけにはいかない」


 ヒュアトスは羊皮紙を投げてくる。

 その羊皮紙を拾い見ると、別の暗殺指令が書かれてあった。


「その指令をこなしたら特別に許そう。君はネビュロスの三傑のただ一人の生き残り。暗殺者としても、ボディーガードにもなる二刀の腕を失うのは惜しい」

「はっ、ありがとうございます」

「……それに、ネレイスカリの件は順調に事が進んだからな」


 わたしがいなくても仕事は遂行されていたようだ。

 確かに……アゼカイとレイクのいつものメンバーの他に、背後と前の右隅と左隅に、見知らぬ手練と思われる男と女が立っている。

 新しく組織に雇い入れた影の者たちだろう。

 わたしもネビュロスの三傑と云われているが、所詮は一つの駒に過ぎないのだから。


「……あの槍使いのことは路傍の石にぶつかったと思うことにする」


 ヒュアトス様は姫の誘拐が上手くいったせいか、機嫌がよい。

 レフテン王国の首脳とサーマリアとオセベリアの侯爵が関わっているとは、レフテン王国の国民は露にも思わないだろう。


「その方がいいでしょう。そんなことより、レフテンの貴族たちを手玉に取る工作は見事な策でございました」


 ヒュアトスを持ち上げているのはレイクという禿な頭を持つ大柄の男。


「レイク、君の配下も中々の働きをしていたな」

「えぇぇ、はい。レフテンの【機密局】が誇る【黄昏の騎士】たちには、わたしの配下の手練れの者たちも複数人殺されてしまいましたが……なんとか成功しました。これも、閣下の読みと采配が的中した結果でございます。さすがはサーマリアに知恵者あり。サーマリアに比肩するものなしと言われた侯爵様でございます」


 レイクは微笑を目尻の襞に畳みながら美辞麗句を並べる。


「ははは……まぁ、ロルジュ派、ラスニュ派、旧世代の遺物たちよりかは、時局を動かしている自信はある」

「はいッ」

「問題はそんな国内の有象無象の貴族より、国外の女狐、シャルドネのが厄介だ……」

「……オセべリア王国ですか、確か【塔烈中立都市セナアプア】での工作に闇ギルドを利用したのは、あの女侯爵の配下の者だったとか」

「そうだ。【ロゼンの戒】と【幽魔の門】からの確かな情報だからな」


 ……オセべリアの女侯爵か。

 ヒュアトスと渡り合うなら相当な女なのだろう。


「お? ユイ、まだ、いたのか? もう次の仕事へ向かいたまえ」


 侯爵は眦を決して睨んでくる。


「はっ、失礼します」


 標的が書かれてある羊皮紙を握り締め、わたしはすぐに部屋から退出。

 ヒュアトス様の大屋敷から大通りへ出る。


 指令にはある商人と護衛の冒険者たちの名前が書かれてあった。

 群島から来た行商の一行らしい。


 とにかく、父が全快するまではこの任務をこなさないと……。


 任務の地に向かうため、港にある吊り鐘に設置した盗賊ギルドへ連絡用魔道具のスイッチを押す。魔道具といっても、魔法の火を空へ灯すだけなのだけど。


 わたしは通りの軒下にあるテラスバーで休みながら、知り合いの盗賊ギルド員の使い魔からの連絡を待つ。


 ――きた。鴉の使い魔ウーガルン

 机の上に降り立った。


「何ダ、ユイ、モドッテ、イタノカ、イツモノ仲間、ゼエフ、アポーは、ドウシタ?」


 シュウヤが連れていた黒猫ロロちゃんは喋れなかったけど、このウーガルンは主人の言葉を伝えられるのだ。


 でも、あくまで伝えるだけで、この鴉には意識はない。


「二人は死んだわ、それより、ひさしぶりね、エビ、また仕事を頼まれてくれる?」


 そう話しながら、ターゲットの羊皮紙を使い魔の鴉ウーガルンへ見せる。


「……オマエガ居て、ニンムを失敗スルトハナ」

「いいから、昔のように見てくれると嬉しいのだけど」

「……ワカッタ。……コイツラハ、サイキン、ハバをキカセて、イル、ショウカイだナ。イバショは、ハールヒロバ、ニンギョウ通り、ノ、ムカイニアル、新シイ店ダ。ゴエイノ、ナは、タガエル兄弟。彼ラは、ライカンスロープ。テゴワイゾ」

「エビは、さすがに速いわね。手強くても大丈夫。一人でも、いつものように素早く処理するわ」

「……ソウ、デハッ――」


 使い魔の鴉ウーガルンは空へ羽ばたいていった。


 ライカンスロープ、魔族の一族か。

 変身が厄介だけど、一度でもこの<ベイカラの瞳>で見れば、楽に倒せるはず……。

 でも、今回は独り。気配察知が得意なゼエフはいないので、注意しないと。


 シュウヤのような相手じゃなければいいけど、でも、彼のような、槍、いや、魔槍使いが、そう何人もいるわけないしね、考えすぎ。


 よし、まずはタガエル兄弟を始末しよう。

 商会のツチカドはその後だ。


 わたしは走っていく。


 ――人形通りに到着、目当ての店はすぐにわかった。

 <隠身ハイド>はもう発動。


 店の周りをくまなくチェックする……。

 忍び込む路地、階段の有無、窓の有無、護衛の数、逃走ルート。


 タガエル兄弟はすぐに分かった。

 大柄な人姿で鋲つき革鎧スタデッドレザーを見付けているが、ライカンスロープ特有の手甲から異常な毛が生えている。

 額にも月のマークを確認できた。

 変身するので、豹人セバーカの変異体とよく間違えられるが、ライカンスロープは別個の存在だ。


 <ベイカラの瞳>でターゲットを確認。

 今日の深夜決行だ。


 ………………。


 ◇◇◇◇



 月の明かりが浩々と人形街を照らしている。


 わたしは魔闘術を全身に纏い標的の隣上にある赤茶色の屋根上へ駆け上がっていた。

 そこから軽く跳躍しながら溝に着地して、ツチカドの商会屋敷の上に到着。

 ライカンスロープの護衛二人は扉の両端に立ち、通りを見張っている。


 わたしは屋根の端から標的の護衛を真下に見た。


 ――殺る。


 アゼロス&ヴァサージの刃先を下へ向け一直線に降りる。

 護衛の一人、ライカンの背骨を折るように二剣は突き刺さり、仕留めた。


 だが、もう片方の護衛の反応は素早い。

 兄弟の片割れが殺されても、冷静に武器を抜いて距離を取っていた。


「お前は誰だ」

「……」


 念のため、もう一度<ベイカラの目>を発動させる。


「――その目っ、しって――」


 ライカンスロープの顔の半分を斬っていた。

 魔脚により間合いを詰めて、ヴァサージでの追突剣からの斬り下げを行った。


 戦いの最中に喋るとこうなる。


 変身すれば多少は時間を稼げたでしょうに、馬鹿なライカン。


 さ、後は、ツチカドをやれば終わり。

 父が完治するまではヒュアトス様の機嫌を損ねちゃだめだ。


 完治したら……シュウヤのことを追いたい。

 会いたい、会いたい……胸が切なく心が圧縮されたような気持ちになってしまう。


 そんなことを考えながら商会の横にある出入り口から侵入。

 まだ、あちこちに商品の箱が置かれてある。

 ちっ、使用人らしき女たちがまだ起きていた……。


 急ぎ、隠れてやり過ごす。


 廊下の先に他とは違う寝台部屋を発見した。

 ツチカドはそこだろう。


 部屋に入ると、四人寝台で寝ていた。

 ……子供が二人寝ている。

 奥さんと見られる人も。


 依頼には商会のツチカドだけ書かれていた。

 ツチカドの男だけで、家族は……殺さないでいいはずだ。


 わたし……躊躇してい、いる? 


 指令書にあった人相を確認。

 こいつだ。髭を生やした人族男の胸元へアゼロスを突き入れた。


「……パパ」

「!?」


 子供の一人が起きてしまった。

 わたしと目が合う。


「だあれ?」


 人相の男に似ている子だ。

 誤魔化さないと。


「……闇の歯妖精」

「歯のようせいさん、どうしてここにいるの?」

「……ちゃんと寝ているか見に来たのよ、お目めを瞑らないと、歯を抜いて、寝れなくなってしまうから」

「わかったぁ、目つむるー」


 子供は目を瞑る……。

 父が死んでいるのには気付いてはいない。


 目撃者は全員殺さないといけないルールだ。


 だが、今のわたしには無理だ。

 昔なら問答無用で、女、子供も殺していたのに。

 ……どうやら、もう昔のわたしではないらしい。

 シュウヤを愛して、人のぬくもりを知ってしまった。


 わたしはその場から急いで逃げ出した。

 逃走ルートは使わずに、素人が走って逃げるように……。


 気付いたら、泣いていた。


 わたし、わたし、……もう暗殺者は無理なのかもしれない。

 涙を拭いながらヒュアトスの屋敷に駆け込んでいた。

 大広間から執務室の扉を開いて中へ入る。


「……おかえり、任務はちゃんとやったのかな」

「はい、護衛のタガエル兄弟と、ツチカド商会の標的にあった商人を仕留めました」

「……ふうん。エリシャ、彼女はどうだった?」


 何? ヒュアトスはわたしの後ろへ視線を向ける。

 わたしも振り向く。


 影からゆらぁっと仮面をかぶった黒装束の女が現れた。


「はい、護衛のライカンを変身させずに、あっという間に始末していました。さすがはサーマリアで名うての暗殺者……ツチカド商会長も無難に仕留めました、が……その家族に姿を見られても、殺さずに放置していました、由々しきことかと、わたしがちゃんとフォローしましたが」


 何、あの子供たちを殺したというのっ! 

 わたしはエリシャという黒装束女を睨む。


「あらっ、何よ、その目、わたしがフォローしてあげたのに……」

「そうか……腕は鈍っている訳ではないと。ユイ、どうして見逃した?」


 ヒュアトスへ振り向く。


 彼は厳しく目を細めて見つめてくる。

 もっと用心すべきだった……彼が監視を緩める訳がないに。

 ……やはり、わたしは殺し屋失格だ。


 もう、正直に言ってしまうか。


「……殺したくなかったからです」


 わたしがそう言うと、ヒュアトスは狐目を大きくして驚いていた。


「君からそんな言葉が聞けるとは……」

「ヒュアトス様、どうしますか?」


 エリシャが殺気を帯びた言葉で聞いていた。


「家族を見逃したが、殺しの仕事はこなしたのだろう?」

「はい」


 彼女は頷き答えている。


「なら、今回は不問にしよう」

「……はっ」


 彼女は不満気に声を発して、わたしを見る。

 仮面で目はよく見えないが睨んでいるんだろう。

 ヒュアトスは許してくれるらしい。

 でも……安心はできない。


 彼の目は冷徹だ。弱みを握り、他に非があれば権力でわたしたちを苦しめてくるかもしれない。


 速く、父のところへ戻ろう。


「……それでは、失礼します」

「ああ、また指令を出すので後日来るように……」

「はっ」


 わたしはすぐに退出。

 ヒュアトスの屋敷を出て、家に帰還した。


「父さん、ただいま」

「おかえり、ユイ」


 父さんだ。立って出迎えてくれた。

 痩せこけているのは変わらないけど、父さんだ。


「――父さんっ」

「はは、こらこら……父さんの胸が折れてしまうぞ」

「あ、ごめんなさい」


 わたしはすぐに離れた。


「もう立ち上がれるんだね」

「あぁ、この通り筋肉が落ちているので、立つことが精一杯だがな」

「でもよかった、命が助かっただけでも」

「そうだな。それより大事なことを話す」


 父さんは悲しげな顔を浮かべていた。


「何? でも、病み上がりなのに、まだ休んでいていいのよ」

「いや、もう娘に負担はかけさせない。……昨日からずっと考えていたのだが、わたしはもう貴族としての名を捨てるつもりだ。そして、命を懸けて、ヒュアトス様に娘から手を引いてもらうよう話してみるつもりだ」

「えっ、そんなことだめよ。あいつが納得するはずがないわ……今日だって鋭い狐目で……」


 わたしが言葉を濁すと、父さんは昔には程遠いが厳しい顔色を浮かべる。


「何かされたのか!?」

「ううん、そうじゃないけど……暗殺の指令でミスをして、挽回の仕事を任されて、無事にこなしてきたけど、まだ信用を取り戻していないようで、厳しい顔つきだったの」

「……ユイ、今すぐに荷物を纏めなさい……」


 父さんは青白い顔色だが、更に、皮膚を青くさせたように沈鬱な表情を変化させながら、掠れた声で話していた。


「えっ、なんで?」

「どんなに優秀な人材だろうと、ミスをした人物をヒュアトス様が許すわけがない……」

「でも、今日の任務報告時にはヒュアトスは不問に処す。はっきりと喋っていたわ」

「それはお前を油断させるためだ、それにわたしが回復したと分かれば殺しに来るだろう」


 父さんを……どうしたらいいの……。

 シュウヤ……どうしよう。


「……そんな、でも、何処に逃げるの、ここはあいつの庭みたいなところよ、それに父さんだって、その身体じゃ動けないでしょう」

「……もう少し時が稼げると考えていた、わたしが馬鹿だった……わたしがここに残る、お前は裏にある馬車を使い、この王都から離れてフォーレンの入り江へ向かいなさい。船の残骸ばかりの入り江の奥にある雑木林には隠れ家があっただろう」

「やだ、何を言ってるのよ、せっかく、父さんを治したのにっ!」

「ユイ。いいんだ。血塗れたフローグマン家はもう御仕舞でいい。お前は暗殺者だが、母のサキに似て美貌の持ち主だ。お前を凌駕する男は中々いないだろうが、もし見つけたら……逃がしてはならんぞ」


 逼迫した状況を打開しようと、父さんは部屋を出ていこうとする。

 腕を突かんで、止める。

 身体が嘘みたいに軽い……少し足がふらついている。

 父さんはまだ無理をしている……。


「……勝手なことはさせない。昔、わたしを叱ってくれた人は、そんな弱気なことを言う人じゃなかったはず。フォーレンの入り江には一緒に向かう。いいわね?」

「だが……」

「ぐちぐち煩いっ、まだ残っている薬を持って一緒に馬車に乗るのよ」

「……ははは」


 突然に、父さんは目を見開いて笑う。


「何よっ」

「いや、そのぐちぐち煩いは、サキにそっくりだったからね……やはり親子なんだなと」

「当たり前でしょう、さぁ、準備するから手伝って」

「……しょうがない、娘の指示を仰ぐとするか」


 二つの背嚢の中に父さんの病用に買っておいた回復ポーションを沢山入れる。

 隠れ家にも食料はあるが念のために食料を馬車に詰め込み、父さんも乗ってもらった。

 馬の調子は良さそう。これならかなり走れる。


「――父さん、準備はいい?」


 わたしは馭者台に乗ってから背後へ顔を向ける。


「あぁ、家の周りにはまだ気配は感じない。月が雲に隠れたときに出発だ。タイミングは任せる」

「うん」


 そして、月が大きな雲に隠れた瞬間――馬車を動かした。


 一気に屋敷裏から飛び出して通りに出る。

 東の街道へ出て、東門を目指す。

 深夜すぎなので人通りは少ない、スムーズに東門を越えられた。


「父さん、無事に東門を通り抜けられたわっ」

「よし、背後にも追ってくる気配はない、このまま馬を潰す勢いで走り抜けろ」

「分かってるっ――」


 それから一昼夜、休憩を挟みながら東へ東へ海岸線を左手に見ながら馬車を動かしていく。


 暫くして、船の墓場と言われるフォーレンの入り江にある隠れ家に到着した。


 幸いにして、追手はないようだ。

 一日、二日、五日と雑木林の中にある隠れ家に近付く者はいない。


 父さんも薬を飲み、薬草を使った食事を取り、筋肉トレーニングを行い、除々に元気な身体に戻っていく。

 久しぶりに武器を握って素振りを行えるまでに回復していた。


 そして、わたしにはない、気配察知のスキルも鋭さを増しているので、索敵は父さんに任せた。


 わたしは近隣に湧くモンスター退治だ。

 船の墓場から時々、砂浜にやってくるモンスターがいる。


 今も砂浜で、モンスターと対峙していた。

 四つの赤黒い眼球を持つ、魚と人が合体したようなライウナーという怪物だ。


 五つの指に生えた鋭い長爪がメイン武器だ。

 伸縮自在の爪を器用に扱う……厄介な相手。


 五つの指の内の二つの爪剣を伸ばして、また飛び掛ってきた。


 ――だが、アゼロス&ヴァサージの<暗刃>から<二連暗曇>で、伸ばされた爪を斬って捨て、また爪が伸ばされる前に魔脚で砂浜を蹴り一気に回転<舞斬>でライウナーの胴体を一文字に切り伏せた。


 これで十体目。


 さすがにもう他のライウナーたちはこっちには来ない。

 浅瀬に背を向けて走って逃げていくのが見えた。

 彼らの住処である船の残骸へ引き上げていく。


 そんなモンスターを倒すことが日課になり、父とこの辺りの逃走経路を話し合い罠を仕掛けてたりして、樹木の切り株から心細げに伸びる孼の薄緑を感じながら七日ほど、平穏が続いた……明くる日。


 お昼の時間帯に、突如、訓練を行っていた父さんが青い顔を浮かべて小屋に入ってきた。


「追手が多数きている、ヒュアトス様に、ここの場所がバレたらしい……」

「えっ、つけられていた気配はなかったはずなのに」

「わたしの気配察知を超える<隠身ハイド>を身に付けている奴はごまんといるだろうからな、手練につけられていたのだろう」

「逃げないとっ外に――」


 わたしが外へ向かおうとした時、抜き身の刀剣を持つ黒装束の女が陶器の瓶を落とし罅割れた音を立てながら、部屋に侵入してきた。


 間に合わなかった……。


「いたいた、逃げた元暗殺者、その父であり、みせしめに生き永らえていた男」


 白い仮面を被る女。

 名はエリシャとヒュアトスに呼ばれていた。


「お前たちの好きにはさせないわっ」

「ふん、貴女、暗殺の腕はそこそこだけど、この人数差を感じられないのに、どうしてヒュアトス様のお気に入りだったの? ま、娼婦と同じく貧相な身体を捧げていたのでしょうけどね、これからは、わたしが実力でヒュアトス様のお気に入りになるから、貴女なんて、所詮は刀剣が使えるだけの、馬鹿女、という事っ――」


 卑語を口にした女は黒い光を滲ませた刀剣を風に揺れる葉のように扱い、キィィンッと、独特な音を立たせる突剣を、わたしの胸辺りに伸ばしてくる。


 急ぎ、ヴァサージの刀身で正面の突剣を受け流しながら、横移動。


「チッ、喰らいなさいよ」


 女は舌打ち、側面を取らせないように狭い小屋の背後へ移動。


「エリシャ、ヒュアトス様がおっしゃっていた言葉を忘れたか?」

「サイゾー……分かっているわ」


 後ろにいた仲間とそんな会話をしてからエリシャは仮面の下にある碧眼でわたしを一瞥してきたのが分かった……彼女は小屋の外に退いていく。


「父さん、完全に包囲されているみたい」

「あぁ、やるしかないな。……まだ完全ではないが、わたしとて、数々の戦場を渡りぬいてきた技がある。【暗部の右手】では“影鬼のカルード”と呼ばれた男だ。――ユイ、二人で血路を開くぞっ」


 父さんは力強く手に持った長剣を振る。

 あの頃とまではいかないが十分、剣筋は鋭い。

 稽古をしてもらった日々を思い出す。


「うん、こないだ確認した逃走ルートでいいよね?」

「あぁ、砂浜を通り、南のルジャ村経由で船旅だ」

「了解」


 裏手の隠し戸から、父さんと隠れ家を脱出。

 粉塵を飛散させながら雑木林に突入した。


 だが、木々の間から次々と黒装束を身に纏う奴らが現れる。


 逃げられない。


「くっ――」


 アゼロスの袈裟蹴りで一人を仕留め、


「あきらめんっ」


 反対側からわたしに斬りかかってきた奴には、父の<投擲>した投げナイフが眉間に刺さり倒れていた。

 その<投擲>を行った父を、逆の位置から突き刺そうと近寄る槍持ちへ、地を這う魔脚で間合いを詰めながら、シュウヤの槍突をイメージさせるヴァサージの突剣を伸ばす。


 槍持ちの心の臓を突き、絶命させた。


「いい動きだ」

「父さんこそ」


 最初は順調だったが、次々と囲うように集まってくる黒装束の奴ら。

 それに、あの女、エリシャが、まだ現れていないのも気なる。


「あららぁ、兵士たちが……逃げたとしても剣の腕はやはり一流か、だけど、剣筋は鈍ってきている、疲労は隠し切れないわよ」


 この声はエリシャ……来てしまったか。


「煩いっ! 口だけか? お前はかかってこないのか?」


 わたしはエリシャの言葉に怒った口調で返した。


「待ってなさい……その生意気な口から、懇願させるように、たっぷりと辱めさせてから殺してあげるから」

「エリシャ、戯言より、仕事だ」

「はいはいっ」


 エリシャと共に現れた仮面をかぶる集団。

 手練れか。


 仮面の男は槍使い……。

 シュウヤ……。会いたいよぉ……。


「ユイっ、ぼけっとするな」


 父の厳しい声と共に左右へ分かれる。


 父は全盛期のようにしなやかに動いて、エリシャの剣を躱しながら槍使いの鋭い突槍を往なしている。


「白眼の死神の最期は、俺が貰うっ!」


 わたしの方には仮面をかぶる二剣を持った奴が、そんなことを叫びながら斬りかかってきた。舞斬と同じようなスキルで回転斬りを行ってくる。


 ――アゼロス&ヴァサージを交互に前方へ伸ばして、連続回転斬りの刃を防ぐ。


 全ての剣撃を防ぎきった、わたしはすぐに同じスキル<舞斬>を発動。

 駒のように回転しながらのアゼロスとヴァサージによる双刀撃を二剣持ちの仮面をかぶる奴へ衝突させていく。

 彼はわたしと同じように連撃の刀刃を防いでいたが、持っている刀剣の差が出た。防いだ刀身が削られ刃が折れたところで、相手の喉を切り裂くことに成功。


 手練の一人を沈めたが、父さんは足に傷を負って、追撃を受けようとしていた。


「――父さんっ」


 わたしはすぐに父さんの側にかけより、エリシャの剣突をヴァサージで叩いて致命傷になりえる突きを防ぐ。


「チッ、またか」


 エリシャは剣突が防がれたのか気に食わないらしく、また舌打ちを行いながら、剣を構えなおしている。

 その僅かな間にも、仮面をかぶった幹部クラスが一人、二人と増えてきた。


 わたしと父さんは背中合わせになりながら、周りの敵と対峙。

 相手はじりじりと囲いの範囲を狭めてきた。


「ユイ、わたしは嬉しいぞ、こうして背中合わせて一緒に戦えるのだからな」


 父さんは切迫した状況の中、背中越しからわたしを安心させようとしている。


「父さん……」


 父さんと口でいうが、わたしは、シュウヤ……助けて……どこにいるのっ! と空しい想いをシュウヤへ向けて叫んでいた。


「それがヒュアトス様がおっしゃっていた……お前の能力……死神のような目。厄介な目だわね……動きが鋭くなったし」


 エリシャがわたしの<ベイカラの瞳>を見て、語る。

 その直後――微視的、いや、見知った忘れられない赤い縁取り線が、森の中に出現した。


 えっ!?

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