六章 氷姫/四凶

  1


 東城紗枝の家に現れた異質なふすまを通った鳶雄とラヴィニアは、『虚蝉機

関』の本拠地とされる建物のなかに招かれた。

 足を踏み入れたと同時に、ウツセミと化した大勢の同級生たちに囲まれた。

……その数を目で確認してみるが、少なく見積もって数十名。いままで鳶雄

たちが倒した数と、先ほど紗枝の家を取り囲んだであろう数から察するに、

おそらく、ここにいる残りのウツセミすべてを投入したであろう人数だと推

測できる。むろん、先日の佐々木のように倒したバケモノを再生できるので

あればその限りではないが……。

 よく見れば、背広を着た大人の姿も何名か視認できる。……目つきや、身

にまとう雰囲気から機関員だと見受けられた。印を結ぶような手の形をして

いたり、または札のようなものを持っていた。……こちらが動けば異能を放

つという警告のようなものであろう。

 殺気を向ける大勢のウツセミと機関員。

 この状況下で、姫島唐棣は隣に紗枝を置き、満面の嫌らしい笑みを浮かべ

てこう述べた。

「――『虚蝉機関』の本部、いや、隠しアジトへようこそ」

 これ以上にないほど、激情に駆られそうな招待だった。

 鳶雄とラヴィニアは、両手にいびつな形の手錠をはめられていた。手錠という

よりは、穴の開いた鉄塊に等しい。その手錠には呪術めいた紋様が記されて

いる。……そのせいなのか、手錠をはめられてからというもの、体中を悪寒

が走って仕方なかった。同時に、先ほどまで感じられていた刃の鼓動――伝

心が弱まっているように思える。

 ……とうの刃は、鳶雄たちの後方でおりに入れられていた。その檻は荷台の

上に載せられて機関員の男性が押している。檻にも手錠同様の紋様が描かれ

ていた。鳶雄が現状相手に従っているためか、刃は抵抗もせず、檻の中で静

かに座っているだけだ。ただ、その真紅の双眸そうぼうは危険なほどに敵意むき出し

の輝きを見せていた。鳶雄が一声かければいままさに食ってかかるとばかり

の様相である。

 認証の必要なゲートを幾重にもくぐり、二人と一匹が連れて行かれた先は

――大規模に広がる空間だった。

 無数とも思えるほどの培養槽が並ぶ異様な光景――。培養槽は横に置かれ

たカプセルとつながっているようだった。この空間の至るところで培養槽とカ

プセルのセットが見受けられる。

 培養槽の間に設けられた道を進みながら姫島唐棣が言う。

「よく見たまえ」

 そう促されて、鳶雄は培養槽に視線を注ぐ。すると、緑の液体のなかに

――人間が入っていることに気がついた。それはどの槽も同じであり、中年

の男女、または若者が入れられて並んでいたのだ。

「これは……っ!」

 言葉もない鳶雄に姫島唐棣が付け加える。

「そこにいるのは、ウツセミと化している少年少女の肉親だ」

「――ッ!」

 衝撃の事実に鳶雄は絶句する。引っ越しという名目で姿を消した同級生の

両親たちとその兄弟だろうか。まさか、ここに連れられてこのようなものに

入れられていたとは……。

 姫島唐棣が鳶雄に言った。

「試験体――陵空高校の生徒たちの肉親を転居させていたのはキミたちも

知っていることだろう? すべてがここに存在する」

 ……やはり、同級生たちのすべての肉親がここにいる。となると、紗枝の

両親もここに――。視線を配らせている鳶雄に姫島唐棣が説明を続ける。

「どうにも、まだウツセミは試験運用中のためか、人工的なセイクリッド・

ギアを発現させると試験体の身体と精神に変調をきたすことがあるのだよ。

それを補うために、遺伝子的に近しい存在――肉親が必要となったのだ。ウ

ツセミを使うことで消耗するものを両親、あるいは兄弟の身体から回収して

補っている。定期的にこのカプセルで試験体を休ませねば能力を維持できな

い。……いまだ不完全な技術ということなのだろう」

 同級生たちが独立具現型の人工セイクリッド・ギア――あのバケモノを操

るのには、デメリットが生じるということか。それを補うために肉親が集め

られた……。

 これだけ大掛かりの研究を秘密裏に行うのも、すべては『四凶計画』――

夏梅や鮫島の能力を奪い、それを用いて宗家の者たちを見返すため……。

 ……『虚蝉機関』の者たちの思惑はそうなのだろう。しかし、彼らに協力

しているという、『総督』の組織の裏切り者とラヴィニアが追っている者の

真の目的は他にあるんじゃないか?――と鳶雄は思慮する。紗枝の家で見た

あの黒い巨大な獅子は、明らかにウツセミと似ているようで、別個の存在

だった。

 つまり、ここで行われている実験とは、三者三様、それぞれの思惑が交錯

している結果なのだろう。……『四凶計画』をはじめとしたおそろしい研究

がここで行われている。『総督』とラヴィニアはそれを防ぎたかったのだ。

現にラヴィニアは忌々いまいましそうにこの空間を見渡していた。ここのすべてが不

快に映るのだろう。

 鳶雄とラヴィニアはそのまま奥に促されて、エレベーターに乗った。降り

ていくエレベーター。ぐんぐんと降下していき、「いったいどこまで降りる

んだ?」と鳶雄が不安に駆られた頃にエレベーターは止まった。

 降りた先を機関員と共に進むと、ぶ厚そうな両開きの扉が待っていた。そ

れが重々しい音を立てながら開かれていく。

 中は――広大な何もない一室だった。部屋――空間と言ってもいいほどに

広い。照明以外何もなく、白い壁と床がただ広がるだけだ。

 機関員たちは、鳶雄とラヴィニアを真ん中に位置させて、その傍らに刃の

入った檻も置いた。

 他の機関員を壁ぎわに待機させて、姫島唐棣が、二人と一匹と対峙たいじする格

好で言った。

「ここは地下百メートルにある空間だ。核シェルターに転用できるほどに頑

丈でね。ちょっとやそっとの衝撃で崩落することはない」

 彼は、懐から平たいリモコンのようなものを取り出すと、ボタンをひとつ

押す。すると、刃の檻が解放される。中から黒い子犬が飛び出した。刃は解

放された瞬間に静観を止め、低いうなり声をあげて、姫島唐棣を威嚇した。

 彼は口元を笑ましながら続ける。

「つまり、ここで多少のいざこざがあろうとも、別段上の研究施設に影響は

ないということだ」

 姫島唐棣は、袖から鉄の棒を出現させる。それを横に振ると、収納されて

いた分が伸びて錫杖しやくじようの格好となった。

「さて、幾瀬鳶雄。少しばかり、ここで戯れようではないか」

 錫杖の先を鳶雄に向けながら姫島唐棣が言う。

「――私にその『狗』をけしかけてみなさい」

 同時に鳶雄の手にされていた手錠が外れて床に落ちていく。途端に鳶雄の

身体に広がり、みなぎる力――。鳶雄の異能と刃の力が解放されて、意識が同調

するのがわかる。

 いちおう、確認のために鳶雄は、この部屋を一望した。……物陰らしきも

のはなく、『影からの刃』を発生させるには、条件の悪い場所だ。いざとな

れば、相手の足下にある影から出現させればいいが……それは読まれる手で

あろう。しかし、それ以外に必殺となる攻撃手段はいまだできていないのも

現状だ。

 ラヴィニアが歩み寄り、ぼそりと言う。

「……いざとなったら、どうにかして加勢するのです。けれど、相手の気配

から察するにトビーの実力を探りたいのだと思うのです。私がここでトビー

に手を貸すと――」

 そう言いながら、ラヴィニアは紗枝に視線を配る。

「……本気で彼女までけしかけてきそうなので、いまは見守らせてもらうの

です」

 どうやって、手錠を取るのだろうかと疑問に駆られるが、魔法使いならば、

いざというときに己を縛る呪法に関しての解呪法も心得ているのかもしれな

いと勝手に解釈した。それよりも、紗枝の心配をしてくれたのがうれしかっ

た。

 ラヴィニアの言うように、ここで大暴れすれば奴らは紗枝を戦闘に駆り出

すだろう。相手のやり方に不可解な点がある以上、無闇やたらの攻勢は想定

外のものを引き起こしそうで実に怖い。

 いまだ手枷てかせの取れないラヴィニアを後方に下がらせた鳶雄は、相棒に呼び

かける。

「……刃」

 名を呼んだと同時に子犬の額から、片刃――日本刀そっくりの突起物が生

えた。三日間の特訓で、鳶雄は刃の体から出現する突起物を『ブレード』と

呼称している。

 そのブレードを頭部より生やした刃に向かって、鳶雄は高らかに命じた。

「いけっ!」

 かけ声と共に刃が高速の弾丸と化して真っ直ぐに姫島唐棣へ向かった。相

手は、手に持つ錫杖を青白く発光させて、刃の攻撃を弾いていた。彼の持つ

錫杖が刃のブレードにより斬られることも、折られることもなく、押し返せ

るという点でも異能によって強度を増していることがわかる。

 小柄な体を駆使した高速戦闘をこなす刃だが、相手もただの使い手ではな

い。刃の動きについていき、頭部ブレードからの一撃も、背中ブレードから

の追撃も、尾のブレードからの死角を突いた攻撃も、すべて錫杖でいなして

しまっていた。

 ……やはり、通常の攻撃は、歯牙にも掛けないようだ。ならば――。

「――ハーケンッ!」

 鳶雄の命令を聞いた刃の赤い双眸が怪しく輝いた。刹那、姫島唐棣の足下

の影より、歪な形の巨大なブレードが出現する。――『影からの刃』だ。こ

の三日間の特訓で、回数制限と出現箇所の限定はあるものの、ある程度まで

自在に放てるようになっていた。

 名前もとりあえずはつけている。――夜陰鈎ナイト・ハーケンだ。

 この名称は、特訓を傍で見ていたヴァーリが、

「せっかくの技だ。名前ぐらいつけてもいいんじゃないか? そうだな……

影から生える刃、かぎのように歪な形……」

 しばし、考え込みながら言ってきたのが――。

「――闇夜の鈎、ナイト・ハーケンというのはどうだろうか?」

 その名前だった。気恥ずかしい面はあったが、せっかくあの気難しそうな

少年が自ら提案してきてくれたこともあり、採用することとなった。もとも

と、刃に指示を飛ばすときに言葉に出すこともあるため、名称のようなもの

は必要だったのだ。

 その夜陰鈎が姫島唐棣の足下より襲いかかるが、まるで想定していたかの

ように空中高く跳び上がり、すんでで伸びてくるブレードをかわした。躱し様、

錫杖にて影から生えるブレードを横殴りに砕いていく!

 ……あの錫杖に宿る力は、夜陰鈎すらも容易に砕くのか。この情報は、鳶

雄、刃のコンビにとって、痛烈なものとなる。つまり、この男の体に確実に

ブレードを突き立てねば、仕留めきれないということだ。

 ……だが、鳶雄はまだ人を殺すという覚悟を完全に持ち得ていない。ウツ

セミのバケモノはほふれた。けれど、異能を持っているとはいえ、人そのもの

あやめる気構えは出来上がっていないのだ。

 それでも鳶雄は刃に命ずる。こんなバカげた出来事を早く終わらせるため。

紗枝を救うために――。

「刃! もっとだ!」

 再び姫島唐棣の足下よりブレードは生まれるが、それも後方に跳び退き様

に放たれた錫杖の一撃にて、容易たやすく砕かれる。諦めずに何度も何度も夜陰鈎

を放つが、そのどれもが躱され、直撃せずに壊されていく。

 ふいに姫島唐棣が、片手で印を結び、錫杖が一層輝いた。

「ハッ!」

 そのまま、かけ声と共に彼は錫杖を横薙よこなぎに振るう。すると、錫杖から青

白い光弾が鳶雄のほうに一直線に飛んでくる。直撃するという瞬間に、鳶雄

の足下の影からもブレードが生えて、盾になる格好で光弾を受けた。これは

三日間の特訓で得た防御方法でもある。敵がセイクリッド・ギアの刃ではな

く、主である鳶雄を直接攻撃してきた場合の打開策――防御手段として、鳶

雄の足下の影から幅の広いブレードを盾代わりに突きだす。

 ――が、鋭い破砕音と共に盾となった夜陰鈎は光弾によって砕かれてしま

う。光弾の勢いは、ブレードを砕くだけに留まらず、衝撃の余波が鳶雄の体

を吹っ飛ばしていく。

「がはっ!」

 打撃にも等しい力が全身を襲い、鳶雄は後方の床に叩きつけられた。光弾

による衝撃の余波と、床に打ち付けられたダメージ――激痛が体中に広がっ

ていく。

 息が詰まるほどの痛みにもがきたくなるが……いたずらに床を転げ回って

いたら、次の一手を打つ前に追撃を受けてしまう。鳶雄は途切れかける意識

を懸命につなぎ留めて、立ち上がろうとした。

 ……打ち付けられた痛みで、全身が言うことを聞かない。ふるふると手の

先、足の先まで震えは止まらず、しかし、それでも視線だけは相手から外す

まいと姫島唐棣に向ける。相手は――めつけるこちらの双眸を捉えるなり、

ふっと笑った。

「……やはり、そうか。その『狗』は、まだ人の血を吸っていないのだな?」

 彼は、錫杖の先を刃に向けながら続ける。

「幾瀬鳶雄、キミの――その『狗』の攻撃は鋭く、的確のようでいて覚悟を

感じないものだった。つまり、御しやすい攻撃だったのだよ」

 鳶雄の心情を看破するがごとく、姫島唐棣はこう述べる。

「……主であるキミはまだ人を殺めることに躊躇ちゆうちよを抱いているようだな? 

その心構えがセイクリッド・ギアたる黒い『狗』にも伝心して攻撃を鈍らせ

ていたのだろう」

 …………。

 こちらの行動を把握されていたようだ。そう、彼が言うように、鳶雄は

――人間相手に必殺となる攻撃を躊躇ためらった。それは、心身が繋がっていく感

覚を日に日に増す刃に伝わらないわけがなかったのだ。

 現状、姫島唐棣のほうが鳶雄よりも遙かに上手の異能力者だろう。けれど、

刃が彼を仕留める気でブレードを放っていたとしたら……ここまで容易に御

されることもなかった。少なくともあの錫杖の一本ぐらいは、真っ二つに斬

れていたはずなのだ。

 日に日に力を増すごとに、鳶雄は心のどこかで安堵あんどしながらも、不安視し

ていた。もし、刃の攻撃が制御できず、相手を――人間を死に至らしめるこ

とになったら……。ウツセミのバケモノが相手ならいい、あの土人形が相手

でもいい、でも――。それを操る人間まで、人の形をした存在まで、自分は、

刃は、斬れるのか? 斬っていいのか?

 ――自分は、紗枝や同級生を救いたいだけだ。

 戦うだけの決心はついた。バケモノならいくらでも相手にできるだろう。

仲間もいる。刃もぐんぐん力を付ける。しかし、相手が人間なら……。

 自分が人殺しになるということよりも先に、鳶雄が行き着いた想いは――。

『刃を人殺しにしていいのか?』

 その一点だった――。

 この土壇場に来てもなお、幾瀬鳶雄は――優しすぎたのだ。

 鳶雄は唇を噛み、無念の涙を流していた。……ここまで来て、敵のアジト

まで侵入して、目の前に紗枝もいるというのに……最後の『それ』に覚悟が

持てなかったのだ。

 横で鳶雄の真意に気づいていたラヴィニアが顔を伏す。

 憐憫れんびん眼差まなさしで姫島唐棣が鳶雄に言う。

「……まずは、人の血を吸わせることから始めねば、禍々まがまがしい刃にはならな

いということか」

 そう口から漏らしながら、姫島唐棣が鳶雄に近寄ろうとした。――そのと

きだった。

 重々しい音を立てながら、この空間の扉が再び開け放たれる。

 通されたのは、紫色のローブを着た初老の外国人女性だった。六十代後半

を思わせる顔つきではあるが、眼光は鋭く、立つ姿勢も若々しい。老女の格

好は――まるでファンタジーの物語に出てくる魔法使いのようだった。

 その後方にはお付きと思われるゴシック調の服装をした外国人の少女がつ

いていた。こちらは初老の女性とは違い、にやにやとした表情と仕草から軽

そうな雰囲気である。ただ、こちらも服の色が紫だった。

 初老の女性が言う。

「機関長殿、もう戯れはその辺でいいのではないかい?」

 姫島唐棣は錫杖を下げ、息を吐きながら言う。

「これは魔女殿。ここに来られるとは」

 老女は、淀みない足取りで鳶雄のほうに歩を進める。

「こちらとしても見たいのでね。――『狗』とやらを」

 ――と、視線を刃に向けて、興味深そうにしていた。

 …………ッッ!

 ……鳶雄は、突然横合いから生じたプレッシャーをすぐに察知した。当然

だ。自分と姫島唐棣の戦いを静観していたラヴィニアが――かつてないほど

の敵意を『魔女』と呼ばれた老女に向けているのだから。

 ……そうか、『魔女』。それに老女の格好……。おそらく、その女性こそ

がラヴィニアの追っている者なのだ。

 ラヴィニアの刺すような目つきに気づいた老女は、彼女を捉えるなり口元

を笑ます。

「――おや、まさか、『灰色の魔術師グラウ・ツアオベラー』からの刺客がこの子とはね」

 老女はラヴィニアの眼前にまで迫り、目を細め、愉快そうな顔つきで言う。

「久しいね、『氷姫こおりひめ』のラヴィニア」

 ラヴィニアは忌々しそうに口を開く。

「……『紫炎しえん』のアウグスタ、あなたが協力者だったのですね? なるほど、

そちらの『大魔法使い』ならばあなたを送って当然なのかもしれないので

す」

「それはこっちの台詞せりふでもあるねぇ。メフィストも粋なことをするものだよ。

  『炎』を追うのに『氷』を寄越よこすなどと……」

 両者はそのままにらみ合う。二人の間を言い知れない空気が漂い、体を覆う

ようにうっすらと淡い光が発せられていた。ラヴィニアが水色の光を、老女

は紫色の光を体にまとっている。

 この場にいる機関員――姫島唐棣すらも彼女たちの対峙に眉をひそめるば

かり。

 しかし、この空気を崩す者がいた。その場でくるくると回りながら、老女

とラヴィニアの間に入り込むゴシック調の服を着た少女。老女の連れ合いだ。

その少女は、ラヴィニアと老女を交互に面白そうに見比べながら、老女に問

う。

「お師さま、お師さま、この子は誰なのかしらん? かわいくてきゅんきゅ

んしてきちゃいますけど♪」

 女性は、少女の言動にあきれた様子で息を吐く。

「……まったく、空気を読まない子だね。この娘は、例のフェレス会長の秘

蔵っ子だよ」

 それを聞き、うれしそうに両手をポンと合わせる少女。

「わーお♪ それはビックリねん。こんな美少女さんだったなんて♪」

 老女が少女に視線を配らせながら告げてくる。

「この子は私の弟子さ。名前はヴァルブルガ」

「よろしくねん♪」

 ヴァルブルガと紹介された少女は、ラヴィニアだけじゃなく、こちらにま

で無邪気に手を振ってきた。

 この場にいる誰しも反応に困るなか、ラヴィニアだけは顔を伏せて、迫力

ある声音でこう述べる。

「……あなたたちを確認できれば、もう十分なのです」

 徐々に、徐々に、この空間に冷気が漂い始める。それはちょっとした寒気

の段階から始まり、少しずつ確実に室内の温度が低下していく。白い息さえ

口から出るようになった。気温を下げる発生源にここにいる全員が注視して

いた。

 そう、ラヴィニアの体から、底冷えするほどの冷気が発せられていた――。

 ふいにデパートでの一件が鳶雄の記憶から思い起こされる。夏梅とラヴィ

ニアは、通信先で確かに話していた。

 ――いざとなったら、「凍らせる」のです。

 ――そ、それは最後になさい! こっちも凍っちゃうかもしれないで

しょ! この! 無差別氷姫デイマイズ・ガール

 ……それは、これのことを言っていたのか?

 冷気を放つラヴィニアを嬉々ききとして見ている老女――アウグスタは姫島唐

棣にく。

「……機関長殿、ひとつお伺いしたいのだけれど……あの子を縛る術はいく

つ施したんだい?」

「……五大宗家それぞれに伝わる呪縛式をかけていたのだが……」

 そこまで言いかけて、姫島唐棣は得心してうなった。

「……そうか、足りぬか」

「ああ、足りないね。その十倍はないと、この娘は縛れないよ」

 乾いた金属音が、広いこの空間に響き渡る――。ラヴィニアの手にかけら

れていた手錠にヒビが入ったのだ。亀裂はさらに走り、広がって――。

「――その通りなのです」

 四散して床に散らばった。ラヴィニアの碧眼へきがんは――暗く、深海のような色

をしていた。

 自由となった手首をさすりながら、ラヴィニアは白い息を吐く。そして、

その小さな唇から、この世のものとは思えないほどに呪詛じゆそめいたものを漏ら

した。

《――悠久の眠りより、覚めよ。そして、永遠なる眠りを愚者へ――》

 冷気が――集う。ラヴィニアの横に、凍えるような空気が渦を巻いて集

まっていく。それは、氷となり、さらには何かを形作っていった。氷が手と

なり、足となり、胴体を作り上げて、頭部を載せた。

「――これが私のお人形なのです」

 ラヴィニアの横に生まれたのは、氷で作られた姫君だった――。

 三メートルほどはある、ドレスを着たかのような女性のフォルム。しかし、

その面貌は人のそれではない。口も鼻もなく、左半分に六つの目が並び、右

半分にはイバラのようなものが生えて突き出ていた。腕の数も四本あり、ど

れも細い。しかし、手は腕の細さに反比例して大きかった。

 これは……セイクリッド・ギア、なのか? 鳶雄には判断できないが、少

なくとも魔法というよりは、ラヴィニアの意思が具現化したかのように思え

たのだ。

 その異様な姿の氷の姫君を見て、老女アウグスタは感嘆の息を漏らした。

「……十三のひとつ、『永遠の氷姫アブソリユート・デイマイズ』。まさか、このような少女が神をも滅

ぼすという具現を有するとは……」

 アウグスタの目線が鳶雄を映していた。

「……かれ合ったとでもいうのかね?」

「かもしれないのです」

 ラヴィニアの言葉にアウグスタはくぐもった笑いを発した。

「おもしろいねぇ。実におもしろいねぇ。アザゼルとメフィストもすでに手

に入れていたとは!」

 哄笑こうしようを上げる老女の背後で突然紫色の炎の柱が巻き起こる! 火力と熱量

はどんどん上がっていき、部屋を包み込んでいた冷気に匹敵するほどのもの

になろうとしていた。

《――こうつけられし者をくくりつけるは十字の呪具よ。紫炎の祭主にて、にえ

とがめよ》

 老女もまたラヴィニアと同じく力ある呪詛を口にする。

 紫色の炎もラヴィニアの氷の現象同様に形を変えていく。巨大な十字架を

一度形作ったあとに、新たに炎の巨人が老女の横合いに生じた。その炎の巨

人は同じく炎で作られた十字架を豪快に片手で担ぎ出した。見事な体躯たいくであ

り、大きさも四メートルに達しているだろう。

 ラヴィニア、アウグスタ、お互いに分身とも言える物体を横に置いて対峙

する格好となった。

 ……氷のプリンセス、十字架を担ぐ炎の巨人、どちらも独立具現型なの

か? それにしては、いままで襲ってきたウツセミや、自分たちのセイク

リッド・ギアとはまた毛色が違う。紗枝の使役していた黒い獅子とも異なる

だろう。どっちも生物的なものではなく、膨大なエネルギー、エナジーのよ

うなものが人の形を成したように思えた。

 鳶雄は、氷と炎の人型を前に固唾かたずを呑んで見守るしかなかった。

 アウグスタが不敵な笑みを見せる。

「私の紫炎で作られた巨人とそちらの氷姫、溶けるか、それとも凍り付くか、

ひとつ勝負といこうじゃないか」

 老女が姫島唐棣に告げた。

「機関長殿、ここは離れたほうがいいと思うがね? どうやら、この娘の目

的は私のようだ。こちら側の都合でそちら側を巻き込むのは忍びない」

 アウグスタが人差し指を上に向ける。

「――上のものをすみやかに、処置してくれないかね?」

 その一言を聞き、姫島唐棣は機関員に目線を配らせた。彼らは意をんで

足早に扉を開いて、この空間から脱していく。

 姫島唐棣も紗枝を伴い、老女に一言を告げた。

「……程々に頼む」

 そう言うなり、ここをあとにした。

 ――紗枝を連れて行かれた!

 鳶雄は、体のダメージを残したまま、震える膝のもと、どうにか立ち上が

る。刃と合流して、あらためてラヴィニアとアウグスタのほうを注視した。

 ラヴィニアとアウグスタは、それぞれ氷の姫君と炎の巨人を伴いながら、

宙に光の軌跡で描かれた魔方陣を幾重にも展開して、そこから超常的な火の

玉や横に走る雷を放っていた! これが『魔法』というものなのだろう。

 三日間の特訓で鳶雄が、魔法についてラヴィニアから聞かされたのは、魔

法とは古代の偉大なる術師が、『神』の起こす奇跡、『悪魔』の魔力、また

は超常現象を独自の理論、方程式でできうる限り再現させたものであるとい

うこと。すべての現象に一定の法則があり、それを計測し、計算し、導き出

して顕現させるのが『魔法』なのだと。あの魔方陣は、その異能を放つため

の計算の答えのようなもの。彼女たちは超常現象を独自の式にして再現して

いるのだ。

 火、風、水、氷、雷……あらゆる現象が両者の魔方陣から放たれていくな

かで、ひとり、楽しげに見ている少女――ヴァルブルガ。

「わーお♪ お師さまったら、ノリノリねん! じゃあ、私はここで見学で

もしていようかしら」

 彼女は魔方陣からほうきを取り出すと、宙に低い位置で漂わせて、そこに腰を

預けていた。

 氷の姫君が、手を横薙ぎにすると、床から次々と鋭い氷の柱が出現してい

く。炎の巨人は、十字架を横殴りに豪快に振るい、その氷の柱をすべて薙ぎ

払ってしまった。

 魔法使い同士が、魔法合戦をしている横で、氷の姫君と炎の巨人も苛烈かれつ

戦いを演じていたのだ。

 二人の魔法使いが行う超常現象はすでに鳶雄の想像を超えており、どう攻

めていいのか、考えあぐねるほどだった。正直言って、うかつに飛び込めば

氷像にされるか、消し炭にされるかしかないだろう。

 そんな鳶雄にラヴィニアが言う。

「トビー、ここは私に任せてあの子を救いに行くのです。私は元々、魔女た

ちを発見して撃滅するのが任務なのです。ここで見つけた以上は、本来のお

仕事に戻るのです」

「で、でも!」

 ラヴィニアがニッコリと微笑んだ。

「私は、人に手を出せないトビーの甘い考えに好意を感じるのです。けれど、

いつか必ず大切な誰かを守るために、他の誰かを傷つけねばならない場面に

直面するのです。……彼女を救うということは、きっとそういうことなので

すよ?」

 ラヴィニアが扉に指をさす。

「さあ、行ってほしいのです」

 この場に残ってラヴィニアの援護……というのは一番有効ではないのだろ

う。あの『魔女』アウグスタが使う魔法も、その傍らにいる炎の巨人も、あ

まりに強大であり、現実を遙かに超えた代物だ。いまの鳶雄と刃では到底相

手にできない。あの老女をまともに相手にできそうなのは、ラヴィニアぐら

いのものなのだろう。だとしたら――。

 鳶雄は苦渋の決断を下す。刃と共に扉のほうへ駆けだした。

「……ゴメン、ラヴィニアさん!」

 心からの謝罪を口にしながら、鳶雄は姫島唐棣と紗枝を追うことに決めた

のだ。それが、自分がいま一番にできること。それが、自分がここに来た最

大の理由――。

 ラヴィニアはニコリと笑んで、戦闘を再開させた。アウグスタもヴァルブ

ルガという少女も鳶雄を追うことはしなかった。ラヴィニアのほうに夢中と

なっていたのが幸いだったのかもしれない。

 目指すは――この施設の上階。

 ――ここで、絶対に紗枝を救う!

 確固たる意志を持って鳶雄は刃と共に駆けた。

   


 東城紗枝の家から脱出をした夏梅と鮫島は、追ってきたウツセミを数体倒

して、住宅街を抜けた先にある廃業した工場跡地に身を寄せていた。

 工場内の物陰に身を潜めた夏梅は、いちおうの確認として鳶雄に電話をか

ける。しかし、耳に入ってきたのは「電波の届かないところに~」という

メッセージのみだ。耳に入れていた通信用の魔法もいつの間にか消失してい

た。ラヴィニアとの距離が相当離れたか、それとも――。

 おそらく、二人は敵に転移の術か何かでどこかへ連れて行かれたのではな

いだろうかと夏梅は推測する。まだ力を高めている途中である鳶雄はともか

く、ラヴィニアは周囲の事情を考慮せずに能力を解放した場合、あの場に群

がっていた大勢のウツセミを含め、敵の幹部がいようとも大打撃を与えるだ

ろう。夏梅と鮫島がラヴィニアと出会ってすぐに彼女から見せてもらった力

――『氷姫』は、圧巻というほかなかった。

 ただし、その力はあまりに突出しすぎており、屋内は当然のこと、街中で

も容易に使うことはできない。ほぼ確実に多くの他者を巻き込むであろうか

らだ。

 とはいえ、東城紗枝の家でその力を発揮したか否かというと……使用して

はいないだろう。隣に鳶雄がいたからだ。間違いなくあそこで力を使えば、

敵だけじゃなく、鳶雄と東城紗枝を巻き込んでいただろう。

 二人と連絡が取れない夏梅は、その場で首を横に振った。それを見て鮫島

も悔しそうに地面に拳を打ち付ける。

「……罠があろうと、んなもん突破ぐらいできると高をくくったら、このザ

マか。自分の認識の甘さにヘドが出るぜ」

 鮫島は、力を向上させていた自負とあのデパートを突破した実績から、今

回の東城紗枝の家に行くことに自信を抱いたはずだ。それを、メンバー分断

という形で容易く敵に足をすくわれた――。

 だが、それは夏梅も同様だった。鳶雄、鮫島の成長と、ラヴィニア、

ヴァーリという仲間の存在が、確固たる自信を与えてくれていた。今回の探

索も、敵の襲来はあろうとも収穫を得た上で突破できると思っていたのだ。

 それを――砕かれた。

 ……ただ、鮫島が自省できる人間であったことがこの状況において喜ばし

いことだ。粗暴そうな容姿に反して、その実、鮫島は己の省察ができていた。

年下のヴァーリにやられたあとも何事もなく接することができる。それをかんが

みても鮫島は同年代の不良少年と比べて度量が広い。

「……どちらにしても、もう一度、あの家に行くか、一旦マンションに戻る

か決めないといけないわね……」

 夏梅が次の手を思慮しているときだった。

 工場の外から物音が聞こえてきた。二人は神経を研ぎ澄まし、できるだけ

気配を殺すことに費やした。

 しばし、静観していると――工場の入り口から小さな人影がひとつ現れる。

それは、九、十歳ぐらいのお下げをした少女だった。見覚えのない夏梅は

げんにうかがう。この工場に……こんな昼間に少女?

 怪しい雰囲気が漂うなかで、鮫島だけは驚いたような表情をしていた。鮫

島が立ち上がり、のろのろとその少女のもとに歩み寄っていく。

「……そんな」

 少女の眼前に立った鮫島が警戒を解いて、問う。

「おまえ、どうしてここに?」

 知り合いなのか? 夏梅も仕方なしに姿を現して、あらためて鮫島に訊い

た。

「……誰?」

「ノブの――前田の妹だ」

 前田信繁――鮫島の親友だ。彼が救いたいと願っている大事な友人。その

妹が……そこに立つ少女だというのか?

「けど、どうしておまえが――」

 そう、訊く鮫島だったが――胸元に刃を突き立てられた! 鈍い音を立て

て、刃は背中にまで達する! …………少女の手が、歪な刃となったからだ。

まるで、ウツセミが持つ触手のような――。

「…………ッッ!」

 胸を貫かれた鮫島の口から、ごぼっと大量の血が吐き出された。すべ

なく、彼は地面に突っ伏した。

「鮫島くんッ!」

 駆け寄る夏梅は、鮫島の患部を見やるが――傷は心臓を完全に捉えている。

致命傷としか言えない状況だった。

 さらに工場のなかに姿を現す者が――。一人の少年だった。それを見て、

鮫島は目を見開く。

「……ノブ……」

 血をこぼしながら、鮫島は友の名を呼んだ。そう、少年は――前田信繁そ

の人だ。目はうつろであり、まだ洗脳下にあることを認識させてくれる。

「くくく……」

 工場に第三者の笑いがこだまする。新たに現れたのは――背広を着た二十代後

半の男性だった。男は嫌味な笑みを見せながら言う。

「やあ、この間ぶりだね。『四凶』の鮫島綱生。それと、初めましてかな、

皆川夏梅」

 夏梅は覚えがなかったが、鮫島は致命傷のなかでも見た瞬間に顔を怒りに

歪ませた。

「……童門」

 この男が『虚蝉機関』の童門計久……。

 鮫島の現状を見て、童門はいっそう笑みを深める。たのしげに話しだす。

「なぜ? どうして? そういう顔をしている。なぜ、前田信繁が妹を模し

た怪物と共にいるのか? 理由は簡単だ。――その娘は、前田信繁の妹の姿

をしたウツセミだからだ」

 前田信繁の隣に位置する、彼の妹と思われる少女。それが……ウツセミ!?

「ウツセミを……前田くんの妹さんの形にした? そんなこともできるとい

うの!?」

 驚きの声をあげる夏梅。当然の反応だった。いままで、既存の動植物の変

異物が襲いかかってきたのだから。ここにきて、まさか、人間と同様の姿を

したウツセミが出てこようとは、想像だにしなかったのだ。

 夏梅と鮫島の反応を見て、童門はうれしそうに笑う。

「ふふふ、既存の生物を模したバケモノばかりでは芸もないだろう? こう

いう趣向もアリだと思ってね。――私の趣味だ」

「……外道ね」

 夏梅は心底不快に感じて、そう吐き捨てた。童門のやったことは、最低の

発想だ。同級生の肉親に似せたウツセミを置くなんてこと、倫理観をあまり

に逸脱している。いや、そんなこと、あの事件を起こした者たちに今更問う

たところで意味があろうはずがないのだ。

 童門はふんと鼻息を鳴らす。

「ま、否定はしない。――さて、そのケガでは鮫島綱生も長くはあるまい。

あまり、彼の遺体を放置したくはない。魔物を宿したセイクリッド・ギアは、

所有者が死ぬと、自動的に次の宿主が生まれるまで消失してしまうそうだ。

創造主がそのようにシステムを組んだと我々の同士たる『黒い天使』が言っ

ていた。なので、できるだけセイクリッド・ギアが宿っているうちに彼の身

体から引きずり出したいのだよ」

 ……本当、彼らは下劣極まりない。自分たちを、セイクリッド・ギアの付

属品程度にしか思っていないのだ。あくまで彼らは夏梅や鮫島の持つ能力に

しか興味がない。それを得るためなら、どんな犠牲も、どんな卑劣なことも

平気でこなす。彼らは宗家への復讐心で、目も心も濁り、人としての最後の

一線を越えてきている。

「……させないわ」

 夏梅が横たわる鮫島の盾になるように立ちふさがった。

 ……見れば、鮫島の猫――白砂が、尾を伸ばして主の胸元に触れている。

触れた尾が、形を崩して患部を覆うようにしていた。……それが、治療行為

なのかどうかはわからないが、独立具現型が主をどうにかしようと動いてい

るのは確かだ。どんな結果を生み出すか知れないが、下手に動かすことも、

彼を背負って逃げ出すこともできない以上、白い猫にすがるしかない。なら

ば、夏梅がいまできることは――白砂の行動が終わるまで童門の意識を

すことだ。

 夏梅の行為を見て、童門は嘆くように息を吐く。

「無知というか、無謀というか……。私は嫌いではないよ、そういうのは

ね」

 童門は懐から、複数の札を取り出して、力ある言葉を紡いで宙に放った。

すると、札は独りでに動いて五芒星ごぼうせいを描き出す。地面の土が盛り上がって、

形を成していった。

 夏梅の眼前に五体の土人形が出現する。童門が土人形を横に整列させて、

不敵に笑んだ。

「……その手の健気な心根を完膚なきにまでとしこむのが好きなのでね」

 童門が手を横に薙ぐと、前方の土人形二体が飛び出してくる。

「行って、グリフォンッ!」

 夏梅の指示を受けて、鷹が工場の天井を高速で飛び回って、土人形の一体

に飛来する!

 しかし、その攻撃では、頑強な土人形の一部を削るだけで精一杯であり、

大きく形を崩すことはかなわない!

 童門はその結果を見て嘲笑あざわらう。

「軽いな! その程度では、私の人形は崩せんさ!」

 それでも夏梅は手でグリフォンに指示を飛ばす。夏梅は言葉ではなく、指

のジェスチャーで相棒に命令を繰り出すように手懐てなずけていた。言葉尻から、

戦術を読まれないためである。または、声が出ない状況になったときの保険

でもある。

 鷹は空中でいくつかのフェイントとなる動きを見せたあと、一気に急降下

していく。スピードも乗せたあとで、両翼を硬質化して、相手の腕を肩口か

ら切り落とす算段だ。

 直撃する――というところで、目標とは別の土人形が、腕を切り離して飛

ばしてきた! あまりにふいの一撃で、グリフォンは横合いからまともに飛

んできた腕を浴びてしまう! グリフォンが、工場の奥に吹っ飛ばされて、

置きっ放しの廃材に突っ込んでいった。

「グリフォンッ!」

 悲鳴をあげる夏梅! 土人形が、廃材から鷹を拾い上げる。グリフォンは

――ぐったりとしており、不意打ちの一撃が強烈だったことを認識させてく

れた。

 童門は土人形の手に捕まった鷹を見て、ゲラゲラと哄笑をあげた。

「ほーら、捕まった。そのまま――」

 奴が指を鳴らす。呼応するように土人形が手に力を込め始め、手に持つ鷹

を……。

「グシャリだ」

 童門の言葉と共に、工場内に耳を覆いたくなるような鈍い音が谺した。土

人形の手から、大量に赤い血が飛び出て床に滴り落ちる。

 その光景を見て、夏梅は全身を震わせた。

「グリフォォォォォオオンッッ!」

 絶叫する夏梅の声に童門は興奮が絶頂に達したかのような表情となり、

笑った。

「ふははははははははっ! 頼みのセイクリッド・ギアも、相棒の少年もボ

ロボロだ! さあさあ、次はどうするね!? キミ自身が身ひとつで立ち向

かってくるのかい!? キミもそこの彼も! セイクリッド・ギアがなければ

ただの能なしの人間じゃないかッ!」

 じりじりと距離を縮めてくる土人形たち。相棒の鷹を亡くした夏梅は悔し

さと悲しさと怒り、すべてが入り混じった涙を流しながらも、仲間である鮫

島を守ろうと前に立つ。

「……に……げろ……」

 消え入りそうな声でそう漏らす鮫島だったが、そういうわけにはいかない

のだ。夏梅は決めていた。全員で勝つと――。全員で、生きて、この状況を

打破すると心に決めていたのだ。だから、鮫島が欠いてもダメだ。鳶雄も、

ラヴィニアも、グリフォンも……誰が欠いてもダメだ! 皆で生き残り、同

級生をすべて救い、笑って解決させてやるのだと、彼女は心中で深く、誰よ

りも深く決めていた。

 ……負けてなるものか。やられてなるものか……ッ!

 誰ひとりとて、やらせなんかしない……ッ! 自分の親友も、同級生たち

も、すべて救ってこんなバカげた事件を終わらせてやる!

「……あんたたちに負けてなんかやらないっ! 私たちは、誰も死なずに、

同級生全員、無事に奪い返してやるんだからッ! あんたたちみたいなわけ

のわかんない連中なんかにやられてやるもんか――――ッ!」

 涙を流しながらも、心からの叫びを発した夏梅。刹那、自身のなかで、

「ドクン」とひとつの大きな高鳴りが生じる――。

 愉快そうに笑む童門――の表情が、一変した。夏梅の背後に目線を送り、

驚きに目を見開いていたのだ。

 その視線に促されて、夏梅がちらりと顔をうしろに向ける。すると――そ

こには、全身から放電現象――スパークを巻き起こし始めた白い猫がいた。

バチッ、バチッと音を鳴らしながら、体中に電気が走る白砂。それに呼応す

るかのように横たわる鮫島の胸がどくんどくんとこちらにも音が聞こえるほ

どに盛大に高鳴っていた。

「……白砂ちゃん?」

 いぶかしげに見る夏梅だったが、さらに不可解な現象は起こり出す。工場内を

強風が巻き起こり出したのだ。それはしだいに大きくなり、旋風となってあ

る一体の土人形を包み込み出した。そう、グリフォンを握りつぶした土人形

を中心に強大な風が生まれていたのだ。

「……グリフォン?」

 うかがうように訊く夏梅の前で、それは起こる!

 白砂が、土人形の手にあるグリフォンが、強烈な輝きを放ち始めて、一気

に弾けていく! あまりの光量に目を覆う夏梅だったが、莫大な光が止んだ

あとに出現したモノたちを見て言葉を失う!

 鮫島の前に立つ、巨大な白い獣――。土人形の体半分を吹き飛ばして宙に

漂う四つ足の怪物――。

 白い獣は、猫のフォルムをしていながらもその大きさは三メートル以上は

あり、サーベルタイガーのように突き出た牙を持つ。さらに長い尾を幾重に

も生やしており、その先端すべてが円すい型の鋭いものとなっていた。全身

がスパークを放ち続けている。

 宙を漂う四つ足の獣も巨大であり、二メートルを超えていた。その背中に

は二対の翼があり、頭部も角が生えていながらも鷹の姿に近い。しかし、体

は鳥とは似つかぬ獣のフォルムで、さながらファンタジー作品に出てくるグ

リフォン――上半身が鷹で、下半身がライオンのモンスターのようだった。

こちらは風を全身に纏う。

 どちらも、白砂とグリフォンが転じたのか……? そうとしか、思えない

現象だった。

 この有様を見て、童門はひど狼狽うろたえる。

「……なんだ、これは……ッ! これが……『四凶』ッ!? 本来の姿だと!?」

 ヒュッという風を切る音が聞こえた。夏梅、童門を通り過ぎて、高速で動

き回る細い何か! 見れば、白い獣の複数の尾であり、それが工場内を縦横

無尽に動き続けて、しまいには土人形に襲いかかる! 土人形は両腕をクロ

スさせてガードの姿勢を取るが、それを難なく突破して、全身にくまなく白

い尾――ランスが突き刺さっていく! 刹那、絶大とも思える放電現象を起

こして、土人形を内側から焼き焦がしていった! 体中から煙を上げて、土

人形は力をなくしてボロボロに崩れ去っていく。

 その一連の動きを見て、童門が叫ぶ。

「――とうこつ! そうか、これが鮫島綱生の……ッ!」

 彼が言い切る前に、この工場内を突風が包み込んでいく! 翼を生やした

巨獣が、その場で二対の翼を羽ばたかせたのだ! 廃材を浮かび上がらせ、

工場の屋根すらも吹き飛ばしていきそうな勢いだった。夏梅も何かにつかまっ

ていないと上空に飛ばされそうなほどだった。鮫島のほうは、白い獣の尾の

一本が彼を包み込んでいて下に繋ぎ留めていた。

 夏梅が鮫島の無事を確認した瞬間、無数の鋭い波動のようなものが、土人

形に襲いかかる。一拍おいて、土人形の全身に斬られたような跡が複数浮か

び上がった。程なく、土人形は四散して床に散らばっていく。

「こっちは窮奇きゆうきかッ!? まずい! さすがに二体同時は――」

 変じたグリフォンの姿を見て、そう言いかけた童門だったが、自身の変化

に気づいて悲鳴を上げた。

「ぐあああああああああああああああああっ! わ、私の腕がああああああ

ああああああっっ!」

 そう、彼の肘から先の左腕が、なくなっていたからだ。彼の腕は、近くの

地面に落ちていた。おそらく、先ほどのグリフォンが発した突風の余波を受

けていたのだ。それによって、彼の腕は切り落とされた。

 童門はその場にしゃがみ込んで、激痛と腕を失ったショックに無様ぶざまにも転

がり回った。

「……これが、グリフォンと、白砂ちゃんの本当の姿……?」

 夏梅は、自身の鷹と白砂の変貌に驚くしかなかった。まさか、あの鷹と猫

が、このような巨獣となるとは……。童門の言葉を借りれば、これが『四

凶』の本来の姿なのかもしれない。同時に彼らがこれを求める理由も、察知

できてしまう。あまりにウツセミとは別次元の代物だ。童門――異能力者が

作りだした頑強な土人形ですら、あんなにも容易く屠り去ってしまうのだか

ら、その力は突出している。

 姿を転じたグリフォンが、下に降りて夏梅のもとに近寄ってくる。グリ

フォンは、以前と同様に甘えるように夏梅へすり寄ってきた。それを見て、

「ああ、この子は本当にグリフォンなんだ」と夏梅は安堵した。姿は変わろ

うとも、心の中は同じだ。自然と、転じた姿も受け入れることができた。

 きっと、白砂もグリフォンも、主の窮地に、あるいは複雑な心中に共鳴し

て力を瞬時に高めたのだろう。

「なんだ、生きているのか。アザゼルに怒られずに済みそうだ」

 ふいに覚えのある少年の声が工場内に響き渡る。視線をそちらに送れば

――銀髪の少年が立っていた。

「ヴァーリッ!?」

 夏梅は少年の名前を口にした。マフラーをした半ズボンの銀髪少年。彼は、

登場するなり、手をあげて夏梅に言う。

「やあ、皆川夏梅。遅くなった。用事を済ませたんでね。迎えにきた」

 この工場内の状況を見ても平気な辺り、相当な修羅場慣れをしていること

がうかがえた。この歳でこの慣れはある意味で怖いが……いまは人手があり

がたい。ケガをした鮫島を動かさなければならないし、鳶雄やラヴィニアの

安否を探らねばならないのだから。

 ――と、ヴァーリが童門に視線を送り出す。童門が落ちた腕を拾い上げ

て、入り口のほうに駆け出したからだ。逃げるつもりだ。それを察知して、

ヴァーリが奴の前に立ちふさがる。

「どけっ! クソガキがっ!」

 少年に罵声ばせいを浴びせる童門。ヴァーリの片眉がぴくりと動く。

「……どけ? それは――」

 次の瞬間――ヴァーリの背中に光り輝く翼が生えた。煌きらびやかな光の両翼

――。その光翼から、言い知れない莫大とも思えるプレッシャーが放たれて、

この場にいるすべての存在が圧倒される。夏梅も、変じたグリフォン、白砂

さえも、いままさにひれ伏しそうになってしまう。小柄な少年が、まるで巨

大な怪物のように見えてしまった。

 童門も少年の放つあまりの重圧に全身を震わせて、抱えていた切断された

ほうの腕を下に落としてしまうほどだった。

「俺に言っているのか? たかが人間の異能力者風情が」

 不敵に笑みながら、ヴァーリが手を出そうとした――そのときだった。

「……待てや」

 鮫島の声だ。そちらに顔を向ければ、白砂の尾で患部をくるまれて応急処

置されながらも、鮫島が立ち上がろうとしていた。失血した量からすれば、

動けるはずもない。しかし、がくがくと震える膝を懸命に立たせながら、不

良少年は童門のもとに一歩、また一歩とじりじりと歩み寄る。

「……そいつは、俺がぶっ飛ばす」

 鮫島は、先ほどの戦闘の余波で気を失った前田信繁に視線を送りながらも、

息を一度吐いたあとで握り拳を作った。

 とうの童門はヴァーリのプレッシャーで完全に震え上がり、その場で尻餅

をついて動けずにいた。鮫島はその童門の襟首をつかんで無理矢理立たせる。

「ひぃぃぃぃぃぃぃっ! 許してくださぁぁぁぁいぃぃぃっ!」

 無様に泣き叫ぶ童門。鮫島は、怒りに顔をゆがませながら、一気に拳を――

ぶちかました! 童門は大きく後方に吹っ飛んで、そのまま地面に突っ伏し

た。その一発を放ったあと、鮫島は前田のほうに振り返り、一言だけ漏らす。

「…………ノブ、とりあえず、いまはこの一発で許してくれや」

 それだけ言い残すと、鮫島は気を失って倒れそうになる。それをヴァーリ

がうまくキャッチした。

 小柄な少年の腕のなかで致命傷を負いながらも満足そうな笑みを浮かべて

いる鮫島。そんな鮫島を見てヴァーリは楽しげに笑った。

「へー、ある程度は覚醒したようだ。おもしろい」

「ヴァーリ。鮫島くんは……?」

 鮫島の様子を訊く夏梅。ヴァーリは鮫島の患部に目をやり、言った。

「独立具現型のセイクリッド・ギアが、主を守るために救命処置をしたんだ

ろうさ。血は止まっているよ。まあ、失った分は補わなければならないが

……」

「…………出血が止まっている? 胸に穴が開いているのに?」

「ああ、背中のほうもほら。白い猫の尾がふさいでいるよ。『四凶』が主の身

体を修繕している」

 ヴァーリが言うように、胸から背中にまで達していた致命傷が、白砂の尾

によって塞がれていた。そう、尾が鮫島と溶けるように同化していた。

 ヴァーリが話を続ける。

「もともと、セイクリッド・ギアは身から生じたものだ。主と独立具現型の

体が適合しても驚くことではないよ」

 ……この子たちの能力は、こんなこともできるのか……。

 夏梅はあらためて自身の得た能力――未知の多様性に驚愕きようがくしていた。

 ヴァーリは鮫島を支えながら、足下に魔方陣を発生させた。器用な銀髪の

少年は、魔法すらも習得している。

「いまから転移の魔方陣を開いて、鮫島をグリゴリの研究施設に飛ばそう。

そこなら、この傷でも助かるはずだ」

 テキパキと後処理をこなすヴァーリ。そう、この子は意外にもやさしいの

だ。

 


鮫島と巨獣と化した白砂、そして捕らえた童門計久を、ヴァーリが魔方陣

で『総督』の組織の施設に転移させた。不思議と、今回はウツセミと化した

同級生――前田信繁が魔方陣により、消えることはなかった。

 ただ、彼が使役していた少女型のウツセミは、力を失ったかのようにドロ

ドロに溶けていた。そのドロドロの物体も調査のため、ヴァーリが一部を瓶

に詰めて魔方陣で転送している。

 ――と、ヴァーリは夏梅に事の状況を話した。夏梅はそれを訊き酷く驚い

た。

「……五大宗家が動く!?」

 夏梅の言葉にうなずくヴァーリ。

「ああ、『虚蝉機関』の隠し施設の候補場所をすべてあちら側にリークした

んでね。粛清用の大量のエージェントがいずれそこに向かうだろう」

「じゃあ、ヴァーリが『総督』から受けた仕事って、五大宗家に奴らのアジ

トと思われる場所を教えることだったのね?」

 そう問う夏梅に少年は首を縦に振った。

「……アザゼルはいつもそうだ。俺をガキの使いにしか使わない。まったく、

貴重な存在をなんだと思っているんだか……」

 ぶつぶつと文句を垂れ始めるヴァーリ。

 ……そうか、自分たちが東城紗枝の家に行っている間にヴァーリは、今回

の主犯たちの大本となるところへ情報を流しに行っていたのだ。

 こうなると、『虚蝉機関』も無事には済まなくなるのではないだろうか? 

これは予想だが、いままで『虚蝉機関』の後始末だけしていた五大宗家が隠

し施設の場所を知れば、一気にそこまで攻め入ってもおかしくないだろう。

 ……しかし、解せないのは、なぜその情報を『総督』は自分たちに教えて

はくれなかったのか? そして、どうしてこのタイミングで五大宗家にリー

クしたのか? ……不可解な面が多いが、もしかしたら、『総督』は自分た

ちを試していた? やろうと思えばある程度打開できた状況のなかで、あえ

て夏梅たち――『四凶』と幾瀬鳶雄の力を値踏みしたのではないか? もし

くは自分たちを動かすことで、『虚蝉機関』と組織の裏切り者がどう動くの

か観察していた……? あるいはそのすべてか――。

 思慮する夏梅にヴァーリが訊いてくる。

「さて、俺はこのまま向かおうと思っているが、皆川夏梅はどうする?」

「……どこへ?」

 問う夏梅に銀髪の少年は心底楽しげに言った。

「――『狗』のもとさ。どうやら、彼らは『虚蝉機関』のアジトに連れ込ま

れたようでね。五大宗家のエージェントたちが奴らの本拠地にたどり着く前

に彼らを回収する。それが俺の新たなミッションだ。――来るかい?」

 願ってもない誘いだった。

 ――幾瀬くんとラヴィニアのもとに行く! そして、『虚蝉機関』との決

着をつけよう!

 夏梅は、首を縦に振って、変じたグリフォンと共にヴァーリに同伴するこ

とにした。

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