第158話 悪意 -stare from abyss- 15

「はぁ……はぁ……まだ、終わらない」

「やれやれ、成長しないねえ。アタイには勝てないっていい加減、学んだらどうなんだい?」


 呆れたようにそういう女には明らかな余裕があった。対するセレナは、荒い息を吐き、そこかしこに切り傷を受け、血に濡れた痛々しい姿だった。

 道には赤い斑点が残り、見世物とでも思っていたのであろう観客は、とっくに前に悲鳴を上げて逃げ出していた。

 女が一人で来たとは思えない。他の場所でも似たようなことが起きているとすれば、動揺と混乱は避けられないだろう。


「……まだ、終わってない」


 口では強気なものの、ふらついて倒れそうになるセレナ。その隙を女は見逃さない。素早い踏み込みで距離を詰め、ナイフを振るう。

 思わず目を閉じるセレナは、力強いなにかに支えられる感触と、甲高い金属音でもう一度目を開く。


「そうだぜ。終わりにはまだ早いんじゃねーか?」

「時間をかけ過ぎたかねえ。もう動けるのかい?」


 ナイフを受け止めていたのは、いつの間にか立ち上がっていたファレルだった。片腕で今にも崩れ落ちそうなセレナを支え、もう一方の手に握ったナイフで、女の振るったそれを正面から受け止めていた。

 ぎりぎりと鍔迫り合いになる2人。そこで女は、己の失策に気付いた。対するファレルは獰猛に笑う。


「ここなら、おれの距離だぜ?」

「チィッ……!」


 飛びずさろうとした女の腕を掴む。手を離されたセレナは、体重を預けていたせいで、ずるずると地面に倒れる。

 女が次の行動に移るより早く、ファレルは腕を捻り上げ、腹に膝蹴りを叩き込む。

 腕を掴み上げたままにすることで、衝撃を逃がさせない。

 しかし、女は逆に、愉快そうに、妖艶な笑みを浮かべた。危険を感じたファレルは、そのまま女の身体を持ち上げ、抑えつけるようにして、地面に叩き付ける。

 バキッという異音が響いた。骨が折れた音だろう。しかし、ファレルにはそれ以上のことを考える余裕はなかった。

 女の細い足が、蛇のように絡みつき、ファレルの腕と首を拘束していたからだ。


「ぐっ……がぁっ……」

「内臓を狙うのは悪くないけどねえ。自分の内臓の位置くらい把握してるもんさね。それに、あれだけの間があれば、肺を空にするのも難しくない。まあ、骨は少々持って行かれたけどねえ」

「テメェ……!」

「頚椎をもらうよ!」


 女が絡みついた足を捻り上げる。ぎりぎりとファレルの骨が悲鳴を上げる。しかし、ファレルはまだ諦めていなかった。死ぬその時まで最善を尽くせないような奴は、戦場では生き残れない。

 ファレルは、自由に動く足を使って、女の首に自分も両足をかけ、わずかに跳躍しながら、後ろ向きに自ら倒れる。そして、首が痛むのにも構わず、腕を引き、無理やり身体の位置を入れ替える。


「頭、かち割って、やんよ……!」


 加速をつけて、女を頭から地面に叩き付ける。寸前、女は、手を付いて、足を解き、ファレルの顎先に蹴りを入れた。

 元より浮いていたファレルの身体が、大きく飛ばされ、すぐ側にあった家の壁に叩き付けられる。木製の壁が砕け、飛び散った埃を被った。


「がっ……はぁ……はぁ……」

「……お返し」


 立ち上がろうとした女の腹を、セレナのナイフが深く抉る。捻りを加えながら、傷口を開く斬り方だ。実にえげつない。

 そして、そのまま貫通させ、地面に釘付けにする。なんというか、えげつない。

 再びの脳震盪と、全身の痛みに耐えながら立ち上がったファレルは、セレナの所業に、顔色を青くした。

 続いてナイフを取り出したセレナが、今度は足を突き刺す、寸前、セレナの身体が大きく吹き飛ばされた。


「……あっ、ぐっ……!?」

「やれやれ、これを使う予定はなかったんだけどねえ」


 女の手に握られているのは、一丁の銃だった。見た目から察するに装弾数は少なく、大口径なものだ。

 しかし、いかに至近距離で射撃を受けたとはいえ、セレナの体重が軽いとはいえ、そうそう人が吹き飛ぶものだろうか。

 すぐ近くまで転がってきたセレナを見ながら、そんなことを考える。

 そんなファレルの疑問に答えたのは、意外にも女だった。

 腹から引き抜いたナイフを投げ捨てながら。立ち上がり、血に濡れた手で銃を弄びながら、言う。


「人を吹っ飛ばすための弾丸でねえ。殺すもんじゃないのさ」


 その言葉通り、倒れているセレナには、腹の辺りに弾丸が当たったのか、そこから血が溢れているものの、死んではいなかった。もっとも、明らかに腕の骨が折れており、重症ではあるが。


「殺すためのものにしか見えねーがな。つか、んなもんテメェが持ってる理由がねーだろ」

「アタイの仕事にも色々あってねえ。血は流しすぎると死んじまうだろう? 痛めつけるにはこういうのが役に立つんだよ」

「……はっ、腐れサディスト女らしい趣味だな、おい」

「なんだい? 褒めてもなにも出やしないよ」

「褒めてねーよ」

「うっ……くっ……」


 至近距離で衝撃を受け、全身に傷を負ったセレナは、もはや立ち上がることもできないほどにボロボロだった。

 手を付いて立ち上がろうとしたまではいいが、ふらついて、ファレルの方に倒れてくる。

 ファレルはその身体を受け止めながら、女に油断ない目を向けた。2人揃ってボロボロだ。女にも手傷は与えたとはいえ、隙を見せれば、容易く殺されるだろう。

 その時、女はなにかに気付いたように振り返り、溜息と共に、


「なんだい、失敗したのかい。せっかく面倒なのを引きつけてやったのにねえ」


 その言葉を受けて、ファレルも女の視線の先を見る。そして、絶句した。

 そこにいたのは、軟禁しているはずの、ルイーズと、騎士団員だった。


「おまえ、なんで……?」

「あら? 言わなかったかしら。わたくし、退屈なのは嫌いなのよ。ついでに言うと、似たような筋書きしか書けない脚本家もね?」

「まったく、だからやめとけって言ったんだい」


 女は左右に首を振り、溜息を吐く。しかし、その気配からは、殺気が消えていなかった。


「とはいえ、ターゲットの方から出てきてくれたのは好都合さね。狩らせてもらうよ!」

「控えなさい! わたくしは、ルイーズ・マルグリット・ラ・マレルシャン。誇る高きマレルシャン子爵家の嫡子よ。そのわたくしに、そのような狼藉が許されると思っているのかしら?」

「あいにくと、アタイにはそんなもん糞食らえでねえ!」


 瞬時に切り込む女を、剣を持った騎士団員あ阻もうとするが、あっさりとすり抜けられてしまう。


「あら、わたくしを殺しても良いのかしら? 本家様が利用価値のあるわたくしを、そう簡単に切り捨てるとは思えないのだけれど」

「はっ、そこで生きていられるよりはマシさね!」

「そう、ならわたくしを殺しなさい。その言葉に偽りのないことを証明しなさい」

「ルイーズ!」

「お嬢様!」


 ファレルが叫び、騎士団員も叫ぶ。しかし、ルイーズは、堂々と立って、女の刃を迎えた。その翡翠シェイドを帯びた瞳は閉じられることはない。

 刃が届く寸前──


「ぐっ……!?」


 女はナイフを取り落とし、腕を押さえて、素早く騎士団の囲みを抜けた。そんな女を追うように、弾丸がどこからともなく着弾し、舗装された歩道を撃ち抜き、砂煙を上げる。


「あら、貴女様に助けられるとは思わなかったわね」


 そうルイーズがつぶやくと、ルイーズに背後に控えていたトウカが手にした通信機から、聞き覚えのある、だが固い、少女の声が返ってきた。


『そこは私の距離。逃げられると思わないでね?』

狙撃手スナイパー……あの子はやられたってことかい」

『……そうだね。私、ううん、わたしが殺した。でも、今の私に躊躇はないよ? 投降しないなら、殺す』


 その声は、ファレルの知る銀髪紫眼の少女──ティナのものに違いなかったが、その声音は、普段のどこか腑抜けたものとは大きく趣を異にし、驚くほど冷徹で、冷え冷えとしたものだった。


「やれやれ、これは藪蛇だったかねえ」


 そうぼやき、折れていない方の手を広げて肩をすくめた女の頬を掠めるように弾丸が飛び、目深に被っていたフードを吹き飛ばした。

 その下から現れたのは、真っ白な髪に、真っ赤な目をした女だった。顔立ちはほっそりと繊細で、整ったものだったが、顔の半分ほどを覆う火傷が、その美しさに影を落としていた。


『動かないで』

「アルビノ、か……?」

「さて、ねえ」


 ファレルの口から漏れた疑問に、女はちらとも視線を向けずに返した。

 楽園エデンぬおいては、異邦人、特に黒の色彩を持つことが多い、東方人を差別する傾向にあるが、北方系に多い白もまた、同様の傾向がある。

 一部、というよりは楽園エデンに流布する天聖教においては、その始祖が、純白の色を纏っていたという話から、神聖視しているという話もあるが、ファレルは詳しくは知らない。

 まあ、どちらにしても、ろくでもない連中ばかりなのはファレル自身もよく知るところではある。

 女がどのような経緯で、今の場所に身を落としたのかは分からないが、ファレル同様、どうせろくな経緯ではあるまい。


『投降するなら両手を上げて。5秒数える』


 女はティナの言葉には答えなかった。


『five』

「…………」


 女は無言のまま立っていた。


『four』

「こいつ、死ぬ気か?」

「……ねえさんなら、やりかねない」


 半ば意識を失っていたセレナが、目を覚まし、ファレルの漏らした驚愕に答える。

 孤立無援のこの状況で、投降しないという選択を取るというのだろうか。


『three』

「お嬢様、お下がりください」

「あら、わたくしの行動の結果よ? 見届けるわ。どんな結果でもね」


 ルイーズは、女の赤い目から決して目を逸らさなかった。


『two』

「しかし!」

「控えなさい。これは命令よ」


 ルイーズの一言で、騎士たちはルイーズを守りように展開しながらも、彼女の視界を遮るのをやめた。


『one』


 ティナの冷酷なまでに平坦な声だけが響く。彼女の狙撃の腕は本物だ。どこから狙っているにせよ、次弾を外すとは思えない。

 女は観念したのか、ゆっくりと折れていない方の手を上げ、


「まったく、アタイも趣味が悪いねえ。でも、これも御主人様のためさね」


 小さくつぶやいた。その声を聞いたのは近くにいたファレルとセレナだけだった。ファレルは、咄嗟の判断で、腰から抜いたナイフをそのまま、女に向けて投げた。


『ゼロ』


 その声が聞こえると同時、女は上げた手から何かを落とした。

 直後、閃光が全てを包む。銃声は聞こえなかった。

 そして、ファレルが視界を取り戻した時には、そこに女の姿はなく、


「くっ……」


 腕を抑えるルイーズの姿があった。それを見たファレルは、慌てて、彼女の元へ近寄る。腕に捕まっていたセレナが、地面に落ち、むぎゅと、押し潰されたカエルみたいな悲鳴を上げた。


「おい、無事か!?」

「ええ、傷は浅いわ」

「……毒の可能性もある。すぐに医者に行くべき」


 自分を投げ捨てたファレルを恨みがましく睨みながら、フラフラと歩いてきたセレナが言う。


「そうね。エドワーズ、革命団ネフ・ヴィジオンの医者を呼びなさい」

「しかし、今を逃せば……」

「いいのよ。わたくしがここにいれば、お父様も動きやすくなるのだから。それとも、わたくしの命に背くのかしら?」


 出血のせいか、それとも仕込まれた毒のせいかは分からないが、顔を青ざめさせるルイーズは、それでも、気丈に笑んでみせる。

 そんな主人に対し、騎士団長であるエドワーズは、膝をついて礼をとった。


「……仰せのままに」

「そうそう、ひとまず感謝しておくわ。ティナ」


 通信機に向けてルイーズが言う。向こう側にいるティナへの言葉だったが、通信機からはなんの音も返ってこなかった。


「切ったのか、あいつ」

「……さあ? たぶん、後でジン成分が必要」

「言い方はどうかと思うが、気持ちは分かるぜ」

「何の話だ?」


 呆れ気味につぶやいたファレルの背後から、冷気を帯びたそんな声を聞き、慌てて振り返る。


「ジン、か?」

「なんだ?」


 鋭い真紅の瞳が、ファレルを貫く。特になんの感情もこもっていない。非常に冷たいが、まあ、ことジンに関して言えば、平常運転だ。どうやら怒ってはいないらしい。


「なんでもねーよ」

「ボクもいるんだけどねぇ」


 ジンの後ろから顔を出したのは、レナードだった。そして、2人して血に塗れていた。


「おまえら、何してたんだ?」

「何って、ねぇ?」

「ああ、ただ、こいつを締め上げてただけだ」


 ジンが、適当に掴んでいた何かを投げる。ファレルは、見たくなさに認識の外に置いていた、さながらボロ雑巾のようなそれを見て、死んだ目をした。


「おまえらな……」

「狼の縄張りに断りなく入ったんだ。食われて当然だよねえ?」

「他は逃げられたがな」


 ファレルは無言で、この2人を襲った襲撃者に祈りを捧げた。容赦のなさに定評のあるこいつらを敵に回した連中に同情を禁じ得ない。


「で? なぜ、こいつがここにいる?」


 ジンがルイーズの方に目をやる。


「……いろいろあったんだよ。っても、とりあえず、終わりだ。警戒はしとくけどな」

「了解」

「まあ、詳しい話は後で聞こうか。そっちの彼女も良くはなさそうだ」

「ああ、そうそう。後で、ティナに会いに行けよ、ジン」

「何を言っているんだ、お前は?」

「さあな」

「……さあ?」


 ファレルが誤魔化し、セレナもこてんと首をかしげる。ジンが溜息を吐き、レナードが苦笑する。

 そんな2人を見て、ようやく緊張が解けたファレルは、小さく笑みをこぼした。

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