第149話 悪意 -stare from abyss- 06

「とりあえず、任務は完了したわけなんだが……ああ、それはいい。それはいいんだが……おれたちは何をしてるんだ?」

「……さあ?」


 無事、ドゥバンセ男爵に囚われた反動勢力のメンバーを救出した革命団ネフ・ヴィジオンのメンバーの一人、この作戦では、侵入と人質の救出を担当していた茶髪の青年──ファレルはぼやくように言った。

 そんな彼に言葉を返したのは、こてんと首をかしげる黒ずくめの少女──セレナであった。

 しかし、ファレルに適当な言葉を返しながらも、少女は、もぎゅもぎゅと隣で焼いた肉を頬張っていた。

 少女に限らず、他のメンバーも思い思いに肉を食い、酒を飲んでいる。ぼやいているファレルの右手にも、残念ながらというべきか、泡立つ発泡酒の注がれたグラスがあった。

 端的に言おう。彼らは絶賛、酒盛り中だった。

 どうしてこうなっているのかと言えば、作戦終了後、撤退の準備を整えていたメンバーたちに、ヴィクトール領にいるリーダー、〈テルミドール〉から届いた一通の通信が原因であった。

 内容を要約するなら、帰還は明日で良い、今日はドゥバンセ男爵領で追撃の貴族を警戒しつつ、疲れを癒して欲しい、というものだった。

 結果、警戒に当たっている一部のメンバー──交代制なのだが、ちゃんと交代できるのが残っているかは疑問が残るところではある──を除き、助けた反動勢力のメンバーや、領民を交えて、宴が開かれることになったのである。

 今回の遠征メンバーでは、若くしてリーダー格の一人であるファレルとしては、すごく頭の痛い結論である。


「どうしてこうなった……」

「……ちゃっかり楽しんでるくせに」

「うるせー」


 そう返しながらも、ファレルは手にしたコップに口をつける。まあ、普通だ。特別うまいわけでも特別まずいわけでもない。

 楽園エデンでは特に飲酒に年齢制限は決められていない。と言っても、十代後半から手を付けるものが大半ではあるのだが。

 貴族は知らないが、平民がしょっちゅう飲むには、酒は少々高い嗜好品なのだ。結果、大半が手に職を与えられてから手を付けることになる。

 言ってしまえば、金さえあれば誰でも飲めるのだが、逆に言えば、金があろうと飲まない者は全く飲まないということでもある。

 ちなみに、ファレルの知っている範囲だと、隣で無感動な目をしているセレナや、酒を飲ませようとすると顔を思いっきりしかめるジンがそれである。


「つーか、いいのかよ、こんなとこで遊んでて」

「……わたしは知らない」

「知ってんよ、おまえが役に立たねーことくらい」

「…………」


 鈍い音が響いた。冷や汗を垂らしながらファレルが膝をつく。


「テメェ……」

「……?」


 わざとらしくこてんと首をかしげてみせるセレナに、ファレルは若干殺意を覚えつつ、立ち上がる。その足は微妙にぷるぷる震えていた。


「ははっ、いつの間にそんなに仲良くなったんだい?」


 愉快そうに話しかけてきたのはレナードだった。そういえば、MC部隊に所属し、普段は表で活動している彼と、セレナはほとんど関わりを持っていない。


「仲良くねーよ」

「……ない」

「やれやれ、息ぴったりじゃないか」


 水平線の青ホライズンブルーの瞳に、面白がるような色を宿し、微妙に腹の立つにやけ顔で、呆れたようにそう言ってみせるレナード。喧嘩っ早いことに定評のある二人が殺意を漲らせるが、当の本人といえば、まったくどこ吹く風といった体である。


「よし、テメェ、歯ぁ食い縛れ」

「……あーゆーれでぃー?」

「そんなに熱いラブコールを送られても困っちゃうねぇ。そういうのは、腕の中のお姫様に囁くものだろう?」


 にこやかに言ったレナードに、ファレルとセレナの鋭い拳が突き刺さる。盛大に吹っ飛ぶレナードだが、手応えがない。自ら飛ぶことで、受身をとったらしい。


「痛いなぁ。キミたちには、ボクを労わろうという気がないのかい?」

「ねーよ」

「……ふぁっく」

「ああ、〈レギオニス〉を撃破したのは、ボクだっていうのに、なんて冷たいんだ」


 暴言を前にしても、相変わらず甘い笑みを貼り付けたまま、それどころか、よよと泣き崩れる真似をしてみせるレナードに、二人はやや呆れ気味にジト目を向けた。こいつは人を煽ることが生き甲斐なのだろうか。

 そんなレナードの頭から、泡だつ発泡酒が浴びせかけられる。さしものレナードもこれは予想外だったのか、さすがに慌てたように振り返った。


「……先輩? 売られた喧嘩は買っていいんですよね?」


 逆さにしたグラスを手にしたまま、レナードに、満面の笑みを向けるのは、彼と同じくMC部隊に所属する黒髪の少女──リンファだった。

 彼女の頭には帽子のようにコップが乗っており、東方人オリエンスの象徴とも言える黒髪は、濡れ羽色に艶めいていた。

 どうやら、レナードが派手に吹き飛んだ際に、手を離れたコップの中身を浴びたらしい。


「わざとじゃないんだけどねぇ」

「それ、理由になると思ってます?」

「……だよねぇ」

「じゃ、いいですよね?」


 二杯目を手に取りレナードの頭上でぶちまけるリンファを、レナードは珍しく笑みを消して、真剣な表情で無言のまま見つめ、杯が空になったあたりで、ふと口を開いた。


「ねぇ、リンファちゃん」

「なんですか? 三杯目が欲しいならあげますけど」

「今日は黄色なんだねぇ」

「へっ?」

「いやぁ、なかなかいい眺めだねぇ。控えめだけどこれはこれで、エロさがある」


 レナードの視線の先、すなわち、酒を浴びたせいで透けてしまった胸元に気付いたリンファは、羞恥と怒りに顔を真っ赤に染めると、


「死ねっ! 変態!」


 胸元を手で隠しながら、レナードを思いっきりぶん殴った。

 またしても吹き飛び、足元に戻ってきたレナードを見下ろし、ファレルは、可哀想なものを見る目を向け、


「こいつ、マゾなのか……?」


 そのつぶやきに答える者は誰もいなかったが、へんたいはぼくめつ、などと言いながら、げしげしとレナードを踏み付けるセレナと、それに抵抗しないレナードを見て、その懸念は、ファレルの中で確信に変わりかかっていた。

 そんなファレルの思いに気付いてか否か、セレナに踏まれたまま、レナードが言う。


「マゾ扱いは心外だねぇ」

「じゃあ、なんだよ?」

「ボクは自分に素直なだけなんだ」

「……素直に生きてそれなら、おまえは人生を見直した方がいいと思うぞ?」


 結局、その答えにはマゾを否定する要素は一切なかった。ファレルの目が、呆れから侮蔑に変わったのは言うまでもない。


「やれやれ、分かってないなぁ」


 そんなことをぼやきながら、踏むのに飽きたのか、食べ物を取りに行ったセレナがいなくなったことで自由になったレナードが立ち上がる。

 パンパンと手で砂埃を払いつつ立ち上がり、微妙に恍惚とした表情を浮かべる様は、まあ、残念ながら控えめに言っても変態である。


「冗談はさておき、そう心配することでもないだろうね」

「おまえの頭の話か?」

「真面目な話だよ」


 レナードの表情からは、先ほどまでのふざけたような笑みは消え、その水平線の青ホライズンブルーの瞳は、鋭い色を宿していた。

 騎士団長とも渡り合えるMCパイロット──騎士としての、冷静な輝き。

 ファレルはそれを見て、レナードに対する認識を改めつつ、うなずいた。真面目な話、という言葉に嘘はないだろう。


「キミは警戒しているんだろうけどねぇ、ここが攻められることはないさ」

「……ずいぶんと気楽に言ってくれるぜ」


 ファレルは、レナードに思考を読まれていたことを知り、彼の洞察力に舌を巻いた。おちゃらけた姿からは想像もできないが、凄腕の騎士だけあって、さすがにクレバーな部分はあるらしい。


「ここには、革命団ネフ・ヴィジオンの戦力の大半が揃ってるんだよ? ボクならまず狙わないねぇ」

「一網打尽にするチャンス、とも取れるぜ? なんたっておれらの戦力は、まともにやり合えば、男爵領の一つも、満足に落とせない程度しかねーんだからよ」

「それでも、革命団ネフ・ヴィジオンの戦力の大半さ。むしろ、ボクなら手薄になったヴィクトールを狙う」

「……それってやばいんじゃねーか?」


 そう、レナードの言う通り、ヴィクトール領には、現在まともな戦力がない。残っているのは、貴賓館に軟禁されているマレルシャン子爵家の関係者の監視役程度なものだ。

 むしろ、最重要人物である《テルミドール》もいる、という点で、より問題が大きいと言える。


「だから、心配せずに宴会を楽しんでたらいいのさ。キミは下心を表に出さないタイプだからねぇ。酒に任せて絡んでみたらどうだい?」

「おい……冗談言ってる場合かよ!」

「大丈夫さ。どうせ、工作員スパイの侵入は前から山ほどあるからねぇ。今更送り込んでくるのはMCくらいなものさ」

「もっとまずいだろうが!」


 革命団ネフ・ヴィジオンのMC部隊は、出撃可能なものは全て、このドゥバンセ男爵領にある。旧ヴィクトール伯爵領領都、アガメムノンに残っているのは、搭乗者不在の〈ガウェイン〉と、数機の〈ヴェンジェンス〉と、ヴィクトール領の動乱の中で、チェルノボグとやらから譲り受けた〈ティエーニ〉が数機だけである。

 数はそれなりだが、それを操る騎士がいない。多くはまだまだ実戦レベルではないのだ。いきなり戦場に出せば全滅もあり得る。

 しかし、レナードは、本気でその危険性を理解していながら、気にしていないらしかった。

 正気を疑い、ついで、内通者てきである可能性を疑ったファレルだったが、貴族に通じているのであれば、それこそ、こんな話を彼に聞かせる必要もない。

 困惑をみせる彼に、レナードは心底呆れたように、言った。


「馬鹿なことを言わないで欲しいねぇ。ジン・ルクスハイトがいるだろう?」

「ジンは休暇とかでどっかいったぞ?」

「はぁ……」


 馬鹿を見る目で溜息を吐かれた。さっきまで変態的行動をしていたこの男にそんな目で見られるのは非常に腹が立つが、ファレルは鉄の意志と鋼の精神力で怒りを噛み殺した。


「ジンは動く。必ずね。そうできてるんだよ。アレは。まして、あんな派手な放送をしたんだ。どこにいても戻ってくるだろうさ」

「……まあ、そう、だな」

「そして、MC相手ならジンの〈ガウェイン〉は円卓でも持ち出さないと殺せない。だから問題ないってことさ」


 レナードは気軽にそう言い、


「まあ、ここを攻めてくる可能性はゼロじゃないから警戒は必要だろうけどねぇ」

「……おまえ、いろいろ考えてたんだな」

「ボクをなんだと思ってたのかなぁ? ぜひ聞いてみたいとこだね」


 そう言ってレナードは笑う。その視線は、宴会の真ん中で騒いでいる対人部隊のメンバーに向いていた。その中には、新メンバーであるウェルソンや、今回の作戦で領民を誘導していた《ナグルファル》の姿もある。


「……気のせい、かな?」

「何がだよ?」

「いいや、なんでもないさ。じゃ、ボクは行かせてもらうよ。ぬれぬれのすけすけのリンファちゃんを目に焼き付けないといけないからねぇ」

「……いや、普通に殴られると思うぞ、それ」

「キミもオープンに行ったらどうだい? 溜めるのは良くないよ?」

「余計なお世話だ、ボケ。人を欲求不満みたいな言い方してんじゃねーよ」


 レナードはいつも通りも甘い笑みを貼り付け、にやにやしながらそう言い残し、ファレルの文句を聞き流して去っていく。

 入れ替わりに、セレナが戻ってきて、ファレルをじっと見つめて、首をかしげた。


「……むっつり?」

「うるせーよ! つーか、誰だよそんなこと言ったやつ!」

「……わたし」

「いい加減にしやがれ」

「……もぐもぐ」

「こいつ、無視しやがった……」


 ──まったく、どいつもこいつも……!

 溜息を吐いたファレルは、宴会の喧騒と明かりの中、窓の外に見える青白い月を仰いだ。

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